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北へ南へ、東へ西へ

旅と山歩き・街歩きの記録です 今を語りながら過去も振り返って

移転ご挨拶

plalaからgooへ移転してほぼ修正が終わりジャンル・カテゴリーが設定出来ました。タグ付け法が見つからないので、県名・市町村名、東京都は区市町村名で、その他寺社・名所などは固有名詞でサイト内検索して下さい。 サイト内リンク先、アドレスがplalaのpubのままgooに変更していないのでリンク切れしていました。リンク箇所を探して変更するのはかなり時間がかかりそうです。

雪避けの雁木が屋内に? 「がんぎどおり」:新潟県湯沢町

2010-01-23 09:14:38 | 旅の途中で思うこと

 日曜日、列車を待つ間久しぶりにJR越後湯沢駅構内を散策しました。大幅にリニューアルして、今までの雑然とした「場末の闇市(古!)」風からデパ地下の名店街風に変わり、すっきりしました。



 その名も「がんぎどおり」、新たに寿司・蕎麦・おにぎり・芋様々などの飲食店も倍増して、駅中でお土産も食事も済ませられるようになりました。



 「雁木」は雪国特有の雪避けの庇ですから、屋内のどこ?きょろきょろして見上げてみましたが???・・・念のため少し離れて天井を探ってみたら有りました、アルミで作られた雁木が!!



 両脇に飲食店や書店、待合室やビジターセンターも健在でした。二列に整然と並んだ売店は、燕三条の刃物屋など今までもあった店に新顔も加わって、おすまし顔で商品も展示されていました。雁木どおりの突き当たりは今まで通りお土産や名産品の売店の並んだ「COCOLO湯沢」、お酒が中心ですが、こちらもお土産や名産品の売店も多数ある「 ぽんしゅ館」が覇を競っています。従来の食堂も健在で、店舗、飲食店を合わせると100店近く?越えているかもしれません。これだけ駅中に店舗が整列してしまうと、駅前周辺の既存のお土産店や飲食店には少なからずマイナスの影響が出ないかと、只でさえスキー客温泉客の減少で閉店や代替わりが見られる今、危惧されます。

 コンコースの片隅には、多少お色直しをして従来からの屋台も健在で、呼び込みで賑やかでした。


広大な屋敷!これが豪農の館! 上時国家:石川県輪島市

2009-08-31 16:54:10 | 旅の途中で思うこと

 總持寺祖院を後に北上を続け能登半島の先端までを目指していたのですが、富山湾沿いの海岸線をドライブで楽しみ、代表的な海岸美の「ヤセの断崖」を堪能したので、先端の岬まで行く走ってばかりの周遊を中止し、史跡探勝に変更しました。宿泊地の輪島のホテル前を素通りして、着いたのは「上時国家」の門前でした。



 門は緩やかな坂の上にあり、門前の広場は十分な駐車スペースになっていて、傍らにはお土産の売店もありましたが、車は数台程度でした。坂を上がり門を入るとさらなる空間があり、広大な屋敷であることが窺い知れました。

 

 小・中・高を通じてもっとも苦手な科目の一つに(得意な科目は僅かですから、殆ど苦手ですがその中でも特に)歴史がありました。義経の舟隠しや平家の流刑の伝承が有り、源平の時代に遡った史跡が散在している様でしたが、時代背景も歴史の流れもさっぱり理解出来ません。やっと解説書、案内板から「壇ノ浦の合戦後、平家の武将平時忠(たいらのときただ)は能登(珠洲)に流されることになった。その後この地に移り時国家の祖、平時国が生まれ、平姓を捨てて時国家が生まれたとされる。この地を支配する豪農として長きにわたり繁栄し、江戸時代には天領、大庄屋として名字帯刀を許された。」なるほどと思っても、鎌倉時代当たりとは感じても、年号などはとんと出ては来ないのです。

 玄関で観覧料を支払うと、受付の初老の婦人が客の進行に合わせて各部屋の解説テープを流してくれました。欄間の彫り物、襖・天井の造り、豪農の館とは、斯くもありナン!!

 



 庭は一面苔に覆われ、池の藻の緑と融合してしまい、何処が池やらの風情、縁側に腰を下ろし一日過ごせば、心も洗われること間違いなし、でしょう。


 
一番奥まった所に古びた建物があり、窓越しに生活用品が見られました。時国家は今も継承されているといいますから、もしかして当代の住まい???

