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今、自分が出来ること。やれること。それを精一杯やっていかなくちゃ!!

拾い読み★≪箱根往路・朝刊②≫

2014年01月03日 07時56分19秒 | スポーツあれこれ


東洋大 設楽ツインズW区間賞 往路2年ぶり勝った
 鉄紺のタスキがまずは往路の覇権を奪回した。昨年、史上初の往路5連覇の野望を断たれた東洋大は最終学年を迎えた設楽ツインズが激走。3区で弟・悠太、5区で兄の啓太主将が区間賞を獲得し、2大会ぶり5度目の往路優勝を果たした。出雲、全日本を加えた3大大学駅伝は5大会連続2位。今季2冠で、往路2位につけた駒大とは59秒差で、雪辱となる2大会ぶりの完全Vを目指す。
 笑顔でゴールテープを切る兄の設楽啓主将を出迎えたのは、副将を務める弟・設楽悠だった。ツインズが率いる東洋大、2年ぶりの往路制覇。「最後の箱根でゴールテープを切れて、主将らしいことができた」と声を振り絞った兄の横で、弟は「兄弟で同じユニホームで走るのは最後だから良かった」と笑顔を浮かべた。卒業後は別々の実業団に行く2人の演出した、最高のシーンだった。
 チームを首位に引き上げたのは、3区の弟・悠太だ。首位・駒大と26秒差でタスキを受け取ると、9キロ付近で捉えて突き放す。4区につなぐ際には逆に55秒のリードを奪った。「エントリー選手を見て、自分が区間賞を獲るのは当然だと思った」。二卵性双生児の兄を追い、最終学年で兄に並ぶ1万メートル27分台をマーク。11月の全日本後は右ふくらはぎを痛めて練習から離脱した際には兄から「優勝しよう」と声を掛けられ救われたという弟は「自分が優勝を決定づける走りをしようと思っていた」と胸を張った。
 3年連続で花の2区だった兄・啓太が山上りに初挑戦したのは、主将としての責任感だ。「山の神」柏原竜二(現富士通)が卒業した昨年は、5区で首位陥落。酒井俊幸監督は「気象条件さえ整えば走力がある選手」と方針を固め、チームNo・1の1万メートル27分51秒54の男に白羽の矢を立てた。エースは右股関節に違和感を抱えながらも、区間賞の快走。「(11キロすぎの)宮ノ下からきつかったけど、復路の選手にも勢いづけられた」と誇らしげに話した。
 「柏原でさえ欠場があった学生3大駅伝に、2人はずっと出場した。能力は歴代でもトップ」と酒井監督。だが「自分のことだけを考えていた」(啓太)2人の成長を促すための手法が、主将、副将に指名することだった。2大会連続で駒大に敗れ、迎えた昨年12月中旬の最後の全体ミーティング。2人が声を発した。「最強で最高のチームができた。優勝しよう!」。3選手も区間3位でまとめたこの日、リーダーシップも証明した。
 補欠としてエントリーした大砲2人を往路に投入した優勝。2位・駒大との59秒差は決して大差とは言い難い。それでも酒井監督は「総合優勝のために必要な往路優勝。往路優勝のために必要な2人の起用だった」と言った。往路より1・9キロ長い、復路の5人に託された完全優勝。今の、完成したチームならやれる。指揮官は「設楽兄弟に頼るのではなく、設楽兄弟を生かすチーム」と続け、本当の覇権奪回に自信を見せた。

 ◆設楽 啓太・悠太(したら・けいた、ゆうた)1991年(平3)12月18日、埼玉県寄居町出身の22歳。2人とも男衾(おぶすま)小6年で陸上を始める。武蔵越生高3年時には服部翔大(現日体大主将)率いる埼玉栄を県予選で破り、全国高校駅伝初出場。10年に東洋大に進学した。今春からは兄・啓太がコニカミノルタ、弟・悠太がHondaに入社予定。家族は両親と姉、弟。

 ≪陸上界のツインズ≫
 ☆宗兄弟 1953年(昭28)8月9日、大分県出身。兄・茂、弟・猛ともにマラソンで活躍。茂は3大会連続五輪代表、猛は84年ロサンゼルス五輪4位。ともに大分・佐伯豊南高から旭化成に入社し、80年モスクワ五輪では双子で代表に選ばれたが日本がボイコットしたため出場できず。

