ちょこっとGUM

今、自分が出来ること。やれること。それを精一杯やっていかなくちゃ!!

箱根駅伝・復路 ≪速報記事2 ≫

2024年01月03日 21時49分08秒 | スポーツあれこれ
 第100回のメモリアル大会で、青学大が2年ぶり7度目の総合優勝を果たした。10時間41分25秒(速報値)は大会新記録だった。原監督はメンバーの手で3度、宙を舞った。

 2日の往路では、史上初の2季連続3冠を狙った駒大に2分38秒差をつけて優勝。余裕を持って迎えた勝負の復路も、盤石のレース運びを見せた。

 6区の野村昭夢(3年)が区間2位で発進すると、7区に当日変更で入った山内健登(4年)は区間3位。7区を終えて2位・駒大との差を4分44秒とすると、さらにその差を広げてアンカーの宇田川瞬矢(2年)が大手町のゴールに飛び込んだ。

 就任20年となった原監督が掲げた今大会の作戦は「負けてたまるか!大作戦」。指揮官はその意図を「同じ大学生が戦っている。そう簡単に後ろに回るわけにはいかない」と説明。今季の出雲、全日本を制し、原監督をして「史上最強軍団」と言わしめた駒大を撃破した。

 4年で今大会に出場したのは往路4区の佐藤一世、復路7区の山内、9区の倉本玄太の3人のみ。出場10人中7人が来季も残り、昨年末の全国高校駅伝の1区(10キロ)で日本人歴代最速タイの28分48秒で区間賞を獲得した折田壮太(須磨学園)が加入予定だ。

 15年以降の10大会で総合優勝7度。近年の箱根史に輝く足跡を残し、第101回へのスタートを切った。


 2日の往路では、史上初の2季連続3冠を狙った駒大に2分38秒差をつけて優勝。余裕を持って迎えた勝負の復路も、盤石のレース運びでライバルの駒大を突き放した。

 レース後のインタビューで原監督は「12月前半、中盤、チーム状況が悪くて。シード権が取れるかどうかのチーム状況だった」と明かし、「そこから3週間で学生たちが本気で箱根駅伝に向き合ってくれたこと。私以上に学生の優勝したい思いが強かったレースだった」と選手を称えた。

 節目の100回大会で伝説を刻んだ。「ありがたいですね。学院創立150周年なんですね。私は監督就任20年、そして箱根駅伝100年。この3つのタイミングで優勝させていただいたこと。大学関係者、高校の指導者、学生、OB、そして妻・美穂、多くの人に支えられて、この日を迎えられた」と感謝した。


 優勝会見で、原監督の第一声は、元日に発生した能登半島地震への配慮だった。「1月1日、能登震災において、本来であればお正月は家族団らんで、おせちやお雑煮を食べながら2、3日箱根駅伝をご覧いただける方、数多くいらっしゃったんだと思う。しかし、あのような災害の中で今でも苦しまれている方がいらっしゃる。そんな中での箱根駅伝、開催させていただいたことに対して、まずもってお礼を申し上げたい。ありがとうございました」と話した。

 2日の往路優勝後にも「能登震災で開催できるかどうかわからない中、多くの被災にあわれた方がいる中で、箱根駅伝できること、本当に感謝申し上げたい」と話していた。


 12月にシード落ちすら覚悟するほど最悪のチーム状況に陥りながら、「負けてたまるか!大作戦」が成功したのはなぜか。 「早稲田の大学院に通って、箱根駅伝メソッドというものを論文で書いた。原メソッドを体系化、データ化させた基本軸があるからこそ、12月のアクシデントでトレーニングを柔軟に対応できることになった」と説明した。

 原メソッドとは箱根駅伝に勝つために「個々に入ってくる能力によって、トレーニングメニュー、負荷、強度を上げ下げしていく」もの。トラックの5000メートルで春先にスピードを求め、夏場に走り込み、秋に1万メートル、そして箱根につなげる。

 その上で「ベースの基本軸がなければう右往左往するが、基本軸があったからこそ、あたふたはしたが、大きく崩れることはなかった」と振り返った。


 4年で今大会に出場したのは往路4区の佐藤一世、復路7区の山内、9区の倉本玄太の3人のみ。出場10人中7人が来季も残り、昨年末の全国高校駅伝の1区(10キロ)で日本人歴代最速タイの28分48秒で区間賞を獲得した折田壮太(須磨学園)が加入予定だ。

