むすんで ひらいて

YouTubeの童話朗読と、旅。悲しみの養生。
ひっそり..はかなく..無意識に..あるものを掬っていたい。

そこで見つけたステキなもの

2012年06月30日 | 旅行
名古屋から、三重県に向かう近鉄特急に乗って2時間11分。
終点の、賢島(かしこじま)駅に到着します。

先日、この辺りの入り組んだ湾や岬を、小学生の時以来、訪ねました。

ここ志摩半島は、伊勢志摩国立公園という、日本有数の海の国立公園。
南に面する熊野灘には黒潮が流れ、温暖な気候なので、南国の植物も見られます。
リアス式海岸と呼ばれる、岬や入り江の多い複雑な地形は躍動感があり、大小の島々が点在し、真珠養殖の筏が浮かぶ静かな内海には、しみじみとした風情があります。


中でも、大王崎灯台のある大王町は、漁港と周辺の町並み、真っ白く凛とそびえる灯台が、よく画家のモチーフとして描かれてきました。
わたしにも、家族と来たこんな思い出があります。

小学4年生の夏。
日本画を描いている母が、
「(その年の春に)漁港のスケッチ旅行にきたら、とっても雰囲気のあるところだったから、あなたたちも一度つれてきたいと思ったの。」
と、車の中で声を躍らせていました。

着いてみると、たしかに。
そこには、母の描いていた舟が、夏の日差しの下、並んで波に揺れていて、辺りを夏休みの観光客が行き交い、画の中の題材たちが動き出したように見えました。

灯台まで続く、曲がりくねった坂沿いには、真珠や貝細工、海産物のお土産屋さんが軒を連ね、お祭りのような人出。



ところが。今回行ってみると。。
今はみんな、海外に行くようになったのかな。
当時の三分の一ほどのお店が開いている中、三組のお客さんとすれ違っただけで、静かな坂を上って行きました。

灯台の階段をぐるぐるのぼると、まあるい水平線。
うす曇りの空と、それを映す海の間でぼんやりしていましたが、一面の海原に気持ちは晴れ晴れ

と、眼下には、あの日、父の釣り竿を借り、海に向かって思い切り竿を振るった浜辺が望めました。
その時の空気感は、まるでオレンジの皮をむいた瞬間、しゅわっと、さわやかな香りが弾けるように生き生きと立ち現れました。
今まで、どこの浜辺のできごとだったのか、はっきりしないまましまわれていた記憶が、茫漠とした海で灯台の灯りを見つけたようです。


ああ、その後、きれいなものも見たのでした。

釣りをする父とまた後で会うことにして、わたしと母は、漁港から灯台に続く坂の上り口まで、盛大に広げられた魚の干物を見て歩きました。

途中で立ち止まった時、すぐ横のコンクリートの塀には、縄でくくった緑のガラスの玉がいくつも掛かり、夏の日差しを涼しげに透かしているのでした。

それは、周りから浮き立って見え、
「なんて不思議で、きれいな物なんだろう。」
と、目を惹きつけられてしまいました。
母は干物を、わたしは、いろんな種類の貝殻が詰め合わされたお土産パックを手にして、
「待ち合わせはこの辺り。。」
と、話しているところでした。


後から、それが、漁網の浮きに使われる「浮き玉」だったと知ります。

かつては、職人さんが一つ一つ丁寧にふくらませて作ったガラスの球でしたが、今では、浮力の良さと耐久性と安さから、プラスチックのものが主流になっているそうです。


その日の海の色になじむ、半透明のガラスの浮き玉を使って、魚を獲る人々。
機能と美しさが調和した景色。

漁の仕方や観光客の流れは移ろっても、まだここには、漁港でのんびり立ち話をする割烹着姿の女性や、道を尋ねたら、照れくさそうにお店の奥まで聞きに行ってくれる親切な女の子がいたりして、おっとりとした人の営みに心休ませてもらえます。


行った先に、ひとつでもステキなものを見つけ、楽しい思いを残したい。
そんな訪問者のいた場所は、時の中でたとえカタチが変わっても、そこに在る(在った)意味を、いつまでも持ち続けるはずだから。




ホテルから望む湾に、かすかな磯の香り。



                           かうんせりんぐ かふぇ さやん     http://さやん.com/

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