 ☆大南姉妹 1975年(昭50)11月15日、福井県出身。姉・博美は05年世界選手権1万メートル代表、07年ロッテルダムマラソン優勝。妹・敬美は01、03年世界選手権マラソン代表。ともに福井・美方高出身で、現在はユティックに所属している。

 ☆久馬(きゅうま)姉妹 1993年(平5)12月20日、京都府出身。姉・悠(はるか)は10年世界ジュニア選手権3000メートル出場。妹・萌(もえ)は10年ユース五輪3000メートル銀メダル。綾部中3年時に全国都道府県対抗女子駅伝でともに区間賞を獲得。12年にそろって綾部高から筑波大に進学。


東洋大 もう一組の兄弟もいる 名前は干支の“馬”で…
 東洋大のもう1組の兄弟コンビも優勝に貢献する。2区を走った服部勇馬(2年)は区間3位ながらチームを3位から2位に押し上げる快走。
 次期エースとしての起用に「ここまで(3大駅伝の)2位が続くのは僕のせいかも?と思っていたのでうれしい」と声を弾ませた。復路7区にエントリーされた弟・弾馬(はずま、1年)に「僕のダメだったところも弟に晴らしてほしい」と期待を込めた。今年の干支(えと)は兄弟の名前についた「馬」だけに…。




東洋大 快走の秘密 新設の寮で疲労回復、ミーティング
 埼玉県川越市の東洋大川越キャンパスの陸上競技場横に昨年、寮が新設され、練習環境向上につながっている。
 新設の寮には温浴と冷浴の交代浴ができる施設も完成。疲労回復にも効果抜群だという。また、寮のミーティングルームでは月に1度、選手によるミーティングが行われてきたが、昨年11月の全日本選手権で2位に敗れた後は学年ごとなど細かい集会を複数回行い、下級生から上級生に対する意見なども集約している。




駒大2位 逆転3冠射程59秒 9区濃厚エース窪田に託す
 出雲、全日本を制し10年度の早大以来となる3冠を狙う駒大は、5時間28分12秒で往路2位。2区の村山謙太(3年)が両脚にけいれんを起こすアクシデントも、4区・中谷圭佑(1年)が区間賞、5区・馬場翔大(2年)が区間3位と粘り、東洋大と59秒差で復路での逆転を狙う。2区は村山の他にも波乱続出。目立った実績のない早大・高田康暉(2年)が区間賞、山梨学院大はエノック・オムワンバ(2年)が右腓骨(ひこつ)疲労骨折で途中棄権した。
 監督車に乗った指揮官からは、何度も怒号が飛んだ。「速いよ、速いって!(ペースを)落とせって!!」。駒大・大八木監督の声も耳に届かないほど、2区・村山は飛ばした。5キロは予定していた14分30秒をはるかに上回る14分2秒。「あまり突っ込んでいるイメージはなかった。1時間6分台でいけると思った」と村山は振り返ったが、12キロ付近でアクシデントが発生した。
 両脚を拳で何度も叩き、一気にペースダウン。両太腿裏、両膝裏がけいれんしていた。「つなぐのにいっぱいいっぱいになってしまった。いい流れでタスキが渡せなかった」。1時間8分27秒の区間2位でまとめ、トップで3区につないだものの、出雲、全日本と連続区間新を出したランナーにとっては不本意なレース。大八木監督は「2区が誤算。速すぎるっちゅうのに…。あと1分はいけた」と手厳しかった。
 「あと1分」が、そのまま東洋大との差になってしまった。1年の中谷が4区で区間賞。「前半は抑えて後半にいこうと思っていた」。目立ちたがり屋のルーキーが快走し、山上りの5区を託された馬場も区間3位と堅実に走ったが、往路優勝に59秒届かない。「申し訳ない。復路の方々に少しでも楽に走ってもらいたかったのに…」と涙を流して悔しがる馬場を、大八木監督は「4、5区は粘った。馬場は頑張った」とかばった。
 ターゲットは10年度の早大以来、史上4校目の3冠。往路優勝での逃げ切りが理想だったが、59秒差を追う。「ウチとしてはギリギリのところ。微妙だな…」と大八木監督は言うものの、駒大にはエースが残っている。1万メートル28分7秒01の自己ベストを持つ窪田忍主将(4年)は、補欠から当日の区間変更で勝負どころの9区に投入される可能性が高い。「キャプテンがエースとしていい流れで渡してくれたら、勝負できる」と村山。過去6度の総合優勝のうち、往路2位からの逆転が4度。“お家芸”の逆襲が、夢を現実に変える。




