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北へ南へ、東へ西へ

旅と山歩き・街歩きの記録です 今を語りながら過去も振り返って

移転ご挨拶

plalaからgooへ移転してほぼ修正が終わりジャンル・カテゴリーが設定出来ました。タグ付け法が見つからないので、県名・市町村名、東京都は区市町村名で、その他寺社・名所などは固有名詞でサイト内検索して下さい。 サイト内リンク先、アドレスがplalaのpubのままgooに変更していないのでリンク切れしていました。リンク箇所を探して変更するのはかなり時間がかかりそうです。

続・日光を見てもう結構 日光東照宮:栃木県日光市

2011-08-10 09:20:20 | 旅の途中で思うこと

 陽明門前ではどなたも記念写真にご熱心ですが、門全体を背景に使うと人の顔は“点”になってしまい、人物をアップすると門は写りません。さていかが処理されているのでしょう。



 陽明門を入って正面に本社拝殿が・・・平成の大修理で外観は拝観出来ませんでしたが、拝殿内石の間迄は昇殿参拝出来ました。写真撮影は御法度件のごとし。奥の院への入り口辺りに2つ目の“それ”は有ります。こちらは通路真ん中に看板があり矢印が上を指しているので見逃すことはないでしょう。「眠り猫」ちゃんです。



 眠り猫をくぐり抜け石段を登ると奥宮です。杉の木立がみずみずしく目に映っているので、こちらもかなり雨が降ったようです。中禅寺湖周辺だけ、雨がなかったようでした。東照宮周りが荘厳な雰囲気に包まれているのは、聳え立つ杉の立木の群れに囲まれるから?と、感じます。杉林が、自然が漂わせる霊気でしょうか?!御宝塔は御祭神、つまり家康のお墓所ですが、ぐるりと回遊してお参りです。



 三猿、眠り猫、奥宮・・・巡ってきて耳にした共通の言葉は“ここだけ限定”です。???通路脇社務所脇に台を置き絵馬・土鈴・お札・おみくじなど縁起物を並べ神職や巫女さんが声高に口上を述べていました。曰く、「OOOの絵馬は、OOOの鈴・・・お札はこの場所だけの限定です。他のお堂にはありません!!!」。ここだけといわれて求めていくとかなりの数になるはずです。素通りする人が大半ですが、それでも買い求める人も数いました。

 陽明門を出て門の左右に続く廻廊の見事な彩色と彫刻を眺めながら本地堂に向かいました。回廊の先に「本地堂」が見えていました。



 本地堂にはあれがあるからですが、これそれあれの三つ目になる“あれ”は“鳴き竜”です。この項纏めていて「東照宮のサイト」に“鳴き竜”と「本地堂」の記載がありません???他のサイトで理由が分かりました。「本地堂は寛永12年(1965)に建てられ、桁行7間、梁間5間、入母屋、銅瓦葺き、3間の向拝が付いています。規模としては東照宮最大の建物・・・中略・・・天井には狩野派が描いた8mの竜がありましたが、昭和36年に火災により焼失し、その後再建されています。」

 表門から始まって東照宮の多くの建築物は重文、国宝に指定されていますが、焼失後近年再建された本地堂は新参者扱い、いずれの指定もないので書くに足りないとの判断??再建ですから本来の姿の“写し”です、胸を張って由来を述べておくべきでしょう。鳴き竜も複製画となる訳ですが、鳴き声はかってのものより理論的に構築されていますから共鳴は強化された・・・筈!初めて東照宮を訪れたのは昭和30年代半ば、焼失前の鳴き竜だったか否か、記憶がはっきりしないのです。

 震災以降観光地の集客が悪く人出が少ないと各地から嘆きの声が聞かれますが、東照宮はかなり人が入っていました。それでも以前に比べかなり人出は少なくなったのでしょう。“外人さん”の姿が少なかったようです。「日光を見ずして結構という無かれ」誰が言ったか知らないのですが、大道商人まがいの縁起物の売り込みにうんざりして、「日光を又見てもう結構」の心境になりました。


