只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

新鮮な野菜をいつも山畑から戴いています。笑

2017-09-14 10:35:30 | 日記

上下、男女、在る無し、東西、行く行かない、
大小、遠い近い、善悪、幸せ不幸などの相対は、
いつも数限りなく使っているのです。

別に使っていて良いのですが、そのひとつひとつに
想念を付けるから問題が起こって来るのです。

例えば、「幸せ」を思い考えると必ず「不幸」が出てくる
のですね。

遠い近いも然り、「遠い」と思うと必ず「近い」が出てくる
のです。

このように相対になると、決着がつかなくなり永遠の
ループとなります。

では、どうすればいいかと言うことですが、
それは「幸せ」は“無い”ですから思い考えなければいいのです。

「幸せ」や「不幸」は人間が創った文字だからで、皆に通用
するように創作したのです。

それだけのことですが、これを繰り返すことにより
「思考自我」が発生するようになったのです。

つまり「幸せ」とはこの様なことである、「不幸」とは
この様なことであると決め付けするようになったのです。

すべてこれらは“真の自分”ではなく、偽りの「思考自我」が
約0,01秒で創作しているのです。

「嘘、言うな!」と「思考自我」は怒るでしょうが、
この「思考自我」が“そうです”と認めたとき、次第に
主役の座から転げ落ちていくのです。

この人間社会は「思考自我」が主役であれば「苦の世界」
ということです。

逆に「思考自我」が従順であれば“お気楽な世界”
いうことですね。