早大3位 “無名”高田が2区区間賞 エース不調救う
 エース大迫が不発でも、花の2区を制した高田の活躍で早大が踏みとどまった。号砲後から1万メートル27分38秒31の学生最高記録を持つ大迫が引っ張るレース展開。だが、10キロすぎに先頭集団の後ろに下がると、18キロ付近でのスパートについて行けず、まさかの区間5位。「自分のペースで行けるところまで行こうと。途中できつくなった」。米国で練習し、昨年12月20日に帰国したばかりで、万全とは言えなかった。
 ピンチを救ったのは初箱根路で2区に抜てきされた2年の高田だった。エースの失速にも「冷静に行こう」とすぐに前を走る明大を捉えると、12キロすぎには2位集団に追いついた。トップから49秒あった差を29秒まで縮め、区間賞を獲得。早大の2区区間賞は07年の竹沢健介(現住友電工)以来7年ぶりで「竹沢さんは憧れの選手。うれしい」と目を丸くした。渡辺康幸駅伝監督も「想定以上。2区以降立て直せた」と胸をなで下ろした。
 昨年は補欠でエントリー。7、8区で準備をしていたが不出場に終わり、ラップタイムをボードに書いて選手に見せるサポート役に回った。「悔しかった。高校でもメンバーを外れたことがなかった」。しかし、試合で結果を出せない。実力を引き出したのは大迫の助言。「楽に走れ」と言われると、1500メートルで自己新をマークして自信をつけた。竹沢とも練習し「速いペースで入れるようになった」。2人の偉大な先輩から背中を押され、大舞台で花開いた。
 3、4区も1年生が踏ん張り、往路3位。「僕はダメだったけど、他の選手が頑張って粘ってくれた。あすにつながる3位」と大迫。復路も若い布陣で臨む方針。エースからタスキを受け取った次世代エースらが先頭を追う。

 ▽最近の早大の2区区間賞 24・4キロに変更になった79年に瀬古利彦(現DeNA監督)が区間賞を獲得し、総合4位。翌年も2年連続で制し、総合3位だった。95、96年には渡辺康幸(現早大駅伝監督)が受賞。このときは23・0キロで、いずれも往路優勝で、総合はともに2位。98年には梅木蔵雄が獲得し、総合6位。02年には原田正彦が山梨学大のモカンバと同タイムの区間賞で、総合は3位。07年は竹沢健介が獲得し、総合6位だった。

 ◆高田 康暉(たかだ・こうき)1993年(平5)6月13日、鹿児島県出身の20歳。中1で陸上を始める。鹿児島実2年時の全国高校駅伝では最終7区を任され、区間賞を受賞する走りで初優勝に貢献した。12年に早大入学。1メートル70、54キロ。




日体大4位 昨年MVP服部が3人抜きも「負けたか」
 せめてもの意地も示せなかった。「ああ、ちくしょう。負けたか」。自らのタイムを聞いて、日体大5区の服部(4年)は悔しさを隠しきれなかった。タスキを受けた時点で7位。拓大、青学大、明大を抜いたものの、区間賞は東洋大の設楽啓に1秒差で奪われた。チームは3強の一角と目されながら東洋大、駒大から5分以上遅れて4位。その差に今年の日体大の力が表れていた。
 昨年は往路で26年ぶりの優勝を果たし、30年ぶりに総合も制した。服部も5区区間賞の激走で大会MVPを獲得した。しかし、今年は出雲でも全日本でもタイトル争いに絡めなかった。服部も夏には骨盤付近の疲労骨折が判明し、調整に遅れが出た。約2週間前には左足首を「軽く捻挫」し、この日も山上りの激しさに足の甲に痛みがぶり返したため、左脚を必死に叩きながらのレースだった。
 1区は山中(2年)が区間賞の走りを見せたが「自分たちよりも他の大学の選手に力がある」と服部が覚悟していた通りの結果。「最後の箱根なので潔く受け止めたい。まだこれで終わりじゃない」と箱根路の先に、今春入社するHondaでの飛躍を見据えた。




