朝鮮について知りたい

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『孤立化』(バラバラ化)

2011年10月12日 | 帝国主義・植民地
 人間疎外の形態その①は人間の『断片化』でした。

 これは、人間の持っているある1部分がその人間の『人間性』であるかのような状態に陥ってしまうことをいうのですが・・・ それは、確認したい場合、日記たちを見て行ってください!


 今日は人間の『バラバラ化』、相互外在化です。

 人間的な連帯性の分断です。

 もともと、人間は社会的な存在。人間は社会の属してのみ、また社会によってのみ、『人間になり得る』、というのは、一番初めの連載、『person』の部分で説明しましたよね^^ (人間は『人間』になる『可能体』に他ならないと。)

 この人間の根本をなす『社会性』を完全に断絶してしまう状況のことを一言で『相互外在化』(バラバラ化)といいます。


 本書の中では、ヨーロッパの哲学者の格言を用いて説明がなされています。


 『現代人は人々の間に生きているけれども人々と共に生きてはいない。among menではあるが、with menではない。』



 ある、大学では学生たちが、

 『うちの大学のキャンパスは砂漠のように、まるでバラバラの砂粒の集まりです。』などとも言ってます。

 このようなことが、相互外在、相互無関心という、人間疎外、『人間らしくなれない。』(人間になり得る可能体が『人間らしくなれてない』)状況を表しているのです。

 真下先生はこのような社会的な疎外の問題に焦点をあて、現代社会を厳しく批判しています。それと、同時に『自由観』、そしてこれらのものとは相反する『相互内在』、人間的『連帯』を次のように記しています。


 厳しい山を登る際に使うザイルを例にあげて、

『何人かが組んで腰にザイルを結び合う。仮にそのうちの一人が足を滑らしても、ザイルで結ばれるほかの何人かがその体で落下を支えてくれる。落ちることはない。まさにいわゆる一蓮托生のかたちそのものです。それと同時に、ザイルで結ばれる一つの大きな力のおかげで、一人一人バラバラならばあるいは不可能だったかもしれない断崖絶壁の征服も可能となる。』

『人間の連帯は人間の孤立にとって不可能であるようなことをでも可能にしてくれる秘密の力なのです。私は・・・自由ということは、・・・あらゆる束縛や集団や規律といったものからの最終的に意味するのではなくて、ある望ましいことができる自由、あることへの自由』と、思っているわけです。


 どうでしょう、みなさん。

 人間の孤立化(バラバラ化)による、人間性の喪失と、人間の連帯によるあるものへの『創造』!!

 これこそが人間であるべきであり、こういったもの、連帯それ自体を創造していくことが『人間の活動』なるものと、自負しています。

 『自由と規律は相反するものではなくて、規律は自由の条件』

 あなたは、これから、社会の中で、名刺や、肩書きといった『社会的なマスク』をかぶって集団(友達、そして社会)と付き合っていきますか??

 一緒に険しい山を登る、いわゆる『創造』をともに出来る、『連帯』のなかでの、友を募っていくのも、また楽しいと思いますよ!!



さ、次は人間疎外の最後、『心の過疎』です。

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