ちょこっとGUM

今、自分が出来ること。やれること。それを精一杯やっていかなくちゃ!!

箱根駅伝・往路 ≪朝刊記事2 ≫

2024年01月03日 09時45分33秒 | スポーツあれこれ
第100回東京箱根間往復大学駅伝・往路 ( 2024年1月2日    東京・大手町―箱根・芦ノ湖=5区間107・5キロ ) 

 6度の総合優勝を誇る青学大が往路新記録の5時間18分13秒で2年ぶり6度目の往路優勝を果たした。2位でたすきを受けた3区の太田蒼生(3年)が学生駅伝で23区間連続1位中継を記録していた駒大を抜いてトップに浮上。2~4区の3区間連続で区間賞をマークする会心のレースで、2年ぶりの奪冠へ前進した。2年連続3冠を狙う駒大が2分38秒差の2位、城西大が3分17秒差で3位につけた。復路は3日午前8時に芦ノ湖をスタートする。

 運営管理車の助手席から見るフレッシュグリーンの背中が大きく見えた。就任20年の節目。往路優勝が決まると、原晋監督(56)は「凄いね、君たち。最高!」と選手を迎え入れた。往路は駒大から2分遅れの想定だったが、逆に2分38秒リード。「想定外。あんなこと起こると思いません。学生が魂のこもった頑張りを見せてくれた」と目を細めた。

 1区の荒巻が首位・駒大と35秒差の9位につけると、2区の黒田が区間賞の快走で駒大との差を22秒につめて2位に浮上した。3区の太田が18キロ地点で20歳以下の1万メートル日本記録を持つ駒大・佐藤をかわしてトップでたすきリレー。優勝した2年前にも3区でトップに立っているロードに強い「駅伝男」が日本人歴代最速59分47秒のタイムで駒大の学生駅伝連続1位中継記録を23で止め「先頭に出る自分の役目を果たせた」とうなずいた。

 昨季、駒大に3冠を許した原監督は「このままでは駒大に勝てない」と今季は例年2週間程度の夏合宿を3週間に拡大。練習の量、質ともに増やした。遅刻や忘れ物などの目立った部員の生活態度も見直し“当たり前のこと”を徹底。区間賞を獲得した2区・黒田、3区・太田、4区・佐藤は昨年12月初旬にインフルエンザに罹患(りかん)。佐藤は復帰直後に虫垂炎も発症し、12月は十分な練習をこなせなかったが、1年間積み上げてきた努力は裏切らなかった。

 本番5日前の昨年12月28日、原監督はミーティングで「2位狙いでいい」と指示した。「負けてたまるか!大作戦」に反する発言に選手は奮起。直後に選手だけの話し合いを持ち、志貴勇斗主将らメンバーから外れた4年生が箱根への熱い思いを吐露した。同期の思いを背負って激走した佐藤は「正直、作戦名にセンスがない。でも終わり良ければ、全て良しかな」と笑った。

 元日に石川県能登地方で震度7を観測する地震が発生。原監督は「能登震災で開催できるかどうか分からない中、箱根駅伝をできることに感謝申し上げたい」と神妙に語り「往路の作戦の成功率は100%。大会新で総合優勝して200%で終わりたい」と2年ぶりの奪冠に意欲を見せた。過去往路優勝した5回はいずれも総合優勝。出雲5位、全日本2位からの往路優勝は4年前の総合優勝と同じ流れ。“駒大1強”の前評判を覆した自信を手に、完全優勝に挑む。 

*************************************

 【金哲彦の目】青学大の5時間18分13秒は物凄いタイムだ。勝因はもちろん2、3、4区で区間賞を獲ったことだが、1区の荒巻の頑張りも大きかった。最初からオーバーペースで飛ばした分、後半は苦しくなったものの、最後まで粘って何とか35秒差で食らいついた。あそこで1分以上離されていたらその後の展開は全く違っていただろうし、あの1区の粘りが後続の選手に火を付けたと言ってもいいだろう。

 駒大もタイム的には悪くなかった。ただ、藤田監督が振り返っていたように、3区の青学大・太田の走りを見てチーム全体が動揺したということはあったのかもしれない。1万メートルのタイムでは駒大の佐藤の方が太田より1分近くも速い。それなのに7キロ過ぎで追いつかれ、最後はわずか4秒差とはいえ逆転を許した。その動揺がもろに出たのが4区の山川で、5区の金子も「俺が何とかしなくちゃ」という気持ちが先走りすぎて、本来の走りができなかった。

