只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

今朝は雨です

2016-01-29 09:01:16 | 日記
心とは、摩訶不思議なものですね。
あるようでない、ないようであるのです。
それが“空”(くう)とも呼ばれています。

幸せも、愛も、怒りも、妬みもある条件が揃えば
雲のように現れそれを感じることができます。
これを禅では『縁起』と呼んでいます。

縁があれば起こり、なければ起こらないのです。
多くの人が、この雲のように実体がないものを
「心」と呼び、自分だと思い込んでいるのです。

幸せの自分、怒りの自分、恨む憎む自分となるわけです。
でも幸せは幸せです、怒りは怒りです、恨む憎むは恨む憎
むです。ですから自分ではなく感情となります。

真の自分”は、例えば自分の中に地球があり、日本があり、
幸せがあり、怒りがあり、恨む憎むがあって
様々に展開されているのを“只眺めている存在”です。
そこには感情等はまったくありません。

ですから、日本の中に自分が居ると思うのは
幻想の自分ということになります。
真の自分”は日本を、幸せを“只眺めている存在”といえます。

繰り返し述べているとおり、これは「例え」ですから
信じないで“実践で体得”してください。

実践”をやり続け大安心の境地に達した人は
心の迷いを拭い去り、心の正体をはっきりと理解し
見抜いたのです。

真実を見極め感づき“体得”したということですね。



只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

残像としてこの記憶の中にあるものを引っ張り出してくるでしょ。・・・…前回

  『そして精細に思い出して現実とはめ変えようとして
   かたっぽはもう絵に描いた餅、今は現実だから。
                できっこないの
。』

昨日と同じことですが観てみましょうね。

私は、過去を何とかして「今の現実」にしようとして
頭脳を使っているのですね。
しかし過去は過去でありません。
事実は今しかないのですね。

まったく無いのを在るかのごとき探し回るから苦悩に陥ってくるのです。
身体は生まれた時から“今この瞬間・無思考”です。
今の自然とうまく対応しながら流れています。

ですから思考は必要時に取り出して、あとは忘れ去って
おくのが肝心ですね。

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