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今、自分が出来ること。やれること。それを精一杯やっていかなくちゃ!!

箱根駅伝・復路 ≪朝刊記事3 ≫ 

2024年01月04日 20時00分00秒 | スポーツあれこれ
第100回東京箱根間往復大学駅伝競走復路(3日、神奈川・箱根町芦ノ湖駐車場-東京・大手町=109・6キロ)
青学大が往路の3区から一度もトップを譲らず、10時間41分25秒の大会新記録で2年ぶり7度目の総合優勝を果たした。8区の塩出翔太(2年)、9区の倉本玄太(4年)がともに区間賞に輝き、往路、復路ともに制す完全優勝。就任20年目を迎えた原晋監督(56)が作り上げたチームは、史上初の2年連続大学3冠に挑んだ2位の駒大に6分35秒の大差をつけた。

2年ぶりVにカメラ目線でポーズをとる原監督。育て上げた選手たちが駒大の3冠を阻んだ

沿道から大会を見守った約98万人の駅伝ファンと、肩を組んで待つ仲間へ、歓喜の投げキスだ。青学大のアンカー、宇田川瞬矢(2年)は両手を広げ、ゴールテープを切った。

「1~9区のいい形でつないでくれた先輩、同期に感謝。みんなが待っていたのでうれしかった」

第100回の節目を迎えた箱根駅伝で往路、復路ともに制し、完全V。胴上げで3度、宙に舞った原監督は「私以上に学生の方が優勝したいという思いが強いレースだった」と選手をたたえた。

大会前は大学三大駅伝で5連勝の駒大が1強と目されていたが、ふたを開けてみれば青学大の独壇場だった。2日の往路を大会新記録で優勝。全員が箱根初出場の復路は駒大と2分38秒差でスタートした6区の野村昭夢(3年)が区間2位の好走で、8区の塩出と9区の倉本は区間賞を獲得。大会前に指揮官が掲げた「負けてたまるか大作戦」を完遂した。

本命の駒大も往路は旧来の大会記録以上で走り、復路も6区以外は全員区間5位以内。大きなミスはなかったが、青学大には常勝軍団の計算を上回る強さがあった。

創部106年目を迎えた青学大。低迷期は長かった。1976年大会は10区で途中棄権し、30年以上も本戦から遠のいた。しかし、2004年に原監督が就任。09年に復活出場すると、翌年に総合8位でシードを獲得。15年に初優勝してからは総合優勝7度、10年連続4位以内と屈指の強豪校に変貌した。 

時代や学生に合わせて変化させる指導法は「原メソッド」と呼ばれる。ベースとなるのは箱根を軸としたトラックシーズン、鍛錬、マラソンと続く1年間の期分け。明確なサイクルを確立させた。

17年には早大大学院に入学し、箱根の必勝方法について研究した。他校もうなる猛練習で追い込む一方で、学生に対しては「自律」を促す。各区間の詳細なタイム設定はせず、「駅伝は気候など外的要因が大きい競技。うちの快走している太田(蒼生)や黒田(朝日)は時計なんか見ずして、ゾーンに入って自分の五感でレースを進めていく」。駅伝に必要な勝負勘や判断力を磨かせた。
総距離が現在よりも約20キロ短かった第1回大会で東京高師(現筑波大)の優勝タイムは15時間5分16秒。104年の時を経て、青学大は10時間41分25秒の新記録をたたき出した。春には5000メートルで高校上位の記録を持つ選手が15人加わり、更なる戦力アップも見込める。原監督は「最強軍団が入ってくる。ほかの大学も戦々恐々だと思うよ」とニヤリ。箱根の新時代は、青学大を中心に回る。(川並温美)