東照宮は130社もある!? 続・久能山東照宮:静岡県静岡市

2011-07-22 16:28:58 | 旅の途中で思うこと

 日光東照宮と久能山東照宮との関係は残念ながら知識の範疇になく気になり(歴史の知識がないのによくも神社仏閣巡りが出来るもの!)、ネットサーフィンで調べてみました。「東照宮(とうしょうぐう)とは、東照大権現たる徳川家康を祀る神社である」とあり、家康逝去後遺命により最初久能山に埋葬され・・・東照大権現後に東照宮の宮表記となった社が造営され数年後に日光東照宮に祀られた。・・・ソウナ!!その後親藩・外様を問わず大名などが幕府にオモネテ各地に東照宮が造営され500社を数え、現在でも130あまりが残る・・・とあった。

 東照宮といえば“朱塗り”と“彫り物”がまず思い出されます。数年に一度社を塗り替えるとのこと、その為常に鮮やかな朱色が印象に残るのでしょうが、維持管理の費用はいかようなものであろう!拝殿本殿と続く外観は絢爛そのもの、尤も東照宮といえばアマ・プロの見事な画像が至る所で見ることが出来るので、旅の記録程度に残すだけ・・・。



 本来こちら楼門から石段をまっすぐ登り正面から参拝すべきなのでしょうけれど、何故横から来てしまったのか、何故???

 昇殿祈祷を受けている参詣者もいて、信心とはかけ離れているkoba3ですが、孫たちの初宮参りや七五三参りには付き合って昇殿したことを思い出します。たくさんの絵馬も下げられ、“困った時の神頼み”の多さに驚き!!!



 側面には唐獅子や軒には彫刻が、極彩色!!これは好みではないのですが・・・。



 本殿脇の門をくぐり階段を上ると廟所となり神廟が有ります。日光にもあり各地の東照宮にもあるとすれば、家康が本当に眠っているのは何処??



 廟所を出て帰路につくところ、本殿の全体像を撮りたかったのですが木立が邪魔をしてしまいました。

 


雪は降っているのですが 魚沼神社:新潟県湯沢町

2011-01-06 10:35:58 | 旅の途中で思うこと

 暮れから越後湯沢にスキーに行きました。Yahooスキー場情報では雪不足でオープン出来ていない、又は一部オープンのスキー場がずらり、神楽やガーラはかろうじて滑走出来そうなので予定通り暮れ29日午後、渋滞の終わりを見計らって関越道に入りました。多少の混雑はありましたが渋滞程でなく、関越トンネル先チェーン規制の表示はありましたが、湯沢I.C を出ても昨年のような雪の壁はなく、歩道に僅かに積もっている程度でした。

 それでも30・31日となんとかスキーをして、元旦は雪が降ったり青空が見えたり、正月間際にオープンした「NASPA・スキー場」で午前中楽しんで?午後はやや多く雪が降り出したので、鎮守の森の「魚沼神社」へ初詣に行きました。



 降りしきる雪ですが積雪は少なく、大晦日から元旦にかけて振舞酒や灯明のイベントがあったと聞いていたのですが、その名残も多少残されていました。



 朝方は人出もあったのでしょうけれど、雪の中お参りする人影もなくシーンとした静寂の中、身が清められました。雪をかぶった狛犬も寄り添ってくれました。



 本殿から参道を見てみましたが、普段の東京での生活では味わえない静寂が続いています。



 夜の食事の居酒屋でも時折見かけますが、現役引退後湯沢に定住する人が多くいる事情も分かるような気がしました。生活の糧さえ得られれば、悠々自適の晩年も捨てがたいものがあります。もっとも、ボケが襲ってこなければですが・・・。雪の中では音が消えます。ふと感傷に浸るのもムベなるかなです。



学問の教えは孔子? 続・足利学校:栃木県足利市

2010-12-04 16:35:41 | 旅の途中で思うこと

 足利学校、正しくは「足利学校跡」又は「史跡旧足利学校」とでも記載すべきなのか、孔子廟、学校門、杏壇門を除き江戸時代に焼失している。その後曲折を経て、図書館や小学校などに跡地は使用されていたが、昭和・平成になり発掘調査や資料の分析により本来の姿を考察し、かなりの期間を費やし建物・庭が平成2年(1990)12月江戸時代中期の姿に甦った。詳しくは「足利学校のサイト」にある。原型のまま維持されている孔子廟と孔子座像が公開されていた。


