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箱根駅伝・復路 ≪速報記事3 ≫

2024年01月03日 21時40分00秒 | スポーツあれこれ
青山学院大(青学大)が2年ぶり7度目の総合優勝を飾った。2022年にマークした10時間43分42秒の大会記録を塗り替える10時間41分25秒。全国に門戸を広げた100回目の記念大会に花を添えた。

2位の駒澤大(駒大)は10時間48分0秒で、6分35秒の大差をつけた。

就任20年目の原晋監督(56)が掲げた「負けてたまるか大作戦」を完結。今季の大学3大駅伝は昨年10月の出雲は5位、同11月の全日本は2位にとどまったが、得意の箱根路で圧勝劇。新たな黄金時代への幕開けとなった。

2日を往路記録の5時間18分13秒で制し、2位駒大には2分38秒差をつけ、6区の野村昭夢(3年)が芦ノ湖をスタート。初の山下りで区間2位と好走し、駒大との差を4分17秒へ広げた。

7区は大学ラストイヤーで初出走となった山内健登(4年)。4年目で出雲4区区間賞を獲得した実力者は、この日も区間3位と力走した。8区の箱根初出走の塩出翔太(2年)も歴代3位となる1時間4分0秒をマークし、区間賞を獲得した。

9区の倉本玄太(4年)もさらにリードを広げる区間賞の走りで、10区の宇田川瞬矢(2年)へ首位でタスキ渡し。往路の3区で先頭に立ち、そのままゴール地点の大手町へと帰ってきた。復路は5時間23分12秒で大会新記録(5時間21分36秒)には届かなかったが、歓喜のフィニッシュテープを切った。そして駒大が挑んだ史上初の2季連続3冠という大記録を阻止した。

今大会の出走者10人のうち、前回大会も走ったのは太田蒼生(3年)と佐藤一世(4年)の2人のみ。これはシード10校中で最少で、初の箱根出走者は7人にのぼり、復路は全員が初だった。経験値不足も懸念されたが、原監督のもとで育ったフレッシュグリーンのランナーたちは躍動。追う展開や並走でも強さを示し、山区間でも区間上位で奮闘。復路ではスタートから単独走となったが、快調に駒大との差を広げ、独走で第100回記念大会の王者に立った。


会見で原晋監督(56)は「12月中盤ごろにかけて、チームは非常に悪い状態だった。そこから3週間で、学生の奮闘で優勝できた。原メソッドを体系化させられたからこそ、12月のアクシデントでトレーニングを柔軟に対応できるようになった」と話した。

