それでも永山則夫が好きだ(スピンオフ)

「ねっとわあく死刑廃止」や、無期懲役囚で「とらえなおし」で知られる飯田博久さんや、小松川事件の李珍宇のことを書いたり色々

(第八章-2ラスト)小笠原和彦著『李珍宇の謎』…もう一度、李珍宇のことが議論になることを願って

2017-05-10 19:50:51 | 小笠原和彦著『李珍宇の謎』

(第八章-1)から続く

 

【李珍宇・小松川事件について】

・1958年4月20日、賄い婦の田中せつ子さんが殺害される。

・1958年8月17日、東京都江戸川区の東京都立小松川高等学校定時制に通う女子学生(当時16歳)が行方不明になる。

・1959年2月27日、李珍宇(在日韓国人)は犯行時18歳であったが、「賄い婦殺人事件」も含めた殺人と強姦致死に問われ、に東京地裁で死刑が宣告。

・二審もこれを支持、最高裁も1961年8月17日(被害者の命日)に上告を棄却し、戦後20人目の少年死刑囚に確定。事件の背景には貧困や朝鮮人差別の問題があったとされ、文化人や朝鮮人による助命請願運動が高まった(自白だけで物証がなく冤罪という説もあった)。

・1962年8月には東京拘置所から仙台拘置支所に移送(当時東京拘置所には処刑設備がなかったため)

・同年9月8日、珍宇が宮城刑務所から小林直人弁護士に再審請求書を送る

・同年11月16日に宮城刑務所で死刑執行。異例のスピード執行だった。

 

小笠原和彦著『李珍宇の謎』の目次 (五章以降)

 

【珍宇と捜査員の間に密約があったのか?】

それは、珍宇と捜査官の間で、密約が交わされたからではないのか?おそらく…「犯行を認めれば、お前の家族を韓国へ強制送還しないことを約束してやる」といったもの。しかしそれは仮説でしかない。そうではなく、「お前は未成年なのだから、犯行を認めれば、とにかく、死刑だけは免れるぞ」と刑事から言われたのかもしれない。

1958年9月22日、「婦人公論」にあてた手記で、「今迄、何一つ親孝行もせず、このような者になってしまった私をどうか赦して下さい。また、改めて社会に出ましたら、決して御心配はおかけいたしません」と書いている。このとき、珍宇は死ぬつもりはなかった、ということになる。

珍宇は死刑判決を表情1つ変えないで聞いていた。ということは、「犯行さえ認めれば、死刑は免れるぞ」なんてことは、捜査員から言われてはなかったみたいだ。もしも言われてたら法廷で抗議してたはずだからね。

珍宇は逮捕されるまで、在日朝鮮人という厳しい生活の中で精いっぱい生きてきた。中学生にして土木仕事に出て、貧乏子だくさん一家を支えなければならなかったし、中三の就職時には在日差別を受けて二社から就職を断られている。感受性の強い少年時代に受けた差別は珍宇の心に深いキズをもたらしてないとはいえない。そのキズは人間不信となって頭をもたげたが、珍宇は最後までそれをぬぐおうとした。

李珍宇22歳が処刑前に書いた手紙。

十一月十六日
旗田先生に
いろいろお世話になりました。
どうぞこのことは悲しみませんように。
それから先生もお体に気を付けて下さい。皆さんにどうぞよろしく。珍宇

 

【李珍宇の死後再審の現実、もしくは、もう一度、李珍宇のことが議論になることを願って】

小笠原著『李珍宇の謎』の後書きに、こうある。

「こうしてふりかえってみると、「小松川事件」で事実にせまったのは、築山俊昭氏と中村孔正氏だけだったが、おふたりの努力は、「李少年をたすける会」の人達のなかにあった、日本が朝鮮を侵略したという日本人の現在意識のようなものによって、寄り切られたといえないだろうか。いいかえれば、日本人がもっていてしかるべき「原罪」意識によって、事実のもつ重要性が押しやられた、といえる。そうだとすれば皮肉といえば皮肉である。」

ブログ管理人の私が頭悪くて上の文の意味がはっきりよくわからないのだが…要するに、「日本人は侵略戦争をし、朝鮮人に酷い仕打ちをした。だから、在日朝鮮人である李珍宇は犯罪をおかしてしまったんだ。日本人達はそれを理解しろ、というアピールが中心になってしまい、実際、在日である珍宇は犯罪を冤罪なんだ、ということが、隅っこに寄せられてしまった」ということかなあ?

小笠原氏は、「死後再審の権利は、珍宇の血縁にある。できたら再審してもらえないかな?そして、李珍宇のことがもう一度、世の中で議論されてくれないかな」と後書きで語っている。

それこそ昔は、在日朝鮮人たちは道端で石を投げつけられたりしたらしいが(関東大震災のときは大虐殺されている)…今はそれほどの差別はさすがになくなったと思うし、就職差別も昔よりはマシになったとは思うが…ネットを見ると、在日差別発言は相変わらずだと思う。

「李珍宇の小松川事件なんて昔のことじゃん」と一蹴せず、ふりかえって考え直すべきなんだろうね。

永山則夫(刑死囚)のこともそう。

左:李珍宇 右:永山則夫逮捕時

 

 

児童虐待とか子供の貧困問題とか、今に通ずるものがあって、

「永山則夫も李珍宇も、昔のことなのだからどうでもいい」とは絶対にならないんだよね。

どうして差別や人権侵害が続くかというと、日本人の歴史認識が変わってきている…正しく歴史が理解できてない、ということや、教育機関で人権問題について、ちゃんと教えられてないのではないか…と私(ブログ管理人)は思う。それを解決するためには、政権交代(自民党を下野させること)が一番であると主張され、頑張ってる方々も多いのだけれども…

  

 



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