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今、自分が出来ること。やれること。それを精一杯やっていかなくちゃ!!

箱根駅伝・復路 ≪朝刊記事2 ≫

2024年01月04日 20時05分00秒 | スポーツあれこれ
 往路優勝の青学大が復路も5時間23分12秒で制し、大会新となる総合10時間41分25秒で2年ぶり7度目の総合優勝を飾った。復路スタートの山下り6区で野村昭夢(3年)が駒大との差を広げ、8区・塩出翔太(2年)、9区・倉本玄太(4年)が連続区間賞で突き放した。就任20年目の原晋監督(56)が「史上最強軍団」と評したライバルの2季連続3冠を阻止。100回目の記念大会で「負けてたまるか!大作戦」を完遂した。

 往路優勝の青学大が復路も5時間23分12秒で制し、大会新となる総合10時間41分25秒で2年ぶり7度目の総合優勝を飾った。復路スタートの山下り6区で野村昭夢(3年)が駒大との差を広げ、8区・塩出翔太(2年)、9区・倉本玄太(4年)が連続区間賞で突き放した。就任20年目の原晋監督(56)が「史上最強軍団」と評したライバルの2季連続3冠を阻止。100回目の記念大会で「負けてたまるか!大作戦」を完遂した。

 両手を広げて、青学大の宇田川瞬矢(2年)が大手町のゴールテープに飛び込んだ。2年ぶり7度目の総合優勝。2年前に樹立した大会記録を2分17秒も縮め、「夢に見ていたゴールの瞬間。本当に楽しく走れた」と実感を込めた。10区間中5区間で区間賞を獲得する圧巻のレース運び。2区以降は全区間で“1強”と目された駒大のタイムを上回った。

 往路を終えて2位・駒大と2分38秒差。復路は全5選手が初の箱根路で経験不足が懸念材料だったが、杞憂(きゆう)に終わった。復路だけで3分57秒差。総合では6分35秒差をつけ、駒大の2年連続3冠を阻止した。これで往路優勝した6大会は全て総合V。「トップを走ることを重圧に感じるのではなく楽しもう」という伝統の“ピクニックラン”が機能した。

 復路は全て区間3位以内で区間賞が2人。芦ノ湖をトップで出た野村が軽快に山を下りチームを勢いづけた。昨季も6区を走る予定だったが、12月に仙骨を骨折してメンバー落ち。代役選手が区間最下位に沈んだことが響き、総合3位に終わった。

 1年前の雪辱を期した今回は区間2位。特殊区間を攻略し「後ろを引き離して7区以降に楽に走ってもらうのが自分の仕事だった」と胸を張った。

 今季は「いかに箱根で勝つか」をテーマに選手ミーティングを何度も実施。話し合いが4時間以上に及ぶこともあった。練習の質、量を増やし、ケガのリスクを減らす体のケアも徹底。時間厳守、整理整頓など生活態度も見直した。

 出雲5位、全日本2位に終わり、12月にはインフルエンザに集団感染。箱根本番5日前のミーティングで原監督から「準優勝でいい」と伝えられたが、選手は最後まで優勝にこだわった。

 今メンバーは4年生3人で、来季も7人が残る。宇田川は「少し早いけど、今から来年の箱根を見据えたい」と早くも連覇に照準を定めた。

 15~18年の4連覇後、2年連続で総合優勝を逃したことはない。終わってみれば今大会も“1強”は青学大だった。101回大会以降もフレッシュグリーンの時代は続く。


 往路優勝の青学大が復路も5時間23分12秒で制し、大会新となる総合10時間41分25秒で2年ぶり7度目の総合優勝を飾った。就任20年目の原晋監督(56)が「史上最強軍団」と評したライバルの2季連続3冠を阻止。100回目の記念大会で「負けてたまるか!大作戦」を完遂した。

