漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

「世間」と「社会」の落差

2020年05月16日 | 言葉遊び
近ごろよく聞く、
「ソーシャル‐ディスタンス」と云う言葉、

辞書で引くと、
「社会的距離」と出て来ます。

ハテ、
「社会的距離」とは何ぞやと思い、

また引き直すと、

「個人と個人との間」、
「集団と集団との間における親密性・親近性の程度」と出てきた。

ああ、なるほど、
「世間の付き合い方」のことかと勝手に納得したのですが、

でもこの「世間」と云う言葉、
このごろではあまり通用しないようで、

以前、若い人に、
「そんな身勝手は世間が承知しないよ」と言った処、

急に怪訝な顔つきになり、
「セケン?、セケンって何です」と訊き返され驚いた記憶がある。

どうやらこのごろでは、
「世間」などと言うより、

「社会的」、
あるいは「ソーシャル」などと言う方が通りがいいらしい。

「世間」と云うのは、
元々は仏教の方から来た言葉で、

この世に生きとし生けるもの全てと
それらを包摂する山河や大地を含めて総称する。

つまり、
「世間」という言葉には、

生物だけでなく、
水や空気や大空、それらすべてを含めた意味を持つが、

「社会」や「ソーシャル」と云う言葉には、
「人間社会」のみの意味合いが強く

そこには、
牛や豚はもちろん、水や空気はふくまないようだ。

そう考えると、
今度のコロナ騒動でも、

「ウィルスとも距離を取りましょう」という意味でも、

「社会的距離」や「ソーシャル‐ディスタンス」より、

「世間的距離」と言った方がいいのではないか・・・

などと、愚考している今日この頃、なのであります。 (笑)



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。