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今、自分が出来ること。やれること。それを精一杯やっていかなくちゃ!!

拾い読み★2010-240≪成田高校≫

2010年08月19日 06時34分46秒 | スポーツあれこれ
 

 

中川“唐川2世”脱却の完投劇!成田58年ぶり4強
第92回全国高校野球選手権大会第12日は18日、甲子園球場で準々決勝を行い、成田がエース中川諒投手(3年)の4試合連続完投となる3失点の好投で、強打の関東一に6―3と快勝した。52年以来58年ぶりの4強入りで古豪復活を印象づけるとともに、初の夏制覇まであと2勝と迫った。また春夏連覇を狙う興南は、島袋洋奨投手(3年)が8回3失点と試合をつくり、打線が15安打と爆発して聖光学院戦を10―3と下した。19日は、準々決勝残りの2試合が行われる。
直球を5球続け、2ストライク1ボール。追い込んだ後、外角へスライダーを投じた。8回1死一塁。宮下の空振り三振に快感が突き抜けた。試合も、主砲との勝負も制し、成田・中川の笑顔がはじけた。「関一の打線には打たれる気はしてたんですけど…。最後の方は疲れちゃって。でも対宮下は100点です」。
3試合で39安打30得点の関東一をねじ伏せた。勢いは3試合2発の4番・宮下との4打席に凝縮されていた。3点リードの初回2死二塁は外角直球で見逃し三振。4回は外角のスライダーで空振り三振。6回には、スライダーを左中間二塁打されたが、8回の最後の打席でやり返した。6月の練習試合で二塁打を2本打たれた相手に投げ勝った。「好打者だと、自分にスイッチが入るんです」。10安打3失点8奪三振完投。千葉代表の夏の甲子園4試合連続完投勝利は、75年の小川(習志野=現ヤクルト監督代行)以来だ。
「指のかかりを意識して投げた」。7安打5失点の3回戦北大津戦で右手中指のつめを割った。不安は残ったが、最速142キロもマーク。梁川部長は「痛がる様子もなかった」と驚きの顔で振り返る。指先は幼少時から鍵盤を叩くことで鍛えられた。6歳の時、松井秀喜(エンゼルス)もピアノを弾くと知って教室に通い始め、12歳でコンクールに参加するほど腕を上げた。書道でも中3時に千葉県で金賞を受賞。書道教室に通ったことはないというから、多彩な才能の表れだ。投球はそんな指先の強さと優れた感覚に支えられている。
尾島監督も「中川がよく投げてくれた。準決勝でも自分たちの野球で食らい付いていきたい」と意気込んだ。成田にとっては、52年夏以来58年ぶりの4強入り。その立役者となった中川だが「話は結構古いんですね。でも僕たちも強くなったなあ」。初の大旗がちらついてもマイペース。頂点へあと2つ。6試合連続完投で上り詰める。
▼ロッテ・唐川(08年卒)テレビで見ていました。(中川は)もはや唐川2世じゃない。気合が入っていたし暑い中で4試合完投は凄いですよ。こんなに何回も成田のことで話を聞かれるとは思っていなかった。本当に凄いです。(19日先発の)励みになるのは当然です。
≪勝田 4強祖父のDNA継承≫
成田の2年生・勝田は祖父と肩を並べて胸を張った。祖父・誠一さん(77)は52年夏に成田の4番・捕手としてベスト4。「勝った瞬間に並んだと思った。電話で報告します。勝ったよ、優勝するよって」。7番・右翼で出場し、3回に貴重な中犠飛。9回2死二塁から右翼への大飛球をフェンスに激突しながら好捕した。誠一さんから58年前の話はほとんど聞いたことがないが「やっぱりDNAがあるのかな」と笑っていた。



4戦連続完投勝利の“先輩”小川監督代行もエール
成田がエース中川諒投手(3年)の4試合連続完投となる3失点の好投で、強打の関東一に6―3と快勝した。過去に夏の甲子園で初戦から4試合連続完投勝利を挙げた千葉の投手は、75年の小川(習志野)のみ。
現ヤクルトの小川監督代行は2回戦の旭川竜谷戦で完投し、3回戦の足利学園、準々決勝の磐城、準決勝の広島商戦で3試合連続完封。決勝の新居浜商戦も4失点完投で優勝投手となった。準々決勝で4完投の中川は、小川を抜く6完投のチャンスがある。
▼ヤクルト・小川監督代行
テレビで見ていると、中川くんは苦しそうな顔をして投げることがない。彼のような選手が出ることによって千葉県のレベルも上がる。6試合連続完投してほしい。



