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今、自分が出来ること。やれること。それを精一杯やっていかなくちゃ!!

箱根駅伝・復路 ≪朝刊記事1 ≫ 

2024年01月04日 20時10分50秒 | スポーツあれこれ
◇第100回東京箱根間往復大学駅伝競走復路 (3日、神奈川・箱根町芦ノ湖スタート~東京・千代田区大手町読売新聞社前ゴール=5区間109・6キロ)

 青学大が10時間41分25秒の大会新記録で2年ぶり7度目の総合優勝を飾った。往路を大会新で圧勝した青学大は復路も制して完全優勝。従来の記録を2分17秒塗り替える大会新記録で、学生3大駅伝5連勝中だった駒大から「箱根路の覇者」の称号を取り戻した。原晋監督(56)が「シード(10位以内)落ちもあり得る」と覚悟したシーズン当初から大挽回。「負けてたまるか!大作戦」を掲げて挑んだ100回目の継走を「300点です」と豪語。連覇、さらには大会史上最長の6連覇を宣言した。

 必勝パターンだった。往路優勝した青学大と2位の駒大は2分38秒、距離にして約900メートルの大差があった。復路5選手は全員が箱根初出場であることが唯一の懸念材料だったが、それは無用の心配だった。

 「1号車が全国に君たちの走りを放送している。カッコ良く走って楽しもう」。原監督直伝の「ピクニックラン」を5人は貫いた。山下りの6区で野村昭夢(3年)は区間2位、7区の山内健登(4年)は同3位、8区の塩出翔太(2年)と9区の倉本玄太(4年)は区間賞。区間を重ねるごとに駒大との差は開いた。

 最終10区の宇田川瞬矢(2年)は1~9区の選手、いや、チーム全員でつくった6分23秒の差に守られ、ウィニングロード。迫り来るライバルの影はまったく見えない。22年大会に青学大が記録した10時間43分42秒を2分17秒も上回る大会新記録。投げキッスしながら優勝のゴールテープを切った。

 危機感から始まっていた。前回、青学大は3位。優勝した駒大に7分14秒の大差をつけられて完敗した。近藤幸太郎(現SGH)ら有力選手が卒業した今季、原監督は「ひとつ間違えるとシード落ちもある」と選手に訴えた。選手も覚悟を持って23年度に突入。「全員が危機感を持って夏合宿に臨みました」と主将の志貴勇斗(4年)は振り返る。

 「夏を制する者が箱根を制する」という格言がある。夏合宿で泥臭く走り込んだ結果、地力はアップした。今季は出雲駅伝5位、全日本大学駅伝2位。同じ順位をたどった19年度を思い出し、原監督は手応えをつかんでいた。しかし、1か月前、インフルエンザに集団感染する大トラブルに見舞われた。原監督と共に就任20年目の寮母で妻の美穂さん(56)は「こんな時期のインフルは初めて。監督は珍しくピリピリしていました」と明かす。

 チーム状況がどん底にあった時「負けてたまるか!大作戦」が浮かんだ。ただ「負けてたまるか!」の対象は駒大ではなかった。自分自身と現状だった。「できなかった練習を取り戻そうとせず、練習量を落としたことで急激に調子が上がった。それは夏の走り込みの貯金があったから。こんな調整法があるのか、とアップデートできた」という。

 「負けてたまるか!大作戦は300点です」と自画自賛。今春には黒田の弟で全国高校総体3000メートル障害2位の然(岡山・玉野光南)ら有力高校生が多数入学予定だ。「油断せずに連覇、3連覇、いや6連覇を目指します」。原監督は大会記録(1959~64年の中大)への挑戦を宣言した。箱根駅伝に初優勝した2015年以降、2年連続で優勝を逃したこともない。

「青学大は連敗はしません」とニヤリと笑った。100回目を迎えた継走。最近の10年で7勝を誇る。青学大の時代は続く。(竹内 達朗)

 ◆青学大 1918年創部。箱根駅伝は43年に初出場。2004年に原監督が就任。09年大会で33年ぶりに箱根出場を果たし、15年から4連覇。20、22、24年も制して優勝7回。出雲駅伝優勝4回。全日本大学駅伝優勝2回。16年度は学生駅伝3冠。練習拠点は神奈川・相模原市。タスキの色はフレッシュグリーン。長距離部員は選手44人、学生スタッフ16人。主なOBはプロランナーの神野大地、ハーフマラソン日本記録保持者の小椋裕介(ヤクルト)。


 青学大が10時間41分25秒の大会新記録で2年ぶり7度目の総合優勝を飾った。往路を大会新で圧勝した青学大は復路も制して完全優勝。従来の記録を2分17秒塗り替える大会新記録で、学生3大駅伝5連勝中だった駒大から「箱根路の覇者」の称号を取り戻した。
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 青学大は、王道の戦いを見せてくれた。復路5選手は前半から攻めのレースを貫き、駒大に隙を与えなかった。6区の野村君は昨年メンバー外で、2年分の思いを込めた素晴らしい走りだったと思う。駒大も6区の帰山君の爆発力に懸けたが、逆に1分半以上差を広げられる結果になった。往路で狂った歯車を戻すのは、今の駒大でさえ難しかった。

 青学大は、原監督のカリスマ性で成り立つチーム。選手は褒められたい、認められたいと思い、原監督の声かけが相まって快走につながるというサイクルがある。加えて今回は選手が自立し、想像を超えた調整力を示したから、強大な駒大の2年連続3冠を阻むことができた。原監督も、過去最高にうれしいのではないか。史上最多タイ16校の復路一斉スタートも、裏を返せば青学大の高速駅伝がもたらしたもので、トップの際立つ強さを明示している。

