比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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南信州の旅・・・喬木村の・・・椋鳩十記念館と・・・愛犬の物語 「マヤの一生」

2014-09-11 | 信濃の国は 伊那・諏訪
酷暑の夏から秋になりました。雨が降り続いて秋晴れの日が稀です。
もう2か月以上になりますが伊那路の旅の最後のレポートです。
6月30日、長野県最南端の村天龍村へ。最初の目的のブッポウソウに逢ったあと、天龍村をあとにして阿南町東条(元大下條村)の旧友の家を訪ね、お茶をいただいたあと採りたてジャガイモをお土産にいただき、次に天竜峡の近くの飯田市竜江(元竜江村)の旧友を訪ね、お土産に紫蘇の味噌巻きなどいただき・・・まるでお土産イタダキの旅状態。

さて伊那路の旅・・・喬木村の「椋鳩十記念館」です。

長野県下伊那郡喬木村、天竜川の左岸の村。なぜか明治22年の町村制施行以来の単一自治体です。
遠くに見えるのは南信州のシンボル・・・風越山(ふうえつざん、かざこしやま、権現山、1553m)。


長野県下伊那郡喬木村、村立椋鳩十記念図書館・・・左側のトンガリ屋根の建屋が椋鳩十記念館。1992年竣工。

椋鳩十・・・児童文学では最高峰のヒトですが、児童文学に馴染のない人には、初めて聞く名前かも。

玄関ホールに椋鳩十先生の写真。                 喬木中学校北門にある椋先生の文学碑。

記念館正門前にある文学碑。

椋鳩十(1905~1987年)・・・本名久保田彦穂、喬木村に生まれ、1930年鹿児島県種子島で教員生活に入り、同年8月に加治木町立実科高等女学校教員、1947年鹿児島県立図書館長、「母と子の20分間読書」運動推進。1967年鹿児島女子短期大学教授。仕事の傍ら児童文学を次々に発表・・・特に動物を扱った児童文学作品は世界でも稀なジャンルです。
19歳で喬木村を出て以来、鹿児島県で生涯を過ごした人ですが、ふるさとの信州伊那の谷を限りなく愛した人であり、1966年に西日本新聞に連続50回で「自然の中で」と題しふるさと喬木を紹介しています。喬木村名誉村民。

1970年発表された「マヤの一生」という動物物語があります・・・お話の筋を簡単に記します

太平洋戦争のころ、わたし(椋さん?)の家で飼っていた三つの生きもの、ニワトリのピピ、ねこのペル、犬のマヤのお話です。マヤという名前はお釈迦様のお母さんの名前にちなんでつけたといいます。椋さんはたいへん想像力豊か(大風呂敷、ほら吹き)な人で、3匹の生きものの交情、子どもたちとの交情が、実に面白く生き生きと語られています。
やがて戦局が激しくなると食糧事情も厳しくなり、人の食糧も厳しいのにペットに与える食料などもってのほかということで、お上のお達しで軍用犬以外のペットの犬は殺してゆくことになります。警察や役場の人にいろいろ理由をつけて提出を拒んできましたが、ついにマヤはの世話役の人に連れて行かれて太い棒で一撃されます。マヤは悲しげな叫び声を上げて逃げ出しススキ藪の中へ。
夜になって、離れの間のくつ脱ぎ石の上、愛する次男の愛する匂いのする下駄にあごをのせてマヤは冷たくなっていました。


家族の一員のペットを国家命令で殺させる時代、そんな時代に対する椋さんの強い怒りが聞こえてきます。


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4 コメント

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椋鳩十 (アルママ)
2014-09-11 21:34:14
こんばんは。
児童向けの動物小説は、年齢に関係なく感動させられますね。
すっかり忘れてしまいましたが、また読んでみたくなりました。
私は、ムクハトジュウをついハトムクジュウと言ってしまいます(笑)
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懐かしい名前 (こきおばさん)
2014-09-12 06:10:33
椋鳩十・・・・・懐かしい名前です。
今居られたらどんな言葉を発するでしょう。きっと警鐘を鳴らしてくださると思います。

想像力豊かな・・・・今評判の村岡花子に通じるものがありますね。
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長年、女学校の先生と (アルママさんへ・・・)
2014-09-13 22:18:37
図書館長をやられたかたです。
人に優しく、動物に優しいかたですね。
最後の場面は泣かされます。
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母と子の20分間読書で (こきおばさんへ・・・)
2014-09-13 22:23:23
全国的に有名なかたです。
伊那の谷の山国育ち、動物たちとの出会いが多かったようです。
物語の中に、特攻機が故障して引き換えし不時着して炎上する場面があります。
九州鹿児島にいましたからそういう場面を何度も見ているかもしれません。
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