成田58年ぶり4強!中川4戦連続完投…夏の甲子園第12日
成田(千葉)が関東一(東東京)を6―3で撃破し、1952年以来58年ぶりに4強入りした。エース右腕の“唐川2世”中川諒(3年)が、千葉県勢としては75年に習志野で全国制覇した小川淳司(現ヤクルト監督代行)以来となる4試合連続完投勝ち。2日連続の完投劇で、同校3度目のベスト4を決めた。20日には、東海大相模(神奈川)と九州学院(熊本)の勝者と準決勝を争う。
不安そうな表情が一気に吹き飛んだ。3点リードの最終回、2死二塁。中川は、右翼ポール際に上がった大飛球を右翼手が好捕するのを見届けると、感情を爆発させた。「最後は入っちゃったかと思いましたけど、要所でしっかり抑えられました」。10安打を浴びながらも3失点完投に、笑顔がはじけた。
燃える男だ。「相手がいいバッターだと、スイッチが入っちゃうんです」。この日の“獲物”は、相手の主砲・宮下明大。第1打席は外角低めギリギリに決まる141キロの直球でバットを振らさず、第2、第4打席はともに外角のボールになるスライダーで空を切らせた。6月下旬の練習試合で2二塁打を浴びた雪辱を果たし、「100点です」と胸を張った。
“予告”どおりの快投だ。前日(17日)の3回戦・北大津戦後、「疲れました。つらいです」と弱音をこぼしていた。だが、試合前は一転、「きょうは自信あります」。連投だった県大会決勝戦(対東海大望洋戦)で、1安打完封していたからだ。周囲がストップをかけないと、いつまでも投球練習をやめない“投げたがり”は、きっちり144球を投げきった。
スタミナの秘けつは、“キューバ式トレ”だ。今冬、通常より100グラムほど重い特注ボールを1日おきに約60球投げ込んだ。「バッターはマスコットバットを振り込むけど、キューバではピッチャーも重いボールを投げ込んでるらしいですから」と尾島治信監督(41)。アマ最強軍団に伝わるトレーニング法を取り入れ、千葉勢では75年の習志野・小川以来、35年ぶり2人目となる4戦連続完投勝ちを成し遂げた。
58年ぶりの4強入り。同校の最高成績である47、52年の4強に肩を並べたが、「そうなんですか。知らなかったです。すみません。58年ぶり? けっこう古いですね」とケロリ。記録的猛暑の甲子園を勝ち抜く厳しい戦いでは、この天真らんまんさが、むしろ頼もしい。
県大会ノーシードからスタートを切り、全国のベスト4まで勝ち進んだ。「日に日に成長して、自分たちも強くなったなと思います」。準決勝は、東海大相模と九州学院の勝者とぶつかるが、無心で快進撃を続ける。
ロッテ・唐川侑己投手(成田高08年卒)「きょうは、テレビでばっちり全部見ました。中川君は炎天下、さらに疲れもたまっている中での完投。気合が入っていた。本当にすごいです。もう“唐川2世”じゃないですよ」


中川4戦連続完投、成田58年ぶり4強…夏の甲子園第12日
夏の甲子園は準々決勝がスタート。関東勢の対決となった第1試合は成田(千葉)が関東一(東東京)を下し1952年以来58年ぶりの4強に進出した。成田は1回、内野ゴロと木村の2点中越三塁打で3点を先制。3回には勝田の中犠飛で1点を加え、7、8回にも1点ずつ追加した。成田のエース中川は10安打を許しながら3失点にとどめ、初戦から4戦連続完投した。
成田の右腕エース中側の気迫が関東一打線を抑えた。「どこに投げても打たれる気がしたけど、切れのある球がコースに決まってくれた」。ここまでの3試合すべて完投し、17日の3回戦に続いて連投でのぞんだが、ボールを低めに集め、3回戦まで3戦連続2けた安打で計30得点をたたき出していた関東一の強力打線から8三振を奪った。
「ピンチでも要所を締めることができた。直球に切れがあったのがよかった」と中川。「肩とスタミナには自信がある。だから、連投は得意なんですよ」と笑顔で胸を張った。
気迫のエースに支えられた成田は1947年と52年の夏に記録した同校最高の4強へ58年ぶりに進出。尾島監督は「中川がよく投げてくれた。甲子園に来て、選手は成長している。準決勝でも自分たちの野球で食らい付いていきたい」と意気込んだ。
ロッテ・唐川侑己投手(成田OB)「中川君は炎天下の中、さらに疲れもたまっている中での完投。本当にすごいです。気合が入っていた。僕も刺激になります」


