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箱根駅伝・復路 ≪速報記事1 ≫

2024年01月03日 21時49分15秒 | スポーツあれこれ
◇第100回東京箱根間往復大学駅伝競走復路 (3日、神奈川・箱根町芦ノ湖スタート~東京・千代田区大手町読売新聞社前ゴール=5区間109・6キロ)
 
 青学大が2年ぶり7度目の総合優勝を飾った。往路で5時間18分14秒の新記録で圧勝した青学大は復路も圧巻の走りを続け、10時間41分25秒の大会新記録で箱根路を制した。昨季、学生駅伝3冠を果たし、今季も出雲駅伝(昨年10月9日)と全日本大学駅伝(昨年11月5日)を圧勝して学生3大駅伝5連勝中だった王者の駒大を真っ向勝負で打ち破った。

 往路優勝した青学大と2位の駒大は2分38秒、距離にして約900メートルの大差があった。青学大の復路5選手は全員が箱根駅伝初出場であることが唯一の懸念材料だったが、それは無用の心配だった。

 「トップを走ることを重圧に感じるのではなく楽しもう」。原晋監督(56)直伝の「ピクニックラン」が機能した。

 山下りの6区で野村昭夢(3年)は区間2位、7区の山内健登(4年)は区間3位、8区の塩出翔太(2年)は区間賞、9区の倉本玄太(4年)も区間賞。区間を重ねるごとに駒大との差は開いた。

 最終10区の宇田川瞬矢(2年)は1~9区の選手9人、いや、チーム全員の仲間がつくった6分22秒の大差に守られ、栄光のウィニングロードをひた走り、2年ぶり7度目の優勝のゴールテープを切った。

 青学大は1年前の第99回大会では3位。優勝した駒大に7分14秒の大差をつけられて完敗した。

 近藤幸太郎(現SGH)、岸本大紀(現GMO)、横田俊吾(現JR東日本)ら有力選手が卒業して始まった今季、原監督は「ひとつ間違えるとシード落ちもあるよ」と厳しい表情で選手たちに訴えていた。

 選手も覚悟を持って23年度シーズンに入った。「全員が危機感を持って夏合宿に臨みました」と主将の志貴勇斗(4年)は表情を引き締めて話した。
 「夏を制する者が箱根を制する」という格言がある。夏合宿で泥臭く走り込んだ結果、チームは急成長した。

 しかし、今季も出雲駅伝5位、全日本大学駅伝2位で、学生駅伝で5連勝の駒大に屈した。「駒大とは圧倒的な差がありました」と原監督は完敗を認めざるをえなかった。

 ただ、収穫もあった。黒田朝日(2年)が出雲駅伝、全日本大学駅伝で好走し「新・駅伝男」を襲名。箱根路では抜群の強さを誇る「駅伝男」の太田蒼生(3年)は昨年の夏合宿では1、2年時をはるかに上回る練習を積み、地力が大きく増していた。2人の「駅伝男」が2区と3区で駒大エースの鈴木芽吹(4年)、佐藤圭汰(2年)を圧倒する走りで王者を止めた。

 実は1か月前、インフルエンザに集団感染する大トラブルがあった。「就任20年で、この時期にインフルエンザ集団感染なんて初めてですよ」と原監督は頭を抱えたが、すぐに次善策に切り替えた。インフルエンザに感染した選手を隔離した上で完全静養に努めた。

 3日間は一歩も走ることなく、治療に専念。幸い、1週間後には練習を再開できた。

 インフルエンザ感染に加え、さらにダメージを受けていたのが佐藤一世(4年)だった。昨年12月中旬に虫垂炎を発症。練習の中断期間はさらに延びた。原監督は「一世は起用できないかもしれない。起用できたとしても7区か8区かな」と漏らしたこともあった。

 「負けてたまるか!大作戦」を思いついたのは、チーム状況がどん底の頃だった。「駒大は本当に強い。ひとつ、間違えると、レースの序盤で心を折られる。出場する選手、サポートする選手、マネジャー、スタッフがチーム一丸となって『負けてたまるか!』という強い気持ちで第100回箱根駅伝に挑みます。名付けて『負けてたまるか!大作戦』です」と高らかに宣言した。

 「ここからが私の腕の見せ所ですよ」と原監督は、これまで成功してきた調整パターンを捨て、選手の体調をじっくり観察した上で練習をアレンジ。大一番に備えた。

 大一番の直前になり、チームの状況は急上昇し、圧勝につなげた。「ひとつ間違えればシード落ちもあり得たチームが強くなった。青学大の選手は最高ですよ」と原監督は感慨深い表情で話す。

 その上で「12月はこれまでに比べて練習量を7~8割に落とした。こんなやり方があるのか、と私自身もまた学びました。これは使えますよ」とニヤリと笑った。「負けてたまるか!大作戦」は大成功した。