 2分38秒差は大きい。元々、青学大は先行逃げ切りが得意で、復路は前半自重して後半に上げるセオリー通りの戦い方で来るだろう。駒大が逆転するためにはとにかくまずこれ以上絶対に離されないこと。そして1区間に10秒でも20秒でも少しずつ詰めていって、距離の長い9区で勝負するしかない。(駅伝マラソン解説者)

*************************************

 これが2季連続3冠への試練なのか。史上最強軍団の呼び声高い駒大は、青学大から2分38秒差をつけられての2位。曇りから雨に変わる悪天候で4年前の青学大の往路記録を上回る5時間20分51秒ながらも、箱根を知り尽くした青学大の陰に隠れた。箱根初采配の藤田敦史監督(47)は「あっという間だった」と振り返り「復路もチームとして戦う姿を見せたい」と言葉を絞り出した。

 最強トリオで独走態勢を築けなかった。1区・篠原、2区・鈴木とトップでたすきリレー。1万メートルU20日本記録27分28秒50の学生最速タイムを持つ3区・佐藤で勝ちどきを上げるはずだったが、22秒差から追ってきた青学大・太田に7・6キロで詰め寄られた。「自分のリズムを崩された」と動揺した佐藤は、デッドヒートを演じつつも18キロ過ぎに力負けし、昨年の箱根駅伝4区から3大駅伝で23区間連続でつないだ首位から転落。「箱根は甘くない」と悔しさをにじませた。主将の鈴木も青学大・黒田に区間賞を譲る形で「本当に力不足だった」と号泣した。

 4秒差で追う4区では前回5区の山川を当日変更で投入したが、区間6位で4秒差から1分26秒差に水をあけられた。昨年11月の全日本大学駅伝では8区区間賞も、股関節を痛めて1カ月ほど練習を消化できない期間もあっただけに山を諦めて平地配置。藤田監督は「想定より1分から1分半悪かった。そこでいけていれば勝負ができた」と悔しさをにじませた。

 それでも白旗は揚げない。復路へ向けて指揮官は「力のある4年生を配置する。少しでも詰めていけば逆転可能。複数の当日変更も考えている」と言い、鈴木も「まだ諦めてない。大手町に先にゴールすれば2年連続3冠を達成できる」ときっぱり。まだ折り返し。名門のエリートたちの目は死んでいない。

*************************************

 山の妖精が雨の箱根を駆け上がった。城西大の山本唯翔(4年)は3位でたすきを受け取ると力強いストライドで加速し、昨年より50秒速い1時間9分14秒で芦ノ湖に到着。2年連続区間新記録を樹立。総合3位を目標とする母校を過去最高の往路3位に導いた。

 「区間賞は絶対獲りたい気持ちで1年間誰よりも練習してきた。強い選手がいたけど、上りなら負けない自信があった。周りは気にせず過去の自分に勝つことだけを考えた」と胸を張った。

 箱根の山では1年時6位。前回は1時間10分4秒の区間新。櫛部静二監督(52)が運営管理車から「山の妖精になろうぜ」と激励したことから「山の妖精」の愛称がついた。

 最終学年になり2区を希望した時期もあったが「独特な足のつき方で接地時間が長く、気持ちも強い」と適性を見抜く櫛部監督の説得で3度目の5区に挑んだ。

 前回は足にけいれんを起こして終盤失速した。その教訓から筋力トレ、低酸素トレでパワー、心肺機能を強化。全日本後は記録会を回避し「箱根より傾斜がきつい」大学近くの山で上りに特化した練習をこなした。

 ほぼ同じ距離で行われた05年の順大・今井正人が出した1時間9分12秒を目標に定め、そこには届かなかったが「山の神にはなれなかったけど、記憶に残る走りはできたと思う」と達成感をにじませた。

 故郷の新潟県十日町市は前日に震度5弱の地震に見舞われた。家族は関東に移動しており無事で実家にも被害はなかった。山本は走りに集中し、被災地を思い足に力を込めた。「心配はあったけど、新潟県民に勇気や希望を与える走りができたと思う」とうなずいた。