オムワンバ骨折「痛い、痛い」…山梨学院大が棄権
 快調に飛ばしていた山梨学院大のエースを“骨折”という悪夢が襲った。想定通りのラップを刻んでいた9キロすぎ、ケニア人留学生のオムワンバ(2年)は突然右足を引きずり始め、道路脇にへたり込んでしまった。一度は立ち上がって懸命に走り出そうとしたが、9・7キロ地点でそのまま棄権。運営委員から無情の赤旗が振られた。
 「痛い、痛い」と悲痛な声を上げたオムワンバは救急車で病院に運ばれ「右腓骨(ひこつ)疲労骨折」と診断された。上田誠仁監督も「驚いたのとガッカリしたのと悔しいのと。流れに乗ればいいレースができると思っていた」と予期せぬアクシデントを残念がった。「直前の練習でも体がよく動いていたし、けさも問題はなかった」と調整では全く予兆は感じられなかった。残る仲間のレースがどうなるか心配していたオムワンバには「参考記録で走れるから大丈夫だ」と説明したという。
 昨年は11位でシード権を逃し、予選会を勝ち抜いて舞い戻った箱根の舞台。5区に全日本大学駅伝2区区間賞の井上(3年)を配し、自信を持って臨んだ中でまさかの幕切れとなった。




青学大 往路5位 1区の1年・一色が一時トップ快走
 青学大は1区に起用された期待の新人・一色(1年)が一時先頭を走る快走を見せて勢いに乗った。愛知・豊川高では3年時に駅伝全国制覇を成し遂げており、初の箱根路には時計なしで登場した。
 「通過タイムが分からなくて。周りが落ちて必然的に前に出ちゃった」と10キロすぎに先頭集団のトップを奪った。その後も実力者を相手に粘りの走りを見せ、6位でタスキをつないだ。「先導車の後ろは気持ちが良かった。いい流れをつくれたし、最低限の仕事はできた」と満足顔。
 原晋監督も「総合3位を目指す。往路は想定の中で最高の順位。一色はよく頑張った」とねぎらった。今大会はエース久保田(2年)が秋に右脚の腸脛靱帯(ちょうけいじんたい)炎を負い、エントリーに間に合わなかった。だが、選手層では定評のある青学大が底力を見せて上位に食い込む。




拓大2区・モゼ 最後の箱根10人抜き 過去最高6位
 拓大は往路過去最高となる6位と健闘が光った。2区のケニア人留学生のモゼ(4年)は勢いよく飛び出したものの7・5キロ付近で突如ペースダウン。それでも10人抜きで7位に引き上げた。
 「抑えろと言ったが(言葉が)通じなくて、下がれと言ったら下がりすぎた」と名将・岡田正裕監督は苦笑いだが、オーバーペースを抑えたことで失速することなく確実に順位を上げた。
 モゼにとっては最後の箱根路だったが、今回はチームワークに徹した。近くで練習する実業団チームのヤクルトに所属するケニア人選手に「何のために日本に来ているのか」と説かれ、タスキの重さを理解。それからチームのために走ることを意識するようになったという。指揮官は「6位は上出来。シード権は獲れる」と自信をのぞかせていた。




明大 3位以内目標「何とか早大を追いかけにいく」
 第1回大会に出場した伝統を持つ明大は往路7位にとどまった。4区まで区間順位5位以内を維持して健闘したが、山上りの5区で横手(2年)が区間19位と精彩を欠いて順位を下げた。
 西弘美監督は「まだ何が起きるか分からない。(他校の)ブレーキを期待しながらやるしかない。何とか早大を追いかけにいく」と3位以内を目標に置いていた。


東海大監督「上々のスタート」9位 宮上が区間5位力走
 東海大が2年ぶりの箱根路で意地を見せた。昨年は予選会敗退で出場できなかったが、往路9位でフィニッシュ。
 両角監督は「上々のスタート」と手応えを強調した。2区の元村(4年)が区間17位、4区の荒井(1年)が区間20位に沈んだが、5区の宮上(2年)が区間5位の力走で4人抜き。昨年は5区のコースで走路員を務め、「出られないのが悔しかった。長い距離を走る練習を増やしたのが実った」と胸を張った。