   

藩校と名の付く施設には「孔子廟」があるのが決まりか?鶴岡市の庄内藩校致道館、岡山の閑谷学校、文京区湯島の湯島聖堂にもあった。学問とは=孔子の教えを学ぶこと、と見えたり。平成14年11月に訪れた時の画像にあった竹林は、孔子廟に隣接した収蔵庫の辺りのようだ。孔子廟の屋根にかかる銀杏の黄葉が、青空に映えていた。



 杏壇門を入ると正面に孔子廟があったが、右手奥に外からは屋根しか見えなかった方丈と先に続く庫裡が現れた。近づくと全体像は見えなくなるのでこのあたりからの撮影が最適のようだ。



 玄関も開放されていたが外から眺めるに留めた。何故?復元されてはいても、真新しい感じでためらわれた・・・訳でもなく2度目であったから・・・。



 庭には由来書が掲げられていたが、解説文は読まないのを常としている。庭の観賞には先入観がない方がよい。・・・というより、面倒なだけ!!



 庭の先、庫裡の前の一角で野点の呈茶が行われていた。立礼の設えであったが「お茶命」の妻、早速お運びの女性を捉えお手前の有無を質していた。予想外の客の多さに手が回らない旨を聞き、席を覗きに行き曰く、手前の出来る配置になっていないので予定にはなっていない、と、言いながら戻り桟敷に掛け一服頂いた。観光地やイベントなどでの呈茶では、お菓子は干菓子で値段も喫茶店に入ったくらいはする。が、饅頭ながら主菓子風、値段も都バス初乗り並であって、2人して満足であった!!と言い合った!!



 車の置いてある鑁阿寺へ参道を帰ることにして、居並ぶ商店や地元菓子店が自慢の品を並べたテントも覗き、気が付くと妻はお稽古用の菓子を買い求めた模様であった。途中綺麗な紅葉を背にした「足利尊氏像」に出会ったがどこかで見たような??中学時代の教科書だったような・・・?



 11月21日青空の抜けるような日曜日、せっかくの遠出「道の駅」ははずせない。地図で見ると近くに3箇所程あったが、回り道や後戻りは避けたい。「羽生」方面に向かうこととした。


お城跡は公園が定番 松が岬公園:山形県米沢市

2010-09-09 10:56:23 | 旅の途中で思うこと

2010年夏休み その12

 ホテルへの途次、雨が小降りになっていたので松が岬公園に寄ることにしました。公園片隅の上杉城史苑前には広いスペースの駐車場がありましたが、かなり混雑の模様!夕方なので出入りも激しく、はずれの空きスペースに駐車出来ました。公園一帯は米沢城址です。お濠に雨に洗われた緑が映えていました。



 ガイドには、平城であって土塁を多く用いて石垣が少ないとありましたが、本丸も高低差は余りなく、「招魂碑」の立っている辺りが僅かにこんもりとしていましたが・・・。



 「招魂碑」について調べてみましたが、『明治11年4月、戊辰戦争および西南戦争(明治10年)で戦死した郷土の人を慰霊するためのもの』、そしてこの場所は、『上杉謙信の遺骸(甲胄を着せた状態で、甕に納め漆で密封したと伝えられる)を安置した御堂が建っていた所で、明治になって米沢城跡は公園となり、謙信の遺骸も明治9年に御廟所に移された』とありました。幾つかのガイド本の受け売りですが・・・。blogを始めてからレポートを纏めるため資料を調べざるを得ないので、随分歴史や故事来歴を知るようになりました。一夜漬けですからすぐに忘れてしまいますが・・・!!