★大手町で歓喜
原監督の妻で、寮母を務める美穂さんは、大手町のゴール付近で7度目の総合優勝を見届け、「今年は4年生の意地だったと思う。志貴主将らは裏方に回りながら、勝つためにはきっちりしないと駄目と下級生とかにもずっと言い続けて。本当に頑張ってくれました」と選手をねぎらった。原監督も愛妻のサポートに「学生に献身的に食事の世話をし、インフルエンザなどになったときにサポートしている」と感謝した。

■青学大陸上競技部 1918(大正7)年創部。箱根駅伝は43年に初出場。2004年に原晋監督が就任。09年に史上最長のブランクとなる33年ぶりの本戦出場(22位)。10年8位でシード権を獲得し、14年連続27度目の出場。総合優勝は7度(15、16、17、18、20、22、24年)。16~17年には出雲、全日本を含む大学駅伝3冠を達成した。拠点は神奈川県相模原市の青学大相模原キャンパス内グラウンド。たすきの色はフレッシュグリーン。主なOBは神野大地(M&Aベストパートナーズ)。

■原 晋(はら・すすむ) 1967(昭和42)年3月8日生まれ、56歳。広島県三原市出身。広島・世羅高―中京大卒。大学3年時の日本学生対校選手権で5000メートル3位。89年に中国電力陸上競技部創設とともに入社し、95年に引退。サラリーマン生活を経て2004年に青学大陸上競技部の監督に就任。15年の箱根駅伝で初の総合優勝。趣味は「卒業生と一緒に酒を飲んで夢を語ること」。好物は故郷広島のお好み焼き。妻は寮母を務める美穂さん。


青学大が、10時間41分25秒の大会新記録で2年ぶり7度目の総合優勝を果たした。新型コロナ禍で入学した4年生が中心となって、作り上げた今年のチーム。今大会はメンバー外で、沿道からチームメートを見守った主将の志貴勇斗(4年)が、完全優勝を引き寄せた「縦のつながり」と「横のつながり」を明かした。

絆が勝利に導いた。圧倒的な総合優勝を飾った青学大。ゴール後にチームメートの手で3度、宙に舞った志貴主将は、「春からシード権も危ないといわれた中で、大会新で優勝できたのは、全員で作ってきたチームの頑張りです」と笑った。

4年生が入学した2020年4月は、新型コロナウイルスが蔓延(まんえん)し、行動規制が厳しかった。授業もオンラインで、大会も軒並み中止になり「モチベーションを保つのが難しかった」。そんな時、救いとなったのが、頼もしい先輩の存在と同期の仲間。友達もいなかった1年時に、寮でともに生活した同期の存在はかけがえのないものとなった。「『横のつながり』が強くなった」と、今年のチーム力の礎を作った。

絶対王者の駒大を追いかけてきた今季。志貴主将を中心としたチーム作りは、うまくいかないことの連続だった。前回大会10区間中7区間を担った先輩が卒業し、戦力はダウン。さらに、夏合宿の頃には「競技に身が入らなかったり、目線がチームではなく個人に向いてしまっていたり。私生活でも寝坊などが増えて。ばらばらになりかけていた」。

修復のため、約4時間のミーティングを実施し、「全員が100%の走りをするには、一つ一つ細かいことをきちっとやるべき」と厳しく注意した。さらに、下級生とも本音で意見を交換した。「全ては箱根で勝つため。風通しのいいチームで、縦のつながりができた」。同期の「横のつながり」に、学年の垣根を越えた部員計60人の「縦のつながり」が加わり、チームは変わった。

山形南高出身の志貴は、1年時に箱根1区を任された実力者だが、今季は選考レースに調子を合わせられず、最後の箱根はメンバー外。給水係など、裏方役としてチームを支えた。連覇を目指す後輩へ、「これからも青学がトップを走って、笑顔でゴール姿を見せてほしい」。フレッシュグリーンの戦士が挑む次の100年に、思いをつなげた。(高橋朝香)