 ゴール前からホクホク顔だった。2年ぶりの戴冠。原監督は手塩にかけた選手たちによって宙に3度、舞った。「ダイエットしておけばよかった。予期せぬ胴上げなので、ちょっと準備不足でした」とおどけた。自ら「史上最強軍団」と名付けた駒大の夢を打ち砕いての胴上げは格別だった。

 棚ぼたの優勝ではない。「基本軸があるからこそ、変化に柔軟に対応できた」。今大会前の昨年12月上旬、インフルエンザに集団感染。最も重要な時期に練習を積めないのは初めての経験。今大会のメンバー10人中5人も練習が積めなかった。この1カ月の練習量は例年より約2割減らし、「無理に遅れた強化を取り戻さなかった」という。

 よりどころは指揮官が18年に卒業した早大大学院スポーツ科学研究科の修士論文として体系化した「原メソッド」。1年を通して計画された練習内容や朝のスピーチ内容、フィジカルトレーニングの効果など青学大の15年の軌跡をまとめた実証を信じ、割り切った。「結果的にリフレッシュした状態で走れた」と振り返った。

 妻・美穂さんと寮に住み込み、就任20年がたった。今も昔も、箱根駅伝は「あくまで学生スポーツ」の認識は変わらない。根底にあるのは人格形成。かつては門限や禁酒、朝練習の義務化など絶対的な存在として君臨したが、常勝軍団となってからは「奉仕」の精神で部下に接するサーバント型リーダーを理想とする。

 時には選手たちを統率し、時には落ち着かせる。大会直前のミーティングで「2位狙いでいい」と指示したのも「力を抜こう、ということ。その先に優勝がある」という意図だった。

 「我々が勝つときは大輪を大きく咲かせる勝ち方をする。負けた翌年に力を発揮するのが原」と語った指揮官は「もう一度4連覇、あるいは中大の6連覇(1959~64年)を目指して取り組んでいく。10時間40分を目指したい」と豪語。熟練した“原マジック”で黄金期の再来を狙う。

 ◇原 晋(はら・すすむ)1967年(昭42)3月8日生まれ、広島県三原市出身の56歳。広島・世羅高では、主将として全国高校駅伝準優勝。中京大卒業後は中国電力で競技を継続したが、5年で引退。その後は同社で「伝説の営業マン」と呼ばれ、04年から青学大陸上部の長距離ブロック監督に転身。09年に当時最長ブランクの33年ぶりに箱根駅伝出場に導いた。1メートル76。


 往路優勝の青学大が復路も5時間23分12秒で制し、大会新となる総合10時間41分25秒で2年ぶり7度目の総合優勝を飾った。
 青学大全選手の談話と4年生メンバーの進路は以下の通り。

 ▼1区・荒巻朋熙(2年) 20秒以内で渡したかったので実力不足の面があったと思うが、2区から10区の選手が凄く良い走りをしてくれて、チームに感謝。

 ▼2区・黒田朝日(2年) 前半は大集団の中での走りだったが、自分の走りを貫けた結果の区間賞だった。理想的な走りができた。

 ▼3区・太田蒼生(3年) 自分の想定通りのレース展開ができた。全員で勝ち取った総合優勝。これから2、3連覇を成し遂げていく第一歩だと思う。

 ▼4区・佐藤一世(4年) 2年前の総合優勝もうれしかったけど、4年生の世代で優勝するというのは本当に特別。(SGホールディングスで競技継続)

 ▼5区・若林宏樹(3年) 1から4区までの選手が最高のパフォーマンスをしてくれたので楽しく上ることができた。総合優勝は一丸となって獲ったもの。

 ▼6区・野村昭夢(3年) リードを広げられて良かった。総合優勝は10人だけでなく、サポートメンバーのおかげでもあるので感謝したい。

 ▼7区・山内健登(4年) 最初から突っ込んで走れたのは良かったかなと思う。最後の箱根をしっかり走って優勝できたのでうれしい。(九電工で競技継続)