 今春SUBARUに入社する。「マラソンにチャレンジして五輪で表彰台に上れるように頑張りたい」と山本。妖精はさらに強くなって世界を目指す。

 ◇山本 唯翔(やまもと・ゆいと)2001年(平13)5月16日生まれ、新潟県松代町(現十日町市)出身の22歳。松代中、開志国際高を経て20年に城西大へ。箱根駅伝では1年時に21年5区6位(総合16位)。今季は出雲6区3位、全日本8区5位。1万メートル自己ベストは28分25秒21。卒業後はSUBARU入社予定。1メートル68、51キロ。甘党でメロンソーダ好き。

*************************************

 東洋大は往路4位と健闘した。15位でたすきを受けた2区の梅崎(3年)が8人抜き。自身3度目の箱根路で初めて花の2区を任され「良い経験ができた。良い流れで順位を上げられた」とペース配分を意識した走りで結果を出した。酒井俊幸監督(47)からは「よく走ってくれた」と称えられた。

 今季は出雲8位、全日本14位と苦戦を強いられていたが、箱根の目標は3位に設定。昨年12月からは松山主将(4年)を中心に首脳陣と意思統一し「目指すしかない」と士気を高めてきた。

 その中で往路4位という成績に、梅崎は「復路にも強い選手がいるので、このまま順位を上げてほしい」とさらなる快進撃を“予告”した。

*************************************

 早大は5区・工藤慎作(1年)が区間6位の力走で順位を1つ上げて往路5位に入った。「元々、上りは得意な方で自信あった」。初めての大舞台で堂々の活躍を見せた。

 眼鏡がトレードマークで人気アニメ「名探偵コナン」の主人公・工藤新一と名前も似ていることから、花田勝彦監督(52)が「山の神」ならぬ「山の名探偵」と命名。

 工藤はその異名を気に入っており「似ていますし、山の妖精(城西大・山本)に対抗して、オリジナルでいいと思う。あと3年間“山の名探偵”でいければ」と笑った。

 花田監督は往路全体を振り返り「目標を上回るタイム。100点満点に近い」と高評価。山上りがチームの“難題”となっていたが、名探偵が見事に解決した。

*************************************

 心身共に満身創痍(そうい)でも、エースのプライドが国学院大・平林清澄(3年)の両手両足を突き動かした。まさかの17位でたすきリレーとなった2年連続の2区で、8人抜きの追い上げを見せて区間3位の快走。「前が見えているところは全部抜いてやろうと思った。エースらしい走りはできたと思う」と誇らしげに語った。

 福井県越前市出身。前日の能登地震では故郷も震度5強を観測。すぐに両親や富山にいた妹の安否を電話で確認したものの、「なかなか心配な部分があって、気持ちをつくるのが難しかった」という。その両親は地震直後に上京し、2区最大の難所、権太坂で応援してくれた。「僕がやれるのは、走ることしかできない。北陸の人に、元気を与えられるような走りができたらなと思っていた」。何事もなく走れる喜びと感謝の思いをかみしめ、自身の仕事を全うした。

 前田康弘監督(45)が「過去最強メンバー」と自信を持って送り出したメンバーだが、1区で伊地知主将(4年)が17位と出遅れ、5区の上原(2年)は区間17位と失速。首位・青学大との差は8分54秒と初優勝は絶望的だが、それでも6位は地力のある証拠。先月中旬に平林ら主力を含むメンバー16人中10人がインフルエンザに感染。1週間の突貫工事で立て直しての結果に、指揮官は「平林が走るのは想定できていた」と称えた。

 復路は2年連続3区5位の山本歩夢(3年)が故障のため不在。5区間で1年生3人、2年生1人、補欠も1年生1人、2年生2人と苦しい台所事情は変わらないが、若いメンバーが魂の走りを見せた平林に続く。

 ◇平林 清澄(ひらばやし・きよと)2002年(平14)12月4日生まれ、福井県越前市出身の21歳。武生五中時代は、陸上部がなくバドミントン部に所属しながら陸上の大会に出場。美方高では2年時に全国高校駅伝に出場し1区22位。箱根は1年時に9区2位、2年時は2区7位。今季は出雲6区4位、全日本7区で区間賞。自己ベストは5000メートル13分55秒30、1万メートル27分55秒15、ハーフマラソンが1時間1分50秒。1メートル67、46キロ。