 記録で言えば、初めて総合優勝タイムが10時間台に入ったのは、94年大会の山梨学院大(10時間59分13秒)。10時間40分台に突入したのは、15年大会の青学大(10時間49分27秒)だった。忘れてはいけないのは「速さ」ばかり追い求めるチームはもろいということ。青学大は「強さ」の土台を作った上で「速さ」を求めるチーム作りを今後も徹底するだろう。悪条件や格上にも立ち向かう精神力をベースに強化を続ければ、この先も自然とタイムが伸びる余地はある。(元早大駅伝監督、住友電工監督・渡辺 康幸)

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 日本テレビ系で放送された第100回箱根駅伝の世帯平均視聴率が2日の往路(午前7時50分~午後2時5分)は26・1%、3日の復路(午前7時50分~午後2時18分)は28・3%だったことが4日、分かった。個人視聴率は往路が15・7%、復路が17・5%。(数字は関東地区、ビデオリサーチ調べ)

 瞬間最高視聴率は2日往路では午後1時20分、世帯32・1%を記録。個人では午後1時18分、20分、21分に19・7%に達した。また3日復路は青学大が優勝した瞬間の午後1時23分、世帯34・3%、個人21・8%をマークした。

 昨年の第99回大会は2日の往路27・5%、3日の復路29・6%。往復の世帯視聴率は歴代6位の28・6%を記録し、瞬間最高視聴率は3日午後1時24分の35・0%。駒大が2年ぶりの総合優勝と大学駅伝3冠を決め、フィニッシュのテープを切る場面だった。

 今大会は青学大が10時間41分25秒の大会新記録で2年ぶり7度目の総合優勝を飾った。原晋監督が「負けてたまるか!大作戦」を掲げ、往路を大会新で圧勝。復路も制して完全優勝した。従来の記録を2分17秒塗り替える大会新記録で、学生3大駅伝5連勝中だった駒大から「箱根路の覇者」の称号を取り戻した。


 日大で駅伝主将を務め、2000年(9区9位)、02年(9区5位)と箱根路を駆けた俳優・和田正人(44)が、スポーツ報知に観戦記を寄せた。青学大の爆発力に感動したといい、母校・日大の復活劇と100回を迎えた大会の今後への期待を語った。
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 今年の箱根駅伝もNHKラジオでお仕事をしながら見させていただきました。ゲスト解説で7年目。自分が出る意味を考えて、エンターテインメント性を意識しています。駅伝に詳しくない人や初めて見聞きする人たちに、選手の頑張りや思いがしっかり届くように。

 今大会は3冠に挑んだ駒大が「史上最強」と呼ばれていました。実業団のニューイヤー駅伝に出ても上位を走るんじゃないか、というくらい完成されたチームで。そんな中、3区での青学大の逆転劇が印象深かった。青学大・太田君の1万メートルの記録は駒大・佐藤君よりも1分近く遅い。それが自己記録よりも1分も速いペースで最初の10キロを突っ込んで、追いついて。何度も揺さぶりをかけて果敢に先頭に立った。佐藤君が負けるとは誰も予測できなかったので駒大は動揺した。あれが勝負の分かれ目でした。

 学生スポーツは本当に何が起きるか分からない。まさか力と力の真っ向勝負で、青学大が王者・駒大をねじ伏せるなんて。青学大の選手たちの諦めずに立ち向かう姿には感動しましたし、原監督の箱根にピークを合わせるシステムのすごさも改めて感じました。

 実は今大会前、女性誌に載せた僕の優勝予想は「青学大」でした。第100回大会にふさわしい名勝負を見たいと思って。青学大は伝統的に箱根を初めて走る選手の爆発力がすごいので。王者・駒大を破るとしたら青学大かな、と。原監督は19年度の出雲駅伝5位、全日本大学駅伝2位、箱根優勝の前例を口にして、それを今回再現した。仲良くさせていただいて昨年12月にはゴルフをご一緒しました。その時は、日大が青学大に先着しましたけどね(笑い)。

 4年ぶり90回目の出場の母校・日大は総合15位。4年ぶりに「N」の文字とピンク色のタスキを見られてうれしかったですね。岡山・倉敷高を3度全国制覇に導いた新雅弘監督の下、日常生活から見直して予選会を5位通過。監督も選手も初めての箱根路で「タスキを最後までつなぐ」という目標を遂行した。9年ぶりのシード権を獲得した大東大が来季に向けていい手本になると思います。

 真名子圭監督は新監督と同じ高校駅伝(仙台育英高)の名指導者。1年目に箱根予選会を通って2年目でシード校復帰。日大は今大会の経験者7人が残る。選手たちも俺たちも、と思っているはずで、来年度の日大が楽しみ。箱根駅伝には第110回、120回も変わらずに、人々に勇気や希望を与える舞台であり続けてほしいです。
(日大OB、俳優・和田 正人)

 ◆和田 正人(わだ・まさと)1979年8月25日、高知・土佐町生まれ。44歳。土佐町中時代はソフトボール部に所属しながら駅伝大会に出場。高知工で本格的に陸上を始める。日大が箱根駅伝で最後に優勝した74年大会で7区区間賞の野中三徳氏の指導を受け、全国高校駅伝に2度出場(2年1区36位、3年4区36位)。98年に日大入学。2002年に卒業後、NEC入社。03年、廃部に伴い退社。俳優を志し、05年にデビュー。17年にタレントの吉木りさと結婚。現在は2児の父。172センチ、62キロ。

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 第100回箱根駅伝(2、3日)で総合2位だった駒大が一夜明ける前の4日午前5時40分、新チームでの練習を開始した。日の出前の競技場で、藤田敦史監督は「箱根の借りは箱根でしか返せない。今回チームとして味わった悔しさを忘れないために、1年かけてやっていかなければならない。人ごとではなく、自分がチームをもう一回強いチームにするという自覚が、一番大事になる」と選手らに声をかけた。藤田指揮官の2季目が、熱い言葉と共に始まった。

 次期主将には、今年の箱根で1区区間賞のチームの主力、篠原倖太朗(3年)が就任した。篠原は「自分がどう動くかというより、一人一人どう思うかが、チームを変えていく。駒大は箱根駅伝で勝たないといけないチームだと思いますし、来年優勝するのは駒大であるべき。しっかりとみんなが同じ方向を向いてやっていけたら」と就任あいさつした。