 黄金時代の予感が漂う圧勝劇だが、原監督は「浮かれた時に青山学院は負けています。こういう厳しい状況は勝っている。浮かれることなく頑張っていきたい」と来年以降を見据え、勝って兜の緒を引き締めた。


 山上りの5区(20・9キロ)は若林宏樹(3年)がトップでタスキを受け、18年ぶり雨中の山上りとなる中、従来の区間記録を破る区間2位でゴールテープに飛び込んだ。

 原監督は「僕と同じ学部にいて、ゼミ生からも『若さん、若さん』と言われている。(5区の快走で)より若林の格が上がったかと。でも、山の神に任命するのはまだ早い」とさらなる成長に期待した。

*************************************

 MVPにあたる金栗四三杯には、城西大の山本唯翔(4年)が選ばれた。

 山本は往路の山上り5区で今大会、唯一となる区間新記録となる1時間9分14秒をマークした。「選出していただきありがとうございます。とても感謝しています。今後の競技人生においても、いい経験になった」と話した。

 卒業後はSUBARUに入社。28年ロサンゼルス五輪のマラソンでのメダル獲得を目標に掲げ、「五輪で表彰台に上れるように頑張りたい」と闘志を高めた。


第100回のメモリアル大会で、青学大が2年ぶり7度目の総合優勝を果たした。10時間41分25秒は大会新記録だった。

 午後3時30分に開始予定だった閉会式は約30分遅れた。レース後の監督会議が長引いたためだが、青学大・原監督が監督会議で、MVPにあたる「金栗四三杯」についての問題提起したことが分かった。

 今大会の「金栗四三杯」は往路の山上り5区で区間新をマークした城西大の山本唯翔(4年)が選ばれた。

 同杯は関東学生陸上競技連盟の有吉会長らが名を連ね、8人で構成される選考委員会が受賞者を決定する。昨年末には各大学の監督に選考基準として、区間賞(区間新)が示され、今大会で唯一の区間新が山本だった。

 ただ、山本の選出に異論はないことは大前提の上で、原監督は青学大の3区で区間賞を獲得した太田蒼生(3年)と山本のW選出があっても良かったのではないか、と意見を出したという。太田は3区で日本人初の1時間切りとなる59分47秒で、ヴィンセント(東京国際大)の超絶区間記録(59分25秒)に匹敵するスーパーランで、優勝への流れをつくった。

 関東学連の関係者は「意見を出していただくのは、これから議論していく上でも良いこと」と話した。


 やはり往路での2分38秒差は大きかった。追う駒大は最初から無理をしてでもハイペースで突っ込まざるをえず、最後まで自分たちの走りができなかった。しかも安全策で前半は自重すると思われていた青学大の選手たちもタスキを受け取るなりガンガン飛ばしたので、結果的に6分35秒もの大差がついてしまった。

 青学大の復路の選手は全員箱根を走るのが初めてだったが、逆にそれが青学大の強みにもなった。他校のように一部のエースや経験者に頼るのではなく、純粋に今一番練習ができている選手、一番状態が良くて調子を上げている選手を選べるだけの選手層の厚さが青学大にはある。もちろん、初めて箱根を走るという緊張感はあっただろうが、原監督は選手を乗せるのがうまい。どの選手も伸び伸び楽しそうに走り抜き、見事に2年ぶりの総合Vを成し遂げた。

 負けた駒大もタイム的に大きく崩れたような選手は1人もいなかった。ただ往路の3、4区が想定外の展開になって「何で?何で?」と動揺したまま最後まで行ってしまった。のびのび楽しく走っていた青学大とは対照的だった。

 それにしても青学大の総合タイム10時間41分25秒は凄い。まさにスピード駅伝の象徴だ。このタイムを単純にマラソンに換算すれば2時間4分39秒になる。私が走っていた頃はだいたい1キロ3分5秒のペースだったのに、100回を数える歴史の中で徐々に3分に近づき、今では2分57秒ぐらいになった。しかも箱根の険しい山上りがある中でのタイムということを考えれば、「世界に通用するランナーを育てる」という箱根駅伝の存在意義は、今十分に果たされていると言っていい。

