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東日本大震災十年目に想うこと その一

2021-03-11 21:35:11 | 私的関連

 十年一昔と言われるが、今日で東日本大震災からちょうど十年目となった。あれからもう十年も経ったのか……と思う人もいれば、まだ十年目だと見る方もいるだろう。
 被災地でも被災に遭わなかった人と、家族や家、財産すべて失った方では震災への見方はかなり違うはず。私の家族や親族、友人は全て無事だったし、家屋も特に被害はなく、被災地でもかなり恵まれていた。東日本大震災十年目なので、そんな一宮城県民の想いを綴ってみたい。

 暫く前からメディアで繰り返される標語に、「震災を忘れない」「震災を風化させない」等がある。私的にはこの種の掛け声はウンザリさせられるばかりか、耳障りですっかり嫌いになっている。この種のスローガンは、「先の大戦を忘れない」と全く同じ流れであり、独善的極まりない同調圧力そのものとしか感じられない。
 しかも「震災を風化させない」と訴えているのは、被災地の被災者よりも余所から来た活動家や知識人が結構目に付く。連中にとっては震災はまたとないネタと仕事を提供しており、「震災ビジネス」と化しているとしか見えない。被災に付け入り、宣教活動に来た海外のキリスト教団体も来日していた。

 全てを失い、助かったのは命だけという被災者ならば、震災は忘れたくても忘れられないはず。忌まわしい震災の記憶など、早く風化してほしいと内心では思っている被災者もいるのではないか?被爆者の中には広島の原爆ドームを見るのが辛い……と言った人もいたらしいが、その気持ちが東日本大震災でようやく理解できた。
 しかし、メディアには辛い被災体験を語る被災者ばかりが登場する。彼らは“震災の語り部”として、恐ろしい体験を真顔で語りかけ、「震災を風化させない」運動に貢献しているが、メディアの作る空気は影響大と痛感させられる。

 2012年春、復興支援ソング『花は咲く』が作られ、NHK企画制作ということもあり、たちまちヒットソングとなった。作詞は仙台市出身の映画監督・岩井俊二氏だが、作詞者が仙台市出身の映画監督であることを私が知ったのは数年後だった。
 実はこの歌も私は苦手だった。ТVを付ければ毎回のように流れ、感傷的なメロディーであっても、震災後の不便な生活が嫌でも蘇ってくるからだ。私の住む地区は幸いにして水道は使えたし、電気も3日目には復旧している。しかし3日間だけであっても、電気無しの暮らしは堪えた。

 電気が使えぬため、こたつやファンヒーターも使えない。石油ストーブは底が錆びたため処分したばかり。3月半ばは仙台でもまだ寒く、夜は冷えた。夜になればロウソクを明かりにする他なく、照明では江戸時代と同じ水準となった。絶えず余震が起き、震度も4~5クラスがザラなのだ。ロウソクの暗い光の中、余震はさらに暗い気分にさせられる。
 そのためロウソクと震災の記憶が結びついてしまい、何年もロウソクの光が苦手になった。震災前だとキャンドルナイトといえば、ロマンティックな響きがあったが、ロウソクを見るだけで暫くは震災の記憶が蘇ったものだった。

 もちろん私の体験など、津波で命以外は全て奪われた被災者に比べれば取るに足らないし、人様に語るに値しない。電気は復旧してもガスの復旧には時間がかかり、わが家でガスを使えたのはちょうど一か月後だった。
 3月中は買い物にも不自由だったし、店先は何時も長蛇の列状態で、2時間待ちが普通だった。ガソリン不足も酷く、方々のガソリンスタンドでは長い車列が出来ていた。コンビニは軒並み閉まり、仙台に限らず被災地の風景は何処も似たようなものだったはず。

 何時の間に街が震災前の状態に戻ったのか、今となっては記憶もあいまいになっている。特に仙台市中心部は、1年も経たぬ間に元通りになった感があり、復旧は早かったのだろう。「震災を忘れない」等と訴える者にとっては困る現象だろうが、人間の記憶ほどアテにならないものはなく、記憶は後から上書きされるので、震災体験とやらも鵜呑みにできないのだ。
その二に続く

◆関連記事:「杜の都、超激震!
東日本大震災から一か月
海外からの支援について
被災地で救援活動する人々

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24 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Re:また地震 (mugi)
2021-05-02 22:13:58
>スポンジ頭さん、

 昨日の地震は前回3月よりも小さめだったため、被害も少なく私も無事でした。地震発生時、私はスーパーの駐車場にいましたが、車を停車した直後でした。それでも立っていても大きな揺れを感じたし、前回から2ヵ月もしないうちに再び大きな地震があるのは不安になります。
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また地震 (スポンジ頭)
2021-05-02 01:11:06
 昨日も地震がありましたが、大丈夫ですか?東日本大震災の余震でしょうか。頭に物が落下したり、火を使っている状況だったら身の危険を生じますよ。
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Re:地震のエネルギー (mugi)
2021-03-21 21:30:56
>スポンジ頭さん、

