神社巡りの旅
今回は山梨県です。
最初は金運で有名になっている新屋山神社です。
新屋山神社は、戦国の室町時代後期、後奈良天皇の御時天文3年(西暦1534年)10月17日の創建にして、1727年修復、1890年(明治23年)に弊殿、拝殿の造営、1934年(昭和9年)10月17日に本殿を再建し、末社浅間社 大神社を合祀する。1973年(昭和48年)に弊殿、拝殿を改築し、社務所を設置して現在に至っています。
まだ、先日の雪が一部残っていました。有名な実業家がお参りに来るとネット上で流れていましたのでついつい行ってきました。
イメージとしては、ふもとにひっそりと鎮座していると思っていましたが、大きな駐車場が整備され多くの参拝者を受け入れる準備も整っていました。
続いて、善光寺。
長野県の善光寺と深い関係があり、武田信玄が川中島の合戦により長野県の善光寺の焼失をおそれ奉遷したことから始まっています。日本一の鳴き龍もあり、親切に立ち位置まで定められていました。大きく一度拍手すると響き渡り龍が鳴いているようでした。長野の善光寺にもある、地下の道もありました。
次は、武田神社です。
武田神社は武田信玄公を御祭神としてお祀りしています。信玄公は我が国戦国時代きっての名将であります。大永元年(1521年)当神社の背後に控える石水寺要害城に誕生され、天正元年4月12日に上洛の夢半ばに信州駒場で53歳の生涯を終えますが、21歳の時に国主となって以来30年余、諸戦に連戦連勝を重ねるのみならず、 領国の経営に心血を注ぐ中、特に治水工事、農業・商業の隆興に力を入れ、領民にも深く愛されていたようです。治水工事などは歴史的にも有名で某教科書にも載っていました。
やはり風林火山ですよね。
「風林火山」は、古代中国の文献「孫子」に書かれた文を略した言葉で、「孫子」は、戦争などの兵の用い方を解説した兵法書です。戦争で勝つためにはどのようにすればよいかを理論的に解説しています。
疾如風
疾(はや)きこと風の如(ごと)く
徐如林
徐(しず)かなること林の如(ごと)く
侵掠如火
侵し掠(かす)めること火の如(ごと)く
不動如山
動かざること山の如(ごと)し
戦争ではなく、大事を成し遂げるときの参考ですね。
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