12月28日の全体ミーティングで、「本音8割、2割はほっとさせる」という意味合いも込めて、学生たちにこう話したという。

「準優勝で良いよ」

その言葉に選手たちが奮起。学生たちによるミーティングで話し合い、あらためて目標を見据え、頂点に立った。


各選手のコメントは以下の通り。
 
1区9位・荒巻朋熙(2年)「下りが苦手で、六郷橋で後ろの集団に追いつかれたが、追いつけるタイム差で渡すことが出来た」

2区1位・黒田朝日(2年)「前半では大集団での走りになったが、柔軟に対応できた。会心の出来だった」

3区1位・太田蒼生(3年)「イメージした通りだった。1時間を初めて日本人で切れて自信にもなる」

4区1位・佐藤一世(4年)「後半はきつくなったが、青学で走る最後のレースになること、走れなかった同期を考えて力が湧いてきた」

5区2位・若林宏樹(3年)「雨が降る難しい中だったが声援に本当に勇気や元気をもらった。最後の下りはペースアップできた」

6区2位・野村昭夢(3年)「7区以降の選手を楽にするのが自分の仕事だと思っていた。57分台と区間賞を取れず悔しい」

7区3位・山内健登(4年)「後半は登りが苦手なので、ペースが落ちてしまい、下りでリズムをつくり直す展開できつかった」

8区1位・塩出翔太(2年)「区間記録は出せなかったが、目標の区間賞や下田さんの青学記録を更新できてうれしい」

9区1位・倉本玄太(4年)「後ろを突き放したいと思った。最初で最後の箱根駅伝を区間賞で終われて、幸せな気持ち」

10区2位・宇田川瞬矢(2年)「7分差で来たら良いなと思っていたら6分半差。少し早いですが来年の箱根駅伝を見据えてます」


就任20年目の原晋監督(56)が掲げた「負けてたまるか大作戦」を完結。今季の大学3大駅伝は昨年10月の出雲は5位、同11月の全日本は2位にとどまったが、得意の箱根路で圧勝劇。新たな黄金時代への幕開けとなった。

アンカーを学生たちの輪の中で見守った原監督は、ゴールを見届けると3度中を舞った。勝利インタビュー。昨年12月前半から中旬にかけてチーム状況が悪く「シード権を取れるかどうか」の状態だったことを明かし、「そこから約3週間で学生たちが本気で向き合ってくれて、私以上に優勝したいという気持ちが強かったレースだった」と、選手たちをねぎらった。

箱根駅伝100周年、青山学院創立150周年、そして監督就任20周年のメモリアルイヤーに復権。「このタイミングで優勝させていただいたこと、大学関係者、高校、OB、妻美穂に支えられて迎えられたことをうれしく思う」と、感謝の言葉を連ねた。

2日を往路記録の5時間18分13秒で制し、2位駒澤大(駒大)と2分38秒差をつけ、6区の野村昭夢(3年)が芦ノ湖をスタート。初の山下りで区間2位と好走し、駒大との差を4分17秒へ広げた。

7区は大学ラストイヤーで初出走となった山内健登(4年)。4年目で出雲4区区間賞を獲得した実力者は、この日も区間3位と力走した。8区の箱根初出走の塩出翔太(2年)も歴代3位となる1時間4分0秒をマークした。

9区の倉本玄太(4年)から10区の宇田川瞬矢(2年)へも首位でタスキ渡し。3区で先頭に立ち、そのままゴール地点の大手町へと帰ってきた。駒大の史上初の2季連続3冠を阻止した。

今大会の出走者10人のうち、前回大会も走ったのは太田蒼生(3年)と佐藤一世(4年)の2人のみ。これはシード10校中で最少で、初の箱根出走者は7人にのぼり、復路は全員が初だった。経験値不足も懸念されたが、原監督のもとで育ったフレッシュグリーンのランナーたちは躍動。追う展開や並走でも強さを示し、山区間でも区間上位で奮闘。復路ではスタートから単独走となったが、快調に駒大との差を広げ、独走で第100回大会の王者に立った。

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大会最優秀選手賞(MVP)の金栗四三杯は城西大の山本唯翔(4年)が選出された。前年に続いて5区で力走し、1時間9分15秒をマーク。1年前に自身が更新した区間記録を、さらに49秒塗り替えた。チーム史上最高順位となる総合3位に貢献。「このような賞をいただけることに感謝。今後の競技人生にもいい経験になる」と喜んだ。

春からは実業団のSUBARU(スバル)に進み、競技を継続する。「個人的にはマラソンでチャレンジしたい。次のMGCに向けて準備し、五輪で表彰台に登れるように頑張りたい」と目標を口にした。


日本陸連副会長でマラソン強化戦略プロジェクトリーダーの瀬古利彦氏(67)が、下馬評を覆した青学大の選手たちの奮闘を「ミラクル」とたたえた。駒大との心理面での差にも着目し、勝負を分けたポイントを解説。100回大会を迎えた箱根の価値、今後への期待も語った。
   ◇   ◇   ◇
勝って当たり前で勝つことがこんなに難しいんだなと思いましたね。逆に青学大の原監督は、7度目で今回の優勝が一番うれしかったんじゃないかな。

