北へ南へ、東へ西へ

旅と山歩き・街歩きの記録です 今を語りながら過去も振り返って

雁木通りだった 鈴木牧之記念館・牧之通り:新潟県南魚沼市

2017-05-25 17:28:10 | 町並み

2017GWの旅 その5・終章

 駐車場に車を止めて見渡すと周囲は公園になっていて緑があふれていた。木立の先に落ち着いた雰囲気の建物があり「鈴木牧之記念館」とあった。

 鈴木牧之(すずきぼくし)は記念館のwebサイトによれば「『北越雪譜』の著者、明和7年(1770)塩沢に生れました。幼名:弥太郎、元服後:儀三治。牧之の家は、代々縮みの仲買商を稼業とし、父の影響を受け幼い頃から学問や文芸の道に励みました。雪国越後の民俗、習慣、伝統、産業について詳述した『北越雪譜』は牧之の代表作。」

 記念館を観覧して表に出ると公園になっていた、野外舞台や遊具などが置かれていた。

 GW5月5日は晴天であったが、翌6日は朝から雨が降っていた。野山の散策には向かない。ということで室内で満足出来る場所、柏崎の「木村茶道美術館」へ向かった。峠をいくつか越え(道路が整備されバイパスのトンネルが多く造られ、30年前初めて今のほくほく街道方面に行った頃と比べ峠越えは僅かになっている)海に近づくと雨脚は強くなった。久しぶりの茶道美術館、茶席には人間国宝柿右衛門作や楽O代作などの茶碗が出され、普段はガラスケースの中の展示品が手に取れる。そのために訪れるのだが雨のためか客は2組4名だけであった。美術館と松雲山荘についてはすでに数度紹介しているので割愛。

 魚沼の背骨となる「魚沼スカイライン」を発箇峠トンネルで抜けて南魚沼へ戻ると六日町、少し東京寄りが塩沢となる。そこに「牧之通り」はある。宿場町、雁木通りが再現されている。

 地方の小さな村・町の合併が進められていた時代があったが、明治時代には数か村が纏まり塩沢町が誕生、昭和後半さらに周辺石打村などを吸収した後2005年に六日町市を中心とした南魚沼市に吸収合併されている。学生時代、独身時代に頻繁にスキーに来ていた石打・塩沢・六日町の名前も今は字名としてしか残っていない。

 「塩沢町の中心街は旧三国街道(日本海側と江戸を結ぶ輸送路)沿いの宿場町として栄えておりました。それから300年。その歴史と文化を復興させようと地元住民が「塩沢らしさ」とは何かを町役場そして県地域振興局の職員の方々と長い時間をかけ、三国街道塩沢宿「牧之通り」として完成いたしました。」と塩沢観光協会のサイトにあって見事に再現されていた。

 「牧之通り」は前から気にはとめていたが、「牧之」そのものに知識がなく行動に起こせずにいた。実際訪れてみるともっと大々的に広報してもよいのでは・・・。商店はもちろん銀行や郵便局もこの中に入っている。どれがどれやら記録はしてない。

 上越の高田の雁木、学生時代に行きその見事さにびっくりしたが、1昨年「雁木通り」と名付けられた町筋を訪れたが、往時の思い出と食い違いがっかりしている。塩沢は、かなりの長さの町並みを往時さながら復元していた。時は端午の節句、土間奥に人形を飾っている家屋もあった。

 湯沢へ帰りいつもの食事処で夕食を済ませ、翌日朝、GW「その1」の足利フラワーパークの藤を観て今年の細切れ休日は終った。

 

 





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