それでも永山則夫が好きだ(スピンオフ)

「ねっとわあく死刑廃止」や、無期懲役囚で「とらえなおし」で知られる飯田博久さんや、小松川事件の李珍宇のことを書いたり色々

(第八章-1)小笠原和彦著『李珍宇の謎』…メディアの"珍宇天才説"の影響を受けたから珍宇は獄中で小生意気に?

2017-05-10 16:36:53 | 小笠原和彦著『李珍宇の謎』

(第七章)から続く

【李珍宇・小松川事件について】

・1958年4月20日、賄い婦の田中せつ子さんが殺害される。

・1958年8月17日、東京都江戸川区の東京都立小松川高等学校定時制に通う女子学生(当時16歳)が行方不明になる。

・1959年2月27日、李珍宇(在日韓国人)は犯行時18歳であったが、「賄い婦殺人事件」も含めた殺人と強姦致死に問われ、に東京地裁で死刑が宣告。

・二審もこれを支持、最高裁も1961年8月17日(被害者の命日)に上告を棄却し、戦後20人目の少年死刑囚に確定。事件の背景には貧困や朝鮮人差別の問題があったとされ、文化人や朝鮮人による助命請願運動が高まった(自白だけで物証がなく冤罪という説もあった)。

・1962年8月には東京拘置所から仙台拘置支所に移送(当時東京拘置所には処刑設備がなかったため)

・同年9月8日、珍宇が宮城刑務所から小林直人弁護士に再審請求書を送る

・同年11月16日に宮城刑務所で死刑執行。異例のスピード執行だった。

 

小笠原和彦著『李珍宇の謎』の目次 (五章以降)

 

 【メディアからの影響で、本当に自分が天才なのかなと思うようになってしまった珍宇】

第七章までは「珍宇はシャバで、弱者に対して思いやりがあり、大人っぽく人望がある子だった。そして、メディアが報道したような特別勉強がでいる天才少年ではなかった」ということ、そして、「その天才少年説が、かえって、重刑(死刑)を食らう要因になってしまった」ということが書かれていた。

しかし、獄中に入ってからの珍宇を、「スタイリスト(気取り屋)だから好きじゃない」と言う人もいて、珍宇ってわけがわからない子だなという感じでもある。その理由が、この八章で明かされる。

メディアから"天才少年、天才少年"と書き立てられた珍宇は、本当に自分が天才少年であると思い込んでしまい、獄中で、年上の獄中者たちに、生意気な態度をとるようになってしまう。その、生意気な態度をとられた有名獄中者とは、『カービン銃ギャング事件の主犯のK.O.』という人。そして、バー・メッカ殺人事件の正田昭氏だったそうだ。

正田氏は、慶応大学経済学部卒。K.O.さんは、シャバで国鉄とアメリカ軍の間の交渉をする英語通訳を5年間やっていた。そのK.O.さんに対して、珍宇は、英語の講義をしてきたのだという。

獄中にいた珍宇の手紙は、大変衒学的だったらしい。『衒学』とは、学問のあることを自慢することだそうだが…『衒学』と聞いて、私(このブログ管理人)が思い出してしまう死刑囚は山地悠紀夫…。悠紀夫は自分のことを『衒学的』って言っていたと何かで読んだ。山地悠紀夫は16歳のとき母を殺し、そして21歳のとき、二度目の殺人をして、警察に連行されるとき笑っていたし、珍宇も笑っていたなあ…と…。ただ、珍宇は冤罪で、悠紀夫は本当に本人がヤってるけど…。こいつら、わかんねえなあ…^^;

 

珍宇が逮捕されるまでシャバで交際していた人間は、中学時代の同級生や工場の同僚たち。全員、大卒者ではない。みんな、生い立ちも似ており、互いに社会の片隅に追いやらそうな人たちだった。珍宇は、シャバで、人の痛みがよくわかる人たちと付き合っていた。しかし、逮捕後、有名人になってしまった“少年在日殺人犯・珍宇くん”に、大学教授や文化人が連絡をとることになる。それによって、珍宇は自分をすごく意識するようになり、態度がキザったらしくなってしまったのではないか?(なんだか、ちょっと、永山則夫を思い出すなあ…byブログ管理人)

逮捕後の珍宇に関わった人の中には、「珍宇くんから改悛の情が感じられなかった」と言っていた者がいるが、それは、珍宇が冤罪だと考えれば当然。

そして、珍宇は自分が世間からどう見られているのか強い関心を示していたため、犯人になりきろうとした…要するに、メディアから“珍宇は天才少年”とか報道されてしまったもんだから、珍宇は、そういうキャラになりきろうとして必死になり、知識をひけらかしたのではないか?

