2010年GW・北東北の旅・その16:抹茶を一服
広々とした庭に桜が満開、その脇には由緒ありげな洋館が、時折そぞろ歩きの人影が現れては消えて行く。
GW只中、弘前公園追手門先の市民広場は、屋台やブルーシートを敷いた花見客でごった返していた。
その広場を避けて西濠から直接外へ出ようと、弘前市立博物館方向へ向かった。並んで建っている市民会館の駐車場からは、津軽三味線の音色がアチコチから聞こえてきた。ホールで津軽三味線のイベントがあるらしく、駐車場の柵に腰掛けたりワゴン車の座席に座って盛んに三味線をかき鳴らして、音色を確かめていた。出演者が準備に励んでいる模様、思わずホールのポスターを覗きに行ったが、観覧したかったが予定外、時間に余裕がないのでそのまま石垣を回って道路に出ると、目の前が黒板塀のシックな「藤田記念庭園」だった。
入ってすぐの洋館は資料館らしいので、内門を抜けて庭に出た。広々とした芝生の庭に面しこちらは和館、入場の際に同時に求めた呈茶券を差し出し、床几に腰を下ろし抹茶を所望した。
中は広々と部屋が連なり、お茶会も出来そうな広さがあった。昼食後弘前公園の観桜で歩き回っていて、一度も腰を下ろしていなかった。あの人混みでは落ち着いて休んでもいられない。人気の少ない広々とした庭で“お茶”、ほっと一息だったが、あれだけ大勢の人波もほんの一握りしかこの庭園には入ってこないとは!モッタイナイ!!
庭の端まで行くと、この庭は高台となっていて、覗き込むと更に広々とした庭が眼下にあった。木陰を透かして見ると、和庭に茶室らしき建物が望めた。
茶室に池を設えた庭、思わずぐるりと一回りしてしまった。
池泉廻遊式庭園というのであろう、これほどの庭どんな由来か調べてみた。「弘前市出身の藤田謙一氏の別邸として、大正8年(1919)に建設された。藤田氏は日本商工会議所初代会頭を務めるなど、日本屈指の財界人として活躍した」とあった。何時の時代も功成り蓄財した資産家の生活は、所詮庶民には理解しがたい程の贅沢が許されているようだが、それ故に、これほどの伝統的資産が保存存続されて行くのであるから、貧富の差を嘆くより功を讃えておくべきか。それにしても見事な庭!
茶室の周辺は一部に過ぎず、かなり彼方まで庭は続いていた。茶庭の雰囲気を守るためか桜は数少なかったが、池に架かる石橋の彼方の枝垂れ桜が盛りであった。
上の庭と下の庭の間の崖には、滝が水を落としていた。足下には菖蒲田が、見上げれば朱塗りの欄干がアクセントとなっていた。
上の庭へは大きく回ると階段でなく、緩やかなスロープで上がれるようになっていた。これなら足が弱っていても、何気なく行き来が出来るであろう。その道の敷石を妻が感心して見ていて写真に留めるように言っていたので、慌てて納めたが、この敷方の名は思い出すことが出来なかった。
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