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箱根駅伝・復路 ≪速報記事4 ≫

2024年01月03日 21時37分25秒 | スポーツあれこれ
 往路を制した青学大が復路も圧倒し、第100回の記念大会を10時間41分25秒の大会新記録で2年ぶり7度目の総合優勝を果たした。2位の駒大に6分35秒差をつける圧勝だった。

 レース後、原監督は選手たちの手で掲げられ、胴上げで3度宙を舞った。優勝インタビューで原監督は優勝会見では「“負けてたまるか!大作戦”と称して2日間戦ってきたが、12月前半から中盤にかけて、(インフルエンザにかかる選手が続出し)箱根で優勝なんかできっこない、そんな悪いチーム状況だった。それが3週間の中でなんとか学生の奮闘をもって優勝できた」と学生達をたたえ、「これも20年間かけて、原メソッドを、7年前から大学院に通わせていただいて、メソッドを体系化させてデータ化させた。その基本軸があったからこそ、柔軟に対応することができた。その結果として大会新での優勝につながったと思う」と、胸を張った。

 原監督の采配もズバリと的中した。往路を新記録で制し、2位駒大と2分38秒差で迎えた復路は、全員が初の箱根となる挑戦的な布陣で挑んだが、6区の野村昭夢(3年)が区間2位の快走をみせると、7区の山内健登(4年)も区間3位と崩れず。8区の塩出翔太(2年)は歴代3位のタイムで区間賞を獲得し、ついに駒大との差を5分33秒差に。9区の倉本玄太(4年)も区間賞の走りをみせると、アンカー10区の宇田川瞬矢(2年)も安定した走りで、歓喜のゴールテープを切った。

 昨季は駒大に3冠を許し、今季も出雲5位、全日本2位と圧倒的な強さをみせる駒大の前に苦渋をなめてきた。しかし、15年からの4連覇以降、2年連続箱根V逸のないフレッシュグリーンの軍団は、得意の箱根で復活を遂げた。


 原晋監督の采配もズバリと的中した。往路を新記録で制し、2位駒大と2分38秒差で迎えた復路は、全員が初の箱根となる挑戦的な布陣で挑んだが、6区の野村昭夢(3年)が区間2位の快走をみせると、7区の山内健登(4年)も区間3位と崩れず。8区の塩出翔太(2年)は歴代3位のタイムで区間賞を獲得し、ついに駒大との差を5分33秒差に。9区の倉本玄太(4年)も区間賞の走りをみせると、アンカー10区の宇田川瞬矢(2年)も安定した走りで、歓喜のゴールテープを切った。往路、復路合わせて実に5区間で区間賞を獲得した。

 レース後、原監督は選手たちによる胴上げで3度宙を舞った。
 昨季は駒大に3冠を許し、今季も出雲5位、全日本2位と圧倒的な強さをみせる駒大の前に苦渋をなめてきた。しかし、15年からの4連覇以降、2年連続箱根V逸のないフレッシュグリーンの軍団は、得意の箱根で復活を遂げた。


 往路を制した青学大が復路も圧倒し、第100回の記念大会を10時間41分25秒の大会新記録で2年ぶり7度目の総合優勝を果たした。2位の駒大に6分35秒差をつける圧勝だった。

 レース後、原監督は選手たちの手で掲げられ、胴上げで3度宙を舞った。優勝インタビューで原晋監督は「12月の前半から中盤にかけて、チーム状況が非常に悪くて、シード取れるかどうかだった。私以上に学生達が優勝したい思いが強かったレース。学院創立150周年、監督就任20年、箱根駅伝100年、この3つのタイミングで優勝させていただいたこと、改めて大学関係者、高校の指導者、選手、OB、また妻の美穂、多くの人に支えられてこの日が迎えられたことをうれしく思う」と、喜びを噛み締めた。

 原晋監督の采配もズバリと的中した。往路を新記録で制し、2位駒大と2分38秒差で迎えた復路は、全員が初の箱根となる挑戦的な布陣で挑んだが、6区の野村昭夢(3年)が区間2位の快走をみせると、7区の山内健登(4年)も区間3位と崩れず。8区の塩出翔太(2年)は歴代3位のタイムで区間賞を獲得し、ついに駒大との差を5分33秒差に。9区の倉本玄太(4年)も区間賞の走りをみせると、アンカー10区の宇田川瞬矢(2年)も安定した走りで、歓喜のゴールテープを切った。