 

 玄関横手作業場の天井には、駕籠までも保存されていて・・・。



 広い敷地に広い家、揺ったりとした人間らしい生活が出来るでしょうけれど、家族が居たら、買い物は?学校は?冬の吹雪の時は?ふと考えてしまいました。盆休み3日目8月15日午後、まだ日は高い所にありました。


静寂の中でした 総持寺祖院:石川県輪島市

2009-08-28 15:17:23 | 旅の途中で思うこと

 旅に出た時多くの場合、というより殆どの旅で神社やお寺を訪れています。特に信心深い訳でも宗教心がある訳でもありません。建築様式や建築物の由来に造詣が深い訳でも、寺や神社の由緒来歴に特段の興味がある訳でもありません。それでもなぜか惹かれるのです。集落の片隅にある鎮守様、檀家も住職もあるのかないのかうらぶれた手入れのあまりされていない古びたお寺にすら、安らぎが感じられます。一方荘厳な佇まい、必要以上の壮大なお堂・社には圧倒され、宗教は威厳と“脅し”によって成り立っているものとの確信も深めます。

 といっても、お寺や神社の威厳によって文化が継承され、森や造園によって緑と自然と伝統や造形が継承されてきたのも事実です。その土地土地の文化が感じられるのも、壮大とも荘厳とも言える寺社に拝観したそんな時なのです。翻って考えると、東京都心の緑は寺社の広大な境内(権力者の占拠していた屋敷も合わせ)によって、すなわち権威と威厳によって保たれ開発を免れ保存されてきたと、独断しています。

 妻の前々からの強い願いがあったのが、今回の能登の旅の発端にもなっています。その第一の場所は、妻が独身時代親友との旅で訪れた「総持寺祖院」の荘厳な佇まいだったのです。一歩中に入った時目にした広々とした空間と遙かに佇む山門の光景でした。



 「ヤセの断崖」から海沿いに国道に戻り、海を離れ輪島市に入った辺りに巨大な道案内看板があり、脇道の先に総持寺祖院はありました。輪島市役場の門前町支所の広い駐車場に車を止め、目の前、建築用の足場とそれを覆う天幕にたじろぎましたが、くぐり抜けて中に入ると広い境内がそこにありました。朱の欄干白字橋の先、総ケヤキ造りの山門は、参詣者を圧倒して迎えていました。橋の下は僅かな流れでしたが、水音が静寂を強調していました。



 写真には目障りなので避けていますが、工事中の天幕や、建物を保護しているであろうブルーシートが所々にあり、寄進を呼びかける掲示により「平成19年3月25日、能登半島地震」による被害が多大であり、今も修復作業が続いていることを知りました。それでも殆どがケヤキ造りの古い建造であっても、見た目には立派に建っているのは愕きです。山門から仏殿へと回廊が続いています。



 元々は永平寺と並び曹洞宗大本山として全国の寺を統括し、修行僧を多く抱え繁栄していたのが、明治31年(1898年)の大火で多くを焼失し、本山は神奈川県の鶴見へと移されたと聞きます。その後七堂伽藍も再建され、山門の霊場、根本道場の威厳を伝え、「曹洞宗大本山總持寺祖院」として昔の面影を残しています(和倉市のHPより)。経蔵、慈雲格、僧堂等焼け残った建物も境内に散見されました。



 扁額、仏殿内の仏様、法堂(大祖堂)内の彫刻や絵画も見事・・・といっても、由緒ある絵師の作品や、欄間の彫刻、襖の墨跡も区別が付かないのですが・・・と言われ、シャッターは切ったのですが・・・。

 



 山門の内に立ち、木立の間から法堂を見ていると、心を洗われる気分になるのはなぜ、オゾンの癒し効果なのでしょうが、それを作り出した宗教の力が甚大だと言うことでしょうか!