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男子マラソンで1991年世界選手権東京大会優勝のサンケイスポーツ評論家、谷口浩美氏(63)=ヨネックスランニングアドバイザリースタッフ=は第100回を迎えた箱根駅伝を現地で観戦。2年ぶりの総合優勝を果たした青学大の勝因、連覇を逃した駒大の敗因について分析した。

先頭に立つと走り方が違うのが青学大だ。アピールするのが上手で自己主張が強く、自分を見てくださいという走りをする。総合記録を2分以上も縮める大会新をたたき出すなんて、ありえない。自立が自律に変わり、その自律をまんべんなく表現して走っていたのを感じた。

往路優勝の青学大と2分38秒差の2位で復路をスタートした駒大だが、選手の動揺が見てとれた。往路に3本柱を投入したものの、2区の鈴木、3区の佐藤が思うような走りができず、負の連鎖が生まれてしまった。

この負の連鎖にかかると、誰かが快走を見せなければ脱することが難しい。駒大は復路にそういったことのできるスターを配置していなかった。負の連鎖が起きても、復路で脱却する準備ができなかったのが、敗因の一つでもあるだろう。

青学大の勝因は、なんといっても3区の太田。大学ナンバーワンと呼び声の高い駒大の佐藤を使いながらうまく駆け引きをして、先頭に立った。えっ? という行動を起こし、王者・駒大を狂わせた。

100回大会を迎えた箱根駅伝を現地で見て、歴史の流れを感じた。今の時代、箱根で勝つには、強化のためにお金が必要で、昔の根性論のようなものはもう古い。今後、箱根駅伝がどうなっていくべきなのか、考えさせられる節目の大会にもなった。(1992年バルセロナ、96年アトランタ五輪代表、日体大OB)

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往路2位の駒大は優勝の青学大と6分35秒差の10時間48分00秒で総合2位に終わり、史上初となる2季連続の大学駅伝3冠はならなかった。

箱根で勝つ難しさを痛感させられた。2年連続の大学駅伝3冠を目指した駒大は青学大に完敗の2位。その差は6分35秒。就任1年目の藤田敦史監督(47)は史上初の偉業を逃し、静かにレースを振り返った。

「2位で満足はできない。やはり箱根は別物。難しさを感じた。これだけ強いチームを扱って、優勝させてあげられなかった。(私の)未熟さが出たかなと思う」

常勝軍団に育て上げた大八木弘明・現総監督からたすきを受け、今季も出雲駅伝、全日本大学駅伝を制した。青学大の原晋監督には「史上最強軍団」と言わしめた大戦力。だが、前日の往路は1~3区に3本柱を置く〝最強布陣〟を敷きながら2分38秒差の2位。すでに歯車は狂っていた。

今季初めての追いかける立場となった復路。前回6区で区間賞の伊藤蒼唯(2年)は調整不足で補欠のまま、帰山侑大(2年)が山下りに出た。だが区間12位と奮わず。「今季ずっと先頭を走ってきたので、後手に回ったとき、チームに精神的な動揺が走ってしまったのかな」と指揮官。青学大の背中は最後まで遠かった。

盤石と思われた今年の箱根路。だが「われわれもしっかり作り込んでいかないと。どうしてももろさが出てしまう」(藤田監督)と年間を通したスタミナ作りに課題があったという。主将の鈴木芽吹(4年)は「優勝だけを目指していた。とにかく悔しい」。来季のリベンジを目指し、常勝軍団の戦いは続く。(阿部慎)

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往路で3位と躍進した城西大は復路12位ながら順位を守って過去最高の総合3位に入り、大会の最優秀選手(MVP)にあたる「金栗四三杯」は山上りの5区で自身の区間記録を50秒更新した〝山の妖精〟山本唯翔(ゆいと、4年)が受賞した。

城西大が第100回の記念大会で新たな歴史を刻んだ。チーム史上最高の総合3位に入り、6区の久保出雄太(3年)が笑みを浮かべた。

「3位を目標にしていた。実感はわかないけど、うれしいの一言」

久保出は山下りの20・8キロを59分55秒の区間13位で走破し、復路をスタートした3位を守ってたすきをつないだ。最終10区で東洋大の猛烈な追い上げにあったが、中田侑希(4年)の懸命の走りで21秒差で逃げ切った。