今までは指導力で勝ってきた。今年は違うような気がする。12月には体調不良者が多く出て、けが人もいるとも少し聞いてましたが、選手たちがはねのけました。駒大の1強と言われた選手たちの悔しさもこの結果を生んだ。今までは「原マジック」だとしたら選手がマジック超えの「ミラクル」を起こしたね。

展開ではやはり3区が大きかった。駒大のエース佐藤を、1万メートルの記録では劣る青学大の太田が抜いた。1つの要因はピーキングだったかな。佐藤は11月に1万メートルで20歳以下の日本記録を出したけど、多少は気持ち的に満足する部分があったと思う。逆に青学大は出雲、全日本と負けて、その後のチーム内での感染症の広がりなどで危機感満載。

トラックで勝負すれば、佐藤が100回中100回勝つよ。それでも箱根は違う。「勝って当たり前」の積み重ねが心を疲れさせる。駒大は全員がどこか走りが固く、重いように感じたし、ぶれてる姿もあった。佐藤が抜かれたことで、それ以降の選手の重圧は一層増したのも響いたかな。

原監督の恒例の作戦名は「負けてたまるか作戦」だったけど、何よりも選手が思っていたね。逆に駒大には来年「なにくそ作戦」で頑張ってほしい。大八木前監督が駅伝の先に世界を目指す指導で培ってきた結果は素晴らしい。継承した藤田監督も、ここで箱根に勝つために変えず、路線を継続した上で「なにくそ」と強化してほしい。

今大会の青学大の新記録は第1回(15時間5分16秒)から100回目で約4時間30分縮まっている。200回目はどうなってるだろうね。速くなれば、世界との距離は縮まる。世界で勝つランナーのためという創設理由からも、大八木前監督の存在も大きいよ。その姿を見て、箱根の先を見ている指導者が増えている。
今回は記念大会で全国化もあったけど、1回だけでは。例えば日本学生連合としての選抜チームの参加があれば、関東以外の選手が箱根を走るチャンスをもらえる。その選手を見た各地のチームメートが、「自分も」となる。200回へ、変化を恐れないで続いていってほしいですね。

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2季連続3冠を目指した駒沢大(駒大)は10時間48分0で総合2位に終わり、史上初の偉業を逃した。

1区で、篠原倖太朗(3年)が区間歴代2位となるタイムでトップに立つ盤石のスタートも、22秒リードでたすきを受けた、3区佐藤圭汰(2年)が首位から転落。昨年箱根から出雲、全日本と継続してきた連続首位記録も「23区間」で途絶えた。最終的に2分38秒差の2位で往路を終えた。

逆転圏内の復路も悪い流れを引きずった。6区の帰山侑大(2年)が、区間12位に終わり、小田原中継所では4分17秒に差を広げられ総合優勝が遠のいた。
7区安原太陽(4年)が、区間4位で4分44秒にリードを広げられると、8区赤星雄斗(4年)も伸びず、5分33秒差。その後も苦しい走りが続き9区の花尾恭輔(4年)が、鶴見中継所で、6分23秒とさらに広げられた。

2区から9区までの全区間で、青学大の記録に及ばず、追い付くことができなかった。3冠達成の昨季に続き今季も10月の出雲、11月の全日本と完勝。絶対王者として今大会を迎えたが、ライバル青学大に夢を砕かれた。


前回王者の駒澤大(駒大)は史上初の2季連続3冠を逃した。10時間48分0秒(速報値)で2位に終わった。

序盤はリードしたものの、往路3区で青山学院大(青学大)に逆転を許し、そのまま突き放された。2分38秒差で迎えた復路では、前回6区区間賞の伊藤蒼唯(2年)を投入せず、帰山侑大(2年)が出走したが、区間12位と流れをつくれなかった。

4月にヘッドコーチから昇格し、今大会が箱根初采配だった藤田敦史監督は「学生は頑張ったけれど、箱根はやはり難しい。3区佐藤圭汰が競り負けたことで、みんなびっくりしてしまった。十分な記録なんだけれど、終わった後は涙だった。あそこからチームとしての想定が狂ってきた」と往路のターニングポイントを振り返った。