 鶴見の總持寺(過去記事にありました。ここ)の洗練された都会的なモダンさに比べ、朴訥とした懐かしさを感じさせてくれました。丁度昼時、門前町です、よりどりみどりの食事どころと期待してきたのですが(今まで訪れた由緒ある寺の門前は全て賑やかであったので)、食事できるところは蕎麦屋一軒のみしかない!!!しかも品書きは「モリとカケ}の2種類のみ、商店会のHPに因れば、商店も地震の被害が多大にありやっと再建が進んでいるとのことでしたが、お盆休みの観光最盛期であっても閑散とした参詣者では、門前町としての商いは成り立たないのでしょう。能登の奥、地理的な不便さはありますが、過去二度行った永平寺の辟易とする程の人混み、呼び込みの激しかった門前商店街とは雲泥の差、現代の旅人の興味に合わない過去の遺跡となったのでしょうか・・・。


見事な建物です 旧森家住宅:富山市

2009-08-20 11:37:01 | 旅の途中で思うこと

 格子戸の向こうにランプが認められます。



 表に廻れば、立派なお屋敷なのが分かります。富山市岩瀬大町通りのほぼ真ん中辺りにある国指定重要文化財「北前船廻船問屋森家」の佇まいです。



 盆休み直前に東名高速道地震による崩壊一時区間通行止め、迂回路の中央高速道も大渋滞、上信越道妙高高原辺りは慢性的に渋滞、さてどうしたものかと考えるまでもなく、13日、JH渋滞情報では朝からの渋滞が一番早く解消していた関越道を正午過ぎ、長岡方面に向け出発しました。さすが普通の日曜日と違い走行車列は密で3車並進状態、それでも混雑程度でスピードも制限速度一杯?で走っていました。新潟県内で1泊、14日北陸道で富山に向かいました。昨年まではガラガラ、今年のGWでもまだ余裕を持って走り抜けましたが、この日は渋滞こそ有りませんでしたがかなりの混雑状態、帰京後のお盆期間の高速道状況では、昨年比増加率一番が北陸道であったとか、さもありなん。

 渋滞次第お天気次第で候補地はあっても確と決めた訳でなく、それでもS.A.で昼食をすませ、昼過ぎには富山県内に入っていました。北陸道絶景箇所は全てトンネル、車窓の景色は望むべくもありません。早めに立山I.Cから国道8号線に降り、S.Aにあったパンフレットから宿泊地の高岡への途中にある「北前船廻船問屋森家」を選びカーナビにセット(こんな時、カーナビは便利)やって来たのでした。玄関を入って見上げると見事な梁が高く続いていました。

 



 室内には北前船の模型や、ゆかりの品が展示されていました。

 

 豪壮な家には華麗な庭が、そしてお蔵がつきものです。十畳・八畳の部屋がいくつも連なっていましたが、どんな生活が営まれていたか、庶民には想像もつきません。



 表に出て見渡すと、棟続きには葦戸のギャラリーがありました。その先には周りの雰囲気に合わせ、クラシックな銀行の建物が見えますが、京風和風の玄関を撮し忘れています。



 「岩瀬大町通り」森家程の華麗な建物が連なり、久しぶりの町並みウオッチングとなりましたが、廻船問屋がどれほどの財力があったか想像の外でした。


陶芸家はお金持ち? 幸兵衛窯:岐阜県多治見市

2009-06-03 17:46:01 | 旅の途中で思うこと

 今年のG.W最終日の6日、神言会多治見修道院を後にしたが、お昼にはまだまだ時間があったので、土岐川沿いに市之倉にある窯元に向かった。途中「古虎渓」の名に惹かれてJRの駅まで行ったが、折からの3日続きの雨で川は増水して濁流に覆われ、渓谷らしい岩も河原も見る影もなかった。隣駅の定光寺の様な渓谷を期待していたが、空振りに終わった。

 古虎渓駅から多治見方向に僅かに戻り、瀬戸方向に折れて向かった辺りが「市之倉」だった。美濃焼の窯元が多く集まっている。その中の「幸兵衛窯」に立ち寄った。



 さすが名のある窯元、風格のある建物群だった。



 幸兵衛窯六代加藤卓男は人間国宝の栄誉を持ち、ペルシア陶器や正倉院三彩の技法を復元し、ラスター彩、青釉、三彩、ペルシア色絵など伝統と独創の融合した作品で知られている・・・HPからの受け売りだが・・・。本館の2階には、その六代加藤卓男の業績と作品が展示されていた。(作品は撮影出来ないので幸兵衛窯のサイトでどうぞ)



 本館展示室や資料館などは有料となっていたが、木戸がある訳でなく、フリーで出入り出来るようだ。(300円なので2人分支払い、サロン壺中堂にあった自動ドリップの珈琲を頂いたが、並のコーヒーショップより美味しく、入場料以上の“儲け!”であった。)本館の向かい側には、ペルシア陶器研究の資料、および中国、朝鮮、美濃古陶の参考品を展示した古陶磁資料館と五代加藤幸兵衛と当代の七代加藤幸兵衛の作品を展示した工芸館(前掲入り口写真右手建物)が並んでいた。突き当たりは陶芸の作業場になっているが、もちろん非公開になっていた。