 篠原は今季、出雲1区区間賞、全日本3区2位で、ハーフマラソンの日本人学生記録(1時間0分11秒)も保持している学生長距離界トップランナー。世界と大学駅伝の両立については難しさもあるが「駒大じゃなきゃできないこと。ぶらさずにやっていきたい。駒大に憧れて入ってきたので、駒大にいるときは駒大に全て、自分ができることをささげたい」と力を込めた。

 昨季同校初の学生3大駅伝3冠を達成した駒大は、今季も出雲駅伝、全日本大学駅伝を1区から一度も首位を譲らない完全V。史上初の2年連続3冠が、すぐ側に見えていた。しかし3区で佐藤圭汰(2年)が青学大の太田蒼生(3年)に首位を明け渡すと、計画が崩れた。4区の山川拓馬(2年)で差を広げられ、2分38秒差で往路優勝を逃した。

 3日の復路も6区の帰山侑大(2年)で4分以上の差をつけられ、7~9区に配置した4年生の力を持ってしても巻き返せなかった。藤田監督は「総合優勝目指していた中、2位で満足はできない。これだけ強いチームを預かって優勝させてあげられなかったということは、未熟さが出た部分かなと感じています」と受け止めていた。


 学生3大駅伝最多タイ5連勝中だった王者・駒大は10時間48分0秒で総合2位だった。2分38秒差の逆転を目指したが、6区帰山侑大(2年)で4分17秒差にまで広げられるなど、全区間で後れを取った。悔しさを胸に篠原倖太朗(3年)、佐藤圭汰(2年)らを中心に、より強い駒大をつくり上げる。
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 学生3大駅伝で史上初の2年連続3冠はかなわなかった。駒大は総合優勝へ、2分38秒差をつけられた青学大に挑んだが、6区で帰山が4分17秒に広げられると、7~9区の4年生も相手の勢いに屈し、差をつけられる一方的な展開に。アンカー・庭瀬俊輝(3年)が悔しい表情を浮かべてゴールテープを切る姿を見た就任1年目の藤田敦史監督(47)は「総合優勝を目指していた中、2位で満足はできないです。箱根を初めて監督として迎えましたが、他の駅伝とは違う難しさがあると感じました」と受け止めた。

 今季、出雲、全日本は1区から一度も首位を譲らない完全優勝を果たし、第100回大会制覇に最も近いと言われた。1万メートル27分台のスピードランナー3人をそろえる布陣はまさに最強のはずだった。慣れていない背中を追う展開で、狂った歯車を戻せず。優勝なら鈴木芽吹主将とともに学生3大駅伝最多の7勝となるはずだった安原太陽は「(3冠に)次も、チャレンジするのは駒大だと思う。そこに向けて、チームを一から作っていってほしい」と後輩たちに、夢を託した。

 チームをけん引し、今大会に出場した4年生は5人。来季、チームの柱になる1区区間賞の篠原(3年)は「自分がやらなきゃダメだと思う。チームを引っ張っていきたい」と決意。今季出雲1区区間賞、全日本3区2位、ハーフマラソンで日本人学生記録も持つ篠原は「自分は絶対的にエースの走りがしたい。次は2区で圧倒的な走りをする」と力強く宣言した。

 学生長距離界NO1の佐藤、今季の出雲、全日本でコンスタントに結果を残してきた山川拓馬、伊藤蒼唯ら2年生も、リベンジに燃える。「決して私たちが弱いとは思っていません。世界を目指す選手を育成する目標も同時進行しながら、地道なスタミナ作りも念頭に置いてやっていきたい」と指揮官。より強い駒大を目指し、王者が再スタートを切った。(手島 莉子)


 学生3大駅伝最多タイ5連勝中だった王者・駒大は10時間48分0秒で総合2位だった。2分38秒差の逆転を目指したが、6区帰山侑大(2年)で4分17秒差にまで広げられるなど、全区間で後れを取った。悔しさを胸に篠原倖太朗(3年)、佐藤圭汰(2年)らを中心に、より強い駒大をつくり上げる。大八木弘明総監督(65)がスポーツ報知に独占手記を寄せた。
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 箱根は甘くない。来季はもう一度立て直していきます。流れですね。やっぱり後ろを走っていたら勝てないですな。普段Sチームとして指導している鈴木、篠原、佐藤の3人はタイムも悪くなく、良いレースはしたと思います。自分からも突っ込んでいけたし押し通せた。次はトラックで世界を目指すために、やっていけるんじゃないかな。エースクラスはしっかり自分の役目を果たしてくれました。

 この1年、僕はSチーム、あとは藤田が見てきました。藤田とは出会って約30年になりますが、現役の時は合宿で午前中40キロ、午後20キロとか走っていた。今の選手は耐えられない、なかなかやれないよね。でも指導者になったら変わっていかないといけない。選手の時は自分の信念を貫き通さないと目標は達成できないけど、指導者は人との出会いや関わり、頭を下げないといけないし、選手の目線に合わせながら指導していかないといけない。藤田はそういうふうにだんだん変わっていっていると思います。

 今後は、持久力も考えた走り込みを含めてやっていかないと、箱根での20キロはなかなか押し通せないと思います。最初から突っ込んで最後まで持ち通すというトレーニングも含めてやっていかないと、これからは難しいんじゃないかな。篠原とか佐藤、山川とか伊藤、自分の中でリベンジして、走るべき人は走らないといけないんじゃないかな。

 総監督として初めて箱根駅伝を迎えました。監督だったら絶対に勝たなくちゃいけない思いは強いでしょうから、ちょっと気楽っていうか、少し外から見ている感覚はありましたね。でも子供たちの思いを成し遂げてあげたいという思いではいました。負けは、経験です。良かったこと、悪かったことを研究して、それを来年につなげてくれればと思います。(駒大総監督・大八木 弘明)