*************************************

 創価大の5区・吉田(3年)は、区間9位と本領を発揮できなかった。

 東海大時代の22年大会に5区で区間2位と好走した「クライミングモンスター」は昨年4月に編入した。「最低でも区間新」と豪語して臨んだが、目標に届かず「序盤から余裕がなくて、差し込みもあった。どう立て直すか来年の課題が見つかった。もう一回69分切りのチャンスがあるので、来年また頑張りたい」と来年を見据えた。

*************************************

 大東大は予選会トップ通過の実力を見せつけ、シード権獲得へ好位置で折り返した。

 5区の菊地(4年)が区間4位のタイムで6人を抜く力走。就任2年目の真名子圭監督(45)は「菊地に助けられた」と感謝しきりだった。

 菊地は仙台育英高で中大・吉居大和らと全国高校駅伝V。当時、仙台育英高を率いていた真名子監督は「高校駅伝の時より光っていた。涙腺が緩んだ」と成長に目を細めた。

*************************************

 一人一人が思いを込めた、法大にとって特別な箱根路だった。昨夏、2年生の高橋彰太さんが急逝。喪章をつけて力走した2区の松永(4年)は「仲間の応援、亡くなった彰太の思い、監督の言葉で粘ろうと思えた」と振り返った。

 高橋さんは中距離選手だったが、長距離でも好タイムをマークしていた。エースの松永は「学年でエースになるんじゃないかと。今年は確実に16人(の登録メンバー)に入ってくるような選手だった」と振り返る。OB会発行の新聞では、各選手がレースを振り返るコーナーで必ず周囲への感謝の言葉をつづっていた。そんな実直な人柄の青年だった。

 エースが集う2区で区間11位という結果に松永は「悔しい思いが強い」と唇をかむが、14位で受けたたすきを13位で渡した。後続も順位を押し上げて往路9位。坪田智夫監督(46)は「5位という目標から外れてしまったが、出し切ってくれた。切り替えてシードを確実に狙う。気持ちで勝負」と言った。亡き友への思いを込め、復路もたすきをつなぐ。

*************************************

 順大は昨夏の世界選手権3000メートル障害6位の三浦は、最後の箱根駅伝を1区10位で終えた。

 長門俊介監督(39)は昨年11月下旬から約3週間、右足首付近を痛め練習を積めなかったと明かし「ハイペース(の展開)になって心配していたが、意地を見せてくれた」とエースをねぎらった。

 チームは各選手が粘り強くつないで往路10位。監督は「派手さはなくても、何とかシード権を獲れれば」と総合10位以内を目標に掲げた。

*************************************

 10位順大から19位日大までの差は1分34秒で、上位10チームに与えられるシード争いは大混戦となった。

 1位青学大から10分以上遅れた8位大東大以下16チームは復路で一斉スタート。さらに20分以上遅れると各中継所から繰り上げスタートになる。走行順と本来の順位が異なる可能性が出てくる。

 青学大の原監督は「シード争いには大迷惑。順位が分かりにくくなるのはよくないですよね」と話した。

*************************************

 国士舘大は1区22位と出遅れたが、5区で主将の山本雷(4年)が区間7位と好走するなど順位を上げ、10位の順大に3秒差で往路を終えた。

 小川博之監督(45)は「シード圏まで3秒までいけたのは、みんなが頑張ったおかげ」と奮闘を称えた。34年ぶりのシード獲得が目標。「復路は粘って粘っていくしかない。一人一人が粘れば結果はついてくる」と復路の5人への信頼感を示した。

*************************************

 12位の帝京大はシード圏10位・順大とわずか6秒差で復路へ向かう。

 5区の尾崎(2年)が区間20位のブレーキで、中野孝行監督(60)は「1桁順位の区間が3つあったが、大きなミスで順位を下げてしまった」と振り返った。

 復路に向けては「10位じゃなく前の方を狙う」とやる気満々で「適材適所の思い切った起用で攻めていきます」と当日変更を予告した。

*************************************

 前回総合2位の中大はまさかの13位と苦戦。大会の約10日前から登録16人のうち14人がせきなどの症状に苦しむアクシデントに見舞われ、藤原正和監督(42)は「整わなかった。私のマネジメントの問題です。よくあそこまでもってきてくれた」と選手をねぎらった。