 ▼8区・塩出翔太(2年) 青学らしい走りというのは、積極的な走り。自分も区間賞を頭に入れて走り出した。素直にうれしい。

 ▼9区・倉本玄太(4年) 区間賞で最低限の仕事はできた。最初で最後の箱根駅伝で区間賞で終われたことは幸せな気持ちでいっぱい。(中電工で競技継続)

 ▼10区・宇田川瞬矢(2年) 先輩、同期たちのおかげで優勝できて感謝の気持ち。夢に見ていたゴールの瞬間。みんなが待っていてくれてうれしかった。


 青学大選手寮の寮母として支える原監督の妻・美穂さん(56)も、7度目の歓喜に酔いしれた。駒大に史上初の2季連続3冠を許せば、1強時代になる――。それは誰もが感じていた。「記録を阻止できるのは青学しかない、という気持ちで私たちも学生たちもやってきた。往路のゴールの時はちょっとウルッと来ちゃいました」と明かした。

 04年に夫の指揮官就任とともに、選手たちの生活、食事面をサポートするようになった。

 「その頃の私がここに来たらビックリしちゃうと思う」。

 指揮官は嘱託の3年契約で箱根出場を厳命された。「よく無謀なものを受けたな…と思いました」と振り返る。

 最初は言わなければ何もやらない集団だった。暗中模索で3年で結果は出なかったが「もう1年、と直訴したら?」と夫の背中を押し、09年の本戦出場につなげた。「負けてたまるか、と(笑い)。あとちょっとでいけそうだったので」と語った。

 原監督の指導は年を重ねるごとに対話型に変わった。「(選手が)この人の言うことを聞いていて大丈夫か?というものから、監督の言うことを聞けば強くなる、という見方に変わった」と美穂さん。そんな選手たちの底力を見た第100回大会。「私も想定外。学生の力って火事場のばか力じゃないけど本当に出るんだなと」と感心していた。

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 【金哲彦の目】やはり往路の2分38秒差は大きかった。追う駒大は最初から無理をしてでもハイペースで突っ込まざるを得ず、最後まで自分たちの走りができなかった。しかも、安全策で前半は自重すると思われていた青学大の選手たちもたすきを受け取るなりガンガン飛ばしたので、結果的に6分35秒もの大差がついてしまった。

 青学大の復路の選手は全員箱根を走るのが初めてだったが、逆にそれが強みになっている。他校のように一部のエースや経験者に頼るのではなく、純粋に今一番練習ができている選手、一番状態が良くて調子を上げている選手を選べるだけの選手層の厚さが青学大にはある。

 もちろん、初めて箱根を走るという緊張感はあっただろうが、原監督は選手を乗せるのがうまい。どの選手ものびのび楽しそうに走り抜き、見事に2年ぶりの総合Vを成し遂げた。

 総合タイム10時間41分25秒は、まさにスピード駅伝の象徴だ。このタイムを単純にマラソンに換算すれば2時間4分39秒になる。しかも箱根の険しい山上りがあるということを考えれば、「世界に通用するランナーを育てる」という箱根駅伝の存在意義は、今十分に示されたと言っていい。

 歴史と伝統はもちろん大切だが、スポーツとしての革新も常に必要だ。今回初めて試みた全国化を「なし」にする理由はない。チャレンジするかしないかは各大学が判断すればいいことなので、箱根としては「いつでもいらっしゃい」と門戸を開いておいた方がいいと思う。(駅伝マラソン解説者)


 年始恒例の日本テレビ「第100回箱根駅伝」の平均世帯視聴率(ビデオリサーチ調べ、関東地区)は2日の往路(前7・50~後2・05)が26・1%、3日の復路(前7・50~後2・18)が28・3%、往復の平均が27・1%だったことが4日、分かった。

 往路は歴代21位、往復は歴代23位、復路は歴代16位の数字だった。

 世帯瞬間最高視聴率は往路で2日午後1時20分に記録した32・1%。復路は3日午後1時23分に記録した34・3%で、大観衆が見守る中、青学大10区アンカーの宇田川瞬矢(2年)がゴールテープを切り、待ち受ける仲間と抱き合う場面だった。

