比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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南九州日南の旅・・・日南市・・・歴史的土木遺構・・・飫肥杉搬出のための・・・堀川運河を見る

2019-09-16 | 道を行く 九州の諸道
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

梅雨どきですが南九州の旅・・・鹿児島県大隅半島から太平洋岸を宮崎県日南へ。
日南市油津にやってきました。かつての飫肥杉の搬出港、東洋一のマグロ港として栄えた港町。

江戸時代の前期1684~1686年に日向国飫肥藩が開削した歴史的土木遺構・・・堀川運河です。
★江戸時代、飫肥藩伊東家が植林、育成に努めた飫肥杉、広渡川河口から大櫛鼻をまわって海上5㎞を油津港に輸送していたが外洋(日向灘)に出るため海難被害も多く、大櫛鼻の付け根を油津港に通じる運河を開削した。全長1.5㎞弱(そのご埋めたてられたりして1㎞弱に)。明治期にはいり鉄道網の発達のため運河の役目が終わり衰退、1980年代ごろより観光資源として復活、整備されている。


堀川資料館・・・

石造アーチ橋「堀川橋」・・・国の有形文化財。
★江戸時代、木造板橋があったが明治期に1903年永久橋として架橋、地面より3mかさ上げ、そのため周辺家庭の出入り口は二階になった。

大正年間に材木商の倉庫として建てられた3階建ての赤レンガ館、現在はコミュニティー施設。
1913年官営鉄道(現JR日南線)ができるまでは流通の中心として運河周辺が栄え、いまも歴史的景観が偲ばれます。

運河はやがて油津港に・・・

油津港の風景・・・後方の山は大櫛鼻(岬)・・・広渡川の河口からこの岬をまわって油津港に入るのは海上5㎞を要した。
※撮影日は7月14日。

飫肥杉・・・九州日南飫肥地方広渡川流域に育つ杉、南方に育つため生育が早く巨木になり樹脂分が多いため吸水性が低く船材として使われた。現在は住宅材として。
飫肥藩伊東家・・・鎌倉時代から地頭として飫肥地方に。戦国時代を潜り抜け江戸時代も飫肥地方50000石の大名に。藩の財源として杉の植林育成に努めた。住民との「二部一山の法(一公一民)」」、「三部一山の法(一公二民)」の思想は明治期にはいり国の国有林管理の思想に盛り込まれた。


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