 青学大は箱根駅伝に初優勝した2015年以降、2年連続で優勝を逃したこともない。今回も、その「伝統」を守った。

 100回目を迎えた伝統の継走。最近10年で7勝を誇る。青学大の時代は続く。


 10時間41分25秒の大会新記録で、2年ぶり7度目の総合優勝を飾った青学大の原晋監督と優勝メンバー10選手が、中継局の日本テレビ放送網の優勝インタビューに応じた。

 東京・大手町で優勝回数と同じく7度宙を舞った原監督は「(昨年)12月の前半から中盤にかけてチーム状況は非常に悪くて、シード権を取れるかどうかだった。そこからの3週間で学生が優勝したいという思いが強かったですね。学院創立150周年、私も監督就任20年、そして箱根駅伝100回大会。この3つの節目で優勝させて頂いて、多くの人に支えられてこの日を迎えられて本当にうれしく思います」と胸の内を語った。

 1区で区間9位の荒巻朋熙(2年)は「個人としては、(首位と)20秒以内で最低でも渡したかった。2区から10区の選手がすごいいい走りをしてくれて優勝できてよかったです」と笑った。

 エースの集う花の2区で区間賞の黒田朝日(2年)は「自分の走りを貫けた結果、区間賞の走りができたんじゃないかなと思います。10人全員が、100%以上の力を出して走った結果が総合優勝につながったと思います」と胸を張った。

 3区区間賞で先頭に立った太田蒼生(3年)は「本当に全員で勝ち取った総合優勝だなと思います。1、2区の後輩達がいいところで持ってきてくれたので、あとは僕が仕事を果たすだけだった」と冷静に振り返った。

 4区区間賞の佐藤一世(4年)は「2年前の総合優勝もうれしかったが、4年生の世代で優勝するのは特別なものだなと今感じています。苦楽をともにした同期のおかげでここまでこれたと思うので、感謝を伝えたいです」と目を潤ませた。

 山上りの5区で、区間新記録の区間2位で往路Vのゴールテープを切った若林宏樹(3年)は「うれしい気持ちが一番。本当に楽しく上ることができました」と笑った。

 山下りの6区で区間2位の野村昭夢(3年)は「スタート前からやっぱり、僕がゴールした時に(2位駒大と)3分以上開きたかったが、リードを広げられたよかった」と安どの笑み。

 7区区間3位の山内健登(4年)は「箱根駅伝を走りたいと思って入学してきたので、最後の学年で走って優勝できたのでうれしいです」と感慨深げ。
 8区で区間賞を獲得した塩出翔太(2年)は「入学当初に掲げた目標をかなえられたので、本当にうれしいです」とうなずいた。

 10区で、第100回大会の栄光のゴールテープを切った宇田川瞬矢(2年)は「先輩方がすごい差で来てくれて。ピクニックランというか本当に楽しく走れました。同期と先輩達のおかげで優勝できたので感謝の気持ちでいっぱいです。ずっと夢に見ていたゴールの瞬間で、皆が待っているのはうれしかったですね」と目を輝かせた。


 10時間41分25秒の大会新記録で、2年ぶり7度目の総合優勝を飾った青学大の原晋監督と優勝メンバー10選手が、優勝会見に出席した。

 原監督は冒頭で「1月1日の(能登半島)震災において本来であれば、家族だんらんでお正月はおせちを食べながら箱根駅伝をご覧頂ける方が数多くいらっしゃったと思います。しかし、あのような災害で苦しんでいる中、今大会を開催して頂いて誠にありがとうございました。12月前半から中盤にかけて、箱根優勝なんかできっこないチーム状況でした。3週間で何とか学生の奮闘を持ってして、優勝ができました。20年かけて原メソッドを体系化させた基本軸があるからこそ、12月のトレーニングを柔軟に対応できて、結果として大会新記録で優勝することができました」などとあいさつした。

 1区で区間9位の荒巻朋熙(2年)は「自分の走りを振り返ると、目標の最低20秒以内には届かず、少し目標に及ばない走りになりましたが、1年通してもチームや支えてくれる人たち、特に4年生に支えられたと思っています。(前半)ハイペースで入って、後ろの集団に追いつかれて。支えて下さった4年生のことを思い出して、何とか2区に渡すことができました。チームに感謝しています」とうなずいた。

 エースの集う花の2区で区間賞の黒田朝日(2年)は「荒巻が9位で持ってきてくれて、追う展開の中で走り出した。レースプランとしては前半は余裕を持って、権太坂から上げていく、だった。大集団での走りになりましたが柔軟に対応して、自分の走りを貫いて理想的な走りができた。区間賞で、日本人歴代2位の走りができて会心の走りだった」とほおを緩めた。