元日に能登半島地震が発生し、開催も危ぶまれた今大会。久保出はエントリーされた全368人中、ただ一人の石川県出身だった。石川・小松大谷高ではサッカー部から陸上部に転向。「箱根駅伝で走るという強い気持ちで」と大学では同好会を経て2年時に男子駅伝部へ入部した異色の経歴を持つ。出身の加賀市が甚大な被害に遭い、精神的につらい状況でも「みんなの応援が力になった」と実感を込めた。

夏は北海道や長野・菅平で合宿を重ね、走力アップ。大学の施設内には標高3000メートル級の高地と同程度の環境を再現し、低酸素トレーニングで成長につなげた。

閉会式ではうれしい知らせも。5区を1時間9分14秒で走り、今大会唯一の区間新記録に輝いた山本唯が金栗四三杯を初受賞。「チームのみんなが目標に対して毎日、真剣に取り組んだ成果」とうなずいた。

2004年に創部3年目で初出場し、過去最高だった10、12年の総合6位を上回る初の表彰台を全員でかなえた。久保出は「第101回を走るとなったときは走れることに感謝して走りたい」と誓った。初優勝は遠い未来のことではない。(石井文敏)

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前回大会16位の大東大がシード権ぎりぎりの10位に滑り込んだ。往路8位から8区で11位に転落したが、最終10区で東海大を逆転した。
「むちゃくちゃうれしかった。泣かないつもりでいたけど、学生の顔を見てほっとした。自然と涙が出てきた」
就任2年目でOBの真名子圭(まなこ・きよし)監督(45)は報告会でうれし泣きした。箱根駅伝で総合優勝4度を誇る大東大は2019年大会で19位。その後は3年連続で予選会で敗退した。宮城・仙台育英高の男子監督として2019年の全国高校駅伝を制した実績を持つ真名子監督が再建を託され、22年4月に就任。練習の質、意識、さらには生活態度まですべてを改革した。
2年連続で予選会をトップ通過。今年は9年ぶりのシード権を獲得した。「来年は上位を目指したい。明日の朝6時から全員で練習をします」。2023年9月に大学創立100周年を迎えた大東大が、100回大会で復活ののろしを上げた。(尾﨑陽介) 

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あと一歩届かなかった。東海大は3年ぶりのシード権獲得を狙ったが、10位の大東大に1分10秒及ばない総合11位に終わり涙にくれた。

「復活ののろしというテーマを持って臨んだ。その中でもやれることは学生も精いっぱいやってくれたんじゃないか」

両角速監督は選手をねぎらったが、チームには暗い雰囲気が漂った。最終10区のたすきリレーではシード圏内の10位だったが、4秒差で迫っていた大東大にかわされ、陥落。来季も予選会からとなった。

復路一斉スタートの関係で競り合いはなかったものの、国士舘大と総合11時間1分52秒と同タイムで並ぶ珍事もあった。区間最高順位で東海大が上回った(東海大は1区・5位、国士舘大は5区・7位が最高)ため上位となったが、目の前でスルリと逃げたシード権への喪失感は大きい。箱根路に向け、再びいばらの道を歩む結果となった。(角かずみ)

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4年ぶりに声出し応援が解禁された第100回大会には、沿道にコロナ禍後最多の約98万人(大会本部調べ)の観衆が詰めかけ、選手に大きな声援が送られた。史上最多タイの16校が一斉スタートとなった6区のスタート地点付近では、10年ぶりに出場した東農大の応援団らが名物の「大根踊り」を披露。人気アニメ「ドラゴンボール」に登場するフリーザにふんして沿道で応援する「フリーザ軍団」は7区に登場した。

(以上 サンスポ)


