比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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上信国境・・・碓氷の峠で・・・万葉歌碑を読む

2009-05-18 | 旧街道・峠道・旧宿場
五月のゴールデンウイークの次の週、北信濃の周遊を終えて帰る日、軽井沢に寄りました。時間はたっぷりあります。
旧中山道碓氷峠に来ています。軽井沢町のいわゆる旧軽銀座から4km、海抜1200m。
近世江戸時代の五街道中山道、峠の上は上信国境、熊野神社の本殿がまっ二たつに分けられて賽銭箱も二つ。長野県軽井沢町峠町、群馬県安中市松井田町峠と地籍名も二つ。

写真はまっすぐ行くと見晴台、今日は浅間の山も、妙義の山も、関東平野も霞んで見えません。
右の道標に従って降りていくと軽井沢の街です。

碓氷峠の見晴台・・・万葉歌碑・・・1967年建立のようです。



日の暮れにうすひの山をこゆる日は
せ(夫)なのが袖もさやにふらしつ

              巻十四 よみ人知らず
ひなくもりうすひの坂をこえしだに
いも(恋人または妻)が恋しくわすらえぬかも

              巻十四 防人(さきもり)

歌の意味はだいたいなんとなくわかると思います。
万葉集とは8世紀の中ごろ(奈良時代)の歌集です。当時、九州地方に外国(仮想敵国はどこだったのでしょうか)の侵攻に備えて防衛軍を配備していて東国からも派遣軍として徴兵されて行ったようです。
最初の歌は出征兵士を送る歌です。次の歌は碓氷峠まで来てまだ奥さんのことをグダグダ思っている女々しい男の歌です。考えかたを変えればこういう歌をおおらかに吟じられたということはその当時は表現の自由があったといえます?

ヨケイなこと》万葉が詠まれた天平の時代、中山道とはいわれずに東山道、信濃の国から上毛の国に通じる「うすひの坂」とはどこであるか・・・定かではないようです。国道18号線碓氷バイパス入山峠あたりという説もあれば、現在の国道144号線(大笹街道)の鳥居峠という説もあります。それじゃあここに万葉碑を建てる意味がないじゃないかということになりますがこだわらないほうがいいでしょう。

碓氷峠では眺めもなし一目散に軽井沢の街に下ります。

2006年9月20日のブログ・・・「軽井沢銀座・・碓氷峠」
2006年9月3日のブログ・・・「東山道・・保福寺峠・・・塩田平から」


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