 個人平均視聴率(1997年第73回以降のデータ)は往路15・7%、復路17・5%、往復16・6%。往路は歴代6位、往復は歴代12位、復路は歴代5位の数字だった。

 昨年の世帯視聴率は、2日の往路が27・5%、3日の復路が29・6%、往復の平均が28・6%で、往路は歴代11位タイ、復路は歴代6位、往復は歴代6位の数字だった。

 第100回のメモリアル大会で、青学大が2年ぶり7度目の総合優勝を果たした。10時間41分25秒(速報値)は大会新記録だった。原監督はメンバーの手で3度、宙を舞った。

 2日の往路では、史上初の2季連続3冠を狙った駒大に2分38秒差をつけて優勝。余裕を持って迎えた勝負の復路も、盤石のレース運び。6区の野村昭夢(3年)が区間2位で発進すると、7区に当日変更で入った山内健登(4年)は区間3位。7区を終えて2位・駒大との差を4分44秒とすると、さらにその差を広げてアンカーの宇田川が大手町のゴールに飛び込んだ。

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 史上初の2季連続大学駅伝3冠を狙った駒大は2位に終わった。優勝した青学大には6分35秒の大差をつけられた。アンカーの庭瀬俊輝(3年)は顔をゆがめ悔しさをにじませて、東京・大手町のゴールにたどり着いた。

 昨年4月にヘッドコーチから昇格して初の箱根に挑んだ藤田敦史監督(47)は「やはり箱根は他の駅伝と比べて別物だなという難しさを感じた。強いチームを預かって優勝させてあげることができなかったところは未熟さが出た部分。(青学大の)原さんは経験値が豊富な監督なので、その差が出たと感じた」と吐き出した。

 往路の序盤はシナリオ通りだった。1区、2区と首位でたすきをつないだ。しかし3区の佐藤圭汰(2年)が首位を奪われ、前回箱根4区から続けていた3大駅伝の連続首位記録が23区間で途切れると、2位で芦ノ湖に到着した。

 復路は2分38秒差を追った。誤算だったのは山下りの6区。前回区間賞の伊藤蒼唯(2年)投入も予想されたが、11月にインフルエンザと負傷で調整が遅れたため帰山侑大(2年)を起用。しかし区間12位に沈み、差は4分17秒に広がった。指揮官は「6区の帰山で少しでも詰まれば追撃態勢を整えることができた。精神的なダメージを受けた」と振り返った。

 7区の安原太陽(4年)は「3回目の箱根なので自分がゲームチェンジャーにならないといけない」と区間4位に食い込む意地を見せた。しかし復路は全区間区間順位で青学大を下回り背中は遠ざかる一方。9回目の総合優勝は夢と消えた。

 それでも今季2冠の勲章が色あせるわけではない。指揮官は「出雲、全日本と勝っているので私たちのチームも決して弱いとは思っていない。ただ箱根は20キロ以上の距離を10区間10人そろえなければいけない。年間通してスタミナづくりをやっていかないといけない」と出直しを誓った。

 <箱根駅伝100回アラカルト>

 ☆初開催 日本選手で初めて五輪に出場した金栗四三が開催を提唱し、1920年(大9)に第1回大会を開催。東京高師(現筑波大)が優勝した。2位明大、3位早大、4位慶大。2月開催で、現在の1月2、3日に定着したのは第32回から。

 ☆出場校数 第1回の4校から徐々に拡大。記念大会では枠が増え、第50回は初めて20校が出場した。第90回と今回が最多の23校。関東以外からは関大、立命大、福岡大が特別招待で出場している。第79回から関東(日本)学生連合がオープン参加しているが、今回は編成されず。