 3区区間賞で先頭に立った太田蒼生(3年)は「今回のレースは想定通り。自分だけじゃなくて1、2区が良い位置で持って来てくれたからこそ。総合優勝は素直にうれしいですし、2連覇、3連覇への第一歩が踏めた。区間賞で1時間を日本人で初めて切れたことは、自信にもなります」と胸を張った。

 4区区間賞の佐藤一世(4年)は「レース内容としては1、2、3区が先頭で持って来てくれたので、後続と引き離して楽しんで走るだけだなと思いました。後半きつくなったんですけど、青学大で走る最後のレースになるとか、走れなかった同期のことを思い出したら力がわいてきた。本当に全員で勝ち取った総合優勝かなと思います」と頭を下げた。

 山上りの5区で区間2位の若林宏樹(3年)は「想定していた順位ではなくて、1~4区が最高のパフォーマンスをしてくれたおかげで、リラックスして走れました。沿道の声援から元気や勇気をもらって、最後の下りで何とか体が動いてペースアップできました」と感謝の思いを口にした。

 山下りの6区で区間2位の野村昭夢(3年)は「往路組が頑張ってくれて、2分以上のタイム差をさらに引き離すことが仕事だと思って走っていた。想像以上に体が動いて、4分以上の差をつけられたのは良かった。個人としては57分台を出せなかったのと、区間賞が取れなかったのは悔しいです」と苦笑いした。

 7区区間3位の山内健登(4年)は「往路組と野村が先頭でタスキを持ってきてくれて、2位校(駒大)と差を広げようと思って、最初から突っ込んで走れたのは良かった。最後、上りでペースが落ちてしまったのが悔しいが、総合優勝できたのはうれしく思います」とうなずいた。

 8区区間賞の塩出翔太(2年)は「7区の山内さんが笑顔でタスキを渡してくれて、やるしかないと思って走れました。区間賞と青学大記録を切れたので、素直にうれしいです。9区の高校の先輩にタスキを渡せてうれしい」とにこやかに話した。

 9区区間賞の倉本玄太(4年)は「走る前から区間記録を持っている(青学大OBの)中村唯翔さんの記録を超えようと、後ろを突き放そうと走りました。後半本当にきつくて、タイムが伸びずでしたが区間賞で後ろを突き放せて最低限の仕事はできた。1~8区が良い走りでタイムが開いた状態で渡してくれたのが良かった。最初で最後の箱根で区間賞で終われたことは最高でした」と満面の笑みを浮かべた。

 10区区間2位の宇田川瞬矢(2年)は「個人としては、良くない結果で終わってしまいました。6分半の差でタスキが来て、1~9区の先輩、同期に本当に感謝しています。(区間記録を持つ青学大OBの)中倉啓敦さんの記録を切りたいとスタートしましたが、スタミナに課題がまだあった。今回の結果はとてもうれしく思っています」と節目の第100回での総合優勝を喜んだ。


 青学大が2大会ぶり7度目の総合優勝を飾った。

 往路の3区で駒大から首位を奪取すると、5時間18分14秒の新記録で圧勝。復路でもリードをどんどんと広げて独走し、10時間41分25秒の大会記録で箱根路を制した。

 胴上げで7度、宙を舞った原晋監督は「12月の前半から中盤はチーム状況非常に悪く、シード権が取れるかくらいだった。学生たちが本気で箱根駅伝に向き合ってくれたこと、私以上に学生たちの思いが強かった」と喜びを口にした。

 昨季、3大駅伝(出雲、全日本、箱根)3冠を果たし、今季も出雲駅伝と全日本大学駅伝を制した駒大を打ち破り、10時間43分42秒の大会記録を塗り替えた。指揮官は「学院創立150周年、私が監督就任20周年、箱根駅伝が100周年という年。大学関係者、高校の指導者、学生、OB、妻、いろいろな方に支えられ、この日を迎えられたことを本当にうれしく思います」と感謝を述べた。


 青学大が2年ぶり7度目の総合優勝を飾った。往路で5時間18分14秒の新記録で圧勝した青学大は復路も圧巻の走りを続け、箱根路を制した。

 青学大は1年前の第99回大会は3位。優勝した駒大に7分14秒の大差をつけられて完敗した。

 その5日後。23年1月8日に行われた赤羽ハイテクハーフマラソン(東京・北区)に青学大は、駒大、順大などともに出場した。各校の出場メンバー以外の選手が参加し、第99回箱根駅伝の「11区」と呼ばれたレースで活躍したのは青学大勢だった。