 ◆Sチーム 大八木総監督が世界を目指す選手の育成を目的に、昨春卒業した田沢廉(トヨタ自動車)と鈴木、篠原、佐藤でチームをつくり、高いレベルでの練習を行っている。

▽大八木総監督の往路動き 
 ▼2時過ぎ 起床
 ▼3時前 1区選手の朝練習チェック
 ▼5時過ぎ 寮出発
 ▼5時50分 大手町到着
 ▼6時30分頃 1区篠原をウォーミングアップへ送り出す
 ▼7時30分頃 大手町出発。「篠原には『平常心でいけば大丈夫だから』と。子供たちの喜ぶ顔がやっぱり見たいよね。こういうふうに箱根駅伝を見るのは初めてだから、なんか緊張するなぁ。運営管理車じゃない箱根駅伝が、ピンとこない」
 ▼8時 号砲とともに愛用のストップウォッチ2つをスタートさせる
 ▼9時2分 篠原がトップでタスキリレー。「いやぁ、篠原はいいレースしたね。想定より1分速い。欲をいえば、やっぱり後半だな」
 ▼9時15分 2区5キロ地点で鈴木へゲキ。「いいか! 後ろ来たら行くぞ! 行き過ぎない! 後半しっかりあげてくれば大丈夫だからな! 最後、区間賞取るんだぞ!」
 ▼9時25分 出発。篠原へ電話。「よくやった。スパートでもっとパーンといったらもっと良かったけどなあ。エースになり始めてる」
 ▼移動中に電話(山川へ)「本気で行くよ! 行くしかない! 後半、後半、後半! おまえならやれる、勝てる! ここで男出さないとな!」
 (佐藤へ)「おまえは強いよ、いいスタミナだった。もっと強くなれるよ。しっかりまた頑張っていこうな」
 ▼11時30分 芦ノ湖の宿舎へ到着。金子へ電話。「いいか、後半の頑張りにかかってるからな! 頼むぞ!」
 ▼13時 ゴールへ移動。フィニッシュを見届け「合格、合格! 大丈夫、大丈夫! おまえ最後いい走りしたよ!」
 ▽大八木総監督の復路動き
 ▼2時頃 起床
 ▼3時頃 6区選手の朝練習チェック。「監督じゃないけどさ、悔しいよ」
 ▼4時25分 箱根神社参拝。「もうこれも29回目か」
 ▼4時45分 ひげをそる
 ▼5時 朝食
 ▼6時30分 スタート場所へ移動。「風ないなあ。これは記録出るかもな」
 ▼7時35分 スタート場所を出発
 ▼8時 号砲とともに愛用のストップウォッチ2つをスタートさせる
 ▼電話(6区帰山へ指示を出すスタッフへ)「前を追え! 頭から突っ込んでいけ!」
 ▼8時58分 6区ラスト1キロ地点(小田原)で帰山へゲキを飛ばす。「安原が待ってるんだぞ! 行かないとだめだろう!」
 ▼9時 移動
 ▼電話(7区安原太陽へ指示を出すスタッフへ) 「攻めないと区間賞ないぞ!」
 ▼電話(8区赤星雄斗へ) 「区間賞取りにいくぞ! それが前を詰めることになるから」
 ▼電話(7区で安原に給水を行う弟・海晴へ) 「いいか、お兄ちゃんに言っとけ! 攻めろ、攻めろ!」
 ▼10時20分 8区4キロ地点(湘南大橋)で赤星へゲキを飛ばす。「赤星ー! 行け! 攻めろ!」
 ▼10時30分 移動。9区花尾へ「最後なんだから、やり切って、思い切って、頑張れ!」
 ▼11時25分 寮に一度戻り再度出発。
 ▼12時30分 大手町着
 ▼13時29分 10区庭瀬俊輝のゴールを見届ける

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 城西大が総合3位と快走を見せた。往路3位を保ったまま5人がつないでフィニッシュし、過去最高成績の6位を大きく上回った。大会最優秀選手賞の「金栗四三杯」にも5区で区間記録を更新した“山の妖精”山本唯翔(4年)が選ばれた。
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 城西大が有言実行で歴史を塗り替えた。10区・中田侑希(4年)は4位・東洋大の猛追を必死に振り払った。「だんだん詰まってるなって、ずっと足がつりそうで。怖くて、怖くてしょうがなかった」。2分22秒あった差は21秒まで縮まった。それでもチームの目標だった総合3位は守り抜いた。「やったぞ!」。ゴール地点で歓喜に沸く仲間たちに受け止められ、「新しい歴史に名を刻めたことがうれしい」と涙ぐんだ。

 往路の勢いをつないだ。5区で“山の妖精”山本唯翔(4年)が2年連続区間新を記録するなど3位で迎えた復路。6区のランナーは出場全23校の登録メンバー368選手の中で、能登半島地震で被災した唯一の石川県出身、久保出雄太(3年)だった。「石川県の方が一番大変なのに、親戚みんなが頑張れと応援してくれた。それが僕の走る力になった」と思いを背負って駆け出し、7区以降も単独走が続いたが、一度も順位を落とすことはなかった。

 前々回は予選会15位で本戦出場を逃したチームが大きく変わった。櫛部静二監督(52)が22年11月に提示した目標は「総合3位」。5年ぶりにシード権を獲得した前回大会よりも前の時期。2010、12年の6位を大きく上回る設定に、ある選手は「監督には失礼ですけど、『何言ってんだろう』っていうふうに思っていた」と当時を振り返る。

 だが、高い目標を掲げたことで練習の質や強度は上がり、1万メートルの城西大記録を持つヴィクター・キムタイ(2年)に食らいつく選手も1人、2人と増えていった。出雲は3位、全日本は5位といずれも過去最高8位を大幅に更新。中田は「特に出雲の3位は大きかった。Bチームも含め、自分たちもいけるんだろうなって思えた」と空気が変わったことを感じたという。

