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散歩

2022-04-24 11:56:52 | 日記

昨日は暑かったですね。

今日は曇り空。暑さに体も慣れていないこともあり、この曇り空は散歩にちょうどいい。

小さな花が咲いていたので取ってみた。名前はわからないので、レンズを活用して検索してみた。丹頂草らしき花がヒットした。本物かどうかはさておき、小さなかわいい花であることには変わりないので、よしとしますか。

続いて、アヤメによく似た白い花を咲かせるシャガ。

こんな花言葉が書いてありました。葉っぱの形が鋭い剣を思わせ、人が踏み入らない日陰に花を咲かせる姿にちなんで、「反抗」という花言葉が付けられました。また、「友人が多い」という花言葉は、種を作らないにもかかわらず、根茎が地下を這ってたくさん花を咲かせる性質が由来となっています。

ふむふむですね。

続いて、シラー・カンパニュラータと名前が出てきました。愛らしいピンク、ブルー、ホワイトのつりがね状の花を咲かせる。切花としても人気の球根花です。以前はシラー属に分類されていましたが、現在はヒヤシンソイデス・ヒスパニカと呼ばれています。

続いてシラン。うつむいたように咲く花姿から、「美しい姿」という花言葉が付けられました。「あなたを忘れない」「変わらぬ愛」とは、英名が「Hyacinth orchid(ヒヤシンス・オーキッド)」と呼ばれることに関連して、ヒヤシンスの花言葉の由来ともなった悲しいギリシャ神話のエピソードにちなんでいます。

4月も終盤、週末からはゴールデンウイークに突入します。

特に入学した1年生は緊張の糸が切れそうになる学生も出てくるようです。

色々ありそうですが、ゴールデンウイーク前のリフレッシュでした。


ハナモモ

2022-04-16 19:39:51 | 日記

ハナモモ。みどり市東町小夜戸・大畑地区の「花桃街道」は、約2kmに渡り地元の人たちが30年以上かけて植えた約1,500本のしだれ桃が咲き乱れます。

そもそもハナモモとは、原産地は治癒動く中国。花を観賞するために改良されたモモで、花つきがよいため、主に花を観賞する目的で庭木などによく利用される。日本で数多くの品種改良が行われ、種類が豊富。観賞用のハナモモとして改良が行われるようになったのは江戸時代に入ってからで、現在の園芸品種の多くも江戸時代のものが多い。

桜も葉桜となり次の花はと考えていたら、ハナモモの記事が出ていたので出かけてみた次第です。同じ木にピンクや赤の花もあり地域の方々が工夫をしているのか不思議な気もありました。

 

 

 

 

 

 

その後、貴船神社へと細い道をくねくねと向かいました。

貴船神社は、平安時代の天暦十(九五六)年、東国(関東地方)がひどい干ばつに襲われたとき、山城国(京都)の貴船神社の祭神が、古来より祈雨・止雨祈願の神として信仰されてきた高おかみ大神で、その分霊を奉り降雨と五穀豊穣を祈願したところ、それがかなえられたので、関東平野の最北端、渡良瀬川流域の山地に祭られ、現在地に建立されたのは、江戸時代の寛文8(一六六八)年といわれています。

天気も良く、気分転換ができましたね。

月曜日は、一部ハイブリッドによる講義がありうまくいきますように。


2022-04-09 17:29:32 | 日記

4月、2回目の土曜日。

まさしく春の陽気となっています。新たな環境で仕事を始めて1週間たち、わからないこと、気を使うことなどからくる微妙な疲れが出ています。

そんな時は、近くを散歩しながら春を感じてきました。

偶然とった花に、蜂が映り込んでいました。蜂を撮るつもりではなく花にピントを合わせていたら偶然でした。

次は、白い花です。調べてみると、ハナニラと出ました。かわいい花だったのでパシャリですね。

次の黄色い花はキバナカタクリとレンズで出ました。

以前投稿したカタクリとは少し違いますね。

汗ばむ1日でしたね。

明日はもっと暑くなる予定です。散歩にてよい気分転換でした。


2022-04-03 17:51:29 | 日記

鹿の川沼公園の桜。

農業用調整池として整備され、現在は地域の人々の憩いの場として子供たちの遊具のある鹿の川沼公園の土手沿いの桜が開花となっています。

鹿の川沼公園というより岩宿遺跡のほうが有名ですよね。

第2次世界大戦の頃までの考古学者は、発掘を進めて赤土(関東ローム層)が出るとそれを「地山」と呼び、それ以上掘ることはありませんでした。土器を使っていた縄文時代(世界史では新石器時代にあたる)の人々が日本の最初の住人だと考えていたからです。
この考古学・日本史の常識を覆し、日本にも世界史でいう旧石器時代段階に人々が生活していたことをはじめて明らかにしたのが、岩宿遺跡です。

ホームページによると、岩宿遺跡は、群馬県みどり市笠懸町阿左美地内の琴平山・稲荷山という小さな丘陵が接する部分に位置しています。

1946年、切り通しの道となっていた岩宿遺跡を通りかかった相沢忠洋は、切り通しで露出していた赤土(関東ローム層)から、石器を発見しました。相沢はその後も、何度となくその崖を調査し、赤土の中から次々に石器を見つけましたが、土器が伴うことはありませんでした。当時は、1.5万年以上前の火山灰でできた関東ローム層の時代には、ヒトが住めなかったといわれていましたが、自分が確かめた事実を信じ、1949年の夏、ついに誰が見ても疑いようのない黒耀石の石槍を発見しました。この発見は、いち早く東京の学者に知らされ、相沢さんと明治大学が岩宿遺跡を発掘調査をすることになりました。1949年9月11日、岩宿の丘に立った発掘調査隊は、それまで未知の地層であった関東ローム層に挑み、ついにその地層の中から石器が出土することを確認しました。その後、その年の10月、翌1950年4月にも発掘調査が行われましたが、こうした一連の岩宿遺跡の調査によって以下のことが明らかとなりました。

その当時、最も古いと考えられていた縄文時代の土器がやや離れたC地点から発見されましたが、それらは関東ローム層より上の黒土に含まれていましたので、ローム層から発見された岩宿遺跡(A・B地点)の石器は、明らかに古いことがわかりました。そして、土器を伴わず、石器だけが発見されるため、縄文時代とは違う時代のものと考えられました。また、発掘調査によって関東ローム層中に層を違えて2つの石器群が発見されました。少なくとも約3.5万年前(岩宿I石器文化)と約2.5万年前(岩宿II石器文化)の時期があることがわかり、早くもこの時点で、岩宿遺跡の時代に異なる文化の段階があり、その岩宿時代が長い時期にわたっていたことが予想できました。

岩宿遺跡だけでなく、カタクリの群生地が近くにあるので散策してみました。

稲荷山北面に群生するカタクリは、毎年3月下旬から3月末にかけて、地面いっぱいに薄紫色の美しい花を咲かせます。上に向かって反り返る花の姿は、まさに「妖精」。早朝や夕方は花を閉じるので見学はぜひ日中に。開花時期に合わせて毎年「カタクリさくらまつり」が開催されています。

カタクリは少し遅かったようです。

カタクリとは別にひっそり咲いていたヒトリシズカという花も咲いていました。あまり見かけないので思わず足を止めてしまいました。