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箱根駅伝・往路 ≪速報記事1 ≫

2024年01月03日 01時26分53秒 | スポーツあれこれ
◇第100回東京箱根間往復大学駅伝競走往路 (2日、東京・千代田区大手町読売新聞社前スタート~神奈川・箱根町芦ノ湖ゴール=5区間107・5キロ)

 青学大が最強王者の駒大に堂々と競り勝ち、新記録で2年ぶり6度目の往路優勝を飾った。

 1区で荒巻朋熙(2年)が積極果敢な姿勢で首位の駒大と35秒差の9位と踏ん張ると、花の2区で黒田朝日(2年)が7人をゴボウ抜きして2位に浮上。2区で歴代4位、日本人歴代2位の1時間6分7秒の好記録で区間賞を獲得し、首位の駒大に22秒差まで迫った。3区で太田蒼生(3年)が日本人選手で初めて1時間の壁を突破する59分47秒の激走で駒大のスピードランナー佐藤圭汰(2年)を大逆転して首位浮上。前回の箱根駅伝4区から学生3大駅伝で23区間連続で首位を走り続けていた絶対王者の駒大をついに止めた。勢いに乗った青学大は4区の佐藤一世(4年)が区間賞の快走で首位をがっちりキープ。5区は前回、直前に体調不良を訴え、当日変更で出番がなくなった若林宏樹(3年)が、雨が降りしきる中、2年ぶりに天下の険を力強く駆け上がり、芦ノ湖のゴールにトップで飛び込んだ。

 原晋監督(56)は「最高だね、君たち!」と選手を迎え入れた。

 学生駅伝5連勝中の絶対王者、駒大に対し、原監督は「負けてたまるか!大作戦」を発令して今大会に挑んだ。実は昨年11月下旬から12月上旬にかけて、チームでインフルエンザに集団感染するトラブルがあったが、箱根路に向けた抜群の調整力で往路優勝を成し遂げた。

 絶対王者の駒大にミスがあったわけではなく、むしろ、3区までほぼ完璧にレースを進めていた駒大を青学大が力業で破った。原監督が「駅伝男」と呼び、絶対の信頼を寄せる2区の黒田と3区の太田が抜群の勝負強さを見せつけた。

 対する駒大の2区は1万メートル日本人学生歴代3位(27分30秒69)の鈴木芽吹主将(4年)、3区は1万メートル日本人学生歴代2位でU20(20歳未満)日本記録(27分28秒50)保持者の佐藤圭汰(2年)。1万メートルの持ちタイムでは黒田が28分15秒82、太田が28分20秒63と劣るが、20キロ超の箱根路では完勝した。鈴木、佐藤はいずれも区間2位の好走だった。青学大が誇る2人の「駅伝男」は、底知れぬ力を持っていた。

 実は、黒田も太田も1か月前は大トラブルに見舞われていた。千葉県内で合宿中にチーム内でインフルエンザが流行。2人も感染してしまった。

 「就任20年で、この時期にインフルエンザ集団感染なんて初めてですよ」と原監督は頭を抱えたが、すぐに次善策に切り替えた。インフルエンザに感染した選手を隔離した上で完全静養に努めた。

 3日間は一歩も走ることなく、治療に専念。幸い、1週間後には練習を再開できた。

 インフルエンザ感染に加え、さらにダメージを受けていたのが佐藤一世だった。昨年12月中旬に虫垂炎を発症。練習の中断期間はさらに延びた。原監督は「一世は起用できないかもしれない。起用できたとしても7区か8区かな」と漏らしたこともあった。

 「負けてたまるか!大作戦」を思いついたのは、チーム状況がどん底の頃だった。「駒大は本当に強い。ひとつ、間違えると、レースの序盤で心を折られる。出場する選手、サポートする選手、マネジャー、スタッフがチーム一丸となって『負けてたまるか!』という強い気持ちで第100回箱根駅伝に挑みます。名付けて『負けてたまるか!大作戦』です」と高らかに宣言した。