 1区でいきなり19位と出遅れると、2年連続区間賞のエース吉居大(4年)が2区でペースを上げきれずに区間15位。本来の力を発揮できずに17位でのたすきリレーとなり、「自分の持っている全てを出し切ることができなかった。凄く残念」と肩を落とした。

 棄権も選択肢に入ったが、何とか出場にこぎつけた。指揮官は「最低シードを狙いたい」と話し、復路の巻き返しを誓った。

*************************************

 14位の駿河台大はシード圏内と34秒差につけた。

 徳本一善監督(44)は「(10位との差が)1分以内で往路ゴールを目標にしていたので、達成できたのはよかった」と評価。1区でケニア出身のレマイヤン(1年)がレースを引っ張るなど見せ場もあった。

 指揮官は「格上を相手にジャイアントキリングを楽しんで、思う存分箱根を謳歌(おうか)してほしい。繰り上げだけはなんとか阻止して…」と復路の奮闘にも期待した。

*************************************

 15位の山梨学院大は2区キピエゴ(1年)の区間9位が最高で、残り4人は区間2桁順位と苦戦した。

 上位校との走力の差は明らかで、飯島理彰監督(52)は「3区から一度も1桁順位にいけなかった。それでも終わってみれば、シード圏争いができる」と10位・順大まで48秒差と粘ったことに及第点を与えた。

 予選会でぎりぎりの13位からのシード獲得へ「4年間やってきたことを出してほしい」と7区・横山(4年)に期待した。

*************************************

 16位の東海大は1区で箱根初出走の兵藤(2年)が5位と健闘も、その後は区間2桁順位が続いて16位。両角速監督(57)は「800メートルのインターハイチャンピオン(兵藤)が2年でよくここまで来た。将来が楽しみ」と称え、復路へ「シード狙い。それ以外にない」と切り替えた。

 7区には3年前に3区で区間賞、昨年は2区4位の石原(4年)がスタンバイ。「7区で(シード)圏内に入りたい。たすきの勢いが途切れるときついので注意したい」と展望した。

*************************************

 17位の立大は学生が主体となって決めた区間オーダーで乗り切った。

 上野裕一郎監督(38)の解任後は、部員で話し合いを行いメンバー16人を編成し、この日の5人も部員で決めた布陣。エース区間は力負けしたが、3区・馬場(2年)は区間8位、4区・中山(4年)は区間10位と奮闘した。原田昭夫総監督(68)は「(シード圏が)1分30秒以内。復路に希望を残せた」と前向きに語った。

*************************************

 18位の中央学院大は、仕上がりに不安のあった4区・黒岩(2年)が区間6位の快走。それでも川崎勇二監督(61)は「ちょっとふがいない。黒岩以外がダメだった。私の持っていき方が下手ということ」と話した。

 2年ぶりの出場で、当時は16位と振るわなかった。復路は16校が一斉スタート。指揮官は「6区がうまく滑り出してくれれば。幸いにも団体で走るので、その力を利用できれば」と切り替えた。

*************************************

 19位の日大は1区の西村(4年)、3区の安藤(3年)が区間4位の好走を見せたが、徐々に後退した。新雅弘監督(62)は「初めての選手ばかりだからね」と結果を受け入れた。

 屈指の名門も、箱根路は4年ぶり。倉敷高監督から昨年5月に就任した指揮官は、箱根を見据えスピード練習は一切行わず「長い距離をゆっくり走る練習」を徹底してきたという。復路に向け「上を狙うのではなく自分で満足できる走りをしてほしい」と話した。

*************************************

 東農大は10年ぶりの箱根路に苦しんだ。小指徹監督(59)は「順位はもう少し上に行ってほしかった」と悔しがった。

 予選会日本人1位のスーパールーキー前田和摩は2区起用が有力視されたが、昨年11月下旬に腰痛を発症した影響で往路を回避。2週間前に練習を再開したばかりで、状態は50~60%という。