 公園の中心本丸跡には上杉謙信を祀っている上杉神社が有りました。上杉謙信の祠堂を改めたものとのこと。



 後で気が付いたのですが、参道脇鳥居の辺り招魂碑への階段の脇に「上杉鷹山公の像」と、「伊達政宗公生誕の地」の標柱が有ったようです。伊達家も仙台の前は米沢だったことを初めて知りました。歴史には全く疎いことが露呈してしまいました。

 

 雨の中の傘を差しての写真撮影、水滴がレンズに付いていたようで、上杉神社拝殿まともな画像はこれ一枚でした。



 道路を隔てて摂社に当たるのでしょうか「松岬神社」があります。こちらは、上杉景勝・鷹山公・直江兼続・細井平州・竹俣当綱・莅戸善政を祀っています。



 松岬神社と上杉城史苑の間植栽の広場に、上杉鷹山公像がもう一つありました。先ほどの上杉神社は立像、こちらは座像です。「成せばなる、成さねばならぬ・・・」の名文句、米沢藩の困窮を救った偉大な人物として讃えられているようです。



 ホテルへチェックインしシャワーで汗を流した後、この旅行のメインイベント鷹山公お勧めの「献膳料理」、タンパク源として養殖を推奨した「鯉」料理、現代の代表名物「米沢牛」のステーキと欲張った夕食を求めて、松が岬公園・米沢城二の丸跡に建てられている「上杉記念館・旧上杉伯爵邸」へ向かいました。(詳しくは2010年夏休み その1



 念のため言い訳を、「献膳料理」は非常食の意味合いもあるので山野草中心の質素な料理、鯉は米沢では代表的であっても好みの強い料理ですから、観光客はそれ程群がらないので比較的安価なのです。おいしいのに!!米沢牛は現地で食べても東京とそれ程変わらない高価なもの、それでも特別企画で期間限定格安価格(実は半値、品質は落とさないとサイトにありましたが???でも美味しかったので期待通りでした!)しかも登録有形文化財の座敷で、優雅に堪能出来ました。

 最初「ホテルルートイン」に予約を入れましたが、米沢の町はお城を中心に発展していますので、地方の城下町の常としてJRの駅近くは不便なことが多いのです。鶴岡も同じでしたが・・・。旅程を纏めていて、中心街とは駅を挟んで反対側のルートインでは、歩いて食事には行けないことが判りキャンセルして(早割で安く予約したのですが、残念!)「サンルートホテル」にしました。???web割りでルートインより安かった!!!去年と今年のGW・夏休み・シルバーウイークは久しぶりに遠出が多く、いつものルートインだけでは間に合わないのでいくつものビジネスホテルチェーンを使いました。「東横イン」「アパホテル」「ワシントンホテル」「ロイネット」etc...時間が出来たら、長所短所を比較してみよう・・かな???


「道の駅」巡りの一日 羽州街道:山形県尾花沢市

2010-09-02 16:11:35 | 旅の途中で思うこと

2010年夏休み その10

 鶴岡から最上川沿いに新庄へ向かっていた夏休み3日目・8月14日、朝から雨模様で日は射しません。道の駅「とざわ」の韓国庭園を散策している間は幸い雨は上がっていましたが、走り出す頃には雨は本降りになっていました。新庄近くで最上川を一旦離れて国道13号線に入ります。その日の目的最上川沿いのドライブの次二つ目は、国道13号線です。羽州街道と名付けられ、福島で国道4号線から離れ秋田で国道7号線に合流するまで、東北の背骨の部分を縦断します。この道路の沿道には「道の駅」が目白押しです。13号線から直接入るのが北から「尾花沢」「むらやま」「天童温泉」、チョット脇道へ逸れるだけで「寒河江」「河北」「たかはた」、車60分の範囲には更に4箇所程と密集状態です。

 国道13号基幹道路ですから通行量も多く、バイパスに当たるのでしょうか自動車専用道路の「尾花沢新庄道路」「米沢南陽道路」があり、間には未完成ですが「東北中央道路」が部分開通しています。多くは対面交通が多いのですが全て社会実験の無料区間です。羽州街道から乗り継ぎながら米沢に向かっていたので、沿道の三つの「道の駅」のみに立ち寄りました。

 尾花沢新庄道路IC脇に「雪とスイカと花笠のまち・道の駅:尾花沢・ねまる」はありました。無料の自動車道、乗り降り自由ですから躊躇無く立ち寄れます。建物は鉄骨造りの地味なものでしたが、名産スイカと花笠のモニュメントが特徴的だったので撮影しました。幸い雨も小降りになって・・・。