手を振ってる場合じゃあ…日大ダニエル 山上り起用も不発 
 <日大>山上りに起用したケニア人留学生、ダニエル(2年)が不発で10位にとどまった。小川聡監督は「2区なら最大2分、5区なら4分縮められる可能性がある」と、予選会でもオムワンバに次ぐタイムで好走したエースの走力に懸けた。
 しかし、ダニエルは区間10位の平凡なタイムに終わり、走りながら沿道の観客に向かって手を振る始末。同監督は、「観客が多くて舞い上がっちゃった。他の選手はよく走ってくれたけど…」と渋い表情だった。


帝京大 シード圏内の10位まで2分11秒差12位
 帝京大は昨年は総合4位と躍進したが、往路12位と苦しいレースを強いられた。4区の早川(3年)が区間4位と健闘したものの、3区の難波主将(4年)ら残り4区間が全て2桁順位に終わった。
 ただ、シード圏内の10位・日大までは2分11秒差。復路にも1万メートル28分台のランナーが控えており、中野孝行監督は「復路が楽しみになった。差がないので早く前が見えるところに行きたい」と力を込めていた。


城西大 駒大の兄と同じくオーバーペース 村山双子対決
 双子の兄弟対決はほろ苦かった。城西大2区の村山紘太(3年)は、駒大で同区間を走った村山謙太の双子の弟。オーバーペースで突進した兄と同様、紘太も前半から突っ込みすぎ、「全然、実力を出せなかった」とうなだれた。
 「兄弟で走っていることを考えている余裕がなかった」。エースが区間18位に沈み、チームも往路20位と惨敗。櫛部静二監督も「1、2区がうまくいかなかった」と険しい表情を浮かべた。


国士舘大 無念繰り上げ 2区・菊池力走も「悔しい」
 国士舘大は2年ぶりに出場したものの、2区で無念の繰り上げスタートで22位となった。1区で浪岡(3年)が1時間8分59秒の23位と出遅れ。2区の菊池(4年)も力走したが、タスキをつなげなかった。
 予選会は13位とギリギリで出場権を得たが、本大会は甘くなかった。菊池は「最後の箱根を走って全員でつなげたかった。繰り上げは悔しい。まだまだ力が足りなかった。残りの選手には悔いのない走りをして来年につなげてほしい」と後輩たちに託していた。



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設楽啓太「見せつける」、怖くなかった山登り
 東洋大の5区設楽啓(4年)は、笑みをたたえてタスキを受け取った。
 「最後ぐらいは、主将らしい走りを見せつける」。心に誓っていたから、初めて挑む山登りは怖くなかった。
 4区で2位駒大に21秒差に迫られ、序盤から速いペースで入った。過去3年連続で走った2区と違い、険しい坂に体力を奪われた。残り3キロで股関節に違和感を覚えた。意地で終盤に駒大との差を59秒まで広げ、初めての区間賞で2年ぶりの往路優勝を引き寄せた。
 チームメートを引っ張っていくタイプではないのに、主将を任された。酒井俊幸監督が「欲を出して、本当のエースになってほしい」と期待したからだ。
 「山の神」と言われた柏原竜二(現富士通)が卒業後、大学3大駅伝で5大会連続2位に甘んじていた。王者に返り咲くためには、5区で走れるランナーがどうしても必要だった。
 設楽啓は1メートル69、48キロ。向かい風にあおられる可能性を考えると山への適性は未知数と言えた。酒井監督は「走力ではチームで一番で、登りは苦手ではない。(ラスト5キロからの)下りでリードを広げられる」と話し、付け加えた。「彼には、つらい5区と向き合うだけの使命感がある」。3区区間賞でトップを奪った弟の設楽悠(4年)のお膳立てもあり走る姿で仲間を勇気づけた。「きつくても、みんながゴールで待ってくれている。(チームに)勢いを付けられたと思う」。その表情には、主将の重責を果たした輝きがあった。(北谷圭)


