キャバリアのななちゃん日記

宮古島での、ロングバケーションを終了し、千葉に戻りましたよ~!

上野公園の西郷さん ほんものか・・・

2013年03月31日 | キャバリア


morijiの愛読書 勝海舟の「氷川清話」
バックの中にはいつも入っている。
暇さえあれば読んでいる。

幕末の裏話が満載。

1868年3月 幕末の戦争の中で、討幕軍が江戸に迫った。
まさに、その時、旧幕府側の勝海舟と新政府側の西郷隆盛の2名が会談した。

その結果、江戸無血開城が決まった。
2人の政治家の英知と決断により、多くの人命が助かった。

西郷隆盛が政治の表舞台に登場したのが、
1864年 長州藩が起こした「蛤御門の変」(当時37才前後)

先週の「八重の桜」にも登場した。
それまでは、薩摩藩の前藩主島津久光に疎まれ、島流しにあっていた。
それから4年政治の表舞台に登場し、幕末の動乱期に活躍した。

いまの難局も、そのような政治家が求められている気がする。

さて、その時同年5月15日、上野には旧幕府擁護の彰義隊が立てこもり、新政府軍と局地戦争となった。
戦いは1日で決する。彰義隊は敗れ、上野のお山は焦土と化す。

第1回目の焦土。(2回目は1945年東京大空襲の際)

今は西郷さんの像と桜が目立つ。

この西郷像については、

WIKIによると、

西郷の銅像は明治維新の元勲のものとしては、あまりに庶民的に過ぎるものである。一時は朝敵とされた西郷の名誉回復の場でもあった銅像除幕で、予想とあまりにかけ離れた服装の銅像に対する驚きと落胆の気持ちの反映であった。当初は皇居内に建てる案もあった西郷像の建造当時、朝敵となったことによる反対意見が根強かったことは無視できない。上記大山巖の言い分も、まだ西郷への反感を持つ政治家が多かった時代、明治政府の官位による正装をさせるわけにはいかなかった事情が背景にあったと考えられる。

美術史家の吉田千鶴子の調べによると、当初は「陸軍大将軍服着用の騎馬銅像」の計画だったが、騎馬像とするには資金が足りず、次に「大将服着用の立像」となり雛形まで出来あがったものの、今度は「さる筋から大将服姿に猛烈な反対が起」こり、最終的に現在の姿になったという[2]。そこには、西郷の高い人気故に反政府的機運を醸成しかねない動向を逸らし、西郷から武人としての牙を抜き、犬を連れて歩く人畜無害な人物というイメージを民衆に定着させようとする政治的意図が働いていたと見られる。

morijiiは犬と散歩する西郷さん像、大好きだ。

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