 歴史と伝統はもちろん大切だが、スポーツとしての革新も常に必要だろう。今回初めて試みた全国化を「なし」にする理由はない。チャレンジするかしないかは関東以外の各大学が判断すればいいことで、箱根としては「いつでもいらっしゃい」と門戸を開いておいた方がいいのではないか。そうすればいつか全く新しい大学が力をつけ、箱根駅伝のレベルは更に上がっていくはずだ。
(駅伝マラソン解説者)



 1920年から歴史を紡ぎ、第100回の大きな節目を迎えた箱根駅伝は、青学大の圧倒的な強さで幕を閉じた。

 個人的に注目していたのは、4年生の走りだった。

 20年4月に入学した現4年生は、新型コロナウイルスの脅威が常につきまとった。入学早々の緊急事態宣言。スポーツ界も大きな影響を受けた。箱根駅伝も応援自粛が求められ、観衆は激減した。

 メモリアルの今大会。ようやく応援に対する制限が解かれたが、元日に能登半島地震が発生。開催を危ぶむ声もあった中、箱根路を駆ける機会は与えられた。

 往路優勝後に続き総合優勝後も、青学大の原監督の口から出たのは感謝の弁だった。

 「1月1日、能登震災において、本来であればお正月は家族団らんで、おせちやお雑煮を食べながら2、3日箱根駅伝をご覧いただける方、数多くいらっしゃったんだと思う。しかし、あのような災害の中で今でも苦しまれている方がいらっしゃる。そんな中での箱根駅伝、開催させていただいたことに対して、まずもってお礼を申し上げたい。ありがとうございました」

 コロナ禍だった時期と同様、ランナーにも葛藤があったであろうことは想像に難くない。当事者ではない「誰か」の声に心をえぐられたかもしれない。それでも、タスキとともに懸命に駆けた。

 青学大で9区区間賞を獲得した倉本玄太(4年)は、「最初で最後の箱根を区間賞で終われて良かった。もがき苦しんだ4年間だったけど、諦めずにやってきて良かった」と胸を張る。

 山上り5区で区間新をマークした城西大の山本唯翔(4年)は、新潟県出身。親族は地震の被害はなかったとした上で「大変な思いをした皆さんに、勇気や希望を与える走りができたんじゃないかな」と話した。

 今大会に出場した230選手中、4年生は往路46人、復路28人の計74人。自身の走りに納得できた選手がいれば、失意の選手もいるだろう。メンバーから外れた選手も、夢舞台に届かなかった選手も。

 競技内外で全力を尽くした4年生に伝えたい。

 胸を張ろう、これまで駆けてきた道のりに。

 そして、これから駆ける未来に、幸あれ。

(元陸上担当・杉本 亮輔)


 同校で「3代目・山の神」として名をはせたプロランナーの神野大地(30=M&Aベストパートナーズ)は、首位を独走する展開に驚きも。自身のX(旧ツイッター)で「青学強すぎるって!!この調整力半端ない!」「すいません。なんでこんな青学強いか知ってる人いますか?笑 後輩達から勝つことを諦めない大切さを学ばせてもらってます」と、感心していた。

 そして、見事総合優勝に輝くと「青山学院大学総合優勝!#箱根駅伝 強すぎるし、大会新記録も半端ないです。本当におめでとう!! 佐藤一世選手の涙、、感動です」と祝福。惜しくも敗れた2位の駒大には「駒澤大学いたから、青学も他大学も強くなれたし、努力し続けた。こうして切磋琢磨していく。箱根駅伝最高です!!」とコメントした。

*************************************

 史上初の2季連続3冠を狙った駒大は、青学大に完敗して大偉業には届かなかった。青学大から6分35秒遅れの10時間48分0秒(速報値)での2位に終わった。

 昨季3冠に続いて、今季も出雲と全日本を圧倒的な強さで優勝。ライバルの青学大・原監督が「史上最強軍団」というほどの巨大戦力を誇ったが、第100回のメモリアル大会で夢は散った。