 地方へ行き名のある窯元を数知れず訪れたが、多くは門構えの立派な伝統的な和風建築で、入るのがためらわれることがしばしばだった。それでも年を経て人生に図々しさが出来てからは、「相手も商売」などとかってに理屈付けをして、端物しか購入しないのに入り込むことが出来るようになった。幸兵衛窯は展示・作業施設のみで居宅はなかったが、道路を隔てて正面に加藤幸兵衛の表札の掛かったお屋敷があった。思わず記録に留めたが、こんな家に住みたい!?!



 G.Wは大渋滞が当たり前になっているが、近年最終日の上りは、意外に早い時間に渋滞は解消するのが常になっている。それでもこのまま東京に向かうと、最大の渋滞時間に混雑地点(笹子トンネル、小仏トンネル)に着いてしまうので、多治見からそれほど遠くない瀬戸赤津焼きまで車を走らせ時間の調整をした。東海環状の高速道が開通したので、瀬戸I..Cからは東海、中央の高速道どちらにも行かれる。中央道回りの方が30km程遠回りになるが、通行量は格段に少ないので中央道回りにした。道路情報の掲示板を頼りに走り出したが諏訪I.Cまではスムースの様で、J.Cを過ぎたところの掲示板には「小仏トンネル渋滞10km」とあった。進行に伴って渋滞距離は縮小していき、解消も早く結局停車する程のこともなくスムースに帰宅出来た。

 5連休、上限1000円の高速道、予測通り場所時間によっては例年以上の渋滞があったようだが、作戦成功で事故渋滞に1度会っただけで、スムースな走行が出来た。走行距離1200km余り、高速代7000円強は十分新制度の恩恵にあずかった様だ。


修道院初登場! 神言会多治見修道院:岐阜県多治見市

2009-06-01 10:41:48 | 旅の途中で思うこと

 今年のG.W、僅か3日の旅だったが、欲張ってあっちこっちと飛び回ったので記述がかなり長くなって6月になってしまった。5月4日はかろうじて曇天、5日は時折の小雨から午後になって本降りの雨、そして最終日の6日は朝からそれほどの強さはないが間断ない雨、風がなかったので片手に傘、片手にカメラで何とか写真撮影は出来ていた。雨に煙る浄土庭園は、それはそれで趣がある。永保寺を後に向かったのはすぐ近くにあった「神言会多治見修道院」であった。



 別に偏見がある訳ではないが、koba3ブログにはキリスト教関連の史跡、教会などは大浦天主堂以外殆ど記載も登場もしていない。教会建築の様式や由来など知識がないので、どの建物を見ても同じに見えてしまう上、壁画や天井絵の良さが理解出来ない。勉強不足が原因なのだが、木質の寺院建築に比べ緑の少ない無機質な(これも無知の故で、ただすばらしい環境の場所に行っていないだけなのかもしれないが)威容を誇る建物に反発してしまうためかもしれない。

 それでもぶどう園のある修道院とのガイドにつられてやって来た。玄関前の駐車場先にはすでに葡萄棚があり、教会(聖堂と呼ぶのが正しいようだが)の玄関と対面するマリア像、横に連なる修道院の建物は緑の中にあった。

 

 葬儀か結婚式以外に入ることのない教会、閉まっていたドアを開き内部に入るのは、“面映ゆい”感覚があった。内部の壁画や天井絵、ステンドグラスを眺めながら一巡りして(撮影は遠慮した)玄関脇の売店に立ち寄った。「修道院ワイン」と呼ばれ人気があるようなので求めたかったが、一番人気の種類は予約が多くていつも品切れとのことであきらめた。応対してくれた女性(修道女?どんな位置の方かは分からないので、何と呼ぶのかも分からない!やはり無知!)の方が、「裏の庭と葡萄畑をご覧下さい」と誘ってくれた。敷地1万8千坪の内大半が葡萄畑と研修施設で占められているとのことだった。