 チーム全員が自信を持って臨んだ第100回大会で壁を破った。山本は「後輩たちにいい形でつなぐことができた」と胸を張った。次は初優勝の夢を現実に変える。(林 直史)

 “謙虚な山の神” 今大会のMVPにあたる「金栗四三杯」は城西大・山本が受賞した。山上りの5区、雨天で気温が低い悪条件の中で2年連続の区間新記録を樹立したことが評価された。山本は「山の神にはなれなくても、皆さまの記憶に残るような走りができたことはすごくいい経験になった」とあいさつ。その姿を見た櫛部静二監督は「悪天候の中で、あのタイムは神の領域。“謙虚な山の神”になったなと思います」と目を細めた。

 ◆城西大の3大駅伝最高 昨季までは出雲、全日本が8位(いずれも18年)、箱根が総合6位(10、12年)。今季は出雲3位、全日本5位、箱根3位といずれも最高成績を挙げた。また、2年連続でシードを獲得したのもチーム初の快挙となった。

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 強い鉄紺が箱根に戻ってきた。東洋大のアンカーの岸本遼太郎(2年)は城西大の背中を必死に追いかけて前を追い、4位でゴール。目標の3位には届かなかったが3大駅伝初出走で1時間8分51秒の区間賞。「うれしいけど、最後に3位に上がれなかったのは自分の力不足」と納得はしていなかった。

 どうしても勇気を届けたかった。例年、チームは能登半島で合宿を行っているが、お世話になっている地域で元日に能登半島地震が起きた。酒井俊幸監督(47)は、余震が続く状況を心配しながら「まずは自分たちが出場すること。よいパフォーマンスを届けることだろうと考えていた」。出雲8位、全日本14位と振るわなかったが、箱根ではその思いが「1秒を削り出す」力に。9区の吉田周(3年)が区間2位に入るなど、最後まで攻める姿勢を貫いた。

 チームとしては06年から続くシード権を継続中では最長の「19年」に伸ばした。「最大目標ではないけれど、監督を続ける限りはずっとシードを続けていきたい」と酒井監督は力を込めた。チームとしても乗り越えた試練。王座に返り咲くため、成長を続ける。(三浦 翔)

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人気音楽グループ「ケツメイシ」のリーダー・大蔵を父に持つ国学院大の吉田蔵之介(1年)が、堂々の箱根デビューを飾った。前田康弘監督(45)も期待のルーキーは、1時間10分1秒の区間7位を記録。競技人生で感じたことのない大歓声に包まれ「うれしかった。走って楽しかった」と笑みを浮かべた。

 レース前にしか聴かない勝負曲は「ケツメイシ」の「覚悟はいいか」。この日もいつものルーチンで気合を入れ、父からは「夢の舞台、楽しんでこい!」と言葉をもらい初舞台へ挑んだ。指揮官から「一番大事だ」と言われたラスト3キロには沿道に父や知り合いの姿もあり「見えたのでうれしかった。元気が出た」と、最後まで力強く駆け抜けた。

 名曲「夏の思い出」ならぬ“冬の思い出”には「なりましたけど、悔しかった」と苦笑い。「ラスト1キロで(前の)法大の選手に離された」と成長への課題も見つかった。当初は、父の存在から注目を集めたが、これからは自分の走りで陸上界を驚かす。「お父さんがケツメイシと言われているので、それが逆になるくらい自分も走りでもっと強くなれるように頑張りたい」と誓った。(小林 玲花)

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 ボーダーラインと1分14秒差の9位でスタートした法大は、復路4位にまとめ、総合6位で2年連続のシード権を確保した。山下りの6区で武田和馬(3年)は「過去2年間もプレッシャーがかかる位置で走った経験が今回生きた」と、法大6区では77年ぶりの区間賞を獲得。「やっと区間賞を取れたということですごくうれしい」と笑顔で振り返った。

 昨夏に主力として期待されていた高橋彰太さん(享年19)が病気で急逝。高橋さんとよく写真を撮る仲だった武田は「彰太の分まで区間賞を取って彰太も喜んでくれているんじゃないかな」と語った。「来年は区間新記録を取る」と目標を掲げた武田。「山でも平地でもトップクラスの選手になれるよう成長していきたい」。高橋さんの思いを胸にさらなる飛躍を誓った。(古本 楓)

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 シード権争いでは10区で総合10位に滑り込んだ大東大が2015年(10位)以来、9年ぶりにシードを獲得した。22年春に就任した真名子圭(まなこ・きよし)監督(45)にとっては初シードとなった。9区を終えた時点で東海大と4秒差の11位と圏外だったが、10区の佐々木真人(なおと、3年)が巻き返した。
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 ゴールの瞬間、仲間が笑顔で祝福した。大東大の最終走者、10区の佐々木は神奈川大と競り合い、17番目で大手町を駆け抜けた。大会規定により、歴代最多タイの16校が青学大から10分後に芦ノ湖を一斉スタートとなったため、通過順で先にゴールしていた東海大を1分10秒上回り、総合10位が確定。区間7位の力走を見せた殊勲の3年生は「最初の10キロは苦しかったが、周りの応援もあって粘り切れた。本当にうれしい。感無量」と興奮気味に語った。

 2日の往路は8位。6区で佐竹勇樹(4年)が区間4位の快走を見せるなど、7区を終え7位と順調に見えた。だが、続く8区でケニアの留学生、ピーター・ワンジル(3年)がまさかの不調で区間最下位に沈み、11位と失速。危機を迎えたが、9区でシードまで4秒差と粘り、10区につなげた。最終区間では13・5キロすぎの新八ツ山橋付近で東海大を逆転し、26秒のリード。公式戦で初出走の佐々木は「とにかく設定(タイム)を守りながら、監督の指示を聞いて粘ろうと。しっかり自分のペースを刻めた」と胸を張った。

 22年春に就任した真名子監督は「100回記念大会、(学校の)100周年で学生が10位でゴールしてくれて心から感謝です」と涙に暮れた。シード争いの相手が見えず、タイム差も分からない状況下で踏ん張り、2度目の挑戦で9年ぶりにシードをもたらした。「自分でもびっくり。めちゃくちゃうれしかった」と喜びをかみ締めた。