 「ここからが私の腕の見せ所ですよ」と原監督は、これまで成功してきた調整パターンを捨て、選手の体調をじっくり観察した上で練習をアレンジ。大一番に備えた。

 12月下旬になると、各選手の調子がそろって急上昇。最も出遅れていた佐藤も超回復した。「心が折れそうになることもありましたけど、チームメートと一緒に乗り越えられた」と感慨深い表情で振り返った。

 青学大はこれまで往路優勝した5回はすべて総合優勝を果たした。また、箱根駅伝を初制覇した2015年の第91回以降、2年連続で総合優勝を逃したこともない。この10年、箱根路の主役を張ってきた青学大が第100回大会で、その真骨頂を発揮している。


 青学大が、往路新記録となる5時間18分14秒で往路優勝を果たした。

 原晋監督は「1年間、このために頑張ってきた。学生にありがとうと言いたい」とコメント。また、「昨日の能登震災で開催できるか分からない中、多くの被災に遭われている方がいるなか、箱根駅伝ができることに感謝している。魂の込もった頑張りだった」と言葉に力を込めた。

 2位・駒大とは2分38秒差。復路に向けて「明日、走る学生たちも堂々と自信を持って輝いて走ってもらいたい」と期待した。

 5区を走った若林宏樹(3年)は「雨の中のレースで気温が低かったが、みなさんの応援で走ることができた。結果としてゴールテープを切ることができてうれしく思っている」と喜びを口にした。


 青学大が王者の駒大に堂々と競り勝ち、5時間18分14秒の新記録で、2年ぶり6度目の往路優勝を飾った。

 1区で荒巻朋熙(2年)が積極果敢な姿勢で首位の駒大と35秒差の9位と踏ん張ると、花の2区で黒田朝日(2年)が7人をゴボウ抜きして2位に浮上。2区で歴代4位、日本人歴代2位の1時間6分7秒の好記録で区間賞を獲得し、首位の駒大に22秒差まで迫った。3区で太田蒼生(3年)が日本人選手で初めて1時間の壁を突破する59分47秒の激走で駒大のスピードランナー佐藤圭汰(2年)を大逆転して首位浮上。前回の箱根駅伝4区から学生3大駅伝で23区間連続で首位を走り続けていた絶対王者の駒大をついに止めた。

 往路優勝の立役者となった太田は下り基調とはいえ、21・4キロの3区をハーフマラソン(21・0975キロ)の日本記録1時間より速いタイムで走破した。前半の10キロ通過は驚異の27分30秒だったが「まだ、余裕はありました」と涼しい顔で話した。「太田は強かった!」と原晋監督(56)も絶賛した。

 ロードで抜群の強さを発揮する太田は別府大分毎日マラソン(2月4日)でマラソンに初挑戦することを表明。「2時間6分30秒を目指します」と日本歴代8位に相当する高い目標を明かした。昨年の同大会で青学大の先輩の横田俊吾(現JR東日本)がマークした2時間7分47秒の日本学生記録、昨年の大阪で西山和弥(トヨタ自動車)がつくった2時間6分45秒の初マラソン日本記録の更新を目指す。

 未知数の潜在能力を持つ太田蒼生は、自身を持って、初の42・195キロに挑む。


 4区は首位の青学大・佐藤一世(4年)が区間賞を獲得した。

 2位・駒大・山川拓馬(2年)と4秒差でスタートし、1分27秒差にリードを広げて5区へタスキリレー。「走る前、すんごい不安だったけど、チームメートが背中を押してくれて、目標の区間賞ほっとしている」と振り返った。

 「1月はしっかり練習ができたが、12月に体調を崩し、上手く練習が積めず心が折れたこともあった」といい、「同期が励ましてくれた」と、仲間の思いも背負って走った箱根路。「最後の箱根ということで、青学のユニホームを着て走る最後のレース、全力を出し切ろうと思った結果。タイムがついてきた」とうなずいた。

