武蔵野競技場線跡
昭和26年(1951)、中島飛行機武蔵製作所跡地にグリーンパーク球場が作られ、観客輸送のために中島飛行機武蔵製作所専用線跡を転用し、三鷹駅から武蔵野競技場線が敷設された。
東京六大学のリーグ戦が19試合、プロ野球が16試合行われたが、翌年には球場が閉鎖され、一年限りで運行は休止となり昭和34年(1959)に廃線となった。
軌道敷跡は、玉川上水から南側は堀合遊歩道として、北側はグリーンパーク遊歩道として利用されている。
昭和31年(1956) 「国土地理院」
戦前の地図に武蔵野競技場線が書かれた地図
昭和31年グリーンパーク球場付近
昭和32年(1957) 「国土地理院」
国土地理院
中央線との分岐跡
ぎんなん橋 平成24年(2012)、都道の建設に伴い、「ぎんなん橋」が設置された
昭和26年(1951)、中島飛行機武蔵製作所跡地にグリーンパーク球場が作られ、観客輸送のために中島飛行機武蔵製作所専用線跡を転用し、三鷹駅から武蔵野競技場線が敷設された。
東京六大学のリーグ戦が19試合、プロ野球が16試合行われたが、翌年には球場が閉鎖され、一年限りで運行は休止となり昭和34年(1959)に廃線となった。
軌道敷跡は、玉川上水から南側は堀合遊歩道として、北側はグリーンパーク遊歩道として利用されている。
昭和31年(1956) 「国土地理院」
戦前の地図に武蔵野競技場線が書かれた地図
昭和31年グリーンパーク球場付近
昭和32年(1957) 「国土地理院」
国土地理院
中央線との分岐跡
ぎんなん橋 平成24年(2012)、都道の建設に伴い、「ぎんなん橋」が設置された