“只なる実践”を持続していらっしゃるでしょうか。
耳に入るものを無視する、相手にしない、
放って置く、知らん顔していることです。
目に写るものを見たまんま、そのまんまにして
思考に繋がないことです。
耳に入るものも目に写るものも、何も受け止めない
ことです。
カラスの声も、人の話も、自動車の音も、景色も意識を
動かさない、心を動かさない、心を使わないで
“只、そこに居る”のです。
つまり只、見て心で見ないのです。
只、聞いて心で聞かないのです。
すべてを忘れて“只になる”ということです。
それをこの世界では、馬鹿も天才も紙一重と言えるのでは
ないでしょうか。(笑)
真実世界では、馬鹿も天才も無く“只”ということですね。
この“只”こそ心配、迷い、不安、苦悩、恐れの
皆無の“絶対安心”の境地と言えます。
ぜひとも生きているうちに、ここに還り着くのです。
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