 塩出翔太(当時1年、現2年)が1時間2分55秒の当時自己ベストで学生トップを取った。

 小原響(当時3年、現4年)が1時間3分3秒で学生3位、倉本玄太(当時3年、現4年)が1時間3分13秒で学生4位に続いた。

 第99回箱根駅伝の「11区」で区間賞となった塩出は全く笑顔を見せなかった。前回、塩出は9区に登録されたが、当日変更でエース格の岸本大紀(現GMOインターネットグループ)と交代し、出番なしに終わった。

 「箱根駅伝に出られず、本当に悔しかった。高校(広島・世羅高)の同級生の森下翔太(明大3区4位)や、小学生の頃から知っている伊藤蒼唯君(駒大6区区間賞)が活躍している姿を見て、本当に悔しかった。僕も箱根駅伝に出場すれば、しっかりと走れていた、ということを証明したかった。きょうは絶対に学生で1番になるつもりでした。来年こそ箱根駅伝を走りたい。青学大の優勝に貢献します」。塩出は目をギラギラさせて話していた。

 原晋監督(56)も塩出らの奮闘を高く評価した。「目標としていた箱根駅伝を走れなかったと直後という気持ち的に難しい状況の中で、しっかりと頑張れる選手は信頼できる」とたたえた。

 1年後。第99回箱根駅伝「11区」で踏ん張った青学大は第100回箱根駅伝で躍動した。

 塩出は8区で歴代3位の1時間4分の好記録で区間賞を獲得した。その塩出からタスキを受けた倉本も9区で区間賞と健闘した。

 小原が3区登録から当日変更で出番なしと終わったが、4年目にして初めて16人の登録メンバーに入り、チームの底上げに貢献した。

 第99回箱根駅伝で駒大に完敗してからわずか5日後。第100回大会に向けた青学大の逆襲は静かに始まっていた。

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 主催の関東学生陸上競技連盟は閉会式で、今大会の最優秀選手(MVP)にあたる「金栗四三杯」を城西大・山本唯翔(ゆいと、4年)に授与することを発表した。山上りの5区で、2年連続の区間新記録を樹立し、城西大を過去最高の総合3位へと導いた。大会関係者は、選考理由を「今大会唯一の区間新記録。雨天で気温が低い中で、価値のある区間新記録だと選考されました」と説明した。

 記者会見に出席した山本は「このような賞を受賞できて、感謝しております。今後の競技人生においても、すごく良い経験になったと思います」と笑顔で語った。

 大学卒業後の4月からは、実業団のSUBARUへ進んで陸上競技を続ける。「マラソンでチャレンジしたい。次の(五輪代表選考会の)MGCに向けてマラソンを走れる体作りをしたい。(28年ロサンゼルス)五輪の表彰台に上れるように頑張りたい」と表情を引き締めた。

 今季の城西大は昨年10月の出雲駅伝で3位、11月の全日本大学駅伝で5位と共に過去最高成績を更新。第100回箱根駅伝も山本の活躍もあり、過去最高の総合6位(2010年、12年)を上回る総合3位へと躍進した。「皆が真剣に取り組んできたことが今回の結果につながったと思う。来年度の後輩達に、いい形でつなぐことができたと思う。うれしく思います」と山本は胸を張った。

 5区の区間記録を更新した昨年大会で、櫛部静二監督から「山の妖精」の異名を授かった。「1年間しっかり準備してきていた。5区に対する思いは誰よりも強く持って来ていた。山の神にはなれなくても、今の区間記録を打ち立てられたこと、皆さんの記憶に残る走りができたことはうれしく思います」。優勝には届かなかったが、令和のクライマーとして鮮烈な印象を残せたことに満足感を漂わせた。

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 1位の青学大と6分35秒差の10時間48分0秒で2位だった駒大の藤田敦史監督は「2番で満足はできないが、初めて監督として迎えた箱根駅伝で選手たちを優勝に導くことが出来なかったので、そこの反省が大きい」とコメント。

 史上初の学生3大駅伝(出雲、全日本、箱根)2季連続3冠を逃し、「このままでは終われないし、駒沢は引き続き強いチームを作っていくつもりで、チーム一丸となってやっていきたい」と言葉に力を込めた。

 主将の鈴木芽吹は「優勝だけを目指してきたので悔しいです」と言葉を絞り出した。

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 6位から復路をスタートした国学院大は総合5位で今大会を終えた。

 総合3位を目標に掲げてきたが、わずかに届かず。前田康弘監督は「価値のある5位。チームの強さは見せられたかなと思うんですけど、選手達は報告会でみんな泣いてるくらいだから、満足してないです」と話した。

 各校のエースが集結する花の2区で区間3位と好走した平林清澄(3年)が新主将に就任。来年の箱根で“リベンジ”に挑む。次回、目指すは「優勝」のみで、指揮官は「もうここで仕留めに行くぞというつもりで。(青学はじめ他大学も)めちゃくちゃ強いですけど、頑張ります」と宣言。平林を主将に任命した理由も「優勝したいからです」とズバリ言い切った。

