比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

信州・・・伊那の谷の花見紀行・・・高遠藩の藩校・・・進徳館跡を訪ねる

2022-05-13 | 信濃の国は 伊那・諏訪
信州上田の・・・六文銭の写真帳から

信州桜見紀行・・・信州・・・伊那高遠のコヒガンザクラ・・・です。
高遠城址1500本のタカトウコヒガンザクラ・・・駐車場も城址も人人人、諦めてあたりを散歩。

北門のすぐ傍の高遠藩の藩校「進徳館」跡に。幕末の1860年開校、明治維新の8年前です。


明治時代に入り1873年廃館。13年間でしたが多くの人材を育てました。

建学の精神が引き継がれ1899年高遠町立高遠実業補習学校が開設され、幾多の変遷を経て1948年県立高遠高等学校が開設されます。

県立高遠高校は藩校進徳館の「拓世、迫真の実学」の精神をモットーに。
※撮影日は4月11日。
藩校・・・江戸時代、各藩が藩士の子弟の教育のために作った学校。領民の子弟にも開放した藩校も。その教育は初等から、中等、漢学、洋学、医学、女子、さまざま。各藩交流の留学、遊学も。最初に開校したのは1662年名古屋藩の明倫塾,1700年代に発展し最盛期255校、それにしても高遠藩の幕末8年前とは遅すぎ。
寺子屋・・・江戸時代の中期から後期、全国で寺子屋が13000~15000、信州では1300余あったといいます。藩士の子弟の教育は私営の寺子屋に任せていたのでしょうか。

※コメント欄閉じています。


最新の画像もっと見る