 昨季は駒大に3冠を許し、今季も出雲5位、全日本2位と圧倒的な強さをみせる駒大の前に苦渋をなめてきた。しかし、15年からの4連覇以降、2年連続箱根V逸のないフレッシュグリーンの軍団は、得意の箱根で復活を遂げた。


 ライバル駒大の2季連続3冠を阻む会心の勝利に、原晋監督も上機嫌。「青山学院が勝つ時は大輪を咲かせる勝ち方をする。大作戦は勝ったんですから、200%どころじゃなく300%いただけるんじゃないですか!みんな勝つを思ってなかったでしょ?予期せぬ胴上げだったんで、ダイエットしておけばよかった」と、周囲を笑わせた。

 そして再びの黄金時代を予告。「もう一度4連覇、あるいは5、6連覇。前人未到の中大の6連覇を目指して取り組んでいこうかな。それと10時間40分を切っていきたいなと思います」と、高らかに宣言した。


 往路を制した青学大が復路も圧倒し、第100回の記念大会を10時間41分25秒の大会新記録で2年ぶり7度目の総合優勝を果たした。大会前は「駒大1強」とさえいわれた2位のライバルに6分35秒差をつける圧勝劇。原晋監督(56)の妻で寮母の美穂さん(56)は、大会後に取材に応じ「学生達の頑張りにビックリした。20年やってきて、こんなことがあるんだな」と感慨を込めた。

 美穂さんも下馬評を覆した選手のここまでの頑張りは想定外だったと明かしつつ、「駒大さん1強と言われた中で、(駒大の駅伝連続Vの)記録を阻止できるのは私たちしかいないと話していた。(前日に)往路優勝したときはウルっときました」と目を潤ませた。

2004年4月の監督就任当初は「箱根駅伝には行きたいけど、行けるわけない」という“負け犬根性”がまん延していた弱小チームを常勝軍団に引き上げた。門限や就寝時間など“箸の持ち方”から教えなければいかなかった学生達は、自ら考え、自らを律し、勝つ集団へと成長を遂げた。原マジックの一部始終を見届けてきた美穂さんは「最初は言われないとできない子たちだった。20年前の私がここ(今のチーム)に来たら、ビックリすると思う」と感慨深げに振り返った。

 昨季は駒大に3冠を許し、今季も出雲5位、全日本2位と圧倒的な強さをみせる駒大の前に苦渋をなめてきた。昨年までけん引したエース級がこぞって卒業した中、大会直前の12月上旬にはインフルエンザに集団感染。シード権(10位以内)争いが現実的とさえ覚悟した戦いで、フレッシュグリーンの軍団は得意の箱根で復活を遂げた。

 原監督は胴上げで3度宙を舞い、優勝インタビューでは「12月の前半から中盤にかけてチーム状況が非常に悪くて、シードを取れるかどうかだった。私以上に学生達が優勝したい思いが強かった。学院創立150周年、監督就任20年、箱根駅伝100年、3つのタイミングで優勝させていただいたこと、改めて大学関係者、高校の指導者、選手、OB、また妻の美穂、多くの人に支えられてこの日が迎えられたことをうれしく思う」と、喜びを噛み締めた。

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 連覇を狙った駒大は青学大と6分35秒差の10時間48分0秒で2位に終わり、史上初の2季連続3冠はならなかった。

 誤算が続いた。往路は1区に篠原倖太朗、2区に鈴木芽吹主将、3区に“怪物”佐藤圭汰と“3本柱”を並べて、先行逃げ切りを狙ったが、青学大の2区黒田、3区太田の区間賞激走によりプランが崩れると、往路制覇に失敗した。

 2分38秒差で臨んだ復路も、6区に前回区間賞の伊藤蒼唯(2年)を起用できず、帰山侑大(2年)は区間12位と不発。7区の安原太陽(4年)、8区赤星雄斗(4年)は区間4位、9区花尾恭輔(4年)は区間5位だったが、首位青学大の背中はどんどん遠のいていった。

 箱根経験者は駒大が10人中8人、青学大は10人中3人だった。経験でも圧倒していたチーム力をうまく生かすことができず、レース後、藤田監督は「総合優勝を狙っていた中で2番。満足はできない。初めて監督として迎えた箱根で優勝に導けなかった。反省がすごくあります」と、唇を噛み締めた。

 「箱根はやはり難しい。3区の佐藤圭汰が競り負けたことでみんなビックリしてしまった。終わった後は涙だった。あそこからチームとして想定が狂ってきた」と振り返り、来季以降を見据え「引き続き強いチームを作っていくつもりでがんばっていきたい」と、前を向いた。