 この後「むらやま」で不味いラーメンを食べ、「天童温泉」で物産を漁ったのですが、観光客の多い所では観光みやげがメインになっていて、つまり東京でも買うことが出来る大量生産品が多いのです。道の駅が誕生した頃は、おみやげ屋や雑貨屋のやや発展した程度のものが多かったと記憶しています。中には駐車場とトイレしかないものも・・・。次第に大きく発展し、農産物の直売所は定番になり、旅行者よりも近隣住民のリピーターを集め発達を遂げています。

 最近は各市町村が地元産業の宣伝と育成を兼ねて、積極的展開を図っています。13号沿道のように、一時間足らずの移動距離に十に近い道の駅がひしめいてしまうことになります。それぞれが特色を出そうと地場の木材情報を発信する森林情報館や、小公園、温泉施設など趣向を凝らす努力を積んでいます。今回は新潟県の小千谷から始まって7・8箇所を巡りました。高速道のS.Aより地場品は多く取りそろえられているので、妻にとってはその土地にしかない掘り出し物を漁る楽しみがあるようです。ただ、大量販売を期待するあまり、消費者に迎合しすぎると逆効果も考えられます。

 強い雨も災いし撮影出来なかったこともありますが、“絵”になる施設が少なかったと思えます。山形市は二桁回訪れていますが、いつも蔵王へのスキーか登山のためで市街地は通過のためだけでしたので、一度も観光していませんでした。一箇所だけでも代表的な施設・・・城跡でも観覧有料の歴史建造物でもない所・・をガイド本で選んでみました。「道の駅」に近いコンセプト?の「長谷川家の蔵屋敷」を利用した「山形まるごと館 紅の蔵」、昨年末新設されたばかりで我がカーナビでは表示してくれません。住所頼りで到着、でも写真はありません。

 お土産販売、カフェ、食堂ばかりが前面に出てしまい、かつて紅花商人であった長谷川家の蔵屋敷の趣が壊されてしまったと思えたのです!!!(念のためサイトはこちら


入るつもりはなかったのに・・・ 致道博物館:山形県鶴岡市

2010-08-28 11:34:37 | 旅の途中で思うこと

2010年夏休み その8

 話は前後しますが、夏休み2日目13日村上で鮭定食の昼食を済ませ、笹川流れの景観を見ながら渚のドライブを楽しみ鶴岡へ着きました。前回酒田の山居村倉庫へは行っているので、その他の本間家ゆかりの史跡巡りを予定していたのですが、時間が足りなくなっていました。鶴岡も2度目ですが、観光地としての認識はありませんでした。前回は羽黒山拝観後酒田を経て日本海に沈む夕日を見るため湯野浜温泉に泊まり、翌日月山登山のため6合目弥陀ヶ原迄車で上っています。4度鶴岡の街を横切ったことになりますが、車窓からの見物のみでした。鶴岡では何??ガイド本にあった「致道」という文字が頭の中に浮かびました。鶴岡公園前の駐車場に車を止め、公園の案内板で公園横にあった「致道博物館」に行きました。



 入り口にあったのは「 旧鶴岡警察署庁舎」でしたが、この博物館『旧庄内藩酒井家の御用屋敷だったところで 貴重な歴史的建築物が移築されています。』とパンフレットを見て初めて知ったのでした。中に入ると重文の「旧西田川郡役所」



藩主の隠居所「御隠殿」



田麦俣より移築した多層民家



重厚な白壁や太く大きな棟木などに往時の面影を残しているこの土蔵は、民具の展示場として資料が展示されていました。



 別棟にギャラリーもあり、『庄内出身の作家展』が開かれていました。と、紋切り型で羅列してしまいましたが、民家や古い建物は好きなのですが建築様式や建物そのものの蘊蓄はないので、建物自体が好き・・・ではないのです。有るべき所にあってこその姿が好みなのです。背景があって、街の連なり周囲との調和が欲しいのです。建物そのものは貴重な文化遺産であっても、移築してそれだけを取り出してしまうと文化遺産としての学問的対象となってしまい、安らぎのあるふる里の情景ではなくなってしまいます。せめて周囲に独特の風土を伝える雰囲気作りを望みたいのです。かって立ち寄った高山の「飛騨の里」は合掌造りの建物を多数移築していましたが、全体を一つの集落に見立てて「里」を演出していました。

 少し気抜けして建物の裏に回ると「酒井家庭園」がありました。御用屋敷だった頃のままの姿なら、せっかくの庭を中心に据え全体を展開は出来なかったものかと、いささか残念な思いでした。