 チームスローガンは「1へのこだわり」。生活面から基本を徹底し、花を咲かせた。節目の年に予選会トップ通過から、本戦は粘りの末にハッピーエンド。指揮官は「ここからがスタート。101回大会に向け、明日(4日)朝6時から練習します」と強化を誓った。(岩原 正幸)


 大東大のケニア人留学生、ワンジルが8区で区間最下位に沈んだ。9年ぶりにシード権を獲得し、喜びに沸くチームの中で、失意を味わった。ケニア人留学生が「つなぎ区間」と呼ばれる8区に出場したのは1989年の山梨学院大イセナさん(当時1年)以来、35年ぶり2人目。実はイセナさんも区間最下位(当時出場15校)だった。

 その時、イセナさんより32秒だけ速く走って、区間14位だったのは当時、東洋大1年の私だった。35年も昔の話だが、戸塚中継所で、私は私と同じように落ち込んでいたイセナさんの姿を覚えている。

 ただ、イセナさんは、このまま終わらなかった。2年時は出場できなかったが、3年時は7区3位と復活。4年時の92年大会で3区区間新記録の快走で山梨学院大の初優勝に大きく貢献した。その大会で東洋大は予選会落選を喫して、私は実家でテレビ観戦していた。「区間最下位から最後には区間新記録か。すごいよ」。勝手に仲間意識を持っていたイセナさんに陰ながら拍手を送った。

 大東大の駅伝チーム初のケニア人留学生として入学したワンジルは前回も2区で区間最下位。2年連続の失速で立場は厳しいが、それでも、あと1回チャンスが残っている。

 2015年に来日し、宮城・仙台育英高に入学。卒業後、実業団のコモディイイダで3年間、競技を続けた後、21年に21歳で入学。1年時は苦戦続きだったが、2年時には5000メートルを13分31秒97で走り、高校2年時にマークした自己ベストを6年ぶりに更新した。長距離ランナーに必要な粘り強さは持っているはずだ。

 ワンジルが25歳で迎える第101回大会で、かつてのイセナさんのように区間最下位からの下克上を果たすことを期待したい。

(編集委員・竹内 達朗)

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 シード権争いでは19年大会Vの東海大が昨年15位からの復権を狙ったが11位に終わり、3年連続でシード獲得を逃した。
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 あと一歩のところで苦汁を味わった。つかみかけた3年ぶりのシード権。11位と4秒差の10位でタスキを受けた東海大のアンカー、ロホマン・シュモン(2年)が、一斉スタートの影響で見かけの着順で順位が把握できない難しい戦いの中、懸命に腕を振った。しかし、「途中から体が動かなくなった」と区間20位に終わり、大東大を振り切れなかった。同タイムの国士舘大には、区間順位の上位者で上回り11位となったが、両角速(もろずみ・はやし)監督(57)は「非常に悔しい結果。シードに入らないといけないという焦りがあったと思う」と表情を曇らせた。

 頼みのエースが振るわなかった。16位からスタートした6区・梶谷優斗(3年)が快走し、一気に11位まで躍り出た。だが、絶対的エース・石原翔太郎(4年)が7区で区間15位と大失速。故障の影響で本来の走りが鳴りを潜め「こういう結果になるのは自分でも想定していた。仕方がない」と悔しさを押し殺した。往路でも期待の2年生・花岡寿哉が結果を残せず、主力の不振が結果に出てしまった。

 落ち込むことばかりではない。主力陣が苦しむ中、新戦力が台頭。8区の南坂柚汰は1年生ながら区間7位。「1、2年生のうちに箱根を経験をできたのは大きい。3年、4年と、この舞台に戻ってきて区間賞を取れるように」と巻き返しを誓った。

 再び予選会からのスタートとなるが、このまま終わるわけにはいかない。指揮官は「やれることはやってくれたと思う。しっかり立て直して次につなげていきたい」と悔しさを来年度に生かす決意を口にした。19年の優勝から早5年。もう一度“湘南の暴れん坊”の異名を箱根路でとどろかすため、より一層、厳しい鍛錬を積んでいく。(松下 大樹)

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 優勝候補の一角が無念のシード落ちだ。前回総合2位の中大は昨年末にエントリー16人中、14人が体調不良。往路13位に続き復路も苦戦。7区・吉居駿恭(しゅんすけ、2年)が1時間2分27秒で区間賞に輝くなど一時、圏内10位まで押し上げたが、1日に体調を崩した8区・阿部陽樹(3年)は、区間22位に沈み再び圏外へ。藤原正和監督(42)は「もう地獄でした。疲れ果てた」。3年ぶりシード圏外に唇をかんだ。

 兄の力水が弟を奮い立たせた。兄弟で最後の箱根路。9番手でタスキを受けた駿恭は「行くしかない!」と前を猛追。4人を抜き、少し険しい表情になった15キロ過ぎ。2日の2区で区間15位だった兄・大和(4年)が給水係で並走し「一番強いよ!」と弟を力強く押すと左腕を上げ、思いに応えた。計5人を抜き去り「最後まで頑張るぞと思って走った」と会心の走りで勢いをつけた。

 20年春、大和ら現4年生は新型コロナ禍で入学。練習が制限されるなど苦境が続いたが、最終学年になった第100大会での28年ぶりの総合Vを掲げてきた。その夢は無情にも果たせなかったが、後輩に引き継がれた。来年度は「泥臭く」と予選会からの再出発。駿恭は兄の思いを継ぐ。(宮下 京香)

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 「日本最南端ランナー」が大都会を駆け抜けた。日大・大仲竜平(2年)は日本最南端の有人島、沖縄・波照間(はてるま)島出身。希望していた10区を任され「来年以降につながる走りができた」。最後はスパートをかけて1秒を削り出した。

