それでも永山則夫が好きだ(スピンオフ)

「ねっとわあく死刑廃止」や、無期懲役囚で「とらえなおし」で知られる飯田博久さんや、小松川事件の李珍宇のことを書いたり色々

本の紹介…池田浩士著「死刑の“昭和”史」

2017-02-03 21:54:12 | 管理人のぼやき

1992年4月20日ねっとわあく死刑廃止第13号に載っていた、本の紹介。

 

『死刑の【昭和1史亅池田浩士 インパクト出版会 3605円(本体3500円)

 『インパクション』に89年10月から91年8月まで連載された同名の論文を集約したものである。この「年月」の死刑廃止をめぐる状況の変遷と、本書の問いかけるものとの間には、重要な関連があるように思える。 

89年10月は、「幼女連続殺人事件犯人逮捕」のキャンペーン(逮捕、起訴された「M君」は犯人ではない可能性が強いことは、その後「M君裁判を考える会」などにより再三訴えられている)が荒れ回った直後だった。

「凶悪」事件と世論、そして被害者の問題に私達は真正面から向き合わざるをえない状況を強いられていた。それは、87~89年の「死刑確定ラッシュ」で、我々が死刑攻撃を受ける死刑囚と「共に生きる」ことを間われたのと同じく、運動にとっての「試練」だった。死刑廃止運動は、様々な試練を、くぐりぬけて来た。その直後、89年暮、国連で死刑廃止条約が採択され、日本の死刑廃止をめぐる流れが、大きく転換していったのである。 

ついに最後まで「死刑」を手離すことなく終わった「昭和」を、かの「大逆罪」を頂点とした「死刑」をめぐる支配権力の論理とそれを支える民衆の情念の双方から検証する本書は、かっての「国賊」に対する民衆の憎悪と同じ根が、「凶悪犯亅への世間の憎悪にあることを示すことによって、私達はほんとうにそれと対決し、「試練」をくぐりぬけたと言えるのかと、間うのである。 

90年91年と、フォーラムの成功とフォーラム運動の全国化、そして国会(あるいは法務省!?)内部での流動化、といった中で、死刑廃止はもはや夢ではなくなっている。

そして同時にこの時期、私達は、湾岸戦争で、多くの「死刑廃止国」が参戦して「国家による大量殺人」を行なうのを目にしたのだった。

「国際協力」をタテに、何とか戦争に参加しようとした「死刑存置国」日本で我々が運動している現実をヌキには出来ないが、「死刑廃止」がどのような社会をめざすのか、その過程で何を譲り渡してはならないか、を考えない訳にいかない状況があった。

-「(死刑廃止が夢でなくなった)だからこそ、死刑廃止論は、廃止の論拠をますます鍛えなおし、練りあげなければならない』という筆者に私は賛成する。

そしてそれは、死刑囚、また彼らの罪の被害者(家族)を含む人々との具体的なかかわりの中で、考えぬかれなければならないと思うが、同時に本書が紹介する先達の遺産も貧欲に摂取しなければならないだろう。

例えば二〇世紀初頭、帝国議会に再三死刑廃止を提案した花井卓蔵氏が、すでに「無期刑」を「死刑より悪法なり」として削除を提案し、死刑廃止の更に先を見ていたことなどはまさに瞠目に価いする。 

「世界のすう勢」に安易にもたれかかる「死刑廃止運動」を嫌い、自分の頭で考え、自分の主体で決断せよとせまる筆者は、「制度としての死刑廃止」の、その先を、熱い眼差しで見つめる。『死刑を問うということは、‥・根本においてはこの社会における人間の生かされかたを問うことであらざるをえない』。-この本は死刑廃止運動にとって今もっとも必要な問いー「死刑廃止によって、何を実現するのか」を間いかけているのだと思う。(T記)

抜粋以上

 



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