2008西へ その22
整然と区切られた街路に沿って、しっとりとした和風の塀がある。塀に沿っていくと、黒板塀が現れた。
その先は広場と見事な門が聳えていた。徳川園入り口の黒門である。明治33年(1900年)に完成した尾張徳川家の邸宅の遺構で、総けやき造りの三間薬医門とガイドにあった。
門を入って正面が徳川美術館、右手が蓬左文庫で、最近内部を繋ぎ両施設を一体化して相互を閲覧できるようになったという。
8月23日、西への旅の終わりに立ち寄ったのが、名古屋市東区にある徳川美術館なのだが、美術館や蓬左文庫・レストランなどをすっぽり包み込むように徳川園がある。黒門を入って左手が入場口になっている。エントランスを入ると樹木の茂った別世界に誘われる。
この地は青春の思い出の場所なのだ。表通りに出て、反対側の細い商店街の道を入ればほんの少し先に、3年間を過ごした母校の高校がある。その頃の徳川園は、うっそうとした森のある丘と、森の中石組みの階段を下りるとそこに庭と池があった?ような、無かったような?うつろな思い出だけなのだが、確かなのは丘の下にテニスコートがあり、そのコートを借りるために通ったことなのだ。もちろん勝手に入っていたから、園への入場料など無かったのであろう。
最近再整備され、見事な庭園に生まれ変わったと聞いたが、もちろんテニスコートの陰もなく、池の一部になってしまったのであろうか。
回遊式の庭園のそこかしこに、灯籠を添えた坪庭や、茶室があった。
舟屋は何を模したのであろうか。池の向こう側入場口の続き池の端には、フレンチのレストランもあった。
池から離れて丘の裾を巻くと、そこには又別の世界があった。・・・つづく・・・