「ぎりぎりの戦い、でも窪田いる」駒大、V射程
 駒大の5区馬場(2年)の脳裏には一つの思いしかなかった。
 「少しでも復路を楽にする」。初出場で志願して挑んだ山登りで、東洋大のエース設楽啓との差を59秒に抑える区間3位。「1分と59秒では心理的に違う。この1秒は大きい」。大八木弘明監督も手放しでたたえる、仲間の背中を押す力走だった。
 1区中村(3年)が区間2位で滑り出し、2区村山(3年)が一気に先頭へ。ここまでは狙い通りだったが、村山は「気持ちが入り過ぎた」と中盤で両足がけいれんし、大きなリードを奪うには至らなかった。絶好調で期待されていた主力のアクシデントで戦略が微妙に狂い、3区で東洋大に首位を奪われると、1分近い差をつけられた。
 だが、出雲、全日本を制して自信をつけてきたチームには、ここで大崩れしない心の強さがある。「流れを取り戻したかった」と4区中谷(1年)が区間賞で21秒差まで縮め、快走に勇気づけられた馬場も、チーム最大の不安材料だった5区で役割を果たした。
 東洋大は設楽啓、設楽悠の二枚看板を往路に投入したが、駒大はエースの窪田(4年)を復路勝負に残している。「最後までぎりぎりの戦いになるだろう。でも、うちには窪田がいる」と大八木監督。逆転優勝へ手応えあり――。指揮官の高揚した口ぶりが、そう語っていた。(佐藤謙治)


エース不発の早大果敢、1年生コンビも躍動3位
エース不発の危機を挽回した早大が、3位に食い込んだ。
 前回覇者の日体大を抑える健闘を支えたのは、下級生の踏ん張りだった。
 主将の大迫(4年)が1区5位に沈んでも、冷静さは失わなかった。初の箱根で2区に抜てきされた高田(2年)は「どんな状況でも、準備はできていた」。大黒柱の失速にも動揺せず、他校のエースと果敢に競り合った。「イメージ以上」という区間賞の快走で、チームを3位に押し上げた。
 この走りに勇気づけられるように、3区の武田が区間5位、4区の平が区間2位と、1年生コンビも躍動した。「(高田の)一か八かの起用が当たり、立て直せた」と渡辺康幸監督。大迫も「自分がダメでも、皆が力を出し切ってくれた」と感謝した。
 上位2校とは4分以上の差があるが、指揮官は「復路が弱いイメージを払拭したい。今年の復路には、ちょっと自信がある」。3位死守だけで、満足するつもりはない。(平山一有)


「悪くないのに走れていない」前回王者・日体大
 1位から6分32秒差の4位。
 連覇を狙う日体大が、厳しい状況に追い込まれた。
 4区まで上位を保ち、5区で前回区間賞の服部主将が逆転し、リードを築く――。その優勝への方程式が、早々と崩れた。1位でタスキを受けた2区の本田(4年)が10キロ過ぎに失速し、区間10位。服部に次ぐ準エースの誤算に続き、3区勝亦(2年)も区間17位に沈み、首位戦線から脱落した。
 「決して状態は悪くないのに、積極的に走れていない。うちらしさが出せなかった」と別府健至監督。強風に他校が苦しむ中、全員が強気の走りで区間7位以内で走った前回の往路とは対照的なレースに、表情は険しかった。
 それでも服部が左足の故障に耐え、区間1位と1秒差の2位と力走。順位を三つ押し上げ、「最低限の走りはできた」と復路へ希望をつないだ。主将の奮闘を手本に、王者の走りを取り戻せるか。
(西口大地)