 2日の往路は1~3区に1万メートルで日本人学生歴代5位の篠原倖太朗(3年)、同3位の鈴木芽吹(4年)、同2位の佐藤圭汰(2年)と3本柱を並べたが、3区の佐藤が首位から陥落。青学大と2分38秒差の2位で復路のスタートを切った。

 藤田監督が「チームとして戦う姿勢を見せたい」と話して臨んだ運命の5区間。逆襲どころか復路でも突き放され、完敗を喫した。

 あまりにも強すぎた青学大に奪われた「史上最強」の称号。リベンジを期して、駒大がまた走り始める。

 復路を終え、藤田監督は「総合優勝を狙った中で2番ということなので満足はもちろんできない」と肩を落とした。

 「学生は頑張ったけれど箱根は難しい。3区・佐藤が競り負けたことでみんなびっくりしてしまった。十分な記録だが、終わった後は涙だった。あそこからチームとしての想定が狂った。4区の山川は股関節の痛みが10キロから出てきた。6区の帰山も佐藤、山川の悔しさを晴らそうとして気負いになってしまった。この学年の悔しさが必ず来年につながると思う」と語った。

 初めて監督として迎えた箱根駅伝。「優勝に導くことができなかった。反省はすごく大きなものがある。このままでは終われない。駒沢は引き続き強いチームをつくっていくつもり。一丸で頑張っていきたい」と前を向いた。

*************************************

 往路を過去最高の3位で折り返した城西大は、大学最高となる総合3位でフィニッシュ。10、12年の総合6位を更新する快走で躍進した。

 1区・野村颯斗(4年)が3位の好発進。山上りの5区は“山の妖精”こと山本唯翔(4年)が1時間9分14秒で2年連続の区間新記録となる激走でチームをけん引した。

 復路も崩れることなく順位をキープし、9区・平林樹(3年)が最終10区の中田侑希(4年)に3位でリレー。トップ・青学大と9分30秒差でスタートした中田は堅実な走りで3位のゴールテープを切り、アンカーを待つチームメートには笑顔が広がった。

 櫛部静二監督は「今までちょっといろいろありまして、なかなかこういうレベルでできなかったんですけど、初めての3位は正直嬉しく思っています」と笑顔。「ちょうどこの大会が節目となったわけなんですが、これを機に大きく変える、変化と挑戦ということでより上を目指してやっていきたい」と話した。


 急カーブを高速で一気に駆け下りる山下りの6区(箱根芦ノ湖~小田原中継所、20・8キロ)。

 3位でタスキを受けた城西大・久保出雄太は石川県出身。小松大谷を経て城西大入りし、6区を駆けた。

 「石川県がこういう状況で、少しでも元気が出る走りをと思っていた。背負うものが人一倍あったので3位に入れてよかった。走れることが当たり前ではないので走れたことに感謝している」と故郷を思い神妙な表情。

 「初めの3キロで足が固まってきたけど沿道から『石川のために走れ』という声援も聞こえてきた。応援の力はすごいなと思った」と振り返った。

*************************************

東洋大は総合4位でフィニッシュした。

 往路4位で折り返し、復路も順位をキープして10区・岸本遼太郎(2年)にたすきリレー。初の3大駅伝となった岸本は1時間8分51秒の快走で区間賞に輝いた。

 レース後は「東洋のユニホームを着て走ることができて、最高の舞台でいい走りができたので良かったです」と充実の表情。

 「東洋の再建を目標に先輩たちが引っ張ってくれたので来年は自分が引っ張っていく番。優勝を目指したい」と見据えた。


 酒井俊幸監督は「学生たちが昨年の10位からチームを信じ、スタッフも信じ、よく頑張ってくれたと思います。それぞれの区間で、最後持ってる力を出してくれたと思います」とコメント。

 また、令和6年能登半島地震にも触れ「100回という区切りのある大会で、再建となる一歩を踏めたと思います。その日は地震もあり、合宿でお世話になってるところも被害を受けておりますので、走ることで、少しでもそういう力につながればという思いも改めて感じましたので、101回大会に向けまして、また力強い一歩を踏みたいなと思います」と語った。


