比企の丘

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九州紀行・・・近代化産業遺産群・・・大牟田市の三池炭鉱のあとを尋ねる

2014-10-01 | 道を行く 九州の諸道
わたしが旅したのではありません。彩風人の九州紀行です。
・・・彩風人の写真帳・・・
(比企の丘からブログのギャラリー開放です)
9月5日、九州の旅の最後はユネスコ世界遺産の暫定一覧表にリストアップされた「九州・山口近代化産業遺産群」、の一つ三井三池炭鉱です。
三井三池炭鉱・・・大牟田市、福岡県三池郡高田町(現みやま市)、熊本県荒尾市万田・・・三つの坑口を持った炭鉱。1997年閉山。

国指定史跡・重要文化財三井三池炭鉱宮原第二竪坑跡・・・(福岡県大牟田市宮原町)です。
竪坑櫓、捲揚機室、デビーポンプ室一部外壁などが残っています。
宮原坑は1895年着工、1898年出炭開始、1931年閉坑。1931年は囚人労働・坑内女子労働が禁止された年です。

大牟田市石炭産業科学館・・・模擬坑道や採炭用カッターや石炭運搬用電気機関車、蒸気機関車の模型など展示。

登録有形文化財旧三川電鉄変電所・・・1909年竣工、1998年、三池炭鉱閉山後に解体予定だったが民間会社サンデンが取得。
サンデン本社事務所、資材置き場、屋根で太陽光発電を行っている。

旧三井港倶楽部・・・1908年竣工、経産省指定近代化産業遺産。皇室、経済界の迎賓館、高級船員の宿泊設備(現在はレストラン)。

旧三井港倶楽部の前庭にある三井三池炭鉱の祖ともいえる團琢磨のブロンズ像、團琢磨については別記。
後方に大浦坑遺址のモニュメント・・・大浦坑は1873年官営坑として開坑、1889年三井家が継承。日本で初めての近代技術を採りいれた炭坑。
1926年閉山。團琢磨により遺構の煉瓦が使われてモニュメントが建てられ後年この地に移された。

旧長崎税関三池支所・・・1908年三池港の開港と同時に開所。1965年に閉所、税関業務は合同庁舎に。
2012年改修工事、一般公開。明治期の木造洋風建築。市指定有形文化財。

1908年開港の三池港。干潮差5.5mの有明湾に対応して閘門式水門。岩壁の水深は常時8.5mを保っている。岩壁には石炭船揚機が見える。
対岸に見えるのは三井石炭火力発電所か。
カメラはCanon PowerShot G12 
※三井三池炭鉱を尋ねる旅-2
三池炭鉱・・・1469年燃える石発見、1738年柳河藩採掘、1853年三池藩開坑、1873年官営三池炭鉱、1888年三井組落札、1892年三井鉱山設立。1997年閉山。
團琢磨(1858~1932年)・・・旧福岡藩士、1871年14歳のとき岩倉使節団に加わり渡米そのまま留学、1878年帰国。大阪専門学校、東大で教鞭をとる。1884年工部省鉱山局の官吏に。1889年三池炭鉱が三井組に払い下げになると三井炭鉱の事務長に。三池港開港、専用鉄道の施設、英国製大型ポンプの導入、三井三池炭鉱会長、三井グループ理事長に。三井財閥形成の原動力になった人。1932年昭和金融恐慌のとき三井がドル買占めの元凶と批判され右翼に暗殺される。歌曲「花の街」の作曲で知られる音楽家團伊玖磨は孫。

九州の端島炭鉱、池島炭鉱、三池炭鉱と日本の近代化を支えた産業遺産群を見てきました。石炭はエネルギー源、明治維新から西欧文化に追いつくための無くてはならない役割を果たし、やがてエネルギー源が石油に代わってその役割を終えていきました。
日本の高度な工業技術を支えたのはいうまでもなく光の部分ですが、囚人労働、請負制度、戦時中の朝鮮人労働者徴用、炭塵爆発などがありました。それらについては勉強不足ですのでここでは記しません。ただそういった負の遺産ともいえるものがあったということを認識して考えていくことも必要です。

九州の産業遺産群を尋ねる旅、長々クドクド、続けてきましたがこれでオシマイです。つきあっていただいてありがとうございました。
旅人の好奇心で目に入るものをランダムにカメラに収めています。素人の写真ですが後世への記録(アーカイブ)になるかもしれません。
説明文はネット情報をまとめたもの。知識の貧弱さでいい加減です。補足説明や誤りを指摘することがありましたらコメントしてください。

※日本の近代化遺産委ついてのぶろぐは→こちらクリック


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