漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

相場は博打

2009年01月12日 | せけんばなし
きのうの続き。

博打の主催者が、手数料や利益として取る分を「テラセン」と云う、

その昔、
寺社へ町奉行の手出しができなかったころ、
寺に頼み込んで場所を借り、御禁制の博打を行うことがあった。

その時に出した礼金から「寺銭」と云うようになった。

このテラセンの最も高いのが、
日本の宝くじだとしたら、
一番低いのが、「株取引」や「商品取引き」と云う事になろうか。

昨今は、ネット化で、ことにテラセンが低くなっている。

ただし、テラセンがいくら安かろうと、
参加者が儲かるとは限らないのは、去年の暴落で誰もが身に沁みている。

株や商品相場と云う世界は、
一般の博打と違い、参加者が一斉に損をしたり、得をする処が違う。

普通の博打は、
誰かが儲ければ、その分を誰かが損をしている。

宝くじなら、
二億円当てた人の代わりに出した人が必ずいるし、競輪競馬でも同じ。

処が、株だと、
儲かるときは皆が儲かるし、損をする時は皆が損をする。

ごく特殊な取引きをする人を除いては。

ただし、両方とも、
何ら、生産的な処がないのは同じ。

つまり、
農業で春に豆を蒔いて、秋に収穫すれば、無から有を生み出す。

処が、博打にはそれが無い、
勝った方が喜んだ分、負けた方は口惜しがるだけ、差し引きゼロ。

帳簿上だけの原油取引きのような
実態を伴わない相場や金融取引きなどは、一種の博打。

誰かが得をした分、誰かが損をするのは当然、
バブルがはじければ、儲けた分、損をするのは博打である証拠と云えるだろう。

ただし、私は、
博打を反社会的だからけしからん、などと云うつもりはない。

相場を張るとは、
「博打に張ることである」と承知の上で手を出すべきだと思うだけ。



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