 ☆優勝回数 14回の中大が最多。早大13回、日大12回、順大11回、日体大10回と続く。最多連覇は中大の6連覇。優勝経験は計17校。

 ☆最多出場 こちらも中大で今回が97回目。早大93回、日大90回、法大84回、東洋大82回と続く。最多連続出場も中大で第6回から87大会。現在継続中は日体大の76大会連続出場。

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 節目の箱根路で、城西大が新たな歴史を刻んだ。最終10区の中田侑希(4年)が3番目にゴールテープを切ると、チームにも笑顔が広がる。過去2度、6位だった最高成績を鮮やかに超える3位。櫛部静二監督(52)は「なかなかこういうレベルでできなかったが、初めての3位は正直にうれしい」と喜んだ。
 指揮官がベストフィニッシュの要因に挙げたのは「山」だ。チームを導いたのは「山の妖精」こと山本唯翔(4年)。3位でたすきを受けた山上り5区で2年連続区間新記録を叩き出し、2位との差を詰めて後続との差を広げた。同大で初の金栗四三杯に選ばれ、「山の神にはなれなかったけど皆さんの記憶に残る走りはできた」と胸を張った。

 山下り6区では異色の経歴の久保出雄太(3年)が3位を維持してたすきをつなぐ力走を見せた。高校2年時にサッカーから陸上に転向し、一般入試で同大に入学。陸上競技同好会から直訴して部の門を叩いた。1日に地震の被害を受けた石川出身であり「少しでも元気が出る走りをと思っていた」と言った。

 櫛部監督が約10年前に取り入れた最初は自作で1台だった低酸素トレーニングの機器が、今は同時に選手が使用できる計14台まで増えた。そんな積み重ねもチーム力を押し上げた。今年のテーマは「もっと速く、もっと強く、もっと楽しく」。城西はこれからも、もっともっと上を目指す。

 ▽城西大 1965年創設。埼玉県坂戸市に本部を置く私立大学。男子駅伝部創部は01年。箱根は04年に初出場、過去最高は10、12年の総合6位だった。早大OBの櫛部静二監督は01年にコーチに就任し、09年に昇格。主な出身者は元レーシングドライバーの鈴木亜久里氏(中退)、04年アテネ五輪男子マラソン代表の国近友昭氏(現NTT西日本陸上競技部監督)、21年東京五輪3000メートル障害代表の山口浩勢ら。

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 東洋大が19年連続のシード権を獲得した。

 4区の松山から4位を維持。10区を任された2年生の岸本が同校からただ一人の区間賞でレースを締めた。酒井俊幸監督(47)は「今回の結果は及第点。シード権は私が監督をしている限り続けたい」と引き締まった表情で話した。

 例年合宿を行っている石川県七尾市が能登半島地震に見舞われた。「こういう時に駅伝に出ていいのかという気持ちもあった。頑張らないといけないと思っていた」と酒井監督。ゆかりの地や人へ思いをはせて臨んだ大会だった。

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 国学院大は往路から1つ順位を上げて5位でゴールした。

 9区・吉田(1年)は、人気音楽グループ「ケツメイシ」のリーダー・大蔵を父に持つ。父からは「夢の舞台を楽しんでこい」とエールをもらい、試合前にしか聴かないという勝負曲「覚悟はいいか」を聴いて初めての箱根路に臨んだ。

 沿道には声援を送る父の姿も。“夏の思い出”ならぬ“冬の思い出”となったが、区間7位の結果に「良い思い出ではないですね」と苦笑いした。

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 法大が6位で3年連続シードを獲得。坪田智夫監督(46)は「昨年より1つ順位を上げることができたので、それは評価できる」とうなずいた。

 昨年8月、エース候補だった2年生の高橋彰太さんが19歳で急逝した。全員が喪章をつけて箱根路を駆けた。運営管理車には高橋さんのユニホームとシューズが載せられ、指揮官は「彰太のために走れ」と励ました。9位でスタートした復路では6区で武田(3年)が区間賞を獲得し「彰太も喜んでくれたんじゃないかな」。高橋さんの東北高、法大の先輩でもある稲毛(4年)は9区で区間6位と好走した。