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青学大 大会新で2年ぶりV 原監督「大輪」300%!10人中7人がデビューで完全勝利
 往路1位の青学大は10時間41分25秒の大会新記録で2年ぶり7度目の優勝を果たした。往路3区からトップを守り続ける完全V。原晋監督(56)が掲げた「負けてたまるか!大作戦」の合言葉を具現化した圧勝劇で、出雲駅伝、全日本大学駅伝を制した駒大の2年連続3冠を阻止した。第100回のメモリアル大会を制したフレッシュグリーンのタスキが新たな100年に向け、再び最強時代を築く。

 メモリアル大会のクライマックスを待つ大手町に、フレッシュグリーンのたすきが真っ先に帰ってきた。アンカー宇田川瞬矢(2年)が両手を大きく広げ、ゴールテープを切る。“負けてたまるか!大作戦”は大成功。歓喜の中心で、原監督が3度、宙に舞った。

 「大作戦は200%どころではなく、300%!青学が勝つときは大輪を咲かせる勝ち方をする。みんな勝つと思ってなかったでしょ?予期せぬ胴上げだったんで、ダイエットしておけばよかった」

 駒大1強と目されていた今大会。往路3区から首位に立ち、復路も独走した。6区の野村昭夢(3年)が区間2位で快走すると、8区の塩出翔太(2年)、9区の倉本玄太(4年)が区間賞を獲得。完全優勝を果たし、野村は「10人だけじゃなく裏方メンバーのおかげ。素直にうれしい」と頬を緩めた。

 「復路は先頭車に引かれながら走るのと、(2位以下の)単独走では全然環境が違う。お見通し。6区で3分空いて勝負あった」と指揮官。経験値を生かした采配で、10人中7人が箱根デビューにもかかわらず、2位に6分35秒差をつけて他大学を圧倒した。

 名将・原監督も就任20周年。箱根出場経験のない36歳が、指導者の道に飛び込んだ。当初は嘱託契約で3年以内の結果が求められたが、勝負の3年目とななる2006年予選会は16位と惨敗。ただそれでも諦めなかった。各所に頭を下げ、1年の契約延長を直訴。翌07年の予選会は惜しくも本戦出場次点となったが、関東学生連合の監督として箱根路に立ち、歴代最高4位に導いた。

 その手腕を買われ、青学大で正規職員として契約。09年予選会を33年ぶりに突破すると、本戦は15年から4連覇。直近10年で7度も箱根を制する常勝軍団を作り上げた。隣で支えてきた妻・美穂さんは「このままじゃ終われないというのが強かった。負けてたまるかって」。崖っぷちだった夫の心情に思いを巡らせた。

 「もう一度4連覇…。(大会史上最長の)6連覇を目指していこうかな」と原監督。56歳となった今でも、フレッシュグリーンのように澄んだ瞳は、箱根路の新たに始まる100年を見据えていた。

 ◆青学大陸上競技部 1918年創部。箱根駅伝は43年に初出場を果たした。2004年に原晋監督が就任し、09年に33年ぶりに本戦復帰を果たした。15年に初優勝し、18年まで4連覇を達成。20、22年も優勝した。16年度は大学三大駅伝を制覇した。たすきの色はフレッシュグリーン(新緑)。主なOBはプロランナーの神野大地。


青学大・倉本 最初で最後の箱根で“技あり”区間賞 反骨世代の意地!柔道で鍛えた足腰生かし激走
 往路を制した青学大が10時間41分25秒の大会新記録で、2年ぶり7度目の総合優勝を果たした。8区の塩出翔太(2年)、9区の倉本玄太(4年)がともに初の箱根で区間賞を獲得。出雲全日本選抜と全日本を含めた、史上初となる2季連続大学三大駅伝3冠を狙った駒大は、6分35秒差の2位だった。