 裏に回ると、本館の建物の影で全く見えなかったが、3棟のログハウス「修道院研修センター」と緑一杯の庭と葡萄畑が広がっていた。ログハウスは一般に開放されていて、キリスト教関連が多いが、一般でも修道院であることをわきまえた団体、個人の宿泊研修に貸し出されているという。

 

 葡萄畑のほぼ中央に「安らぎの小道」と名付けられた文字通り小道があり、芽生え始めたばかりの新芽を見ながら散策した。

 

 小道の先には「神言会墓地」があり、「宣教師としての使命を全うされた数多くの神言会司祭、修道士の方々が眠っている」とあった。芝生の緑に囲まれ、整然と墓石が並び花が飾られていた。現在この施設全体は修練の場とされ、宣教の主体は名古屋にあると書かれていた。そして「南山」の文字があり、名古屋の南山大学の設立時の母体であることも分かった。南山大学にはキリスト教の司祭を育てるコースもある。

 今まで神社仏閣は旅先では必ずと言って良い程訪れている。神社の参道の並木、神域の森とお寺の庭の雰囲気が好みだからか?しかし社寺の建物に到っては、国宝の建造物であっても紹介程度の画像しかないのは、知識が乏しいので建物様式や年代、由来などが判別出来ず、もちろん解説など出来ないからなのだ。キリスト教の史跡は身近では教会になるが、都会のそれは門も庭もなく、ただ威容を誇る建造物しかないことが多い。これも偏見に思われるかもしれないが、やはり単なる無知に過ぎない。「コーラ瓶」さんの建築物に対する、「yukimi」さんの神社仏閣に対する知識を、受け売り出来ればよいのだが・・・。


塔頭寺院とは?? 保壽院:岐阜県多治見市

2009-05-27 12:11:51 | 旅の途中で思うこと

 前々から気になっていたことがあった。大きなお寺に行った時、寺域内にいくつもの寺院があることが多い。“寺町”と呼ばれる地域に寺が集中していることがあるが、宗派も寺域も異なっているから、単に地域的に、又は、何かの都合や時の支配者により政策的に集まっているのに過ぎない。G.W最終日5月6日朝、雨の中参道を永保寺に向かう途中にもいくつかの寺があった。web上あちこち検索していて、やっと意味を掴むことが出来た。「塔頭(たっちゅう)寺院とは大寺の寺域内に在って本寺を補佐する子(支)院のこと」と判りやっと理解出来た。

 どうしても永保寺観音堂の背後の岩山へ行くつもりで、参道途中にあった観音堂裏の急坂を上っていったところに、朱塗りの三門があった。保壽院であった。



 「虎渓山永保寺の塔頭(たっちゅう)寺院の一つで、虎渓山登僊嶺(とうせんれい)保壽院と正称す」とwebサイトにあり、ここで塔頭寺院の意味を知った。三門を入ると正面に本堂があり、右手に本堂より立派と思われる庫裡の建物があった。

 

 庫裡の前には、砂利が敷き詰められ掃き清められた庭があった。前庭である。



 枯山水というのであろうか、白い砂利と塩梅された岩の数々としっとりとした苔、周辺の植栽と合わせうっとりと見入ってしまった。



 庫裡から本堂を経て反対側に、高く聳える塔が見えた。立て札によると歴代住職を祀る僊霊塔とあり、右前には千手観音石像が、左前には子供を抱いた子守地藏尊が祀られている。



 塔の先端まで撮そうと引いた位置なので、石像の姿はハッキリとしない。画像処理をすれば認識出来るようであるが、くっきりと晴天風になり雨の中の静寂の雰囲気が壊れてしまうので、原画のままにした。塔と本堂の間に沢山の水子地蔵が、魚籃観音・水子供養塔を囲んで置かれていた。



 後で写真の整理をしながら悔やまれることがあった。水子地蔵の後ろに灯籠が写っているのに気が付いたが、ここにもう一つの庭があったことが今分かったのだ。この庭が茶室に続く露地なのかは判断出来ないが、いずれにしても松濤軒(しょうとうけん)と呼ばれる茶室が存在し、池と苔庭が一体となった見るべき露地が存在するようなのだ。

 旅に予備知識が必要なのは当然だが、調べが綿密すぎると発見の喜びが満たされず、下調べの結果を確認するに過ぎなくなって、新たな感動が湧きにくくなるおそれがある。といって、今回のようにその場に行っても予備知識がないばかりに、目の保養をのがしてしまうこともある。もっとも、最近全てをどん欲に見て歩く旅からは離れてしまった。のんびりと見える物を見る、見えなかった物はもう一度見に行く、そんな余裕を求める“悟り”が欲しい“トシ”になっているのだが・・・。

 参道入ってすぐ通り過ぎたのは、塔頭寺院の一つ「徳林院」であったが、webサイトには何一つ記載がなかった。通り過ぎてしまって良かったのか????