 坪田監督は「彰太の分までと気持ちを一つにしてくれた。走った選手は10人だけど、(エントリーの)16人プラス1ということで、最後まで高橋と一緒に走れたと思う」と感慨深げに話した。

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 早大は前回6位に続いてシードを堅持した。

 花田勝彦監督(52)は「今のチーム力としては目標の100%に近い結果を出した」と選手をねぎらった。5位から出た復路は7区を終えて9位に後退したが、終盤3区間の力走で順位を押し上げた。

 今回で48年連続93回目出場の伝統校。指揮官は「多くの方が期待しているのはこの結果ではない」と、さらなる上位を見据えていた。

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 出雲2位、全日本6位と今季好成績を残した実力校・創価大は5年連続シードを死守したものの、目標の総合3位以内には届かず前回と同じ8位だった。

 6区の川上(1年)が区間3位と好走し、7位から5位まで浮上したが、その後は徐々に後退した。

 榎木和貴監督(49)は「川上が1年生でいい仕事をしてくれて7区まではうまく流れたが、8区、9区で流れを止めてしまった」と終盤の失速を嘆いた。

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 帝京大は予選会から勝ち上がって見事にシード権を獲得した。

 最後の箱根路を駆け抜けた4年生5人を中心に、合計タイム11時間を切る好走。

 中野孝行監督(60)は、大学駅伝を引退する4年生たちに対し「まだまだ成長段階だと思う。これで終わりではなく学生はあくまでも通過点なのでもっと上のステージで頑張ってくれれば後輩のためにもなる」とねぎらいの言葉を贈った。

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 次の100年の第一歩となる次回大会のシード権争い(10位以内)は、史上最多タイとなる16校の復路一斉スタートで大混戦。往路8位の大東大が最終10区で“見えないライバル”を逆転し9年ぶりのシード権を獲得した一方、東海大が11位で涙をのんだ。昨年2位の名門・中大は13位、同5位の順大は17位でシード権を失った。

 創立100周年の大東大が、記念すべき年の箱根路で9年ぶりのシード権を獲得した。往路8位からシード圏ギリギリの総合10位と順位を下げたが、就任2年目の真名子圭監督(45)は「めちゃくちゃうれしい。ハラハラドキドキしたが、これが勝負の世界。学生を信じた」。報告会では人目をはばからず感涙した。

 復路は史上最多タイの16校一斉スタート。見た目と実際の順位が異なる難しさを強いられる中、指揮官が心がけたのは「確かな情報を与え、安心させること」だった。7位でたすきを受けた8区のワンジル(3年)が区間最下位の大ブレーキで圏外の11位に下がったが、残り2区で必死に食らい付き、10区・佐々木(3年)が見た目上は前を走る東海大を“逆転”。箱根初出走の最終走者は「15キロで40秒差(のリード)と伝えられた。人生で一番の経験」と笑顔で語った。

 高校駅伝の名門、宮城・仙台育英高から低迷していた母校の監督に転身。走りの基礎をつくるジョグをはじめとした練習改革、20歳以上も年の離れた学生とのコミュニケーション改革が実を結び、就任2年目でのシード復活は「早かったというのが正直なところ」という。ただもちろん、総合優勝4度の名門復活とは言えない。「明日(4日)は朝から練習します」と、早速完全復活の第一歩を踏み出す。

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 東海大は復路で健闘も、総合11位で惜しくもシード権を逃した。

 往路16位の一斉スタートから追い上げ、10区でアンカーのロホマン(2年)は4秒リードの10位でたすきを受け力走。9位の帝京大に次ぐ10番目に大手町のゴールテープを切ったが、18番目にフィニッシュした大東大に総合タイムで1分10秒及ばず涙をのんだ。

 両角速監督(57)は「しっかり立て直して、復活ののろしというテーマを持って臨んだ。やれることは学生も精いっぱいやってくれたのではないかと思う」と評価。悔しい経験を「次につなげていきたい」と来季への再出発を誓った。