 最初で最後の箱根路を夢中で駆け抜けた。9区で初起用された倉本玄太(4年)は、背後から聞こえる原監督の「思い切ってどんどん突っ込んでいけ!!」という声にも後押しされ、はるか後方の駒大との差をさらに50秒広げた。区間賞となる“技あり”の逃げで逆転の芽をつんだ仕事人は「4年間きつかったが、この日のために踏ん張ってきた。やってきたことは間違ってなかった」とかみしめた。

 期待を背に受けたが“背負う”のには慣れていた。父や兄の影響で4歳から始めたのは柔道。幼少期から小柄で、背負い投げが得意だった。夜10時まで稽古が続く道場に通うのは苦痛だったが、小学6年まで8年間続け、当時としては最高位の茶帯まで昇級。「礼儀を学び、足腰も強くなった」。並行し、年に1度出場していたマラソン大会には全力を傾け、同学年のライバルに勝つために自ら頭を丸めて臨んだ。「負けず嫌いが当時から出ていた。周りはイベントのつもりの中、1人だけ(気合が)違った」。闘志をむき出しにして走る原点だった。

 「駒大1強」の下馬評を打ち砕いたのは「負けてたまるか!大作戦」を象徴する反骨世代の意地でもあった。エース級の主力がこぞって卒業した今春、原監督からは「おまえらシード落ちするぞ」と危機感をあおられた。指揮官と同じ広島・世羅高時代は主将も務めたが、過去3年はケガもあって伸び悩み、箱根は遠い夢。「いつ殻を破るんだ?」。厳しい言葉に歯を食いしばりながら、この日を夢見てきた。

 「監督を見返したいという気持ちが原動力だった」。恩師は腕の中で3度舞った。“精力善用”の激走で学生生活を締めくくり、今後は実業団に進む。「マラソン一本で活躍できる選手になりたい」。新緑の小さなド根性ランナーは世界を見据えた。

 ◆倉本玄太(くらもと・げんた)2001年8月23日生まれ。広島県出身。三原二中から広島・世羅高に進学。20年に青学大に進学したが、24年の箱根駅伝まで大学三大駅伝の出場はなし。他のスポーツ歴は柔道を8年間経験。163センチ、46キロ。血液型はA。


青学大6分35秒差の圧逃劇 原監督の妻で寮母・美穂さんも「ウルっときた」
 往路を制した青学大が10時間41分25秒の大会新記録で、2年ぶり7度目の総合優勝を果たした。8区の塩出翔太(2年)、9区の倉本玄太(4年)がともに初の箱根で区間賞を獲得。出雲全日本選抜と全日本を含めた、史上初となる2季連続大学三大駅伝3冠を狙った駒大は、6分35秒差の2位だった。

 原監督の妻で寮母の美穂さん(56)は「半分駒沢さんに(優勝を)持っていかれるかと思ったが、学生には頭が下がる。絶対俺たちがやってやるという気持ちが出ていて、(前日も)往路のゴールは感動してウルっときた。20年やってきて、こんなことがあるんだな」と目を潤ませた。

 04年4月の監督就任当初は“負け犬根性”がまん延していた弱小チームを常勝軍団に引き上げた。ただ、この2年は駅伝タイトルから遠のき、指揮官もナーバスに。学生の自主性に任せる名将も、大会直前の感染症などのトラブルを恐れ、オフに遊ぼうとする選手に「やったら終わりだよ」と口を出すこともあったという。

 “駒大1強”といわれ、直前にはインフルエンザ集団感染もあったが、勝負の箱根に向けては「負けてたまるか!」と選手を、そして自身を鼓舞した。ひねりのない作戦名だったが、美穂さんは「今回はすぐに決まったって。ビビビっときた年って、それがうまくいったりするんですよね」と笑った。


箱根Vの青学大・原監督 最強駒大の敗因を分析「1番を貫き通したい思いがあったからでは」TV生出演で王者を慮る
 箱根駅伝で10時間41分25秒の大会新記録を打ち立て、2年ぶり7度目の総合優勝を果たした青学大・原晋監督が4日、TBS系「ひるおび」に生出演。史上最強と称された駒大に勝利したが、あえてライバルの敗因を分析した。

