比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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信州・・・須坂・・・米子の大瀑布

2009-11-20 | 川と滝と湖と海と橋の風景
11月15日信州須坂の山の中、米子(よなこ)の大瀑布の探索に行きました。
信越道須坂長野東ICを出てまず菅平方面に、仁礼交叉点から亀倉方面に、案内標識はシッカリと各所にあります。標高650mくらい?このへんから14km、米子川を離れて右側の山に高巻きして峠を越えてまた米子川に、ここまで道は舗装、狭かったりマアマアだったり、橋を渡って駐車場に。先客は1台。トイレはありますが使用禁止に。

駐車場の案内板。右回りにで行くことに。出発9:30。このへんで標高1270mくらい?

赤い橋を渡ります。

コンクリートで固めた砂防堰堤が見えます。どうやって資材をなんて考えました。後でわかってきます。

さらに川を高巻きして遡っていきます。ハイキング程度ですがヒールの高い靴はやめたほうがイイです。

またまた砂防堰堤が見えてきます。日本の砂防堰堤の歴史は広島県神辺の堂々川で1773年に作られた砂留めが最初らしいのですが、明治時代に外国から招いたお雇い技術者デ・レーケが近代工法で本格化。1897年砂防法が布かれます。この川に何基の砂防堰堤があるのでしょうか?山国育ちのわたしにはそれほど珍しいものではありません。

砂防堰堤・・・近世江戸時代は「砂留め」、近代になって「砂防堰堤」・・・「砂防ダム」とも。地球何10億年の歴史の中で砂防の歴史は高々数百年です。これからもえんえんと続けていかなければならないでしょう。自然とおり合いをつけて人間が生活していくことはたいへんなことです。
デ・レーケ(1842~1913年)オランダ人、明治時代日本が招いたお雇い技術者。日本の近代砂防、治水工法の基礎を構築し「砂防の父」といわれる。

やがて休憩ポイントの米子不動尊、秘境の宿「滝山館」に。滝は真上に。よく見えないので対岸に行くことにします。「滝山館」の下に回り小さな橋を渡って右岸に。なぜか舗装道路、簡易トイレがあります。


不動の滝です。残念ながら紅葉の時期は2週間前ぐらいで終了のようです。



ここで男性1人・女性3人のグループに会いました。松本ナンバーの駐車先客、写真愛好のグループとか。
ここから芝生を張って造成したような場所に出ます。一番高いところに東屋が見えます。

米子大瀑布の情報→須坂市観光協会が詳しい。紅葉最盛期の休日は車輌渋滞回避のため車輌進入止め、シャトルバスで入山。冬季は凍結のため道路閉鎖。


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