口の動きで「痛い、痛い」オムワンバ、救急搬送
2日に行われた第90回箱根駅伝の往路で、山梨学院大は2区のケニア人留学生、エノック・オムワンバ選手(2年)が9・7キロ地点で倒れ込み、無念の途中棄権となった。
 同大の途中棄権は、1996年の第72回大会で4区を走った中村祐二選手(当時3年)以来、2度目。予想外のアクシデントで、プルシアンブルーのたすきは途切れたが、後続の選手たちは芦ノ湖畔のゴールに向かって懸命に走った。
 晴れ渡った東京・大手町の読売新聞新社屋前をスタートした1区は、「想像していた以上のハイペースな展開」(上田誠仁監督)となった。田代一馬選手(2年)は、先頭集団に大きく後れをとり、16位でエースが集う2区のオムワンバ選手にたすきをつないだ。
 2大会ぶりにシード権を逃し、予選会からの出場となった同大。昨年10月の予選会で、オムワンバ選手は個人1位の快走を見せ、箱根路でもその走りに期待が集まった。前回大会でも2区を走り、12人抜きでチームに大きく貢献。「また2区を走りたい」と、2大会連続で花の2区を任された。
 快調に走り出したオムワンバ選手は、早々に15位の帝京大を抜き去った。その後も前を走る選手を次々に捕らえる快走で、11位まで順位を押し上げた。
 だが、8キロ付近からエースの足に異変が見え始めた。右足を引きずり始めると、スピードも徐々に落ち、後ろを走る日大や法政大などの選手たちに追い抜かれた。「痛い、痛い」と、口の動きで上田誠仁監督に痛みを訴えた。「左右のバランスがおかしい」――。駆け寄った上田監督から水を受け取ると、オムワンバ選手は崩れるように倒れ込んだ。救急車で運ばれ、右脚腓骨ひこつの疲労骨折と診断された。

          ◇

 思いも寄らぬエースの途中棄権で、以降の選手は“記録なし”となったが、選手たちはプルシアンブルーとは違った繰り上げスタート用の白色のたすきをつなぎ、芦ノ湖畔のゴールを目指した。
 3区の兼子侑大選手(3年)は、上田監督の「棄権となったが、投げ出さずに自分の走りを」の言葉通り、参考記録ではあるが、区間1時間4分6秒の好タイムで走り抜けた。4区の1年、上村純也選手は「エノックさんに頼っていた部分が大きかった。途中棄権ではあるが、シード権を獲得できるだけの実力があることを証明したかった」。

          ◇

 昨年11月の全日本大学駅伝2区区間賞で、オムワンバ選手と並んでチーム2本柱の井上大仁ひろと選手(3年)は3度目の箱根路。前回チームが失速した山登り5区を任され、序盤から飛ばした。ゴール後にチームメートに抱えられると泣き崩れ、「『山梨頑張れ!』という沿道の声援を背に、自分もエースとして諦めたくなかった。みんなの汗が染み込んだ1本のたすきをつないで最後まで走りたかった」と言葉を詰まらせた。
 上田監督は「オムワンバは多くのものを背負いすぎた。チームは家族、帰る家なので彼をしっかり迎えたい。人生はリセットできないけれど、リスタートはできる。記録は残らないが、チームの歴史には残る」と、復路に向けて前を向いた。


途中棄権の山梨学院大、3区以降は参考記録扱い
 山梨学院大のケニア人留学生、オムワンバ(2年)が右足ひ骨の疲労骨折で2区途中棄権した。8キロ過ぎからペースを落とし、10キロ手前で座り込むと、上田誠仁監督と話し合い棄権した。
 1週間前に違和感があったが、前日練習では痛みがなく好調だったという。運び込まれた戸塚中継所では、担架の上で「(3区以降の)みんなは走れないのかな」と心配そうだったが、上田監督の「オープン参加だけどみんな走れる」の言葉にうなずくと、病院へ向かった。
 同大の3区以降はオープン参加で、区間成績は参考記録扱い。総合成績、往、復路成績は記録なしとなる。


「トップ味わってみたかった」と青学大1年快走
 青学大は1区に抜てきされた一色(1年)が、区間6位と期待に応えた。
 強豪校のエースが高速レースを展開するなか強気の姿勢を貫き、「トップを走る気持ちを味わってみたかった」と先頭を引っ張る場面も。快走で勢いづいたチームは5位で復路へつなぎ、原晋監督は「復路にも主力が残っており、総合3位を十分に狙える」と力を込めた。


明大5区「心配だった」不安的中、横手が失速
往路に主力を並べる積極策に出た明大だったが、結果は7位。
 4区までは4位でつないだものの、5区横手(2年)が区間19位と失速した。
 山登りの候補となったのが10月と遅く、「準備期間が短かったので心配だった」という西弘美監督の不安が的中。目標の3位まで「1区間1分ずつ縮めていくしかない」と巻き返しを誓った。
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