 9人の思いがつながったタスキを受け取った。「一番の目標がタスキをつなぐことだった。達成できて良かった」とうなずいた。1時間10分56秒で区間17位の結果には「他大学と勝負できていないので、来年以降は勝負できるように頑張りたい」と新たな目標も見つかった。

 この日は家族も応援に駆けつけた。沿道から「落ち着いていけよ」と声をかけられた。東京から2000キロ離れた地元の知り合いからも多くのメッセージが届いたという。チーム4年ぶりの箱根は15位。101回大会では、一回り成長した姿で故郷の島とチームをアピールする。(富張 萌黄)

(以上 報知)


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<第100回箱根駅伝>◇3日◇復路◇箱根-東京(5区間109・6キロ)

青学大を7度目の総合Vへ導いた原晋監督(56)は監督歴20年のノウハウを生かし、駒大1強の下馬評を覆した。今大会の出走10選手のうち、前回大会も走ったのは太田と佐藤のみで、2大会連続出場が2人のみはシード10校の中で最少。逆に初出走は7選手で、復路は全員が初の箱根路だった。経験値不足も懸念されたが、指揮官の起用はズバリと的中した。
      ◇     ◇     ◇
大会新記録Vを遂げた原監督は、豪快に笑い飛ばした。「皆さん、青学が勝つなんて誰も思っていなかったでしょ。誰か思っていました? 俺も思っていないんだから」。駒大1強の前評判で迎えながら、9区間で駒大の区間順位を上回った。04年の就任以降、ゼロから常勝軍団を築き上げた指揮官の手腕が光った。

「こちらが120%の力を発揮し、かつ相手が自滅しなければ無理」という見立てで迎えた今大会。オーダーには7人の初出走者を並べ、4年生3人の中でも7区山内と9区倉本は初舞台だった。これは「実績は関係なく選考する」と明言し、箱根で最も好調な選手を起用するように努めてきた証拠。区間賞を獲得した倉本は「4年間でしっかり練習を積めば、絶対に走れると思っていた」と諦めることはなかったとうなずいた。指揮官は「体系化させた原メソッドの基本軸があるからこそ」と誇った。

12月にはアクシデントにも見舞われた。チーム内でインフルエンザに10人弱の選手が罹患(りかん)。例年は選考会などで追い込むタイミングを、箱根で力を発揮するため、あえて休養にあてた。「トレーニングを柔軟にできるようになった。それが大会新記録につながった」。それまでの疲労が抜け、メンタル面でもリフレッシュができた。

過去の実績にとらわれず、臨機応変な対応をみせた監督は、言葉でも選手たちの重圧を振り払った。12月28日の全体ミーティング。「本音8割、2割はほっとさせる」という意味を込めて、学生たちに「準優勝でいいよ」と伝えた。その言葉に逆に選手たちが発奮。選手たちのみでミーティングを開き、あらためて目標を明確化した。「学生たちは『優勝だ』となっているので、力を抜かせようと。『準優勝でいい。その先に優勝がある』と。現実を見ず、学生の気持ちに乗っかって『優勝だ、優勝だ』と輪をかけるように言っても、うそになる」。絶妙な声かけでチームの“120%の力”を引き出した。

「私以上に学生たちが優勝したい思いが強かったレース。学院創立150周年、監督就任20年、箱根駅伝100年、この3つのタイミングで優勝させていただいたことをうれしく思う」

巧みなタクトで導き、再び黄金時代の幕が開けた。【藤塚大輔】

○…2つの吉兆データが的中!? 原監督は毎年箱根のテーマを「○○大作戦」と掲げている。この1文字目の母音に注目すると、初優勝した15年以降はすべて「a」のつく年に制覇していた。今回のテーマは「負(Ma)けてたまるか大作戦」で“不敗伝説”は継続。また、今季は出雲5位、全日本2位で、20年の箱根も同様の順位推移から制していた。王者は運も味方につけていた。


青学大が、全国に門戸が広げられた100回目の記念大会で、2年ぶり7度目の総合優勝を飾った。

大会新の10時間41分25秒をマークし、22年に同大が記録した大会記録を2分17秒更新。往路3区で首位に立つと、計5選手が区間賞を獲得する独走劇で、史上初の2季連続大学駅伝3冠を狙った2位駒大に6分35秒差をつけた。今季は出雲5位、全日本2位にとどまっていた中、16人のエントリーを外れた志貫勇斗主将(4年)がけん引。チームをまとめ上げ、新たな黄金時代到来を予感させる圧勝の箱根路に導いた。
   ◇   ◇   ◇
駒大をはるか後方に置き去りにしていた9区。志貴は横浜駅前の給水地点を走っていた。4年目で初の箱根出走となった倉本へボトルを手渡した。一瞬だった。「短かったな」。ガッツポーズで応える同学年の背中は、あっという間に遠ざかった。2年前の前回優勝時は1区区間5位と好走も、この大会はサポート役。再び走ることはかなわなかったが、胸は喜びでいっぱいだった。「全員で頑張ってこれた」。駒大に大差をつけ、独走でゴールテープを切った大手町。すがすがしい思いで役目を遂げ、仲間の手で宙を舞った。

前回大会で連覇を逃し、3冠を達成した駒大に主役の座を奪われると、世間の目は自然と新チームへ向く。現4年生で昨季の箱根を走ったのは佐藤のみ。
「谷間の世代」と言われたこともあった。大学3大駅伝未出走の倉本は「悔しさから始まった1年」と振り返る。3位となった2日後の1月5日。山区間候補者による箱根登り坂での20キロ走から、雪辱への道のりが始まった。
ただ、春のトラックシーズンが始まっても、存在感を示せない。立候補で主将に就任した志貴は、5月の関東インカレ2部ハーフマラソンで23位となり、「ふがいない。自分は主力として戦わないといけないのに」と肩を落とした。好調の駒大と対比され「今年も青学は厳しい」との声も耳にした。