 チームの未来を託された平林は「正直、自分が今、優勝に向けて気持ちが強いと思っているので、その気持ちを後輩たちに、チームに伝えながらやっていきたい。締まった雰囲気の、きゅっとした国学院を作って行きたい。来年はここで泣くことなく、全員で笑って終われるように。そういうチームを作っていきたい」と覚悟を口にした。


 総合5位で終えた国学院大では、9区で前田監督期待のルーキー・吉田蔵之介(1年)が箱根デビューを果たした。

 父は人気音楽グループ「ケツメイシ」のリーダー・大蔵。この日は父から「夢の舞台、楽しんでこい!」とエールをもらい、復路のエースが集う重要区間を走りきった。結果は1時間10分1秒の区間7位。「応援がうれしかった。走って楽しかった。(内容としては)ラスト1キロで(前の)法大の選手に離された。まだまだ実力不足。4年生の他大学の先輩方に全然かなわなくて、やっぱりまだまだ自分の実力不足を感じた」と振り返った。

 レース前には必ず聞く勝負曲は「ケツメイシ」の「覚悟はいいか」。この日もいつものルーチンで気合いを入れた。沿道には父や知り合いの姿も。「声は聞こえなかったが、(姿が)見えたのでうれしかった。元気が出た」と、最後まで力強く駆け抜けた。

 中学2年生から陸上を始め、埼玉栄高時代には全国高校駅伝のアンカーも担った。当初は、父の存在で注目を集めたが、これからは自分の走りで名をとどろかせる。「お父さんがケツメイシと言われているので、それが逆になるくらい自分も走りでもっと強くなれるように頑張りたい」と誓った。

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 創価大は総合8位で、5年連続となるシード権を獲得した。

 7位から出た復路は6区・川上翔太(1年)が区間3位の走りで一時5位に浮上。榎木和貴監督も「チーム目標の総合3位以上を諦めずにスタートしようってところで、川上が5位まで押し上げてくれたのは、1年生ですごくいい仕事をしてくれた」と称賛の好スタートだったが、後続が思うように続かず、順位を落とした。

 指揮官は「7区まではうまく流れたんですけど、8区、9区とちょっと流れをまた止めてしまった。(全体を通して)波がありすぎた」と振り返った。目標には届かずも、粘りのレース運びでなんとか10位以内を死守。「シード権確保できたところは、今年1年につながる走りができたと思います」と話した。

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 帝京大は往路で12位と苦しんだが、復路で巻き返して総合9位に滑り込み、2年ぶりのシード復帰を果たした。

 7区の小野隆一朗(4年)が1時間2分44秒で区間2位の激走。今季、体調不良に見舞われ、本調子とはいかなかったエースが意地の走りでチームに歓喜をもたらした。「監督からの声かけで区間賞を意識した。あと一歩足りなかったけど、チームに良い流れを持ってくることができてよかった」
と振り返った。

 北海道・白糠町出身で、チームを率いる中野孝行監督(60)と同郷。進学を機に上京した小野を温かく迎えてくれたのが中野監督だった。「ずっと心強く指導してくれたおかげでここまでくることができたので感謝している。少しでも恩返しできたのならうれしい」とはにかんだ。

 指揮官は「(体調不良もあり)往路は厳しかった。それでもゲームチェンジャーとして7区に起用したのが功を奏したね。(白糠町の)町長も喜んでるんじゃないかな」と笑みがこぼれた。卒業後も競技を続け、マラソン挑戦を掲げるまな弟子に「まだまだ成長段階。これを通過点にもっと上のステージで活躍してほしい」と期待を込めた。(三浦 翔)

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 復路8位スタートの大東大が9年ぶりにシード権を獲得した。10位の東海大と4秒差で突入した最終10区で、佐々木真人(3年)が区間7位の激走をみせ、両手を広げて笑顔でゴール。2022年4月に就任した真名子圭(まなこ・きよし)監督は「どうなることやらと頭が真っ白になったが、感謝したい。山の大東という言葉を出してもらったが、シード権獲得とともに伝統が帰ってきた思う」と安どの表情を浮かべた。

 “山の大東”らしく、6区の佐竹勇樹(4年)は区間4位の58分24秒と好走し、続く7区の小田恭平(3年)も区間6位でチーム順位を7位に押し上げた。ところが、タスキを受けた真名子監督の仙台育英時代の教え子、P・ワンジル(3年)が8区で区間最下位と大失速し、シード圏外の11位に転落。復路一斉スタートの影響で見た目の順位と実際の順位が分かりにくい状況で、10位東海大と9秒の差がついた。

