漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

青葉しげれる桜の木

2013年05月18日 | せけんばなし

いつもの散歩道にある池の畔りの桜の木々も、
すっかり青葉で覆われ、木陰のベンチに座ると快い春風が通り過ぎて行く。

日本のはるか古代、
やっと日本語が出来たころ、

色は四つしかなかったのだそうです。

赤、青、白、黒、の四つ。

だからこれら四つには、
色に直接“い”とつけて表現できる。

例えば、「赤い花」、「白い雲」のように。

処が、
後の世に付け加えられた色は、そうは行かない。

例えば黄色を「黄い」とは言わなし、
緑を「みどりい」とも言えない。

いずれも黄や緑の後ろに「色」を付け加える必要がある。

例えば「黄色いみかん」や「緑色の胡瓜」のように。

コレ、もうずいぶん前に何かで読んだ記憶があります。

だから桜の木の葉がいくら「濃い緑」でも、
「青葉」と呼んで一向差し支えないと云うことになる。

交通信号も
「進め」は国際的に「緑」なのですが、

日本人はその信号を見て、
「青信号」と云うものですから、
いつの間にやら本当にブルーの信号機までできてしまった。

以前、車を運連する老人用の、
落ち葉マークが不評で、
デザインチェンジを余儀なくされると云う事がありましたが、

あれなども、平安時代の初めのころの「紅葉」には、
赤い葉だけでなく黄色い葉も含まれていたのだと云うこと知っていれば、

ことさらに枯葉をイメージする黄色を強調せず、

老人をあらわすに、
「赤」を使えばよかったのではなかろうか、と私などは思っているのです。

老人の乗る車には「赤い薔薇」のマーク。

そして敬老の日には、
「真っ赤な薔薇を送りましょう」とキャンペ-ンするトカナントカすれば、

年寄りたちの反応も違ったような気がせぬでもない。 (笑)

では最後に、
緑がしたたるような、山頭火の有名な句を


 「 分け入っても 分け入っても 青い山 」












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