恵那・木曽路の旅 その4
島崎藤村の夜明け前は『木曾路《きそじ》はすべて山の中である』で始まり、程進んだ先に『馬籠(まごめ)は木曾十一宿の一つで、この長い谿谷の尽きたところにある。西よりする木曾路の最初の入り口にあたる。そこは美濃境(みのざかい)にも近い。』とある。ところが平成の大合併によって越県合併となり中津川市に編入されてしまった。すなわち木曽でなく美濃になってしまったのだ。といっても拘るまでもなく成り行きであって木曽は木曽でかまうことはない。
根の上高原を下って19号線を進むと「馬籠方面」の案内板があった。2000年のGWに先の「妻籠宿」に立ち寄り古い宿場町の佇まいに浸ったが、余りの混雑人の多さに「馬籠」はスルーしてしまった。今回はオフシーズンの月曜日、宿場町の雰囲気が味わえることを期待して立ち寄ることにした。宿場を挟んで下と上に駐車場があると案内板にあったが、車で入ると往復しなければならないので、疲れの出る帰りを下りにする方が楽と考え下から入ることにした。案内所前の石柱より下にもまだ町並みが続くようであったが、覗くだけにした。
妻籠は平坦な部分も多少有ったが、馬籠はすべて石畳のかなりの坂道が続いていた。この石畳整いすぎていて箱根や大内宿の荒い石のゴツゴツ感はない。近代のものなのか、元々磨き上げられたものなのか???
写真を撮りながら考えが纏まらなくなったのは、坂を仰角(下から上)か俯角(上から下)か決めて撮るべきか、色々撮ってしまうとまとめの時繋がりが分かりにくくなるおそれが出ること・・・!!!一つの建物でも雰囲気が違ってしまう。入り口から町並みを見上げ、しばらく登って振り返る、どちらがより雰囲気が出るのであろうか???
などと屁理屈を書いてしまったが、宿場町の雰囲気を味わうのにはどうでも良いことなのだ。が、一覧にしてみると圧倒的に上から下を眺めている図が多いことに気が付いた。構図として落ち着くのであろうか?
対面で、又は仰角での下から撮った建物画像は細かな描写が出来て実態が把握しやすい。
上から俯角では屋根瓦まで写し込むので、全体の雰囲気が味わえる。
特に広い範囲を俯瞰した時には、町並み家並みからその時代に浸ることが出来る。
阿弥陀堂、資料館、藤村記念館など有ったが、それほど歴史や史実に詳しくはないし関心も少ないので、受け売りの解説は省略した。
阿弥陀堂
資料館
藤村記念館
馬籠の煤けたような時代を感じる建物群に比べ(10年前のことだから現在も同じかは分からないが)、妻籠の建物はどれも白壁の白さや黒板の鮮やかさから真新しい建物の雰囲気が漂う。骨組みや建物自体はかっての姿のままかもしれないが、塗装などかなりの補修がされているのではないかと感じた。
GWでもなく平日であったから混雑程ではなかったが、少なからず観光客はいた。しかも、日本語以外の言葉が目立って飛び交っていた。撮影は人の切れ目を意識しているので、静かな宿場町の雰囲気を切り取ることが出来たが、会津の大内宿、飛騨高山の古い町並みなどと同じ様に、建物はそのままでもその姿は土産店や飲食店に転用され、往時の姿とは別物になってしまっている。町並みを維持するためには観光用の転用は時代の流れでやむを得ないことなのであろうか。
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