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 国士館大は合計217・1キロを駆けた末に東海大と11時間1分52秒と同タイムで並んだが、区間順位の最上位が7位で5位の東海大に及ばず、大会要項により12位となった。

1区22位から巻き返し往路11位。34年ぶりのシードを目指したが、復路は走者5人全員が区間2桁と力を発揮できず。

 小川博之監督(45)は「私の読みでシードに届かなかった。持ちタイムは関係ないと見せつけられた」と責任を背負った。

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 歴代最多14度の総合優勝を誇る中大は往路13位から盛り返せず、総合13位で3大会ぶりのシード落ち。レース10日前にメンバー16人中14人が風邪の症状に苦しみ、棄権も検討する状況で出走を決めたが、現実は厳しかった。

 前日も「私のマネジメントの問題」と責任を背負った藤原正和監督(42)は「10人カツカツだった。やりようがなかった」と声を潜めた。

 そんな中で光明となったのが、7区を任せた吉居駿(2年)の快走だった。2年で1区、3年で2区の区間賞を獲得した兄のエース大和(4年)に続き区間賞を獲得し「順位が順位だったので、最初は突っ込んだ。獲れて良かった」と振り返った。予選会から出直す次回大会は、卒業する兄に代わってエースとして名門を引っ張る。

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 立大は学生主体のメンバー選考で前回の18位を上回った。原田昭夫総監督(68)は「(大会)100周年に少しは花を添えられたかな」としみじみ語った。

 予選会直前に上野裕一郎前監督が不適切な行動で解任。以降は学生がまとまり、強化を図ってきた。

 総監督は4日付で辞任し、今後は林英明コーチが暫定的に指揮を執るという。総監督は「(前監督の)任命、監督責任がある。体制を変える」と話した。

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 日大は往路19位から順位を4つ上げた。

 4年ぶりの出場で、部員全員が初めての箱根路。7区の下尾主将(4年)を中心に2年生4人も奮闘し、新雅弘監督(62)は「選手も私も良い部分、悪い部分が出た。良い勉強ができた」と収穫を得た。

 来季も予選会からとなるが「うちは予選会の練習はやってない。単独走ができるようにレベルアップしたい」と話した。

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 日体大は往路21位から順位を上げたものの、シード権争いには絡めず。

 総合優勝10回の名門復活にはほど遠く、玉城良二監督(62)は「復路は戦略通りの走りができたが、往路が悪すぎた」と敗戦の弁を述べた。

 8区で分須(3年)が区間2位の快走を見せるなど健闘したが、1区で最下位など往路の遅れを取り戻せず。指揮官は「レースをつくる、流れを変える戦力がいない」と来年度以降の課題を挙げた。

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 順大は往路10位から順位を落とし、4大会ぶりのシード落ちとなった。

 前回は5位、22年は2位と上位に食い込んだが、今年は苦戦。昨年の世界選手権3000メートル障害6位入賞の三浦が負傷明けで1区10位と出遅れたことも響いた。

 9区から10区へつなぐ鶴見中継所では無念の繰り上げスタート。長門俊介監督は「区間2桁順位ばかりで流れが悪かった。学生たちはしっかり準備してくれた。指導者の責任を痛感しています」と唇をかんだ。

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 駿河台大は初出場だった一昨年から順位を1つ上げ、徳本一善監督(44)は「良い経験になった。我慢の復路だと思っていたが、選手はしっかり我慢してくれた」と納得の表情を見せた。

 誤算だったのは、往路2区・新山(4年)の区間21位。

 指揮官は「主将らしくビシッと締めてほしかった。箱根の前に自動車教習所に行ったのがダメだったのかな」と冗談交じりに話した。

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 中央学院大は往路18位の出遅れを取り戻せず、総合19位でフィニッシュ。

