・・・彩風人の写真帳・・・
コロナ禍で冬ごもり・・・運動不足解消ための外に出てウォーキング…近くの近郊鉄道路線の駅と駅の間、片道は電車に乗って。
今日は西武鉄道池袋線東飯能駅から高麗駅・武蔵横手駅まで。ついでに駅鉄撮り。
巾着田に咲く彼岸花の里、渡来人を祀る高麗神社の郷・・・高麗駅です。埼玉県日高市武蔵台。
1929年開業、島式ホーム1面2線、1日の乗客数1370人。
「天下大将軍」「地下女将軍」の柱は、朝鮮半島の道祖神「将軍標」です。
高麗の里は668年朝鮮半島で滅ぼされ亡命した高句麗の王族高麗若光がこの地を大和朝廷から与えられて716年入植した地です。
※撮影日は2月20日。
★高麗の郷・・・716年古代朝鮮の高句麗の貴人「高麗王若光」を中心に1799人がこの地に住み着いたとのこと。大和王朝から与えられた入植地でしょうか。663年大和王朝が絡んだ「白村江の戦い」が朝鮮でありました。朝鮮半島の新羅,高句麗、百済の覇権争いです。新羅が勝利し高句麗、百済が滅ぼされます。高麗王若光、今で亡命貴族です。ボートピュ―ピィルでしょうか。この時代の朝鮮からの人は渡来人というようです。帰化人ではありません。拉致でもありません。それはずっと後の時代です。
大和の国より技術先進国ですし集団ですからあらゆる方面の技術者がいたでしょう。建築、土木、農業、鋳造、鍛造、馬の飼育、牧畜、当時の地元の人は目を見張ったでしょうし教えられたでしょう。不毛の地が田畑になりは灌漑が施されたのです。
当然のことながら長い年月で民族の血は同化されていきます。
そんなことを考えながら高麗の里を歩くと面白いですよ。
高麗の郷・・・巾着田の風景・・・
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