さらに「4区山川は股関節の痛みが10キロから出てきていた。6区帰山も、佐藤や山川の分の悔しさも晴らそうとしたけれども、気負いになってしまった。この学年の悔しさが必ず来年につながると。帰山、伊藤、佐藤、山川がキーマンの4人になります」と次を見据えた。


前日の往路3区で首位を明け渡す形となった佐藤圭汰(2年)は、全選手がゴールを終えた後、「本当に悔しい結果」と心境を口にした。「自分のところで逆転されてしまったので、本当にチームに申し訳ないっていう気持ちでいっぱい」と責任を負った。

この悔しさを糧とする。「来年リベンジできるように」という言葉を実現させるためには、自身を含めた下級生たちの奮起が不可欠と心得る。「この悔しさを来年につなげていけるように、自分が引っ張っていきたい」と力を込めた。

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前年9位で最高6位の城西大が10時間52分26秒で過去最高の総合3位と躍進を見せた。

往路の5区(20・8キロ)では“山の妖精”こと山本唯翔(4年)が、1時間10分4秒で区間歴代記録を更新。往路を1位通過した青学大・若林宏樹(3年)が達成した直後、瞬く間に記録を塗り替えた。

往路3位で迎えた復路では、青学大が出発した3分17秒後にスタート。

往路の3区(21・4キロ)から一度も順位を落とさず3位でゴールした。
令和の駅伝王者である青学大、駒大に次ぐ好成績を納めた。


往路3位の城西大が10、12年の6位を超える過去最高の総合3位に入った。前日の山登り5区で2年連続区間新をマークし、大会MVPを獲得した山本唯翔(4年)の勢いをつないだのは、今大会出場368選手中、唯一の石川県出身の6区、久保出雄太(3年)だった。

スタートから「往路のメンバーが頑張ってくれて、頑張るしかないと思った」と区間記録に迫る勢いで箱根の山を駆け降りた。最後は区間13位までタイムを落としたが、3位をキープして後続にタスキを託した。

石川県加賀市生まれ。1日に地元が大地震に見舞われた。幸い両親は応援のために上京していて無事だった。驚いたのは親戚たちからの連絡。「みんな大変だと思うのに、箱根駅伝を頑張れと励まされて…。力になりました」。

高2までサッカー部。同年の箱根駅伝を見て陸上に憧れ、城西大に一般入学した。同好会から1年の10月に駅伝部での練習を許可され、2年あまりで箱根のメンバーに入った。「選手層が薄い中、彼の頑張りがチーム内の競争を高めてくれた」(櫛部監督)。久保出の存在が総合3位という結果の確かな土台となった。

前回9位で5年ぶりにシード権を獲得。今季は出雲3位、全日本5位、そして箱根で3位と歴代最高記録を更新した。来年の大会を最終学年で迎える久保出は「もう1度走るときも、区間賞とかよりもまず、走れることに感謝して走りたい」。この3日間で、何よりも大切なことに気づかされた。【首藤正徳】

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往路4位の東洋大が10時間52分47秒で総合でも4位となり、19年連続シードを守った。

6区の西村真周(2年)が区間8位の安定した走りで順位をキープ。7区の熊崎貴哉(4年)が区間19位と遅れて、終盤に区間賞を獲得した一斉スタートの中大の吉居駿恭(2年)に抜かれる場面もあったが、初出場の8区の村上太一(4年)が区間10位のタイムで粘り、9、10区も順位を落とすことなく4位でゴールテープを切った。

22年にも総合4位に入ったが、23年は10位でギリギリでシード権をキープ。そこから1年で大きく躍進した。


東洋大が19年連続でシード権を守った。継続中では最長記録を更新。往路4位からスタートし、順位を落とすことなく、最後まで走り抜いた。酒井俊幸監督(47)は「シード権は最大目標ではないが、川嶋(伸次)前監督から引き続いている伝統でもある。20年は最低でも続けたい」とうなずいた。