 地震発生時、私は夕食直前でした。家族共々テーブルの下に隠れましたが、前回と同じくこけしが倒れたくらいでした。今回も幸い津波はありませんでしたが、ひと月もしないうちに大地震が起きるのは気分のいいものではありません。

 高速道路走行中に大地震に遭うのは、ドライバーにとって悪夢以外の何物でもありません。私も運転中に地震になったことがありますが、車が上下にバウンドするのです。急いで脇に寄せて停車しましたが、車が走っていない住宅地の道路でラッキーでした。これが自動車道なら本当に恐ろしい。

 未だに何時、何処でどれくらいの地震が起きるのか、予測はできません。たとえ出来たとしても天変地異を止める術はない。地震、雷、火事にはお手上げです。
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地震のエネルギー (スポンジ頭)
2021-03-21 09:14:34
 外出していたので、昨日の地震は帰宅後知りましたが、大規模な災害があるかもしれない状況が続くのは本当に不安ですよね。会社でも先日の地震の際は支店や工場の安否確認をしていました。

>横倒しになった高速道路の橋脚

 あの時点で高速道路にいた車の事を考えると寒気がします。普通の道路が波打っていた、と言う話もありますが、そのような中では車のコントロールはできません。東日本大震災の後、日本の土木学会が「今の技術では勝てない」と自分達の無力さを認める発言をしたとTVか何かで見ました。日本の地理的環境だから仕方ありませんが、地球が動く天変地異には勝てません。
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Re:スニーカー (mugi)
2021-03-20 21:31:01
>スポンジ頭さん、

 パンプスではとても歩けないので、スニーカーは絶対必要です。避難所ではスリッパもないため、素足で怪我した人も多かったそうです。足の怪我は避難生活でかなり困難となりますから。

 今日18時過ぎ、宮城県でまた地震がありました。幸い津波はなかったものの、2月末にも大きな地震があったばかりで不安になります。
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Re:阪神大震災 その2 (mugi)
2021-03-20 21:29:52
 いかにスポーツをしていて体力に自信があったにせよ、女性が東京から神奈川まで歩いて帰宅するのはアブないですよね。震災時では火事場ドロボーも現れますから。
 幸い私は震災発生時に家にいましたが、職場だったら帰宅するとしても、かなり時間がかかったと思います。公共交通機関はまず使えないだろうし、自宅まで歩く体力はありませんから。

 トイレが使えないと特に女性はダメージを受けます。男性でも野外で用を足すのは堪えるでしょう。

 阪神大震災後、やはり建築基準法が改正されて地震関連の法律が厳しくなっていたのでしたか。ТVで横倒しになった高速道路の橋脚が何度も映されましたが、あの映像は衝撃的でしたね。耐震基準を満たしていたはずなのに無残に崩壊。最先端の現代文明でも
お手上げなのか……と思いました。
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スニーカー (スポンジ頭)
2021-03-20 10:30:21
 いとこはまた違いますが、東日本の際、女性がスニーカーを買ってその場で履き替えて歩いて帰宅した例だそうです。非常時だから懸命に皆さん歩いたのですね。靴屋も売れたのは有り難いでしょうが、状況が状況なので、素直に喜べなかったでしょう。
ttps://twitter.com/QUEVCAGRAPHIXX/status/1370021437256261641

 
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阪神大震災 その2 (スポンジ頭)
2021-03-19 23:37:49
> 東京から神奈川まで歩いて帰宅なので、何となく男性と思い込んでいましたが女性でしたか!

 そうなんですよ。よくやったものだと。当人はスポーツをしていたのと気が昂ぶっていたので出来たのでしょうけど、なるべくなら安全策を採りたいところです。
 自分が地震に遭遇した場合を脳内シミュレーションした事がありますが、公共交通機関が使用できない場合は会社から帰宅できない、と言う結論に達し、会社に籠もる事にしました。水さえあれば、食料がなくても一日は保ちます。

> ちなみに我が家のトイレは震災でも使えました。

 それは良かったです。生理現象に不自由すると精神もやられます。

>ビルごと崩壊したケースはあまり聞かないような……

 映画館が入っていたビルは階が押し潰され、建物としては建っているのですが、建物の中に入って行動することは極めて危険な状態になっていました。15階の建物なら10階の高さになったような感じです。そのビルに会社がある場合、そこの社員が荷物や書類を取りに入る際は、責任を建物所有者に問わない、と言う誓約書に署名して入っていました。幸いそのビルの中での事故はなかったと思います。

> 震災後にボランティアに来た方は、阪神大震災に比べ建物がしっかり立っていることに驚いたそうです。

 阪神大震災の後、建築基準法が改正され、更に地震関連の法律が厳しくなっています。東日本大震災で建物がしっかりしていたのはそれもあると思います。本当に、津波さえなければマグニチュード9でも大丈夫だった筈です。
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Re:阪神大震災 (mugi)
2021-03-19 22:49:33
>スポンジ頭さん、