 佐藤は「自分のところで逆転されてしまって、チームに申し訳ない。“来年しっかりリベンジしてくれ”と、言ってくださったので、自分が引っ張っていきたい」と、誓った。


 勝ち続けた反動か。今大会まで昨年の箱根駅伝4区から21区間連続区間1位通過の驚異的記録を保持し続けてきた。しかし、3区の佐藤で久々にライバルの“背中”を見る形となると、その後は全区間で差を広げられる形となった。

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 最優秀選手賞にあたる金栗四三杯には、5区で1時間9分14秒の区間新記録をマークし、区間賞に輝いた城西大の山本唯翔(4年)が選ばれた。「MVPの賞に選出していただきありがとうございます。今後の競技人生においてもいい経験になる」と頬を緩めた。

 前回大会でも5区区間新を記録し、異名は“山の妖精”。櫛部静二監督(52)が、運営管理車から激励で送った「“山の妖精”になろうぜ」が定着した。

 今大会は往路3位でタスキを受け取ると、雨が降りしきる悪天候にもかかわらず、青学大との差を18秒、駒大とは1分30秒縮める快走。城西大初の総合3位に導き「総合3位の目標を1年間掲げて取り組んできた。チーム目標に対して積極的に練習、生活面で取り組んだことがつながった思う。後輩達にいい形でつなぐことができた。総合3位の結果はうれしい」と喜んだ。

 今後はスバルに入社し、マラソンでの28年ロサンゼルス五輪出場を目標に掲げる。「(五輪予選の)MGCに向けてマラソンを走れるような体作り、準備をして、五輪に出場できるように。五輪では表彰台に登れるように頑張りたい」と力を込めた。 

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 国学院大は5位に入り、来年のシード権を獲得した。9区で起用された吉田蔵之介(1年)は区間7位で完走し、貢献した。

 父は人気音楽グループ「ケツメイシ」のリーダー、大蔵。レース前に父からは「緊張してると思うけど、夢の舞台だから頑張れ」と声を掛られたという。重要なレースの前に聞く曲は「覚悟はいいか」。「絶対に勝負するレースの時にしか聞かない。好きなフレーズは全部」。来た道を信じ、自分らしく、持てる力を全て出した、初めての箱根路だった。

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 天国の友に捧げるシード権だ。法大は往路9位から復路でも堅実な走りでタスキを繋ぎ切り、6位でシード権を獲得した。

 昨年8月にエース候補だった2年生の高橋彰太さんが急逝。レースパンツに喪章をつけての戦いだった。復路では6区の武田和馬(3年)が豪快に山を下り区間賞を獲得。チームに一気に勢いをつけると、高橋さんの同級生の7区の矢原倖瑛(2年)、8区の清水郁杜(2年)が区間9位と粘走。9区の稲毛崇斗(4年)は区間6位の好走で、アンカーの宗像直輝(4年)へ。安定したペースを刻み、友が天から見守る大手町のゴールへ飛び込んだ。

 坪田監督は「復路は武田がいいスタート切ってくれた。それを残り4人が繫いでくれた。目標の5位には届かなかったが、昨年より順位1つ上げられた。評価できる」と振り返り、高橋さんについては「8月に高橋彰太がいなくなって、みんな気持ちは1つになって走ってくれた。彰太の分までという形で。私も声掛けで『1人じゃないんだよと、苦しい時は一緒に走っているとイメージしながら最後まで走ろうよ』と。(エントリーの)16人プラス1、高橋と一緒に走れたんじゃないかなと思います」と、思いを語った。 

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 上位10校のシード権を巡る争いは明暗が分かれた。史上最多タイの16校による復路一斉スタートとなり、見た目の順位と実際の順位が違う中で繰り広げられたし烈な戦いは9位に帝京大、10位に大東大が入り、シード権を確保。11位東海大、12位国士舘大、13位中大は無念のシード落ちとなった。 

 9区終了時点では11位だった大東大は、アンカー佐々木真人(3年)が力走し、東海大を逆転。9年ぶりにシードを獲得した。

 大東大の真名子監督は8区区間最下位23位により一時11位のシード権外となった展開を振り返り「本当にホッとしてます。一時はどうなることやらと頭が真っ白になった」と率直に明かし「9、10区が頑張ってくれた。ようやくシード権獲得とともに伝統が戻ってきたと思う」と、胸をなで下ろした。