 現在続いている中では最長となる19年連続のシード権獲得。今季は出雲8位、全日本14位と苦戦を強いられていたが、箱根の目標を3位に設定した中での好成績となった。

 ネット上では「東洋再建したぁぁぁーーーーー」「来年こそは優勝してほしい!」「目標には一歩及ばなかったものの、鉄紺ファンとしては素晴らしいレースでした!!」「強い東洋が息を吹き返したの嬉しい!!」「あの前評判からよくぞここまで」「素晴らしい走りでした!」「東洋には涙です…!」などの声が上がった。

*************************************

法大は6位でゴールし、シード権を獲得した。

 今年8月、エース候補だった2年生の高橋彰太さんが19歳の若さで急逝。今大会は往路も含め、全員が喪章をつけ、高橋さんの思いも背負って箱根路を駆けた。運営管理車には高橋さんのユニホームとシューズが載せられた。

 往路は1区で14位と出遅れたが、12位でタスキを受けた4区の小泉樹(3年)が10位に順位を上げた。さらに細迫海気(4年)が山上りの5区を1時間12分32秒で区間8位の力走。9位で往路を終えた。

 復路では、山下りの6区で武田和馬(3年)が区間賞を獲得。高橋さんの東北高、法大の先輩でもある稲毛崇斗(4年)は9区で区間6位の好走を見せ、アンカーの宗像直輝(4年)が着実な走りでフィニッシュテープを切った。

 坪田智夫監督は「昨年より一つ順位を上げることができたのでそれは評価できる」と振り返り、「高橋彰太がいなくなって、みんな気持ちは一つで見せてくれたと思う。彰太の分までという形で。私も声かけして、一人じゃないんだよと、苦しい時は一緒に走っていることをイメージしながら最後まで走ろうと。走った選手は10人ですけど、16人プラス1ということで、最後まで高橋と一緒に走れたんじゃないかなと思います」と話した。

*************************************

大東大が総合10位で9年ぶりのシード権を獲得した。

 往路は序盤こそ出遅れたものの、山上りの5区で菊地駿介(4年)が区間4位の快走を見せ、14位から6人を抜いて8位に浮上。

 復路は最多タイとなる16校が一斉スタートで10位・順大から19位・日大まで1分34秒差という大激戦だったが、山下りの6区・佐竹勇樹(4年)が区間4位の58分24秒で“山の大東”の本領を発揮した。

 最終10区・ 佐々木真人(3年)には11位、シード権内の10位・東海大まで4秒差でリレー。佐々木は一斉スタートによる見えない背中を追い続け、13・5キロの新八ツ山橋で逆転し、そのまま順位をキープして大手町に帰還した。

 就任2年目の真名子圭監督は「本当にホッとしています。一時はどうなることやらと。頭が真っ白になったが、最後9区10区頑張ってくれて感謝しています」と選手をねぎらい、「山の大東という言葉をよく出していただいて。シード獲得と一緒に伝統も戻ってきたと感じた。(次の目標)学生と決めたいが、シードをとった以上は上位入賞を目指したい」と上を見据えた。

*************************************

 往路16位だった東海大が、3年ぶりのシードを逸した。

 復路は最多タイとなる16校が一斉スタート。10位・順大から19位・日大まで1分34秒差という大激戦で、10位までが得られるシード権争いの幕が上がった。

 8区を終えてシード権の10位に浮上。11位の大東大が9秒差、そこから8秒差で中大、さらに13秒差で国士舘大が続く。14位の立大で東海大から1分45秒差。

 10区蒲田のチェックポイントでは11位の大東大との差が1秒。ロホマン・シュモン(2年)が必死の走りを見せたが、猛追をかわしきれず11位に終わった。

 両角速監督は「しっかり立て直して、復活ののろしというテーマを持って今回臨みましたけど、その中でもやれることは学生も精一杯やってくれたんじゃないかと思うので、次につなげていきたいと思います」と話した。


 合計217・1キロを駆けた末に東海大と国士舘大は総合11時間1分52秒と同タイムで並んだが、順位は東海大が11位、国士舘大が12位となった、

 大会要項では「繰り上げ出発などでフィニッシュの着順が成績順位を示さない場合において同タイムとなった大学の順位は、区間上位者の多少によるものとする」としている。

 ともに復路は一斉スタートで出発。10区間を終えて東海大で区間最高順位は1区の5位、国士舘大は5区区間7位が最高で、東海大が上位となった。 

*************************************

国士舘大は総合12位で34年ぶりのシード権には届かなかった。

 1区で22位と出遅れたが、じわじわと差を詰めて往路を11位で折り返し。復路は最多タイとなる16校が一斉スタートとなり、10位・順大から19位・日大まで1分34秒差という大激戦で、6区は19位に沈んだものの再び盛り返した。

