なにで読んだか思い出せないのだが、
先の戦争で、
兵隊の戦死が家族に伝えられ、
やがて遺骨を入れた箱が届く。
ただし、大量の戦死者が出て、
混乱した戦場だと、遺骨の収集もままならない。
だから、中を開けても、
氏名と戦死した方面が書いてある「紙切れが一枚」。
そう云うことも多かったのだそうで、これを「紙骨」と云ったのだと云う。
ホトトギスと云う鳥は、
ノドの赤さから連想したのだろう、
中国の故事などにも、
「鳴いて血を吐くホトトギス」と形容されている。
この鳥は、ウグイスの巣に自分の卵を産みつけ、
その卵はウグイスよりも早く孵化(ふか)し、
他の卵、つまりホンモノのウグイスの卵を巣の外へ放り出してしまうことで知られる。
実際にはホトトギスの中でも、
一部の種類がそうするだけらしいが、
こういう子育ての方法を「托卵(たくらん)」と云う。
いずれも無残な話だが、
私がいま読んでいる随筆集の中に、
托卵でも紙骨でもない「托骨」と云う言葉が出てきた。
なんでも、著者の飯田章氏の親戚が、
、
亡くなった家族の遺骨を納めるため、
先祖伝来の墓の納骨堂を開けたところ、
見覚えのない骨壷がひとつ、余分に入っていたのだそうな。
どこの誰が持ち込んだものか分からぬが、
おおかたは、
身内が亡くなっても、
自分で供養するのも面倒と云う不届きモノが、
さりとて海や山に投棄するのも気がとがめるかして、
ひそかに他人の墓にまぎれ込ませたものらしい。
自分の手間を省いて、
他人に供養させようと云うこの横着な魂胆を、
著者は「托骨」と名づけたわけであるが、
なるほど言い得て妙、さすがは作家と云う処。
ただし、
どこの“馬の骨”ともわからぬ骨壷を託された方は処分に困り、
大いに迷惑なことだろうとお察しする。
私ならどうするだろうと考えたが、
ゴミの日に出すわけにも行くまいし、
警察に持って行っても、
あとの処置を考えるとそれで良いモノやら悪いやら。
たしかに名案が浮かばない。
そう云えば、
電車の中に「遺骨を忘れるあわて者」がいるという話も聞くが、
中には、落とし主不明になってしまう遺骨もあるそうだから、
あれなども案外、意図した落し物で、
真実は「托骨」なのかもしれない。