漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

アリとセミの話

2009年07月17日 | ものがたり
きのうの続き。

梅雨明けの朝、
せわしない蝉時雨(せみしぐれ)を聞くうち、
そう云えば、と、頭に浮かんだのが、「アリとセミの話」。

尚、以下の文中、
「餌食(えじき)」は、捕食された餌(えさ)で、ここでは貯蔵されている物。

「大丈夫(だいじょうふ)」は、立派な男、
 ここでは、蝉(せみ)の蟻(あり)に対するへつらいの意味がある。

「斯(か)く」は、「このように」。

「春秋」は、年月、
「春秋の生業(なりわい)」で、日々の生活を支える仕事。

「謡(うたい)」は、謡曲、能の脚本に節を付けて謡う。

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  【蟻と蝉の事】
 
やがてに春過ぎ 夏行けば、秋も深まりて、寒気の厳しき季節に至りき。

ある冬の、
日のうらうらなる時、
蟻(あり)、穴より這(は)い出で、餌食を干しなどす。

蝉(せみ)、通り来たりて蟻に申すは、

「あゝ、大丈夫の蟻殿や、

 斯く厳しき時節まで、
 さように豊かなる餌食を持ちたまうものかな。

 願わくば、我に少しの食をお与えくだされ」 と、申しければ、

蟻の応じて云わく、
「ご貴殿は、春秋の生業には、如何なる事をしたまいけるぞ」と、

蝉答えて、
「夏や秋、それがしの営みとては、木ずえに 歌うばかりなり、
 その音曲に我忘れ、
 ひま無きままに暮らしそうろう」と云えば、

その時、蟻の申しけるには、

「今とても、何故、歌いたまわぬぞ、
『謡 長じては、終に舞』と、こそ承われり、

 卑しき喰い物など求め、何にかしたまうべき」とて、穴に入りぬ。

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最後の蟻のセリフは、

「貴方が芸事に夢中の時には、
 地を這う労働など、馬鹿にしていたではないか」と云う反発があり、

「それほど高貴な謡ならば、今も励まれれば良かろう」と云う嫌味、
「卑しき食べ物など求めて、今更どうしようと云われるのか」と云う皮肉で、腹いせしている。

「謡い長じて舞となる」と云う諺(ことわざ)は、
「謡曲が上達してから舞に入る」と云う事で、
「物事をなすには順序がある」と云う意味で使われるのだが、

ここでは、
「謡長じては終に舞」だから、
「芸事にのめりこむときりがなく、身の破滅をも招きかねない」の意味となる。

「アリが食べ物を貯蔵する」と云うことは、かなりの昔から知られていたと見える。

なにしろ、
今紹介した「蟻と蝉の事」は、
その成立が、紀元前六世紀とも云われる、
古代ギリシャの「イソップ物語」にある話なのだから。

「イソップ」とは、人の名で、
この説話集の作者で奴隷だったとも云われ、
またイソップ物語の中にも登場するが、その詳しいことは分からない。

なにしろ、今から二千五百年以上も昔のこと、

日本では、
やっと縄文時代が終わり、稲作文化が始まったかどうかと云う時代。

イソップ物語はその優れた面白さと教訓性から、
世界中に翻訳、翻案されたが、日本に紹介されるのは、豊臣秀吉のころになってから。

長崎に於いて、
キリスト教の宣教師のための日本語教本として、
ローマ字で印刷されたものが最初で、その後、日本語でも出版された。

その時の書名が、「伊曾保物語」、
その中のこの話も「蟻と蝉の事」と云う標題で伝わっている。

しかし、
ギリシャを発して長崎に到着するまで、なんと、二千年以上もかかった計算。

秀吉、家康も読んだかもしれないのだが、
その後の切支丹禁制などもあり、伊曾保物語は次第に忘れられて行く。

イソップの中の「アリとセミの話」は、
ギリシャからヨーロッパ各地へ伝播するうち、
北方の蝉のいない国では、その土地に馴染みの虫に翻案されたりする。

明治になって、
イギリス版の「イソップ物語」が翻訳され、子供向けの童話集として広く人気を得る。

処が、イギリス版で、セミはキリギリスとなっていたため、
日本は、
セミの多い国であるにも拘わらず、
この物語は「アリとキリギリス」として広まり、そのまま定着した。


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