今季は出雲8位、全日本14位と苦戦した。それでもチームは団結力を失わなかった。「結束を高めた1年。箱根は特殊なところが入ってくる。出雲や全日本とは距離適正が違う」。臆さず臨み、決して高くなかった前評判を覆した。
この日は6区の西村真周(2年)の安定した走りで滑り出した。7区以降も踏ん張り、最後は10区岸本遼太郎(2年)が初の箱根で区間賞を獲得。ゴール前では、3位城西大の背中に迫ろうかという勢いだった。

チームは例年、石川県七尾市や輪島市で合宿を行い、強化に励んできた。地震で大きな被害を受けた人たちへの思いも込めて、箱根路を踏みしめた。合宿先でお世話になってきた人たちの安否は「無事だと聞いている」と酒井監督。それでも道路は寸断され、余震が続くなど、予断は許さない状況が続く。選手たちも含めて、さまざまな感情が交錯した中で、「自分たちに何ができるかとなったときに、まず大会に出て、パフォーマンスを届けることだと思った」。

懸命に、粘り強く-。被災地に元気を届けるべく、全力を尽くしてタスキをつないだ。【奥岡幹浩】

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天国の仲間に捧げるシード権。往路9位の法政大(法大)が10時間56分35秒と総合6位でゴールし、3年連続となる10位以内を確保した。

今大会、選手たちは左腰付近に喪章をつけてレースに臨んだ。昨年8月に亡くなった元チームメート、高橋彰太さんへの思いを込めた。

往路では当落線付近の9位。復路は一斉スタートとなったが、6区で武田和馬(3年)が区間賞の力走で流れを引き寄せた。その後も選手たちがしっかりタスキをつないだ。

坪田監督は「(6区の)武田が区間賞でいいスタートを切ってくれましたんで、その流れを残り4人がしっかり繋いでくれた。目標の総合5位っていうのは届きませんでしたが、昨年より1つ順位を上げることができたのでまずまず評価できるのかなと思ってます」と総括した。

喪章をつけて臨んだことには「高橋彰太が8月に亡くなってみんな気持ちは1つで走ってくれたと思います。彰太の分までという形で私も声かけして“1人じゃないんだよ”と。苦しい時には一緒に走ってることをイメージしながら、最後まで走ろうよというところで、走った選手は10人ですけど、プラス1という。16人プラス1。最後まで高橋と一緒に走れたんではないかなと思ってます」と続けた。

空から見守ってくれた高橋さんに、全員が一丸となって吉報を届けた。

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創価大は8位で5年連続のシード権を獲得した。

往路7位から順位を落とすも、6区の1年生川上が好走。58分15秒で区間3位に入った。榎木和貴監督は「仕切り直しの復路で、目標の3位以上は諦めずにスタートしようと。川上が(6区で)5位まで押し上げてくれたのは、すごく良い仕事をしたと思います」と大器の片りんを見せた1年生の走りを評価した。

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帝京大は9位で、往路12位から2年ぶりのシード権を獲得した。

過去2大会1区を走った小野の7区起用がはまり、区間2位の快走で1つ順位を上げて勢いがついた。8区の島田が区間8位と粘って9位に浮上。9区小林も区間3位と健闘して圏内を守り抜いた。「小野はどの区間でも走れるのを見せたかった。武器として7区に起用した」と、中野監督もしてやったりの顔だった。

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中央大(中大)が13位に終わり、3年ぶりのシード落ちを喫した。

前回2位で優勝候補に挙げられながら、往路では13位。直前に体調不良者が続出し、登録メンバー16人中14人に発熱やせきなどの症状が出ていた。

復路は6区の浦田優斗(3年)が区間5位、7区では吉居駿恭(2年)が区間賞の走りでシード圏内の10位まで浮上させたが、8区で阿部陽樹(3年)が区間22位と苦しんだ。

