1959大峰山奥駆け:4
奥駆け道は一本道である。そこ此処に佛像や祠があり、講中一同は祈りを捧げながらの行脚をしていた。
大峰山寺から先さすがに修験の道、仏典や佛に由来の名前が連なっている。
「山上ケ岳」⇒「阿弥陀ケ森」⇒「大普賢岳」⇒「行者還岳小屋」⇒「弥山」⇒「仏経ケ岳」⇒「釈迦カケ岳」⇒「太古の辻」⇒「前鬼小屋」⇒「大日岳」
この先最初の予定では、熊野道に入り十津川に突き当たるまでであったが、前鬼小屋の先は案内人が必要と忠告を受けたので断念して、国道「前鬼口」へ下山するしかなかった筈だが、現在では前鬼林道があり当時とは異なっているようで確かではない。
この間を3泊ほどで歩いている。講中と同行したおかげで、所々の脇道に入った所にある佛像や祠、修行場所も見落とさずに済んだ。
ただ、保存していた写真を見ても名前までは思い出せない。阿弥陀、普賢、釈迦の地名があり、この仏様は釈迦岳にあった釈迦像ではないかとやっと判断できたくらいで、知識のなさに己を恥じている。
釈迦岳には下山日前日に到達しているが、大日岳の鎖場を往復したかどうか、写真がないので確信が持てなくなっている。釈迦の前で記念撮影はしているのだが・・・。
コースとおよその山の名と小屋のある辻の名は分かってきたが、写真がどの位置かは判別できない。何しろ鬱蒼とした灌木の森と、立ち枯れの木にまつわる苔、遙かに霞む山並みが何処までも続いているだけだった。
記憶を呼び覚まそうと、web上で奥駆け道について探った所、koba3の写真にはほとんど見当たらないしっかりした道標や、きれいな山小屋(宿坊)やトイレまでが設置され、その上多数のパーティーが色々な方向から登頂しており、その写真が掲載されていて隔世の感がある。1959年山上ヶ岳の宿坊には大勢の人がいたが、奥駆け道では同行した講中以外には会っていなかったのだ。
ただ、登山記での苦労話、水場の水不足がいずれのレポートでも第一であり、自然の恵みの重要なことは昔も今も変わらないことが“いとおかし”!!
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