 原監督は「他大学のチームの監督が言うのもあれなんですけど」と前置きした上で「1番を貫き通したい思いがあったから、1区に篠原君を置いて確実に1位でつないで、以降も1番で行く予定だったと思うんです。4区の山川選手が区間6位で、調子悪くて、本当は強い選手なんですが。ですけど本来だったら篠原君を4区に持ってきて、1区はそこそこでつないで。負けてもいいからそこそこで先頭グループにいれば、区間5番、6番でも前との差で走っておけば割とスッと流れたのかなと思います」と分析した。

 駒大は昨年の箱根駅伝からトップリレー継続記録が続いており「内部のことはわかりませんが、どうしてもそこにこだわりは持ちたいもんなんですよね」と原監督。対して自チームは「1区の役割は先頭との距離差、タイム差。30秒以内なら合格点。たしか35秒差で合格点の範囲で2区にタスキが渡ったのは勝因の一つ」と語った。

 駒大には全日本大学駅伝、出雲駅伝で苦杯をなめており「今年絶対ダメですよ、勝てませんよ」と事前に語っていたという。さらに「12月初旬に走った10人中5人がインフルエンザにかかった」ことも暗い影を落とした。

 それでも「12月30日に夢に出てきたんですよ。3区終わったくらいに駒大と並んでる。4区で1分くらい離されて、5区で山の神が勝ち越してゴールテープをきって。そこで目が覚めて。翌日にはテンションが上がって」と笑顔で明かした原監督。結果的に勝負を分ける形となった3区の対決について「(太田は)自分はできるという自信があるんでしょうね。その裏付けとなるのは1年間、しっかりトレーニングしているからこそ、何が起こるか分からないのが箱根駅伝なんだなと感じました。あきらめたらいけないですね」と実感を込めた。

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駒大完敗2位 史上初2季連続3冠夢散 藤田監督「相手があまりにも強かった」
 往路を制した青学大が10時間41分25秒の大会新記録で、2年ぶり7度目の総合優勝を果たした。出雲全日本選抜と全日本を含めた、史上初となる2季連続大学三大駅伝3冠を狙った駒大は、6分35秒差の2位だった。

 往路で狂った歯車は元に戻らなかった。青学大から2分38秒差の2位でスタートした駒大は、復路の全ての区間で差を広げられて逆転Vならず。史上初の2季連続大学三大駅伝3冠は幻となり、藤田敦史監督(47)は「誤算というより、相手があまりにも強かった」と完敗を認めるしかなかった。

“1強駒大”が王座から陥落する屈辱の2日間だった。往路では先行逃げ切りがはまらず、3区で首位を奪われた。「みんなビックリして、あそこから想定が狂ってきた」。逆転Vは諦めなかったが、7区の安原太陽(4年)が「流れを変えないといけないと、どこかで焦りを生んでしまった」というように、終始追う展開に苦戦。最後は6分35秒差という大敗につながった。

 昨春に就任した藤田監督。初めて監督車に乗って挑んだ箱根路は、想定外の事態に対応しきれず「反省がすごくある」という。前監督の大八木弘明総監督からは「これが箱根の難しさ」とねぎらわれたが「(青学大の)原さんは経験が豊富。そういった差をすごく感じましたね」と苦笑いした。

 史上初の偉業は消え、一からの再出発となる。「この悔しさが晴れるまでやる。そういうことになると思う」。王座奪還へ、藤色のプライドをにじませた。

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城西大 過去最高3位 “山の妖精”山本MVP 櫛部監督「私の中では神の領域に近づいた」
 城西大は往路3位を守り切り、2010、12年の6位を超える過去最高の総合3位をもぎ取った。