 若林宏樹(3年)にタスキを託し、「あとは楽しんで走ってもらって、笑顔でゴールテープを切ってくれればいいと思います」とエールを送った。


 復路スタートは、往路優勝校から10分以上タイム差がある大学は一斉スタートとなる。青学大の好記録により、時差スタートは7位の創価大まで。8位の大東大から16チームは同時に出走することになった。このルールが運用されてから、史上最多タイの校数だ。

 10位の順大から19位の日大までタイム差は2分以内。上位10チームに与えられるシード権争奪戦は激しくなりそうだ。一斉スタートとなると、復路での順位と本来の順位が変わることもある。青学大の原晋監督は「大迷惑な話ですよね」と一斉スタートの校数が多くなってしまったことに苦笑いし「テレビでシード争いの順番がよくわからなくなるのは、よくないですよね」と話した。

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 駒大は往路2位に終わり、史上初の2年連続3冠に向けて苦しい展開となった。トップの青学大から2分38秒差で3日の復路に挑む。

 当日変更で1区に起用された篠原倖太朗(3年)がトップの快走。2区には鈴木芽吹(4年)、3区は1万メートル日本人学生歴代2位で、U20(20歳未満)日本記録(27分28秒50)保持者の佐藤圭汰(2年)を配置。自慢の「3本柱」で逃げ切りを狙ったが、3区で佐藤が22秒あった差を逆転されると、その後も差を広げられた。昨年の箱根駅伝4区から続いていた連続区間1位通過記録も「23」で止まった。

 藤田敦史監督は「4区が想定よりも走れなかった。青山(学院大)さんとの差がついてしまった」と追い抜かれた後の4区が勝負を分けたと話した。復路に向けては「6区でどれだけ前を詰められるか。青学さんも準備しているでしょうから、後半区間に自信を持っておりますので、前をとらえて総合優勝を狙っていきたいと思っています」と勝機を探っていた。 


 駒大の“3本柱”の一角・佐藤圭汰(2年)は1時間13秒の区間2位の記録を出したが、順位を1つ下げた4秒差の2位でタスキをつないだ。

 22秒リードの首位でタスキを受けたが、7・6キロ付近で59分47秒の好タイムを出した青学大・太田蒼生(3年)に追いつかれ、その後は並走してデッドヒート。残り約3キロで太田にスパートをかけられ、最後はついていけなかった。前回大会、全日本大学駅伝、出雲駅伝と続けてきた駒大の首位継続は「23区間」で途切れた。

 佐藤はタスキを渡した後、足の治療を施し、足を引きずり、仲間に肩を預けながら取材エリアに姿を見せた。「絶対に先頭で(4区の)山川(拓馬)に渡したかった。悔しいです。総合優勝、2年連続3冠という目標を掲げているので、それに走りで貢献したい気持ちがあった」と声を震わせ、悔しさをあらわにした。

 7・6キロ付近で青学大・太田に追いつかれたことについては「そんなに早く追いつかれると思っていなかった。追いつかれても15キロぐらいだと思っていたのですごいびっくりした。そこからペースを上げないといけないと思って焦りが出て、足を使ってしまって、後半の3キロは足が動かなかった」と振り返った。

 足の状態は「ずっとつっている状態で、筋肉が固まっている感じ。右の太ももが中心で、右足も左足も(違和感がある)」といい、「初めて」の感覚だという。走り終えた後、痛みが発症し「立っているのは大丈夫だけど、歩いたりして力を入れるときに痛い」と顔をしかめた。

 昨年11月に1万メートルで27分28秒50のU20(20歳未満)日本記録を更新したホープ。初めての箱根ではレース終盤に力を示せなかったことについて、20キロ以上のレース経験が浅いことを要因の一つに上げ、「ラスト3キロの一番大事なところで太田さんに仕掛けられて、自分は対応できなかった。まだまだ持久力に対応できないというか、そういった距離は、自分はまだまだだと思いました」と話した。