 9区大谷章紘(3年)は区間9位の走りで、東海大との差を4秒に詰めて最終10区に突入。逆転のシード権獲得を託された佐々木は、神奈川大の酒井健成(2年)と並走しながら、見えないシードへの秒差を追った。鶴見中継所から5・9キロ地点の蒲田で差は1秒に縮まり、13・3キロ地点の新八ツ山橋で逆転し、26秒のリードを作った。前を走る、ペースの上がらない東海大のR・シュモン(2年)の姿は最後まで見えなかったが、最終的に1分10秒差をつけて大手町のゴールに飛び込んだ。

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 東海大が最後に逆転を許してシード権を逃した。往路の16位から巻き返しを狙い8区、9区ではシード圏内の10位をキープ。4秒のリードで10区に突入したが、大手町に来たときは1分10秒引き離されて総合11位に終わった。

 両角速監督は「11番ということで悔しい結果でした」と絞り出した。一時はシード権獲得も見えていたが、「学生がどうしてもシードに入っていかないといけないという部分で焦りがあったかなと思うし…」と語った。さらに10位以内を長く維持することがシード入りには必要と強調した。

 「しっかり立て直したいですね。復活ののろしというテーマを持って今回臨みましたけども、やれることは精いっぱいやってくれた。次につなげたい」と予選会からとなる次回大会に向けて前を向いた。

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 神奈川大を35年にわたって指導し、箱根駅伝2勝、全日本大学駅伝3勝に導いた神奈川大の大後栄治監督は今大会を最後に勇退する。レース後は「今回が最後の指揮。思い出になる大会になるので、全部を目に焼き付けようと思った」とコメントした。

 総合21位でレースを終え、「何年やってもうまくいかないのが箱根なんですけど、感慨深いものがありました」と振り返った。

 大後監督は1989年に日体大大学院を卒業後、神奈川大のコーチに就任。以来、35年にわたってチームを指導してきた。92年、神奈川大を18年ぶりの箱根駅伝復活出場に導き、強豪校に育て上げた。97年大会では、予選会から勝ち上がり初優勝すると、98年大会で連覇を達成。96、97年の全日本大学駅伝も連覇し、一時代を築いた。

(以上 報知)


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第100回東京箱根間往復大学駅伝競走復路(3日、神奈川・箱根町芦ノ湖駐車場-東京・大手町=109・6キロ)

2年ぶり7度目の総合優勝を目指す青学大を先頭に、全23校がスタートした。青学大が往路で5時間18分13秒の大会新記録をマークしたため、史上最多タイとなる8位の大東大以下16校が一斉スタートとなった。

▼6区(20・8キロ)午前8時、号砲とともに青学大の野村昭夢(3年)がスタートした。2分38秒後に駒大、3分17秒後に城西大が追いかけると、10分後には、8位の大東文化大以下16校が一斉にスタートを切った。野村は安定した走りで山を下り、トップで7区の山内健登(4年)にたすきリレー。差を広げられた2位の駒大は4分17秒差、3位城西大は4分58秒差、4位東洋大は7分50秒差でたすきをつないだ。法大は武田和馬(3年)が同大77年ぶりの6区区間賞の快走で7位に順位を上げた。

▼7区(21・3キロ)青学大は好走の山内が先頭で平塚中継所に到着。8区の塩出翔太(2年)につなぐ。2位の駒大は4分44秒差とさらに距離が広がって赤星雄斗(4年)が走り出した。3位城西大は5分36秒差。9番目にたすきを受けた中大の吉居駿恭(2年)は5人を抜き、4番目に浮上する激走。区間賞に輝いた。

▼8区(21・4キロ)青学大・塩出は遊行寺坂のポイントを通過し、区間記録の1時間3分49秒を11秒上回るハイペースで先頭を独走。駒大・赤星は5分21秒差で同ポイントに到着した。急坂を越えて、塩出は区間賞の1時間4分で戸塚中継所入り。倉本玄太(4年)にタスキを渡した。2位・駒大は5分33秒差で花尾恭輔(4年)につないだ。山梨学院大は1位の通過後20分が経過したため、平八重充希(2年)が繰り上げでスタートとなった。

▼9区(23・1キロ)青学大・倉本は2位との差をさらに広げて横浜駅前を通過。城西大は大学史上最高の3位をキープしている。10位までのシード権争いは、ボーダーの東海大を大東文化大などが追いかける。青学大はアンカーの宇田川瞬矢(2年)に最後のタスキリレー。総合優勝を目指し、最後の23キロを走る。2位の駒大は6分22秒の差がついてアンカーへ。10位の東海大と11位大東文化大はわずか4秒差の激戦となっている。中央学院大、駿河台大、順天堂大、山梨学院大の4校が繰り上げスタートした。