 最終10区で飯塚主将(4年)が区間12位と粘りの走りを見せたものの、2年ぶりの箱根路も上位校との差を突きつけられた。

 08年に過去最高の3位、2010年代には5年連続シード権を獲得したフラッシュイエロー軍団は来年も予選会から挑戦することになった。

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 最下位からスタートも、8区の綾(1年)が区間3位の激走で順位を上げた。

 山本豪監督(50)は「練習以上のものを出してくれて非常によかった」と奮闘したルーキーを高評価。

 目標としていたシード権争いに加われなかったチーム全体としては「早々に夢が絶たれてしまったところは残念。私の指導力不足」と反省の弁を述べた。


 10区には、やはり“魔物”がいるのか――。
 2、3日に行われた第100回箱根駅伝は、青学大の圧倒的な強さで幕を閉じた。

 3日の復路で毎年のように話題となるのが、10区の“寺田交差点”だ。

 “寺田交差点”とは11年大会、国学院大の寺田夏生(現皇学館大監督)が4校による熾烈なシード権争いを繰り広げる中、本来は直進するコースを、テレビ中継車につられてゴール約130メートル手前で右に曲がってしまった交差点を指す。寺田は一時、シード圏外に後退したが、執念の猛追でギリギリの10位でゴールに飛び込んだ。仲間に迎えられた寺田は開口一番、「危ねぇ」と口にした。

 22年大会も、法大・川上有生が方向を間違えてコースアウト。現在は誘導員の増員に加え、三角コーンの設置や、選手が直進するまで交差点直前で車両を一時停止させるなどの対策が取られており、今大会は“寺田交差点”でのトラブルはなかった。

 大手町で応援していた寺田監督はレース後、プロフィルに「曲がる角には福来る」と記している自身のX(旧ツイッター)を更新。交差点の横断歩道に立つ写真とともに、「今日も平和でした!箱根駅伝関係者の皆さまお疲れさまでした!」とつづったが、実は別の場所であわやの事態が発生していた。

 総合20位となった明大の10区を駆けた古井康介(2年)は、ビルが建ち並ぶ10区終盤、“寺田交差点”とは違う交差点で、直進すべきところを右に曲がりかけた。誘導する白バイ隊員にジェスチャーなどで指摘され、大きなロスなくコースに復帰した。

 この模様をとらえた動画が投稿されたXには、「あぶなっ!」「魔物でもおるんか」「柵作った方がいいんじゃない?」などの声が寄せられていた。 

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 21位に終わった神奈川大は、大後栄治監督(50)がこの日限りで退任すると発表した。

 大後監督は89年に日体大大学院を卒業後、神奈川大のコーチに就任。97、98年には箱根駅伝連覇に導くなど、35年にわたってチームを指導してきた。「100回大会をけじめとして、選手たちに動揺がないように数年前から準備してきた」と退任を決断。最後の大会を終え「何年やってもうまくいかないのが箱根なんですけど、感慨深いものがありました」と話した。

 後任は、大後監督の教え子である現ヘッドコーチの中野剛氏(50)が務める。

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 予選会で日本人1位だった東農大のスーパールーキー前田(1年)は7区で起用されたが、区間13位にとどまった。

 昨年11月下旬に膝、12月に入って腰を痛めて離脱。ランニングを再開したのが2週間前で万全ではなかった。

 「準備ができる期間ではなかった。監督、コーチが自分のことを信頼して7区で起用してくれた。最低限つなぐ役割は果たせたが、自分としては納得していない」と悔しそうだった。

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 過去3度の優勝を誇る伝統校・山梨学院大が最下位に沈んだ。

 復路は15位からスタートしたものの、徐々に順位は下降。前回の14位を下回る成績で厳しい現実を突きつけられた。

 飯島理彰監督(52)は「6区、7区で流れに乗れなかった。流れから落ちたら駅伝にならない。厳しい局面で厳しい練習をした差が出る。私にも課題がある」と反省の言葉を口にした。

(以上 スポニチ)


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