 上位10校のシード権を巡る争いは明暗が分かれた。史上最多タイの16校による復路一斉スタートとなり、見た目の順位と実際の順位が違う中で繰り広げられたし烈な戦いは9位に帝京大、10位に大東大が入り、シード権を確保。11位東海大、12位国士舘大、13位中大は無念のシード落ちとなった。9区終了時点では11位だった大東大は、アンカー佐々木真人(3年)が力走し、東海大を逆転した。

 9位帝京大以降は先にゴールをしても、なかなか順位が確定しない状況が続き、SNSでは「シードの展開に追いつけていない」、「なんて熱いシード権の決まり方」、「し烈だったなぁ」、「こんなに長いことシードがはっきりしないことあったっけ?」と、騒然となっていた。

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 9区終了時点では10位だったが、アンカーのロホマンが区間20位に終わり、大東大に逆転を許した。東海大の両角監督は「結果11番ということで非常に悔しい結果だった。学生がシードに入っていかないといけないということで焦りがあったかなと思う。選手は精いっぱいやってくれた。次に繋げていきたい」と、振り返った。

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 上位10校のシード権を巡る争いは明暗が分かれた。史上最多タイの16校による復路一斉スタートとなり、見た目の順位と実際の順位が違う中で繰り広げられたし烈な戦いは9位に帝京大、10位に大東大が入り、シード権を確保。11位東海大、12位国士舘大、13位中大は無念のシード落ちとなった。

 前回大会2位の優勝候補で、まさかの往路13位から巻き返しを狙った中大は6区の浦田優斗(3年)が区間5位の快走で10位に浮上すると、7区ではエース吉居大和(4年)の弟・吉居駿恭(2年)が歴代3位タイムでの区間賞の激走をみせた。

 しかし、8区の阿部陽樹(3年)が区間22位の大ブレーキで12位に後退。9区の白川陽大(2年)も区間16位で万事休した。直前の最終合宿でエントリー16人のうち14人が風邪を罹患。無念の結果となった。

 レース後、藤原監督は「1年経ってこんなことしかできてない。自分自身も少し考えたい」と神妙に語り、エースの吉居大ら4年生についての思いを問われると「期待に応えてくれてきた世代だけに、こういう形で終わらせてしまって情けない」と、うつむいた。

 次期エースとなる吉居駿ら走りについては「やろうとしてきた強化の仕方は間違っていなかったのではないかと感じてます」とした上で「隙を作ってしまったのはすべてマネジメント側のミス」と、頭を下げた。


 レース後、藤原監督は「直前に体調不良者がたくさん出て、地獄のような10日間だった。長かったです」と、振り返った。8区でブレーキとなった阿部についても「阿部が体調崩していた。1キロ3分20秒でいいからとにかく繋げよう、と言って見守っていました」と、語った。


 直前に集団体調不良に見舞われ、13位のシード落ちに終わった中大。ただ、7区の吉居駿恭(2年)が1時間2分27秒と歴代3位(パフォーマンス4位)のタイムで区間賞の快走を獲得するなど、来季への光もあった。

 吉居駿は序盤から快ペースで飛ばし、区間賞ペースでさらなる追い上げをみせた。中盤から右脇腹を抑え、苦悶(くもん)の表情に変わったが、それでもペースは落とさず。

 残り3キロで往路2区を走った兄の大和から給水を受けて、並走しながら言葉をかけ合った後、左手をあげてラストスパートに入った。兄弟によるタスキリレーはならなかったが、箱根路に確かな絆を繫いだ。

 兄からの給水に「“区間賞ペースでいってるぞ”と。ペース落ちていたので“頑張れよ”ということかなと思ったんですけど、本当に区間賞が取れて良かったです。頑張るぞという気持ちになりました」と、感謝。これが最後の箱根となった兄・大和は「悪い流れを断ち切ってくれた。苦しい状況の中で、粘って区間賞は簡単なことじゃない」と、目を細めた。

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 今大会を持って大後栄治監督(59)が勇退となる神奈川大は21位に終わった。

 レース後、97、98年連覇の実績を誇る名将は「勝つことが難しい大会で、2回も勝つことができたことは誇り。選手たちも誇りに思ってほしい」と、感慨深そうに語った。

 退任の理由については「大学はあと5年で100周年。そこまではと言われたが、箱根駅伝の100回をけじめに、と。2年前から準備していた。自分も歳をとっていくので男らしく退き時だなと」と、説明。「少しずつ寂しくなると思うが、今日無事に大会を事故なく終えられてホッとしている」と、穏やかに語った。

 中野剛ヘッドコーチが後任となる。

(以上 デイリー)


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