 それでも指揮官は「7区で使う予定。万全ではないけど、他の選手より速い」と期待を込めた。

*************************************

 日体大は1区で最下位スタートも、5区12位の三好(4年)が2人を抜いて、なんとか21位でゴール。

 玉城良二監督(62)は「単独走になってしまったが、前が見える位置まで行けてレースに加われた」と振り返り「復路は下級生中心。シード権も諦めていない」と仕切り直しを誓った。

*************************************

 神奈川大は予選会7位で2年ぶりに帰ってきた舞台を力走した。

 20位で受けた3区・宇津野(4年)が区間10位の走りで4人を抜く意地を見せたが、4、5区で再び順位を下げた。

 大後栄治監督(59)が「当たって砕けるだけ」と意気込んでいたが、その言葉通り本戦の壁は厚かった。

*************************************

 明大は最下位に沈んだ。1区・大湊(1年)が8位でスタートしたが、その後は急降下。山本豪監督(50)は区間22位の4区・森下(2年)らを引き合いに「ピーキングが合わなかった。体も動かなかった。検証しないといけない」と話した。
 予選会2位で4年ぶりのシード権獲得を狙ったが、シード争いから大きく脱落。まずは復路で一つでも順位アップを目指す。

(以上 スポニチ)


********************************************


 第100回のメモリアル大会で原采配がズバリ的中した。前回3位に沈んだ青学大が5時間18分13秒の往路新記録で、2年ぶり6度目の往路優勝を飾った。2区で箱根初出場の黒田朝日(2年)が7人抜きで2位につけると、3区の太田蒼生(あおい)=3年=が駒大を抜いて首位に立つなど、2~4区で区間賞の快走劇。原晋監督(56)が掲げる「負けてたまるか!大作戦」がはまり、出雲全日本選抜、全日本を含めた大学三大駅伝2季連続3冠を目指す2位の駒大に2分38秒差をつけ、2年ぶり7度目の総合優勝を狙う。

 冷たい雨が降り注ぐ箱根路を駆け抜け、芦ノ湖に一番乗りしたのは緑色のタスキだった。湖畔の白い霧を切り裂き、5区若林宏樹(3年)が右手の人さし指を突き上げてゴールテープを切る。「史上最強」と目された駒大に2分38秒差をつけ、往路新記録を更新しての圧勝。原監督は「すごい、すごい」と興奮気味に何度もうなずき、選手が待機するテントに入ると「すごいね、君たち。最高やね」と声を弾ませた。

 近年の箱根駅伝を彩ってきた“原マジック”は健在だった。下馬評では「駒大1強」とさえ言われたメモリアル大会。1区に抜てきした荒巻朋照(ともき)=2年=が、首位と35秒差の9位でつなぐと、2区は当日変更の黒田が7人抜きで一気に2位に浮上。3区も当日変更で配置した太田が、駒大エース格の佐藤圭汰(2年)を抜き去って首位に立ち、4区の佐藤一世(4年)も区間賞の激走で突き放した。

 箱根路での適性を見て「駅伝男」と抜てきした適材適所のタクトがズバズバ的中し、「私自身もビックリ。誰1人、青学が勝つと思ってなかったんじゃないか」と指揮官。12月上旬にはインフルエンザに集団感染し、荒巻をのぞく往路メンバーが高熱で寝込んだ。大会前の最終ミーティングでは「準優勝でもいい」と鼓舞したが、「シード(総合10位)を取れるかどうかというレベルだった」というのが本音だった。

 2年前の箱根制覇を最後に、大学三大駅伝で優勝から遠ざかった。2年連続3冠が懸かる駒大が黄金時代を迎える中で存在感が薄れてかけていたが「負けたときの原監督はメラメラと闘志が湧いてくる」と腹の中は燃えていた。けがのリスクを覚悟で練習量を増やし、夏合宿は過去最長の3週間弱のメニューを消化。威信を懸けて臨んだ往路で復権を果たし「選手が120%の力を発揮してくれた。私自身が想定してなかったが、大したもん。『おまえらすごいよ、かっこいいよ』と声をかけたい」と目尻を下げた。

 メモリアル大会で主役の座を奪還する態勢は整ったが「われわれはそこまで100回大会を意識してない。100分の1だと思っている」。控えめに語ったものの、その口ぶりには自信に満ちていた。