 手入れがされた築山も、池の濁りでやや趣が壊されていました。



 有料施設特に博物館はいつもは避けるのですが、“致道”の文字につられて入ってしまいましたが、展示物は素通りし外観を撮り終え博物館は早々に出て、急いで鶴岡公園を一周し庄内神社に参拝、こちらがお目当ての“庄内藩校致道館”へ、閉門ぎりぎりで滑り込んで観覧しました。

 その後ホテルへ移動したのですが、今回は「ルートイン」を離れて筋向かいにある「ワシントンホテル」にしました。ビジネスホテルはJRの駅周辺に集中していることが多いのですが、地方都市では街の中心は鉄道の駅と離れていて、駅周辺は閑散として時に食事出来る施設が少なく、地元の店では日曜休日、GWや盆期間は休業していることも多く、夕食に苦労したことが何度もありました。事前に検索してみると鶴岡駅周辺はメインの場所は倉庫と駐車場と公共施設が居座っており、チェーンの居酒屋と割烹食堂など数店があるばかりの模様。ビジネスホテルは食堂はあっても、夜や日曜休日は営業していないことが多いのです。

 今回の旅もネット社会の恩恵を十分受けることが出来ました。ホテルWEB予約の割引、郷土料理の発見と予約などなど・・・。鶴岡ワシントンホテルも夜間のレストラン営業は通常していませんでしたが、結婚披露宴が出来る程の厨房とホールの設備を持っています。夏期間は結婚式も少ないのでしょう、夜の時間帯宴会場を使用してのビヤホールが設営営業していました。・・・ホームページで発見!飲み食べ放題、宿泊者割引も有り、もちろんそれ故に「ワシントンホテル」だったのです。つまみも地元名産旬のだだちゃ豆はじめ屋台の焼きそば・スパゲティー(屋台??)・寿司まであり種類も充分、ビールもうまい!ラッキーでした!!


閑かさや・・・ 黒石寺:岩手県奥州市

2010-06-12 10:26:25 | 旅の途中で思うこと

2010年GW・北東北の旅・その20:若葉の中に佇む古刹

 『閑(か)さや 岩にしみ入る 蝉の声』この句は松尾芭蕉が立石寺(山寺)で詠んだ句と言われ、同寺に複数の句碑が有ると聞く。この写真とは直接関係もなく季節も違っているが、夏に芭蕉が立ち寄ったとしたら同じ句を詠んだに違いない・・・などと思いをはせてしまうような風景だった。



 殆ど水面は見えないが林の中を瑠璃壺川が流れ、流れの上石段を上がったところに妙見山黒石寺はあった。



 GW最終日5月5日、北上展勝地から北上川に沿うように南下して行き着いた。ゴールデンウイーク、高速道1000円効果なのか首都圏からかなり離れた岩手県の観光地も、人波が溢れていたがそれは“名を売っている”地のみで、多くはここまでは入ってこない。時折ちらほらとそぞろ歩きの人影を見るのみだった。本堂前の狛犬も南部鉄器の産地とあって鉄製のようだ。



 本堂は阿弥陀堂であって、蘇民祭(日本三大裸祭りの一つに数えられることもある)の中心となるとの立て札もあったが、古刹の重みを感じた。



 庫裡であろうか建物の上に塔屋が・・・近づいてみると鐘楼だった。



 車に戻る途中一団のグループとすれ違った。駐車場のバスには「・・・歴史・・・めぐり」(うろ覚え)とあり、「藤原三代を探る」などの有名地巡りとは違って、いわば隠れた古刹を尋ねるツアーがあることを知った。団体到着前で静かな雰囲気を存分に味わうことが出来たが????同じ方向へ向かうとすれば!!!鬼の来ぬ間に先を急いだ。


ブレブレですが 弘前公園③:青森県弘前市

2010-05-08 15:02:50 | 旅の途中で思うこと

2010年GW・北東北の旅・その3:夜桜ライトアップ

 外は次第に暗さを増し、灯が入った庭の行灯をガラス越しに眺めながら、懐石の終わりを示す抹茶を頂いた。昼庭園でも呈茶があったので(後日掲載予定)、“茶”に目のない妻は大喜びのGWの旅二日目、5月3日であった。この店を選んだ訳もう一つ、店を出て角を曲がって通りを越えると、目と鼻の先そこは弘前公園東門、夜桜の始まりであった。