 最終10区・ 鈴木伸弥(3年)は12位でタスキを受け、10位・東海大と34秒差でスタート。一斉スタートによる見えない東海大、11位・大東大の背中を追い続けたが及ばなかった。

*************************************

 前回大会総合2位ながら往路13位と沈んだ中大は総合でも13位と浮上できず、2021年大会以来、3年ぶりのシード落ちとなった。

 昨年12月、メンバー16人中14人が体調不良に見舞われた。コロナ、インフルエンザではなかったが、棄権も検討するほどの緊急事態だったという。

 一斉スタートとなった復路は、7区に当日変更で起用した吉居駿恭(2年)が9番手でタスキを受けると、時に険しい表情を浮かべながらも前半で4人抜きで5番手に浮上。15キロ過ぎの給水では、往路2区で区間15位と苦しんだ兄の大和(4年)から力水をもらい、声を掛けられて左手で応じる姿もあった。終盤には東洋大もとらえて、5人抜きで4番手に浮上した。

 1時間2分27秒はこの区間で歴代4位の好タイムで、区間賞の激走を見せた。しかし、8区で4番手に走り出した阿部陽樹(3年)は、苦しい表情。区間最下位のペースで遅れを取り、時折右ももを叩く場面もあった。13番目にたすきをつないだ。

*************************************

 往路10位の順大は総合17位で2020年大会以来、4年ぶりのシード落ちとなった。昨年は5位、22年は2位と上位に食い込んだが、今年は苦戦。出雲駅伝は10位、全日本大学駅伝も11位でシード権を逃し、箱根に懸けたが届かなかった。

 今夏世界選手権3000メートル障害6位入賞の三浦龍司(4年)は負傷の影響もあり、1区で1時間1分38秒の区間10位。往路は順位を上げることができず、復路の6区で18番目に沈むと、7、8区でさらに後退。

 その後も大きく差を縮めることはできず、アンカーの斎藤舜太(4年)は苦しい表情を浮かべ両手を合わせてフィニッシュした。

*************************************

神奈川大は総合21位だった。

 往路はスタートで出遅れて波に乗れず22位。復路での巻き返しもかなわなかった。

 同大を35年指導してきた大後栄治監督は今大会で勇退。レース後は「最後の指揮ということで思い入れのある大会になるなと。いつもは選手に集中しているんですけど、今回は、本当に沿道のみなさま方の応援と、全部目に焼き付けようと思った」と目を細め、「何年やってもうまくいかないのが箱根なんですけど、感慨深いものがありました」と話した。

*************************************

 大会を主催する関東学生陸上競技連盟はレース後、往路と復路を合わせた沿道の観戦者数を約98万人と発表した。

 20年大会までは往路と復路合わせて毎年100万人を超えるファンが沿道で声援を送ったが、コロナ禍となった21年大会は「応援したいから、応援にいかない」のキャッチコピーを掲げて沿道での応援の自粛を求めた結果、約18万人と激減。ただ、ゴール付近や主要区間などでは密集して観戦するファンの姿が見られ、大会本部に電話で苦情が寄せられるなど批判が相次いだ。

 21年大会同様、沿道での応援自粛を求めた22年大会は約60万人と21年から3倍超に。自粛を求めていない前回の23年大会は応援自粛は求めず、マスク着用を推奨し、声出しについては「お控えください」とし、約91万人が沿道で観戦した。

 第100回となった今大会は特に要請はなく、100万人の大台には届かなかったが、ファンの熱い応援が戻ってきた。

<最近の沿道観戦者数(大会本部調べ)>
17年 118万人
18年 120万人
19年 124万人
20年 121万人
21年 18万人
22年 60万人
23年 91万人
24年 98万人

(以上 スポニチ)


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 箱根駅伝・復路 ≪速報記事3 ≫ | トップ | 箱根駅伝・復路 ≪速報記事1 ≫ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

スポーツあれこれ」カテゴリの最新記事