 ◆原 晋(はら・すすむ)1967年3月8日、広島県三原市出身。世羅高から中京大に進学し、中国電力に入社。サラリーマン時代は省エネ空調機の売り上げで実績を重ねる「伝説の営業マン」だった。2004年に青学大の監督に就任。箱根駅伝は09年に33年ぶりの出場に導き、15年の初優勝から4連覇を含む6度のVに導いた。現在は青学大陸上部長距離ブロック監督、同大学の地球社会共生学部教授など多方面で活躍。2014年度にデイリースポーツ制定「ホワイトベア・スポーツ賞」を受賞した。


 2大会ぶりの総合優勝を狙う青学大が5時間18分13秒の往路新記録で、2年ぶり6度目の往路優勝を果たした。4区の佐藤一世(4年)ら3人が区間賞を獲得して他校を圧倒した。出雲全日本選抜、全日本を含めた、史上初の2季連続大学三大駅伝3冠を狙う駒大は2分38秒差の2位。城西大は5時間21分30秒で史上最高の3位に食い込んだ。復路は8位の大東大以下、首位と10分以上の差がついた16校が一斉にスタートする。

 半月前は病床に横たわっていた青学大の佐藤が、下馬評を覆すミラクル往路制覇の原動力となった。体調不良を乗り越え、4区起用に応える執念の区間賞で駒大との差を拡大。「この1年、箱根で優勝することだけを目標に練習してきて、自分でも自信があった。(3区までに)いい位置で持ってきてくれたので引き離せた」と胸を張った。

 12月初旬にインフルエンザに感染。5日間寝込んで練習を再開した矢先、今度は夜中に激しい腹痛に襲われ、翌日、病院に駆け込んだ。診断は虫垂炎。軽度のため手術は免れたが、またもベッドで寝る生活で5日ほど走れなかった。

 箱根本番に間に合わない焦燥感に襲われたが、原晋監督から「大丈夫」と背中を押され、諦めずに調整を続けた。最後の箱根路で執念を発揮し「心が折れたが、周りに支えられてスタートラインに立てた。絶対に走りで恩返ししたかった」と目を潤ませた。

 タスキを受けた5区若林宏樹(3年)は「佐藤さんの魂の走りに力をもらった」。指揮官も「12月にほぼ練習してなくて、出場も難しい状態からよく走った。インフルエンザで寝込んで、虫垂炎で寝込んで、普通だったら諦めますよ」と教え子の執念に脱帽した。

 原監督が掲げた「負けてたまるか!大作戦」を聞いたときは「センスないな(笑)」と語呂の悪さにずっこけたという佐藤だが「選手一人一人に『負けてたまるか!』という気持ちは少なからずあった」と呼応。急病、そしてライバルに対する反骨に燃えた4年生の“一世”一代の走りは、王座奪還を目指すチームに活力を与えた。

 ◇佐藤一世(さとう・いっせい)2001年7月21日、千葉県松戸市出身。小金中から千葉・八千代松陰高を経て青学大に進学した。箱根は1年時は4区で区間4位、2年時は8区2位。3年時は7区を任され区間7位。今季は出雲で3区4位、全日本で3区8位。164センチ、48キロ。


 青学大の3区・太田蒼生(あおい)=3年=が駒大の佐藤に競り勝った。22秒差で発進し14キロ付近で並びかけ、残り3キロでサングラスを外したのを合図にスパート。前回の箱根から大学三大駅伝23区間連続1位で走っていた駒大を止め、1979年以降の3区では日本選手初の1時間切りで駆けた。

 原監督から“駅伝男”と信頼を置かれる存在。特に思いを懸けるのが箱根で「1年間で正直、ここだけしかピーキングをやっていない」と牙を研ぎ続けてきた。

 1万メートルで20歳未満の日本記録を持つ怪物・佐藤を仕留めた駅伝男は、集団活動が実は苦手。「我が強いというか、自分のやりたいことははっきり言う」。集団ルールを守りながらも、個性を磨き続けた走りで周囲をあっと言わせた。

*************************************

 “1強”とも呼ばれた優勝候補が、まさかの往路Vを逃した。史上初となる2季連続の大学三大駅伝3冠を狙った駒大は、青学大に2分38秒差をつけられて2位。今季から指揮を執る藤田敦史監督は「なかなか厳しい」と肩を落とした。

