新聞やテレビは国政選挙の時などによく、
「革新政党」と「保守政党」と云う分け方をしますよね。
私は常々思っているのですよ、
この分け方はおかしいのではなかろうか、と。
各党の選挙公約を読んでみると、
革新のハズの政党が、
「平和憲法を守れ!」
「報道の自由を守れ!」
「国民の権利と生活を守れ!」
「人権擁護!」
いずれも、「守れ!」「守れ!」「守れ!」「養護!」、
これは「保ち守る主張」、
すなわち、現状を守り、改革や革新を厭う主張。
ならば、
これらの主張をする党は「保守政党」と云うことになるハズ。
また、「憲法改正」とか、
「安保法制」や「テロ抑止法」を、改正、或いは制定すると云う党は、
どう考えても、「革新政党」ではないか。
然るに、こう云う主張をする政党を、
新聞やテレビは「保守政党」に分類しています。
どちらの主張を良しとするかは別にして、
「保守」と「革新」が、
言葉の意味からは逆転した使い方になっている。
そんなことを常々思っていたら、
先日読んだ本、関川夏央著・「やむにやまれず」のなかの一編、
「仁侠映画講義」の中にこんな文章がありました。
1970年前後に一世を風靡した
高倉健や池部良が主演した「やくざ映画」についての考察です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
ここで注意しておきたいのは、
ヤクザ映画は全然左翼的映画ではなく、
「総長賭博」もそうですが、
“筋目を守る”というセリフからもわかるように、
とても保守的な内容なのです。
善玉が保守の権化で、
悪玉はおむね企業努力派というか改革派なのです。
なのに悪役は右翼の大物の名前を借りてる。
へんといえばへんですが、
政治は悪と考える純潔主義が60年代には支配的だった空気です。
いいかえれば60年代の学生運動は全然政治的運動ではなく、
現実回避への集団的衝動であったということでしょう。
~~~~~~~~~~~~~~~~
ヤクザ映画が全盛だったころ、
日帝粉砕を叫んで警官隊へ投石し、
ゲバ棒を振り回してデモに参加していた全学連の学生たちが、
ヤクザ映画に共感して、終夜営業の映画館に入り浸り、
あまつさえ、東大の某学生が書いたとか云う、
もろ肌脱ぎになって背中の入れ墨を見せてるヤクザの横に、
「止めてくれるな、おっかさん」とセリフを入れたポスターが有名になったりしました。
革命を叫ぶ学生たちが、
ヤクザに共感する、と云うのは、
当時としては不思議な現象に思えたのですが、
これを読むと、あれは、
社会の仕組みや生活環境が変わり、
古いものが消えゆく、高度成長期の日本に不安を感じた学生たちの、
社会の変革を嫌う心理が、
青年らしい「純潔主義」となって表れたのかもしれません。
「革新政党」と「保守政党」と云う分け方をしますよね。
私は常々思っているのですよ、
この分け方はおかしいのではなかろうか、と。
各党の選挙公約を読んでみると、
革新のハズの政党が、
「平和憲法を守れ!」
「報道の自由を守れ!」
「国民の権利と生活を守れ!」
「人権擁護!」
いずれも、「守れ!」「守れ!」「守れ!」「養護!」、
これは「保ち守る主張」、
すなわち、現状を守り、改革や革新を厭う主張。
ならば、
これらの主張をする党は「保守政党」と云うことになるハズ。
また、「憲法改正」とか、
「安保法制」や「テロ抑止法」を、改正、或いは制定すると云う党は、
どう考えても、「革新政党」ではないか。
然るに、こう云う主張をする政党を、
新聞やテレビは「保守政党」に分類しています。
どちらの主張を良しとするかは別にして、
「保守」と「革新」が、
言葉の意味からは逆転した使い方になっている。
そんなことを常々思っていたら、
先日読んだ本、関川夏央著・「やむにやまれず」のなかの一編、
「仁侠映画講義」の中にこんな文章がありました。
1970年前後に一世を風靡した
高倉健や池部良が主演した「やくざ映画」についての考察です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
ここで注意しておきたいのは、
ヤクザ映画は全然左翼的映画ではなく、
「総長賭博」もそうですが、
“筋目を守る”というセリフからもわかるように、
とても保守的な内容なのです。
善玉が保守の権化で、
悪玉はおむね企業努力派というか改革派なのです。
なのに悪役は右翼の大物の名前を借りてる。
へんといえばへんですが、
政治は悪と考える純潔主義が60年代には支配的だった空気です。
いいかえれば60年代の学生運動は全然政治的運動ではなく、
現実回避への集団的衝動であったということでしょう。
~~~~~~~~~~~~~~~~
ヤクザ映画が全盛だったころ、
日帝粉砕を叫んで警官隊へ投石し、
ゲバ棒を振り回してデモに参加していた全学連の学生たちが、
ヤクザ映画に共感して、終夜営業の映画館に入り浸り、
あまつさえ、東大の某学生が書いたとか云う、
もろ肌脱ぎになって背中の入れ墨を見せてるヤクザの横に、
「止めてくれるな、おっかさん」とセリフを入れたポスターが有名になったりしました。
革命を叫ぶ学生たちが、
ヤクザに共感する、と云うのは、
当時としては不思議な現象に思えたのですが、
これを読むと、あれは、
社会の仕組みや生活環境が変わり、
古いものが消えゆく、高度成長期の日本に不安を感じた学生たちの、
社会の変革を嫌う心理が、
青年らしい「純潔主義」となって表れたのかもしれません。