成田58年ぶり4強!中川が4連続完投
58年ぶりの快挙!! 準々決勝2試合が行われ、第1試合に登場した成田(千葉)が関東一(東東京)に6-3で快勝。1952(昭和27)年以来、3度目となる4強進出を決めた。先発した中川諒投手(3年)は8三振を奪い、4試合連続の完投勝利。OBでもあるロッテ・唐川侑己投手(21)をまねている投球フォームから“唐川2世”と呼ばれる鉄腕が、成田の歴史を塗り替える。
ゴックン。思わず息をのんだ。“雄たけび王子”が絶叫を忘れた。九回二死二塁。右翼・勝田(2年)がフェンスに激突しながら好捕して試合終了。マウンドの中川がようやく右腕を突き上げた。
「最後はバテました。勝田に感謝しています」
気温35・6度、灼熱(しゃくねつ)のマウンドを最後まで守った。144球。3回戦までの3試合で30得点をたたき出していた関東一の強力打線から8三振を奪い、3点に抑えた。伸びのある直球で押し、縦のスライダーで交わした。
「切れのある球がコースに決まってくれた。ピンチで要所をおさえることができた」
八回にこの日のMAX141キロをマークする“驚異のスタミナ”を披露して4試合連続完投。鉄腕が1947年、52年の夏に次ぐ3度目のベスト4に導いた。
冬場は試合球より100グラム重い練習球で投球練習を行い、春は1日置きに100球を投げ込んだ。「肩とスタミナには自信がある。連投は得意なんですよ」。ここまで36イニング、計514球。でも、まだ投げる。
スタンドにはエース・穴沢を擁して快進撃を見せた58年前(第34回大会)のメンバーの姿があった。当時の捕手は、くしくも九回の好捕で中川を救った勝田の祖父・誠一さん(76)。三塁側アルプス席から見守った大先輩も感激していた。
「中川がよく投げてくれた。甲子園に来て、選手は成長している」と尾島治信監督(41)。準決勝の相手は19日の東海大相模(神奈川)と九州学院(熊本)の勝者だ。
過去2度は4強どまり。史上最高位を目指しての戦いになる。「僕らも強くなったんだな」と中川。偉大な先人と肩を並べた鉄腕が新しい歴史をつくる。そして…。ゴールまであと2勝だ。





関東一敗れ初のベスト4ならず…夏の甲子園第12日
夏の甲子園は準々決勝がスタート。関東勢の対決となった第1試合で関東一(東東京)は成田(千葉)に敗れ、夏初めてとなるベスト4には届かなかった。関東一は3回戦まで完投した白井に代わり、井手が今季初先発したが、4四死球と乱調で3回途中で降板。打線は8回に3安打などで3点差としたが、届かなかった。
白井は3回途中から2番手として登板した。3回戦までの3試合を1人で投げ抜いたエースは緩急を使った投球で6回2/3を2失点。「疲れはあったが、気持ちで投げられた。ベスト8までいけ、早実との東京対決にも勝てた。悔いはない」と笑顔。
打線は成田の好投手・中川から4試合連続の2けた安打となる10安打を放ったが、大量点にはつなげられなかった。4回以外の毎回得点圏に走者を置いたが、5、8回以外はそれを生かせず、3盗塁もいずれも得点に結び付かなかった。それでも2年前の夏を上回る8強に米沢監督は「選手は精いっぱいやった。紙一重のところもあったが後悔はない」とねぎらった。