 5区で2年連続の区間新記録をたたき出した山本唯翔(4年)が大会MVPとなる金栗杯を受賞。櫛部静二監督(52)は“山の妖精”を「私の中では神の領域に近づいた」とべた褒め。出走選手唯一の石川県出身で、6区の久保出雄太(3年)も被災中の故郷に勇気を届ける走りを見せた。

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法大6位 天国の仲間に捧げるシード権 6区区間賞の武田「彰太も喜んでくれるかな」
 天国の仲間に捧げるシード権だった。往路9位からスタートした法大は復路4位と追い上げ、総合6位。目標の5位以内とはならなかったが、坪田智夫監督(46)は「2日間、気持ちのこもった走りだった」とたたえた。

 昨年8月に主力として期待された2年生の高橋彰太さんが病気で急逝。直後は練習に身が入らなかったが「彰太のために」とチームは奮い立った。今大会は喪章を着用し、監督車には高橋さんのユニホームとシューズを乗せて一緒に戦った。

 58分2秒で区間賞を獲得した6区の武田和馬(3年)は「彰太も喜んでくれるかな」と胸を張った。高橋さんとは東北高時代からのチームメートで大学では同部屋の時期もあったという9区の稲毛崇斗(4年)は「明るくて面白くて寮でよく歌っていたな」と思い出し、「本当に一心同体で背中を押してくれた」としみじみ語った。

 3年連続のシード権を確保し「彰太にはまた笑った姿を見せたい」と武田。次こそは目標のトップ5を届ける。

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大東大10位で9年ぶりシード権 真名子監督「本当によくやってくれた」
 大東大が10位以内のシード権に滑り込んだ。

 往路は8位も、8区のピーター・ワンジル(3年)が区間最下位と失速し、一時は11位に。それでも、最後は10位に食い込み、真名子圭(まなこ・きよし)監督は「これが駅伝。学生を信じるしかなかった。本当によくやってくれた」と、9年ぶりのシード権に胸をなで下ろしていた。


大東大アンカーのつぶやきにファン胸熱 10区並走の神大・酒井と「一緒に声かけ合ったり」逆転で9年ぶりシード権「素晴らしい友情」
 最終10区で10位に食い込み、9年ぶりのシード権を獲得した大東大。アンカーを努めた佐々木真人(3年)がレース後、Xに投稿した感謝の言葉が駅伝ファンの大きな反響を呼んだ。

 鶴見中継所から並走した神奈川大・酒井健成(2年)に向け「ずっと一緒に並走してくれた神奈川大学の酒井君本当にありがとう!」と感謝の思いをつづり、「一緒に声掛け合ったり、引っ張り合うのすごい楽しかったです!」とレース中の様子も記した。

 大東大は佐々木がタスキを受けた時点で11位だった。それでも佐々木が区間7位となる1時間10分でゴールテープを切り、東海大を逆転。ゴール直後には仲間と抱き合い、涙を流した。酒井は10秒差の8位。お互いが引っ張りあったことで最終区の逆転劇が生まれた。

 ファンも「本人たちから出てくるこういう話いいですねー」「スポーツで生まれるこういう絆っていいよな~」「スポーツの素晴らしさ お疲れ様でした!」「素晴らしい友情ですね」と書き込み、中継で各大学監督の声が響いたこともあり「選手の後ろで運営管理車から声かけする各大学の監督も併走するライバルへのリスペクトがあるのよね」といった感想もあった。

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東海大11位 最終区で逆転許しシード権逃す 両角監督「非常に悔しい」
 東海大は10位大東大と1分10秒差の11位で、シード権を逃した。

 9区を終えて10位だったが、最終区のロホマン(2年)が区間20位と苦戦し、大東大に逆転を許した。両角速(もろずみ・はやし)監督は「結果11番ということで非常に悔しい。選手は精いっぱいやってくれた。次につなげていきたい」と選手をねぎらいながら、悔しさをかみしめていた。

(以上 デイリー)


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