北へ南へ、東へ西へ

旅と山歩き・街歩きの記録です 今を語りながら過去も振り返って

静寂の中でした 総持寺祖院:石川県輪島市

2009-08-28 15:17:23 | 旅の途中で思うこと

 旅に出た時多くの場合、というより殆どの旅で神社やお寺を訪れています。特に信心深い訳でも宗教心がある訳でもありません。建築様式や建築物の由来に造詣が深い訳でも、寺や神社の由緒来歴に特段の興味がある訳でもありません。それでもなぜか惹かれるのです。集落の片隅にある鎮守様、檀家も住職もあるのかないのかうらぶれた手入れのあまりされていない古びたお寺にすら、安らぎが感じられます。一方荘厳な佇まい、必要以上の壮大なお堂・社には圧倒され、宗教は威厳と“脅し”によって成り立っているものとの確信も深めます。

 といっても、お寺や神社の威厳によって文化が継承され、森や造園によって緑と自然と伝統や造形が継承されてきたのも事実です。その土地土地の文化が感じられるのも、壮大とも荘厳とも言える寺社に拝観したそんな時なのです。翻って考えると、東京都心の緑は寺社の広大な境内(権力者の占拠していた屋敷も合わせ)によって、すなわち権威と威厳によって保たれ開発を免れ保存されてきたと、独断しています。

 妻の前々からの強い願いがあったのが、今回の能登の旅の発端にもなっています。その第一の場所は、妻が独身時代親友との旅で訪れた「総持寺祖院」の荘厳な佇まいだったのです。一歩中に入った時目にした広々とした空間と遙かに佇む山門の光景でした。



 「ヤセの断崖」から海沿いに国道に戻り、海を離れ輪島市に入った辺りに巨大な道案内看板があり、脇道の先に総持寺祖院はありました。輪島市役場の門前町支所の広い駐車場に車を止め、目の前、建築用の足場とそれを覆う天幕にたじろぎましたが、くぐり抜けて中に入ると広い境内がそこにありました。朱の欄干白字橋の先、総ケヤキ造りの山門は、参詣者を圧倒して迎えていました。橋の下は僅かな流れでしたが、水音が静寂を強調していました。



 写真には目障りなので避けていますが、工事中の天幕や、建物を保護しているであろうブルーシートが所々にあり、寄進を呼びかける掲示により「平成19年3月25日、能登半島地震」による被害が多大であり、今も修復作業が続いていることを知りました。それでも殆どがケヤキ造りの古い建造であっても、見た目には立派に建っているのは愕きです。山門から仏殿へと回廊が続いています。



 元々は永平寺と並び曹洞宗大本山として全国の寺を統括し、修行僧を多く抱え繁栄していたのが、明治31年(1898年)の大火で多くを焼失し、本山は神奈川県の鶴見へと移されたと聞きます。その後七堂伽藍も再建され、山門の霊場、根本道場の威厳を伝え、「曹洞宗大本山總持寺祖院」として昔の面影を残しています(和倉市のHPより)。経蔵、慈雲格、僧堂等焼け残った建物も境内に散見されました。



 扁額、仏殿内の仏様、法堂(大祖堂)内の彫刻や絵画も見事・・・といっても、由緒ある絵師の作品や、欄間の彫刻、襖の墨跡も区別が付かないのですが・・・と言われ、シャッターは切ったのですが・・・。

 



 山門の内に立ち、木立の間から法堂を見ていると、心を洗われる気分になるのはなぜ、オゾンの癒し効果なのでしょうが、それを作り出した宗教の力が甚大だと言うことでしょうか!





 鶴見の總持寺(過去記事にありました。ここ)の洗練された都会的なモダンさに比べ、朴訥とした懐かしさを感じさせてくれました。丁度昼時、門前町です、よりどりみどりの食事どころと期待してきたのですが(今まで訪れた由緒ある寺の門前は全て賑やかであったので)、食事できるところは蕎麦屋一軒のみしかない!!!しかも品書きは「モリとカケ}の2種類のみ、商店会のHPに因れば、商店も地震の被害が多大にありやっと再建が進んでいるとのことでしたが、お盆休みの観光最盛期であっても閑散とした参詣者では、門前町としての商いは成り立たないのでしょう。能登の奥、地理的な不便さはありますが、過去二度行った永平寺の辟易とする程の人混み、呼び込みの激しかった門前商店街とは雲泥の差、現代の旅人の興味に合わない過去の遺跡となったのでしょうか・・・。



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (yukimi)
2009-08-28 23:23:43
これが能登の総持寺なんですかぁ。
伽藍は明治時代の大火以降の再建なんでしょうが、趣きあるいいたたずまいですね。
返信する
Unknown (koba3)
2009-08-29 08:55:57
yukimiさんお早うございます
総ヒノキ造りですから、雨風に痛めつけられてはいますが、一部を除いては地震にも耐えています。明治の火災に遭わなかった建物も残っていて、いっそう厳かな雰囲気があり、鶴見の洗練されたモダンとは又違っています。
交通の不便さ(能登鉄道輪島線も廃線となり、数少ない路線バス頼りです。能登は車がないと(特に景勝地は)思う様に動けず、今まで入り口止まりでしたが、やっと行き着けました。
返信する

コメントを投稿