漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

変わり行くお盆の風景

2021年08月15日 | せけんばなし

この齢になると、
身の回りで逝去、物故と言った話が普通になるが、

少し違うのはその風景や遺族の方たちの反応。

特に死者の御息女の中には、
故人の死を自分の不始末であるかのように嘆く人を見かける、

「別の病院ならもっと長生きできたのに」と云った類。

そう云う方の話を聞いてみると、
彼女自身は死者とあまり関わっていない御様子で、

施設や病院へ見舞いには行っても身の回りの世話はしていない。

つまり、過っては当然であったはずの、
下の世話や看病をせずに死者を見送っている。

昔は違った。

私の生まれた山村では、
どこの家庭にも年寄りは居て、家族がその世話をした。

死ねば、
家から葬式を出し、

その接待や儀式には、
親戚や近所の者が集まって協力し、土葬の墓穴まで掘った。

つまり葬式は、
年に何度もある見慣れた風景で、

子供たちはそれを見て育ち、
「人は死ぬものだ」と云う事を自然に受け入れたように思う。

いつぞや、
あるお医者さんが書いておられたが、

高齢の患者の家族を呼び、
余命いくばくも無いことを伝えると、

急に取り乱し、
「なにがなんでも助けて下さい」と迫る人がたまに居るそうだ。

施設や医療の充実で、
家族、特に嫁に過度の負担がかからなくなったのはいい事だが、

そのため、
遺族の中には人の死を受け入れられない人も居るらしい。

つまり、
人の死を施設や病院まかせにした結果、

身近に人の死を経験しておらず、
急なことで受け入れられず、取り乱すらしいのだ。

御盆は祖先の冥福を祈る行事だが、
きのうのチラシを見ると握り寿司や刺身、肉の宣伝がイッパイ。

昔は、
お盆の期間中は生臭物は遠ざけ、

豆腐や野菜を中心とした精進料理だったものだが・・・。

 


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