「道の駅」で楽しみました 古今伝授の里やまと:岐阜県郡上市

2009-05-11 16:12:58 | 旅の途中で思うこと

 最近の旅は殆ど車での移動になってしまいました。かっての列車の旅では、駅ごとのお土産・物産や駅弁など、又、観光地では駅前に並ぶ土産物店をはしごしたり、派手派手に旗や看板を掲げた食堂で名物を食べ歩いたりの楽しみがありました。高速道料金上限1000円となって遠距離の移動には有利ですが、旅の楽しみにはいささか難があります。高速道は地形にも依りますが、最短距離での道造りとなりトンネルも多く、市街地での遮音壁で満足に景色も楽しめません。S.Aも最近ハイウエーオアシスなど物産館や複数の食堂を備え、それなりに楽しめるようになりましたが、まだまだ特定の場所のみで、多くは在来型の特徴のない売店や食堂しかなく、変化に乏しいのが実情です。その点各地で次第に数を増し、自治体が力を入れているのが「道の駅」です。もっとも、その規模コンセプトは雑多で、遠回りして寄ってみたもののがっかりしたり、逆に思いがけない“拾いもの”に出会ったりします。

 旅の3日目・5月5日、小松のホテルから九頭竜川沿いに岐阜県郡上八幡に向けて走っていた時、石川県内の「瀬女」福井県に入っての「九頭竜」の道の駅は、時間が早い、といっても開場時間の9時は過ぎていましたが、朝市のワゴンはまだ空の状態、、売店も商品を並べる準備段階、観光客の少ない路線でやむを得ないと思うものの拍子抜けでした。峠を越え岐阜県に入り、国道158号美濃街道は国道156号が越前街道から飛騨街道と名を変える地点へ合流し、郡上八幡に向け走っていると看板がありました。待望の「道の駅:古今伝授の里やまと」です。



 高速道東海北陸道は最近の全通ですから、永らく越前・飛騨街道は奥美濃から飛騨・越前への観光産業道路でした。街道沿いの賑わいも当然の如くです。「やまと」は、温泉施設も備え、レストランもメインがあり、麺の店、郷土和食と複数ある上、インストアーベーカリーで豊富なパンや自家製アイスクリーム売り場もありました。ひとまずレストランで落ち着き、庭の花壇の季節の花を楽しみました。



 駐車場の端にはログハウスが建てられていますが、何の目的か分かりません。トイレではないのですが、周りの山の緑とマッチしていました。



 レストラン、物産館などに囲まれたロフト?パーゴラ?と呼ぶのでしょうか中庭には椅子テーブルが置かれ、売店の焼きたてパンや鮎焼き、団子で憩う人で溢れていました。

 

 片隅では、イベントなのでしょうキーボード・バイオリンなどのミニコンサートが開かれていました。



 東京では終わってしまった藤の花が、訪れた遠来の客をもてなしてくれました。

 

 最近地方に出る時は、「道の駅」が目標の一つに入っています。そのため、あえて高速道を下り、一般道を走ることもあります。専門のガイド本も発行されており、レストランや物産の情報を仕入れて、立ち寄り先を調べてコースを決めますが、“百聞は一見にしかず”のことわざ通り、行ってみて?!?さて・・・!が実情です。


お日様無しの二日間 かぐら・みつまた・田代スキー場:新潟県湯沢町

2009-03-12 11:40:50 | 旅の途中で思うこと

 窓越しに燕の影が!ではありません。いくら温暖化とはいえ、雪山に燕は飛びません。



 田代スキー場の端、レストラン“アルム”の窓に張られた装飾です。日曜・月曜日といつもの湯沢へスキーに行きました。予報では新潟は晴れとあったので喜び勇んで行ったのですが、雪や雨は降らないながら太陽は一度も顔を見せませんでした。晴れを期待していたので2日とも“みつまた”から“かぐら”へ上がりました。