変化のきっかけは夏合宿だった。主将は部員たちと膝をつき合わせることから始めた。「100%を出し切るには、1つ1つの細かいことをやっていかないと」。チーム全体だけでなく、学年間でも話し合った。4時間に及んだ時もあったが「全ては箱根のため」と腹をくくった。

その思いが、すぐに結果に表れるほど甘くはない。出雲、全日本では、前評判通りに駒大に圧勝を許した。それでも4年生は諦めなかった。箱根未出走の山内や倉本らが何とかメンバー争いへ食らいついた。志貴は11月末の時点でエントリーから外れたことを悟ったが「最後まで走り切ろう」と12月下旬まで学内競技会へ出場を続けた。

そして迎えた最後の箱根。4年生の奮闘が光った。佐藤と倉本は区間賞、山内は区間3位と力走。チームは史上最速タイムをたたき出し、駒大1強を崩した。

青学大は給水のサポート役を出走者が選ぶ。出走した4年生3人は、全員が同学年の仲間を選んだ。託された志貴は「これが横のつながりかな」と喜びをかみしめながら、給水ポイントを走った。「チームがトップを走っていることが本当に誇らしかった」。主将を軸に築かれたこの一体感こそが、下馬評をひっくり返す土台だった。【藤塚大輔】

◆青学大陸上競技部 1918年(大7)創部。箱根初出場は43年で、最下位の11位。76年を最後に出場できない期間が続いたが、04年に原晋監督が就任し、09年に33年ぶりに箱根復帰。15年の初制覇から4連覇を達成。20、22年も優勝。主なOBは「3代目山の神」こと神野大地。活動拠点は神奈川・相模原市。

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史上初となる2季連続の大学駅伝3冠を狙った駒大は2位に終わった。往路2位の駒大は首位青学大と2分38秒差で復路を迎えた。逆転優勝を目指したが、スタートの6区から差を詰められず、ゴール時には6分35秒差まで広げられた。
史上5校目の3冠達成の昨季に続き、今季も10月の出雲、11月の全日本と完勝。絶対王者として迎えた今大会は青学大の想定以上の強さの前に敗れた。4月にヘッドコーチから昇格し、今大会が箱根初采配だった藤田敦史監督は出直しを誓った。
   ◇   ◇   ◇   
青学大の背中は遠ざかるばかりだった。優勝候補筆頭で今大会に臨んだ駒大はトップの青学大に2分38秒差から復路で逆転に懸けたが、5区間全てで差を広げられた。藤田監督は「箱根はやはり別物と感じた。今季ずっと先頭を走ってきたので、後手に回って動揺が走った」と敗因を分析した。

6区の帰山が区間12位とブレーキ。挽回を狙った7区の安原は「焦りもあって(前半)突っ込んでしまった」。余分な力も入り、スピードに乗れなかった。「4年生として前を追って流れを変えていかないといけない立場だったが、離されてしまった」と反省した。

往路の3区で歯車が狂い始めた。“3本柱”の一角で、U-20(20歳未満)の1万メートルの日本記録を持つ3区の佐藤が首位から転落。昨年箱根から連続首位記録が「23区間」でストップ。安原は「どこかに不安みたいなのを感じたんじゃないか」と振り返る。首位通過してきた出雲、全日本の計14区間のうち7区間で区間賞。他校の背中を見てこなかった絶対王者の戸惑いは隠せなかった。

大会前の調整も課題を残した。出雲、全日本の優勝メンバーだった伊藤蒼唯は起用されなかった。「インフルエンザにかかって、その後は故障もあった」と藤田監督。「箱根駅伝は他の駅伝と別物」とシーズン最後の大舞台に照準を合わせる難しさを実感した。

「史上最強を越える」。田沢廉らを擁し、3冠を達成した昨季のチームをライバル視してきた。打倒駒大で挑んできた青学大とは対照的な姿勢だった。往路では大会新を出すなど、タイム自体は決して悪くないが、青学大はさらに上をいった。藤田監督は「想定よりはるかに超えた数字だった」とライバルの実力を認めるしかなかった。

もっとも今回の出場メンバーの半分は来年も残る。実力者もそろい、戦力が豊富であることに変わりはない。3区で競り負けた2年生の佐藤は「今回走った2年生やそれ以外の下級生を自分が引っ張っていきたいと思います」と前を向いた。藤田監督も「この1年は苦労すると思う」と、再建への覚悟を口にした。この悔しさは忘れない。【村山玄】

■鈴木主将「悔しい」
2区2位だった鈴木主将は「とにかく悔しいです。3冠しようとやってきた。後悔はないが、事実として負けてしまった」と肩を落とした。卒業後は実業団で競技を続ける予定で「次のステージで生かせるように」と糧にする。最後に後輩たちへ「この悔しさを絶対忘れないようにして、来年また勝てるように頑張ってほしい」とエールを送った。

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往路を制した青学大が危なげなく逃げ切り、大会新記録で2年ぶり7度目の総合優勝を果たした。駒大は復路での逆転ならず史上初となる2季連続の3冠を逃した。
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往路8位の大東大が、最終10区で逆転し、9年ぶりのシード権をつかんだ。10位東海大と4秒差の11位でタスキを受けた10区の佐々木真人(3年)がジワジワと追い上げ、蒲田付近で逆転。最後は東海大に1分10秒差をつけてゴールを駆け抜けた。
復路は今回、史上最多タイ16校(往路8位以下)が一斉繰り上げスタートとなったため、シード権(10位以内)争いは、走っている順位と正式順位の相違がより複雑化。逆転した瞬間も、佐々木は東海大のはるか後方を走っていた。「タスキを受けた時点で4秒差と聞いた。設定タイムを守ることだけを意識した。まずは前にいた神大に追いつくことを考えた。正直、かなり緊張した」。高校駅伝で仙台育英を率いて全国優勝している真名子監督は「この大会がゴールではない。スタートだと思うので、いつかは3冠を取りたい」と見据えた。今日4日から、練習を再開する。【首藤正徳】

(以上 日刊)

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