“今この瞬間”の無思考がわからないから迷いが出るのです。
ご承知のとおり幻想の「思考自我」が迷いだからですね。
ですから“今この瞬間”をいくら思い考えても、土壷に
嵌まるだけで終焉がないということになります。
つまり“無思考”を「思考自我」が永遠にわかることは
無いのです。
“只なる実践”は、永遠にわかることは無い「思考自我」を落として、
“今この瞬間”の中で“お気楽な人生”を
送るのですね。
ですが“只なる実践”を持続していない人は、何のことやら
さっぱりわからないのです。
そして逆に「思考自我」は「お前は頭おかしい!」と
怒り出すかもしれません。(笑)
よく言われている言葉に、「お前は馬鹿か!」というのが
ありますね。
事実は紛れも無く言った本人が馬鹿なのですから、
“馬鹿は馬鹿”ということになります。
問題の起こる幻想世界は相手の事を指しているでしょうが、
真実世界は馬鹿も利口も一切“無い”から“只”ですね。
ですから「思考自我」が言うことは、すべて自分の事を
自分で言っているのです。
繰り返し述べますが、幻想世界は馬鹿も利口も一切“無い”
のに「在る」とする相対世界ということです。
この“教え”が“空・無”から出てくるまで、常に
“只なる実践”の持続です。