▼10区(23・0キロ)沿道からの大声援を受けながら日本橋を抜けて、フィニッシュへ向かう。青学大はアンカーの宇田川も快走を続け、2022年の98回大会で同大が記録した大会記録を上回る10時間41分25秒でフィニッシュ。3区から首位を譲らない圧巻の走りで2年ぶりの総合優勝を果たした。2位・駒大は6分35秒差でフィニッシュテープを切った。城西大は大学史上最高の3位。4位は東洋大、国学院大が5位と続いた。熱戦を繰り広げていたシード権争いは、大東文化大が10位に入り制した。


往路1位の青学大が2年ぶり7度目の総合優勝に輝いた。3区から首位を譲らず、2022年の98回大会で同大が記録した大会記録を上回る10時間41分25秒でフィニッシュ。2位・駒大と6分35秒差をつける独走Vとなった。青学大陸上部長距離ブロックの原晋監督(56)の優勝インタビューは以下の通り。

--2年ぶりの頂点
「12月の前半から中盤にかけまして、チーム状況が非常に悪くて。シード権が取れるかどうか、それくらいのチーム状態だった。そこから約3週間で学生たちが本気で箱根駅伝に向き合ってくれた。私より学生が優勝したいという思いが強かったレースでした」

--節目の100回大会を制した
「ありがたいですね。青山学院創立150周年なんですね。私が監督就任20周年、そして箱根駅伝100年。この3つのタイミングで優勝させていただいたこと、改めて大学関係者、高校の指導者、学生、OB、妻・美穂、多くの人に支えられて今日この日を迎えられたことに本当に嬉しく思います」


各選手のテレビインタビューは以下の通り(9区・倉本は不在)。

◆1区・荒巻(2年、区間9位) 「個人としては10秒以内で最低でも渡したかった。少し実力不足が出た面があったかなと思うんですけど、2区から10区の選手がいい走りをしてくれて、優勝できて良かったです」

◆2区・黒田(2年、区間1位) 「前半の方は大集団での中での走りになったんですけど、その中でも自分の走りを左右されずに貫けた結果、区間賞の走りができたんじゃないかなと思います。10人全員が100%以上の力を出して走った結果が総合優勝につながった」

◆3区・太田(3年、区間1位) 「全員で勝ち取った総合優勝だなと思いますし、僕のところで先頭になりましたけど、1、2区の後輩たちがすごくいい位置で持って来てくれたので、後は僕が仕事を果たすだけだったので、(佐藤)一世さんにつなげたのが良かった」

◆4区・佐藤(4年、区間1位) 「2年前の総合優勝も嬉しかったんですけど、自分たちが4年生の世代で優勝するのは特別なものだなと感じます。僕達の世代は1年目からいろんなことがあって、苦楽を共にした同期なので、その同期のおかげで自分が今ここまで陸上をやってこれたので、感謝を伝えたいです」

◆5区・若林(3年、区間2位) 「(往路のフィニッシュテープを切った瞬間は)嬉しい気持ちが一番。1区から4区までの選手が最高のパフォーマンスをしてくれたので、本当に楽しく登ることができました」

◆6区・野村(3年、区間2位) 「スタート前から自分がゴールしたときに3分以上開いてたらいいなと思ってたんですけど、思いのほか動いて、駒澤さんとのリードを広げられて良かったなと思います」

◆7区・山内(4年、区間3位) 「入学するときから箱根駅伝を走りたいと思って入学してきたので、最後の学年でしっかり走って優勝できたので嬉しい」

◆8区・塩出(2年、区間1位) 「入学当初に掲げた目標を叶えられたので嬉しいです」

◆10区・宇田川(2年、区間2位) 「先輩方がすごい差で来てくれて、7分差あれば楽しく走れるかなと思ってんですけど、ホントにそれくらいの差で来た。(区間記録の)中倉(啓敦)さんの記録を超えようという気持ちで目標にして走ってたんですけど、なかなか自分の力が及ばず、貯金を伸ばすのではなく、使ってしまったのかなと思っているので、結果的に先輩たち、同期のおかげで優勝できたので、感謝の気持ちでいっぱいです。(フィニッシュテープが見えたときは)ずっと夢に見てたゴールの瞬間で、なかなか見られない貴重な体験をさせてもらった。本当にみんなが待っているというのは嬉しかったです」 

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青学大OBで陸上男子長距離の神野大地(30)が3日、自身のX(旧ツイッター)を更新。同日に開催された第100回東京箱根間往復大学駅伝競走復路で、2年ぶり7度目の総合優勝に輝いた母校・青学大を祝福した。

青学大は3区から首位を譲らず、2022年の98回大会で同大が記録した大会記録を上回る10時間41分25秒でフィニッシュ。神野は競技中も「すいません。なんでこんな青学強いか知ってる人いますか?笑」などと母校の快走へ反応し、優勝を決めると「青山学院大学総合優勝! #箱根駅伝強すぎるし、大会新記録も半端ないです。本当におめでとう!!✨✨🏆」と祝福した。