最終10区を10位と1分9秒差の13位で迎えて前を追ったが、無情の結果となった。

往路を終えた後、藤原正和監督は「棄権も考えました」と明かしていた。「最後までつないでくれて、笑顔で戻ってきてくれればそれで十分」と選手を思いやる言葉もあった。

チームは3年前に00年代に低迷後、22年大会で6位に入り10年ぶりのシード権を獲得。前回は22年ぶりの3位以内となる2位と躍進していた。

復活にかけた古豪が、病魔に苦しみながら箱根路を走り終えた。


13位に終わり、3年ぶりのシード落ちを喫した中央大(中大)の藤原正和監督が、この日までの10日間を「地獄のようだった」と振り返った。

大会直前に体調不良者が続出した。登録メンバー16人中14人に発熱やせきなどの症状に見舞われ、往路で13位。復路は6区の浦田優斗(3年)が区間5位、7区では吉居駿恭(2年)が区間賞の走りでシード圏内の10位まで浮上させたが、8区で阿部陽樹(3年)が区間22位と苦しんだ。

その阿部についても「実際、体調を崩していた」と説明。「1キロ3分20秒でいいからとにかくつなげよう、と。そう言って見守っていました」と、苦しい胸の内を明かした。

前回2位で優勝候補に挙げられながら、まさかのシード落ち。病魔に苦しめられた箱根路は「長かったです」と、肩を落とした。

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順大は17位で4年ぶりのシード落ちとなった。往路10位から、5区間すべて区間17位以下。

アンカーの斎藤(4年)は両手を合わせてフィニッシュした。22年は2位、23年は5位と上位を続けての陥落。東京五輪代表の三浦(4年)が昨年11月下旬に足を痛めるなどはあったが、長門監督は「調整段階ではあること。特段(他に)アクシデントがあったわけではない」と説明。「力のある選手は多い。試練と思って立て直していきたい」と誓った。

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駿河台大は18位と、2年ぶり2度目の出場で下位に沈んだ。

徳本監督は「うちの力通りだと思う」と受け止めた。それでも悲観はしていない。シードを取りに行くことは2年越しと計画を立てて臨んできた。大舞台を経験したことは、若いチームにとって大きな財産となる。来年に向け「予選会を通過しなければいけない。そっちが大変」と笑顔で引き締めた。

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第1回大会に出場している伝統校・明大は、往路最下位から復路8位で総合20位に盛り返した。

山本監督の「一斉スタートはうちにとってはラッキーだよ。ここから『よーいドン』だと思って、復路成績で必ず10位以内を取ろう」という鼓舞に選手が奮起。堀が6区7位の好走を見せると、1年生の綾も8区3位で来年につながる箱根デビューとなった。

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総合21位だった神奈川大の大後(だいご)栄治監督(59)が退任することになった。レース後に大学が発表した。大後監督は「駅伝チーム育成・強化を次の世代にお渡しすることにいたしました」とコメントを寄せた。4日からは中野剛(つよし)ヘッドコーチが昇格する。

大後監督は97、98年にはチームを箱根駅伝連覇に導いた名将。日本体育大大学院を卒業した89年から神奈川大で指導者としてのキャリアをスタート。わずか4年で本戦出場を果たした。96年の初優勝を含め、全日本大学駅伝は3度制した。

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22位の東農大では予選会1位のスーパールーキー前田和摩が、7区で箱根デビューした。繰り上げスタートとなる大学もある中、区間13位でたすきを渡した。

大会前に膝と腰の突っ張りから練習を自制。大会2週間前から練習を再開した。「すごく悪いタイミングでケガをしてしまったなと。最低限つなぐ役割はできたかなと思うんですけど、納得はしていないです。満足もしてないです」と雪辱を誓った。

(以上 日刊)

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