 昼の青空と日の光に映える桜は絢爛豪華、演出されたライトアップの中に浮かび上がる桜は神秘的・・・の筈・・・もう少し人が少くなければ・・・。

  現存する中では最古の古木“名木ソメイヨシノ”と看板にはあった。プロがライトアップしたであろう桜、それなりに見事なのだが、“アット驚くタメ・・・!”程では!?!期待のし過ぎだったのか、感性が老化してしまったのか。。。!?

 

 その先見上げると天守閣が・・・人の頭影を避け慌ててシャッターを数枚切って、暗い画面を確認したつもりであったが、やはりブレブレが多く、使い物になったのはブレブレのやや少ないこの一枚に過ぎない。



 名木の類はしっかりとライトアップされていたが、それだけに人だかりも多くポジションが取り難い。何気ない所にも画題はあった。フラッシュを焚かなくてもそれなりの露出が得られるデジカメの威力を実感した。

 

 この辺り昼は余りの混雑に避けて通ったのだったが、夜ともなれば多少はましなのか、御滝桜を間近で見ることが出来た。



 この先解説は要らない、幻想的なシーンをただ眺めていたい・・・!

 



抜けるような青空ですが 神楽スキー場:新潟県湯沢町

2010-03-09 11:51:27 | 旅の途中で思うこと

 GW・夏休み・正月はある程度纏まって休みを取れますが、普段は週休1日で土曜も夕方までフルタイムで仕事をしています。個人事業主ですから有給休暇はなく、休めば無休どころか経費を含めマイナスになります。ま!高齢者ですから隠居仕事??ともいっていられず、仕事に責任はあります。それでも年に数日ですが(去年は4日)臨時に休みます。殆どが冬のスキーのためと法事での帰省に費やされます。

 ということで昨日休みを取って日・月曜日とスキーに行きました。ところが天が罰を下したのか、2日共雪が降り続き日の目は見えませんでした。カメラを出すこともなく画像はありません。それではと、前回、やはり1日休みを取っていった2月21・22日のスキーの画像、神楽スキー場は両日とも青空で、木立の彼方に雪をかぶった山が鮮やかに見えています。



 アップにすると、山肌が手に取れるようでした。



 税務申告や月末の書類整理に追われてしまい、カメラからデータを取り出すこともなく過ごしていて、やっと整理してみたら、意外に鮮明な谷川連峰が霞むことなく眺められました。普段晴天の日でも靄がかかり、稜線まではっきり眺められることはまれなのです。朝の早い時間だったので、鮮やかな画像が得られたのでしょうか・・・。



 神楽第一高速リフトの山頂ステーション、滑り出し直前しか撮影出来ませんからいつも決まったアングルになって、blobでは掲載が重なってしまうので放置していました。この日はお天気が良かったので、山登りに向かう一団が準備に神楽峯の登山口付近の場所を大勢で占拠していたので、少し位置を変えて撮影してみました。意外なことに、いつも眺めている神楽峯の先にもう一つ山が写っていました。確認はしていませんが、形から見て苗場山に違いありません。少し位置を変えて撮影すると違った印象の画像が得られる、という写真の基本を思い出した一枚です。



 昨日はお天気も悪く、高い山は雲に覆われ、登っていっても視界は悪いはずと考え、上から下まで距離があり状況に応じてコースが選べるので、石打丸山スキー場に行きました。案の定山頂はガスに包まれ視界は良くありませんでした。それでも午後は晴れるとの天気予報に期待しましたが、時折雲の切れ間は見えるのですが、帰路にはいるまで雪は降り続いていました。

 それにしても平日の月曜日、雪が降り続いているとしても、がら空きのリフトとゲレンデ、スキー人口の減少には歯止めがかかっていないようで、この先閉鎖されるスキー場も多くなりそうです。しかし、正月にはかなり少なくなったと感じたボーダーが、今回はかなり増えたと見えたのですが、これは“国母”効果があったとは、穿った見方なのでしょうか!!!