 日曜日朝、“かぐら”のゲレンデはかなり凍っていて、エッジのかかりが悪く怖い程でしたので、緩斜面の多い“田代”方面へ移動でした。もっともお目当てはレストラン“アルム”での昼食で、このスキー場へ来る目的になってしまいました。どんよりとしてコブも見え難く、妻はブツブツ言っていました。レストランからの神楽峯方面の眺めも冴えません。



 昨年の同時期、快晴の時はこんなに爽やかでしたが・・・。



 日曜日とあって、9時頃には第1駐車場はほぼ満車状態、ゴンドラもリフトもいつもより人が多く待たされる時間も長くなっていました。が、翌月曜日は打って変わって駐車場は誘導員もいなくて、ほぼ四分の一の入り、三俣のレストラン・スキーセンター前にも、ゴンドラの山麓駅にも人影はまばらでした。



 上越方面のスキー場、群馬側も新潟側も日帰り客が主体で、高速道路の便利さが泊まり客を失ってしまい、地元にとっては功罪半ばと言うところでしょうか。前回2月、いつも寄る石打のヒュッテに行った時、2週間もの間一人の宿泊客もなく、仲間の民宿の手伝いに日雇い仕事で行ったと嘆いていたのを思い出しました。

 今月末から土曜・休日の高速道、地方の通行料が一律千円になりますから、土日のこの方面の渋滞に拍車が掛かるものと、今から憂鬱になります。月曜日の帰京、いつもの渋滞もなくスイスイと気楽に走ってきたので、これからの作戦は?!?渋滞しても安い休日か、料金は通常でも楽に走れる平日か、思案のしどころです。平日3割引との情報も??

 地方へ旅行に行くと、高速道は車が少なくいつでも快適に走れます。帰京時、首都圏に近づくと激しい渋滞があります。特に土曜・休日が顕著です。3月末からは、料金の安さから地方へ出た車が、休日に集中して東京に向かうとすれば、今まで以上に大渋滞が発生するのでは?結果はまだ分かりませんが・・・。

 月曜日臨時休暇を取ったので珍しく週明け忙しく、写真の整理が追いつきません。一年中こんなに忙しければ・・・!?!


雪に霞んで・・・ NASPAスキーガーデン:新潟県湯沢町

2009-02-17 16:21:57 | 旅の途中で思うこと

 16日の月曜日、前日の青空から一変して朝から雪が降り続いていました。妻は宿で読書モードに突入、それでも年に数度しか取らない臨時休暇を取ってやって来たので、街から近いところNASPAスキーガーデンのシャトルバスに一人乗りました。9時を少し廻った時間でしたが、雪に霞むメインゲレンデにはまだ人影もまばらでした。



 しばらく行っていない湯沢高原行きも考えたのですが、ケーブルでの往復を考えると時間のロスが大きいのです。おまけに宿を出かける頃には雪も激しくなり、山の上を見上げると霞んで見えなくなっていたので、バス5分のNASPAに決めました。リフトで上に揚がると、街中では感じなかったのですがかなり強い風が吹き上げていました。もっと高度のある湯沢高原やガーラでは、かなりの荒れ模様だと想像出来ます。

 普段は子供たちで一杯の緩斜面も、まだ人出は殆どありませんでした。



 いつもは街から見上げているナスパニューオータニホテルと、ノッポの分譲マンションライオンズプラザ、雪に霞んで風情がありますが、原色の旗・幟は下品でそぐわない気がします。何が書いてあるのでしょうか、拡大しても読めません。



 翌17日からは「トキめき新潟国体冬季大会」スキー競技が、ここ魚沼地区と赤倉地区で開かれます。開会式は湯沢のカルチャーセンターで宮様をお迎えして開催とありました。いつもは宿泊客やビジターで最初に満杯になるNO.1駐車場も、昨日は入場させていないらしく空車状態、登ってくる時通った直前のNO.2駐車場はほぼ満車状態だったので、国体と何か関連が??



 湯沢では最新の設備を誇るホテルの一つですから、要人の宿泊のためはあるかもしれませんが、駐車場との行き来に連絡バスは?!?です。自家用で来なくて幸いでした。

 それにしても平日とはいえ、寂しいくらいのゲレンデです。昨年辺りから石打の後楽園もセントレジャーとなり経営が変わっています。街では次はどのスキー場が・・・と噂されるくらいなのです。スキー場に関しては、かなり前から不況風が吹いていて、サブプライム問題のせいだけではないのですが・・・。