 

【珍宇はシャバで嫌なことがあり、人間不信だったのでは?】

珍宇は、中学や高校、そのあとの就職先では、在日差別は受けなかった。ただ、中学3年生のとき、就職活動をしたときだけ、在日朝鮮人であることを理由に、二社から入社を断られるという、在日差別を受けている。

珍宇が小さかった頃…珍宇の父は、刑務所に入っていたときがあった。で、父親が不在だったとき、二人の日本人(片方は高齢者、片方は青年)が、珍宇の家に上がり込んできて、そのまま、珍宇の家に住みついてしまったのだという。

珍宇には、よく一緒に遊ぶ朝鮮人の青年がいて、珍宇は子どもながら、彼を信用していたのだが…その朝鮮人の青年は、その日本人の青年に、「この家の母親(珍宇の母)を、犯したのか?早く犯してしまえ」と言っているのを、珍宇は聞いたそうだ。

そのことを、最も頻繁に文通した朴壽南 (パク・スナム)という女性に伝えている。しかし、スナムさんは、“民族意識”を持つよう、珍宇に促しているため、同胞(朝鮮人)のことを悪く言うのもなんだと思って、珍宇はスナムさんに気遣いながら、過去の嫌な出来事を伝えている。

そして、珍宇が、同胞である在日朝鮮人も信用できてなかったとなると、珍宇の少年審判から最高裁まで弁護活動に関わってきた朴宗根弁護士を信頼せず、無実の訴えをしなかった、というのも、わからないこともない。

だけれども…珍宇が人間不信なのであれば、あの「とっとと死刑になって来世に期待!」のブラックカルト神父の志村の言うことを鵜呑みにして、洗脳されてしまったというのは筋が通らなくなってしまう。…珍宇が獄中で相当な孤立無援状態になってしまったときに、信仰心を利用され、志村神父に洗脳されてしまったのだろうか?

 

【朴壽南 (パク・スナム)への愛ゆえに“自分がやった”と言い続けた?】

珍宇は、『無罪!李珍宇』の著者である築山俊昭氏から「君は無罪なんだろ?やってないんだろ?」と言われても、かたくなに、「僕がやったと言ってるんだから、僕が犯人なんだ!」で押し通している。

『李珍宇の謎』P.208より抜粋

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珍宇がいいたかったことは、自分が犯人であり、死刑囚であるからこそ、日本人も朝鮮人も自分の存在を認めた、ということではないだろうか。

そして見逃してはならないのは、愛は死よりも強い力を持っている、といっていることである。その愛とは朴壽南への愛であることはいうまでもない。珍宇が死刑囚の座をおりようとしなかったのは、朴壽南の愛を引きとめるためではなかったのか。

死刑が確定してほぼ一か月後の9月19日、旗田にあてて珍宇はこんな手紙を書いた。

命を保つことばかり考えていたら、きっと人間にはお互いの愛が薄れてしまうでしょう。

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抜粋以上

 

このブログ管理人の感想ですが…“スナムさんへの愛ゆえに、犯行を認めず、死(死刑)を選んだ”なんて結論になってしまったら、まるで、スナムさんが珍宇を死に追いやってしまったともとれるんだけど…いいのかな?スナムさんが聞いたら、「えっ!?」ってなるよね?

 

【僕は黒だ!と言い続けていた珍宇が、どうして最後に再審請求書なんて作ったの?】

僕がやったんだ!と言い続けていた珍宇は、最終的には恩赦と再審請求を出したりなど、「死のう」「生きたい」の間を行ったり来たりと悩んでいたみたいだ。

シャバでは、減刑運動が起こり、そのことは珍宇の母国・韓国でも報道され、大きな反響となる。

そして、珍宇無罪説も新聞に紹介され、調査団が訪日の準備をはじめ、事態は、韓国と日本との民族問題に発展しかねない状況となった。

珍宇は8月29日、恩赦出願したが、翌日、処刑設備がある宮崎刑務所に押送されてしまう。それは異例のことで、この事件が民族問題に広がることを恐れた政府が、処刑を早めることになったのではないか?(というのが、築山説)。

珍宇は、スナムさんなどの支援者たちからの薦めで恩赦の出願をしたものの、書簡集『罪と死と愛と』によると、珍宇はあまりそのことを人に語りたくなかったようだ。だって、今まで「僕は死を受け入れる」なんて言ってたのに、自ら赦しを請う、なんて、ちょっとかっこわるいと珍宇は思ったのではないだろうか?

『恩赦』っていうのは、「僕は強姦殺人をして、“黒”なのだけれども、死刑にはしないでください」って頼む行為だよね?

でもそのあと、珍宇は再審請求書を作り、自分の母親代わりに慕っていた在日韓国人女性に、その再審請求書を送付する。

『再審請求』っていうのは、強姦はしてない、もしくは、強姦も殺人も全部やってないから、裁判をやりなおしてください!ってことだよね?

どうして一番多く文通していたスナムさんに送らなかったのか?それは、片想いの相手でもあるスナムさんに対して、さんざん「僕がやった」と手紙で伝えていたのに、再審請求書なんて作って見せてしまったら、今まで、スナムさんに嘘をつき続けていたことになってしまうからではないか。だから、スナムさんは、珍宇が再審請求書を作成してたことをまったく知らなかった。

(第八章-2ラスト)に続く

 

 



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