関東一4強逃す…10安打3盗塁生かせず
関東一は成田の好投手中川から4試合連続の2けた安打となる10安打を放ったが、大量点にはつなげられなかった。夏初めてとなるベスト4には届かなかった。
勝負どころでの一本を欠いた。四回以外の毎回得点圏に走者を置いたが、五、八回以外はそれを生かせず。「自分の読みをことごとく外された。勝負強さを見せられなかった」と3三振した4番の宮下は下を向いた。
持ち味の機動力も効果がなかった。3盗塁はいずれも得点に結び付かず。相手へのプレッシャーにならなかった。
それも2年前の夏を上回る8強に充実感はある。誕生日だった17日に選手からウイニングボールのプレゼントをされた米沢監督は「選手は精いっぱいやった。紙一重のところもあったが後悔はない」とねぎらった。


関東一・宮下散る…「相手の力が上でした」
プロ注目の三塁手、関東一の宮下は、潔く完敗を認めた。
「勝負してくれるかどうか迷う中で、スイングが中途半端になってしまいました。相手の力が上でした」
成田のエース・中川に3三振を含む4打数1安打。ただ1、2回戦で本塁打を連発するなど、晴れの舞台で主砲としての足跡はしっかり残した。
父は、元大洋の外野手で2年前に病死した正彦さん(享年46)。天国の父には「負けちゃったけど、思い切りやったよ」と報告した。
「プロ志望届を出したいと思います」。高校通算44本塁打のスラッガーは、次のステージを目指す。


涙の関東一・宮下「プロ志望届出す」
打ち気にはやる胸の内を見透かされていた。8回の第4打席。関東一の4番・宮下は追い込まれた末、外角低めのスライダーを振らされ、3つ目の三振を喫した「あっちの方が1枚上でした。気持ちが空回りしてどんな球にも手を出してしまいました」。目にうっすらと涙を浮かべながら悔しさをにじませた。
3回戦まで3試合で30得点の強力打線でも中川をとらえることはできなかった。初回に3点を先行され、3回には山下が三盗を、5回には羽毛田が二盗を試み局面の打開を図ったが、いずれも失敗し、得意の集中打につなげられなかった。それでも復活を予感させる快進撃に米沢監督は「この経験を後輩たちが伝統として受け継いでくれたら」と話した。また宮下は進路について「プロ志望届は出そうと思ってます」とプロ志望を明らかにした。
▼関東一・白井(3回途中から2番手として登板し、6回2/3を2失点)
疲れはあったが、気持ちで投げられた。ベスト8まで行け、早実との東京対決にも勝てた。悔いはない。


七回忌に誓った大舞台 天国の母が打たせてくれた2発 
涙はすぐ笑顔に変わった。9回2死二塁。右翼への大飛球はスタンドへあと1メートルだった。一塁を回って崩れ落ちる。ゲームセット。青空を見上げると、関東一・山下はそっとつぶやいた。
「みんなと楽しんだ最高の夏だった。お母さん、やりきったよ」
母・春代さんがくも膜下出血で他界したのは小学6年のとき。応援に来ていた試合中のスタンドだった。まだ42歳。ショックだった。幼少時から6歳上の兄の応援へおぶって連れて行ってくれた母。その背中で出会った野球だ。悲しみも、寂しさも忘れるように白球を追った。「本当に野球のおかげですよ。いろんな人たちに支えられてここまで来られた」。父・昌和さん(49)は息子の雄姿がうれしかった。
中学時代、弁当はチームメートの親が作ってくれた。洗濯は父が仕事から帰宅してから。泥だらけのユニホームが元気な証拠だった。今年7月の母の七回忌。「甲子園へ連れて行く」と誓った大舞台で9安打2本塁打を放った。大会中、父へメールした。「普段より力が出るよ。どうしてだろう?」。天国の母が貸してくれた力だった。記念のホームランボールは2つ。もちろん母の仏前へ届けるつもりだ。




【よもやま甲子園】ドカベン読んでないズラ
ドカベンこと日本一の捕手・山田太郎に、いつも葉っぱを加えた大男の岩鬼正美、語尾に「ズラ」がつき、数々の秘打を生んだ殿馬一人…。水島新司氏の野球漫画『ドカベン』の登場人物だ。
作中、ドカベンらが通う高校の名は「明訓」。19日の準々決勝で報徳学園と対戦する新潟明訓が、そのモデル校だが、現在甲子園で活躍中の主力選手の一人は「読んだことはないです。主人公が山田太郎だとは知っていますが」。
週刊少年チャンピオン誌で最初の連載が始まったのは72年だが、04年からは3つ目の続編「スーパースターズ編」が連載中。現役選手が読んでいないとは意外だった。
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