前々から気になっていたことがあった。大きなお寺に行った時、寺域内にいくつもの寺院があることが多い。“寺町”と呼ばれる地域に寺が集中していることがあるが、宗派も寺域も異なっているから、単に地域的に、又は、何かの都合や時の支配者により政策的に集まっているのに過ぎない。G.W最終日5月6日朝、雨の中参道を永保寺に向かう途中にもいくつかの寺があった。web上あちこち検索していて、やっと意味を掴むことが出来た。「塔頭(たっちゅう)寺院とは大寺の寺域内に在って本寺を補佐する子(支)院のこと」と判りやっと理解出来た。
どうしても永保寺観音堂の背後の岩山へ行くつもりで、参道途中にあった観音堂裏の急坂を上っていったところに、朱塗りの三門があった。保壽院であった。
「虎渓山永保寺の塔頭(たっちゅう)寺院の一つで、虎渓山登僊嶺(とうせんれい)保壽院と正称す」とwebサイトにあり、ここで塔頭寺院の意味を知った。三門を入ると正面に本堂があり、右手に本堂より立派と思われる庫裡の建物があった。
庫裡の前には、砂利が敷き詰められ掃き清められた庭があった。前庭である。
枯山水というのであろうか、白い砂利と塩梅された岩の数々としっとりとした苔、周辺の植栽と合わせうっとりと見入ってしまった。
庫裡から本堂を経て反対側に、高く聳える塔が見えた。立て札によると歴代住職を祀る僊霊塔とあり、右前には千手観音石像が、左前には子供を抱いた子守地藏尊が祀られている。
塔の先端まで撮そうと引いた位置なので、石像の姿はハッキリとしない。画像処理をすれば認識出来るようであるが、くっきりと晴天風になり雨の中の静寂の雰囲気が壊れてしまうので、原画のままにした。塔と本堂の間に沢山の水子地蔵が、魚籃観音・水子供養塔を囲んで置かれていた。
後で写真の整理をしながら悔やまれることがあった。水子地蔵の後ろに灯籠が写っているのに気が付いたが、ここにもう一つの庭があったことが今分かったのだ。この庭が茶室に続く露地なのかは判断出来ないが、いずれにしても松濤軒(しょうとうけん)と呼ばれる茶室が存在し、池と苔庭が一体となった見るべき露地が存在するようなのだ。
旅に予備知識が必要なのは当然だが、調べが綿密すぎると発見の喜びが満たされず、下調べの結果を確認するに過ぎなくなって、新たな感動が湧きにくくなるおそれがある。といって、今回のようにその場に行っても予備知識がないばかりに、目の保養をのがしてしまうこともある。もっとも、最近全てをどん欲に見て歩く旅からは離れてしまった。のんびりと見える物を見る、見えなかった物はもう一度見に行く、そんな余裕を求める“悟り”が欲しい“トシ”になっているのだが・・・。
参道入ってすぐ通り過ぎたのは、塔頭寺院の一つ「徳林院」であったが、webサイトには何一つ記載がなかった。通り過ぎてしまって良かったのか????
この写真の量では 容量が一杯になるのは目に見えてますね~
配置も難しいですよね~投稿時と ブログ画面とでは少し違いますよね~とくに枚数が多いと難しいです。
岐阜方面は行った事がないので なじみが薄く京都と言われても 分りません。(--;)
写真並べたつもりが縦に積まれていたりします。PCの設定で、変わるようです。
岐阜地方は実家からそんなに遠くはないのですが、機会が無く殆ど行っていませんでしたから、今新鮮に感じます。