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 5区の“山の妖精”城西大・山本唯翔が、前回大会に自身が更新した区間記録の1時間10分4秒を上回る1時間9分15秒で走破した。山本は「区間賞を取りたい気持ちでやってきた。誰よりも練習してきたつもりだった。うれしい気持ち」と充実感に包まれた。

 11.7キロの小涌園前地点を38分56秒で通過し、区間記録の39分19秒を上回るペースで力走。その後も勢いは止まらず、タスキを受け取った時点で首位・駒大と3分35秒あった差を3分17秒まで縮めた。

 山本の好走もあり、城西大は往路で過去最高順位の3位でフィニッシュした。

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前回2位の中大がまさかの往路13位に沈んだ。1区の溜池一太(2年)が区間19位と出遅れると、2区のエース・吉居大和(4年)は区間15位と奮わず。結局、トップの青学大から12分22秒遅れの往路13位と“まさか”の結末となった。

 チームは昨年末にエントリーした16人中14人が風邪で体調を崩していた。吉居は「思っていたような展開ではなかった。焦りというよりは、しっかり走ろうという気持ち」と前を向いたが想定外の結果となった。


 前回大会2位で優勝候補の一角と目されていた中大は5時間30分5秒で13位だった。前回1区の溜池一太(2年)が同区19位といきなりブレーキ。続く2区でもエース・吉居大和(4年)が区間15位と奮わなかった。まさかの出遅れに藤原正和監督は「最終合宿が終わってから風邪が増えてしまった。一時期は棄権も考えないといけない状況だった」と登録メンバー16人中14人が昨年末に体調不良だったと明かした。

 往路出走者では4区区間3位の湯浅仁(4年)以外4人が体調不良に見舞われる自体に。スタート前には「おまえたち出られるだけですごいよって話をして、奇跡が起きるんだったら、こういうとき諦めず攻める走りだけはやろうな」と指揮官から選手に声がかけられたという。

 優勝候補といわれていただけに、本人たちのショックも大きかった。レース後行われた同大の往路報告会では往路メンバーの5人が暗い表情を見せた。「選手たちが一番つらいわけですから、つらい思いさせたと私自身一番しんどい」と藤原監督は申し訳なさそうに話した。

 10位の順大とは18秒差。目標を総合優勝からシード獲得へ切り替え、復路に臨む。「最低限シードを取らないと。あとはしっかりと大手町に無事に帰ってきたい」。史上最多97回目の出場を誇る伝統校が復路での巻き返しを図る。

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 4区の給水の場面で、中央学院大の黒岩勇禅(2年)が、父・弘樹さんからドリンクを受け取る様子が話題となった。

 同校OBで在学時には箱根路を目指したという弘樹さん。自身の出走はかなわなかったというが、雨が降りしきる中、息子と並走し、無事に給水の役目を果たした。

 本来は部員から受け取るはずだったという黒岩は「変更になった。父が給水になったと聞いて驚いたし、うれしい気持ちでいっぱいだった」と振り返る。実際に受けて「『落ち着いていけ、楽しんでいけ』って言われました。父にあこがれていた自分が箱根という舞台を走れた。誇りというか、言葉じゃ表せない」と感慨深げだった。

 給水は箱根駅伝のメンバーから外れた選手らが役目を担うことが多い中、“親子で給水”という珍しい場面に、ネット上では「お正月からいいものを見せていただいた…」「何を話しかけていたんでしょう」「息子さんに想(おも)い伝わりましたね」「並走して給水できるお父さん、尊敬します」「水渡し終えた後に一礼するお父さん素敵(すてき)」「いい走りだった」「お父さんの給水を受けて走るなんて涙しかない」「熱い親孝行」などの声が上がっている。

(以上 報知)

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