 想定外の事態にのみ込まれた。1~3区に主力3人を配置する“最強布陣”で挑み、1区の篠原倖太朗(3年)が区間賞。2区で主将の鈴木芽吹(4年)が区間2位と奮闘したが、青学大との35秒差を22秒に縮められ、「力不足」と号泣。流れは悪くなった。

 3区は1万メートルでU20(20歳未満)の日本記録を持つ“怪物”佐藤圭汰(2年)が、序盤から青学大・太田に追いつかれた。初の箱根路で後ろにぴたりとつけられたことで「リズムを崩された」と動揺。18・2キロで先頭を明け渡し、昨年の箱根4区から続いた連続区間1位通過記録も23で止まった。

 その後も、股関節痛で練習が足りなかった4区の山川拓馬(2年)が区間6位と、後れを取り返せず。藤田監督は「3区の太田くんの走りが想定以上で、精神的な部分で動揺した。勝負と思っていた山川が動かなかったのが敗因」と険しい表情。王者は追いかける展開に不慣れだった。

 逆転Vを狙う復路では「6、7、8区で詰めて、9区の花尾(恭輔)で勝負したい」と見据える。補欠には今季の全日本大学駅伝6区区間賞の安原太陽(4年)も残る。「追う姿勢で1区間ずつ詰めていけば、追いつけない差ではない。チームとしてもう一度戦う姿勢を見せたい」。攻めの復路で、遠のきかける3冠に挑む。

*************************************

 “山の妖精”が今年も箱根に舞い降りた。冷たい雨が降りしきる中、城西大の5区・山本唯翔(ゆいと)=4年=が、2年連続の区間新記録となる1時間9分14秒で走破。青学大との差を18秒、駒大とは1分30秒縮め、チームを過去最高の往路3位に押し上げる大仕事を果たした。

 櫛部静二監督(52)が前回、運営管理車から激励で送った「“山の妖精”になろうぜ」の異名が定着したスペシャリスト。昨年11月の全日本大学駅伝後は記録会に出場せず、このために大学近くの山で練習を積んできた。「登りなら負けない自信があった」と、昨年は足のけいれんに苦しんだ11・9キロの小涌園付近も苦にせず20・8キロを駆け抜けた。

 “山の神”と呼ばれた今井正人(順大→トヨタ自動車九州)らの系譜を継ごうと、誓いを立てた最後の箱根。「神になれなくても自分との戦いと思っていた。どう呼ばれようと、みんなの記憶に残る走りができたことは本当に良かった」。記録にも記憶にも残る走りで、妖精は確かに神に近づいた。

 次なる目標はマラソンへの挑戦。実業団入り後は、マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)出場や、五輪を見据える。「オリンピックで最終的には入賞とか表彰台に上れるように」。箱根の山の先に続く、長く険しい五輪への登り道を見上げた。

 ◇山本唯翔(やまもと・ゆいと)2001年5月16日、新潟県出身。幼少期はクロスカントリースキーを経験した。松代中から新潟・開志国際高、20年に城西大に進学し、箱根は1年ときに5区で区間6位。2年ぶりの出場の前回も5区を走り、区間新の1時間10分4秒をマークした。168センチ、51キロ。

*************************************

 前回2位の中大が、まさかの13位に沈んだ。1区から出遅れ、2区を走ったエースの吉居大和(4年)は区間15位、3区の中野翔太(4年)は区間20位と、主力が軒並み不発に終わった。

 誤算は大会前から。12月27日まで行われた合宿で風邪が大流行し、登録メンバー16人中14人が体調を崩した。一時は棄権もよぎったが、史上最多14回の優勝を誇る伝統校としてスタートラインに。藤原正和監督は「結果の責任は監督。彼らも(風邪に)なりたくてなったわけではない。選手たちには『出られただけでもすごいよ』と伝えた」とねぎらった。

 復路では体調万全の吉居駿恭(2年)を投入予定。指揮官は「最低限シードは取らないと。あとは大手町に無事に帰ってきたい」と必死に前を向いた。

(以上 デイリー)


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 備忘録【1/1~1/3】 | トップ | 箱根駅伝・往路 ≪朝刊記事1 ≫ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

スポーツあれこれ」カテゴリの最新記事