一方、大会前に優勝の本命とされていた駒大は青学大に6分35秒差をつけられて2位。そんなライバル校に対し、神野は「駒澤大学いたから、青学も他大学も強くなれたし、努力し続けた。こうして切磋琢磨していく。箱根駅伝最高です!!」(原文ママ)とねぎらいの言葉を送った。

神野は青学大時代に東京箱根間往復大学駅伝の5区で活躍。「山の神」として一躍脚光を浴びた。卒業後はマラソンにも挑戦。今年10月のパリ五輪代表選考会にも出場した。昨年12月、陸上部を発足させる企業の合併や買収の仲介を行うM&Aベストパートナーズの選手兼監督となった。

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東洋大は4位と健闘し、19年連続のシード権を獲得した。4区の松山から4位を維持。10区を任された2年生の岸本が同校からただ一人の区間賞でレースを締めた。酒井監督は「今回の結果は及第点。シード権は私が監督をしている限り続けたい」と引き締まった表情で話した。

例年合宿を行っている石川県七尾市が能登半島地震に見舞われた。「こういう時に駅伝に出ていいのかという気持ちもあった。頑張らないといけないと思っていた」と監督。ゆかりの地や人へ思いをはせて臨んだ大会だった。

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3位以内を目標にしていた国学院大は5位に終わった。大会1カ月前に10人以上がインフルエンザに感染したことも響き、前田監督は「正直なところシード落ちも考えた。その中で意味のある5位だった」と振り返った。

復路は来年を見据え、2年生以下でオーダーを組んだ。2区で区間3位と健闘した平林を次の主将に指名し、監督は「優勝を目指しての一年になる」と力強く話した。

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法大は昨年8月に亡くなった2年生、高橋彰太さんの思いを背負って箱根路を駆け抜け、6位に入った。喪章を着用し、坪田監督は将来のエース候補だった高橋さんのユニホームを乗せた車両から「彰太のために走れ」と励ました。6区で区間トップの武田は「ムードメーカーだった。区間賞を取って彰太も喜んでくれたんじゃないかな」とうなずいた。

坪田監督は「駅伝でたすきをつなぐように、思いを受け継いでいかないといけない。(高橋さんと)一緒に走って、一緒に頑張ってほしいという思いがあった」とかみしめるように話した。

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トップから約8分遅れの5位でスタートした早大は、昨年末に主力が発熱するなど万全ではなく、順位を二つ落としてゴール。花田監督は青学大など上位勢と比べ「箱根の進化に乗り遅れている」と危機感を募らせた。

明大は往路最下位から復路でも大きく巻き返せず20位。山本監督は「私の指導不足。申し訳ないし残念」と視線を落とした。

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大東大が最終10区で粘り、9年ぶりのシード権をつかんだ。10位だった東海大と4秒差の11位でたすきを受けた佐々木は「自分の走りに集中するだけ」と言い聞かせ、シードを争うライバルに1分以上の差をつける区間7位の好走で苦境をはね返した。

復路は8区で留学生のワンジルが区間最下位。エースの思わぬブレーキで11位に転落しても最後まであきらめなかった。真名子監督は「ドキドキしたが、学生を信じて見ていた。これでピーター(ワンジル)が救われた」と胸をなで下ろした。

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前回2位の中大は13位に終わった。大会前に体調不良者が続出し、往路から挽回できなかった。藤原監督は「やりようがなかったというのが正直なところ。勝負だと思っていた年に、こういうことを起こしてしまった。勝負師としてショック」と自らを責めた。

一方、体調に問題がなかった吉居駿は7区で区間賞。2区15位と沈んだエースで兄の吉居大から給水を受けた。2年のホープは兄ら4年生に「2年間助けられた。少しだけ(恩を)返せたかな」と充実感を漂わせた。

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神奈川大は3日、1997、98年に東京箱根間往復大学駅伝総合2連覇に導いた大後栄治駅伝監督(59)が、同日に閉幕した第100回箱根駅伝を最後に勇退すると発表した。OBの中野剛ヘッドコーチ(50)が後任に就く。

大後氏は89年から神奈川大を指導。箱根駅伝2連覇に加えて全日本大学駅伝も96、97年、2017年に制し、マラソン男子日本記録保持者の鈴木健吾(富士通)らを育てた。大後氏は「部員の熱い気持ちを常に凌駕しないといけないと思ってきたが、厳しくなってきたかなと数年前から感じていた。(箱根で)2回勝てたのは誇り。少しずつ寂しさが押し寄せてくると思う」と話した。

(以上 サンスポ)

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