只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

今朝は肌寒く感じました、これも自然の流れですね。

2018-04-07 09:21:48 | 日記
「思考自我」を知って、それを相手にしない、
そして離れて観て行くことが“只なる実践”の持続です。

そうすると、私(思考)は良いものは失いたくない、悪い
ものは早く離れたいと観えてきます。

ですから、頭の中に善悪の観念がしっかりあるということ
ですね。

しかし事実には、善いも悪いもありません。

繰り返し述べていますが、頭の中の判断で行動して行く癖が
迷いとなって行くのです。

身体は誕生してから、間違いなく事実のまま動いているから、
迷うことなどまったくありません。

ですから心というものが“無心”にあれば、心身一体となり
あるがままに過ごせるのです。

ですが強大なエネルギーの「思考自我」は、そんなことなど
一瞬にしてひっくり返すのです。

それはなぜか?・・・ですが、“無心”には幻想は浮かんで
来れないということです。

幻想は、今まで事実の自分としているからです。

幻想で無ければ、「死」に直結すると判断するのです。

ですから、頭の中で一度死んでみてくださいと言って
いるのです。(笑)
そうしたら必ず事実に甦ってきます。

頭の中での幻想の「死」は、汚れの無い“空っぽ”です
から爽やかな空間とも言えるのですね。

それが訪れるまで弛まぬ“只なる実践”の持続です。


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