 東京から神奈川まで歩いて帰宅なので、何となく男性と思い込んでいましたが女性でしたか!帰宅は真夜中だったそうで、本当に大変でしたね。女性はむしろ職場のビルで夜明かししたほうが安全かも。
 ちなみに我が家のトイレは震災でも使えました。尤も停電のためウオシュレットは3日間使えなかったし、便座も冷たいままでした。昔ながらの和式トイレのままだったら、このような思いをしなかったのに。

 仙台でも政宗に所縁のある青葉神社を含め、鳥居や灯篭が点灯した神社は多数あります。ただ、ビルごと崩壊したケースはあまり聞かないような……

 震災後にボランティアに来た方は、阪神大震災に比べ建物がしっかり立っていることに驚いたそうです。地盤も影響していると思います。津波もないのに阪神大震災では6千数百人もの犠牲者が出たのが不思議です。もし津波がなければ、東日本大震災の犠牲者はその半分以下だったことでしょう。
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阪神大震災 (スポンジ頭)
2021-03-18 22:06:45
>特に女性は街灯のない夜に帰宅するのは危険です。

 いとこは女性です。かなり無茶をしていますが、東京から脱出するのが第一義でした。家族がいない地域で異常事態に遭遇するのは神経が参ったと思います。東日本大震災の際、私が勤めている会社の東京支社にいた人間の中にはビルで夜明かしした者もいたそうですが、トイレとかどうしたのでしょう。

 阪神大震災では友人と行った映画館がビルごと崩壊、叔母の親戚の家の近くの神社も大燈籠が転倒していました。母方の遠縁の親戚は自営業なのでビルを建てていましたが、極めて強固な基礎にしていたので崩壊せずに済みました。もともと後から増築する予定で基礎を作っていたのだそうです。

 とは言うものの、大阪では日常生活が普通に営まれており、神戸の被害はひどかったのですが、まだ局地的でした。
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Re:同調圧力 (mugi)
2021-03-17 21:58:13
>motton さん、

 大阪や土佐には行ったこともないので、その地の風習は分りません。ただ、震災から離れていたにせよ、あのような自粛ムードの同調圧力はなかったのでしたか。尤も被災地が大阪や土佐だったとすれば、東北でも自粛ムードの同調圧力はなかったと思います。

 確かに在京メディアの影響は大きいですよね。ワイドショーを毎日見ていれば感化されるし、在京メディアは実に罪作りです。
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同調圧力 (motton)
2021-03-17 09:37:23
大阪や土佐にはあんな自粛ムードの同調圧力はないので、日本ではなく東京(在京メディアの影響下の人々)のものでしょう。東京でも下町(「寅さん」の世界)にはないんじゃないかな。
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Re:2つの震災 (mugi)
2021-03-16 21:28:03
>motton さん、

 3.11ではタクシーに乗るのも7時間待ちでしたか!歩いて帰る人も多かったそうですが、それも距離によるでしょう。そして2011年3月末にお子様が誕生していたことは初めて知りました。ならばもうすぐ十歳ですよね。

 宮城では揺れもしなかった阪神淡路大震災ですが、現地の様子を職場のТVで見ていた際、上司が「(やじ)馬がいない」と言ったことを憶えています。通常なら火事になると野次馬が表れるのに全くいないので、上司は相当な震災になっているのでは……とも言っていましたが、その通りになりました。

 東北でも阪神淡路大震災後の自粛ムードは記憶にありません。遠く離れていて被害のない地域だったこともありますが、3.11後は被災地ではミュージアムどころではありませんでした。それでも暫くすると、チャリティーイベントが方々で行われるようになりました。尤も来てほしくない手合いも被災地に来ましたが。

 東京に限らず全国的な3.11後の自粛ムードには、私も違和感がありました。自粛したところで何の得もないし、消費し経済回して援助するのが遥かに益になるのに。あの自粛ムードは日本独特の同調圧力に思えます。
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2つの震災 (motton)
2021-03-15 17:58:56
3.11はたまたま出張していて帰宅困難になって、7時間待ちで乗れたタクシーで深夜に帰宅しました。
しばらくは、臨月の妻が産気づくと困るなと思っていましたが、親孝行なのか月末まで待ってくれました(丸々太って出てきましたよ)。

阪神淡路大震災の方も池田市で経験しました。幸い個人の被害はお皿数枚でしたが、運が悪いと重傷を負っていた(死んでいた)可能性もありました。
2日前に行った神戸の生田神社が崩壊していたり、借りていた部屋がつぶれたり通学できなくなった友人・知人もいて3.11以上に身近でした。

ただ、被災後を比べると、関西の方がずっと明るかったと思います。「お笑い」の本場大阪だけではなく神戸でも。自粛ムードとかほとんど無かったように思います。
3.11の1週間後に暇を持て余した3才の娘を連れて横浜のアンパンマンミュージアムに行ったのですが、ガラ空きでほとんど貸切状態だったのですよね。
何これ?でして、その後の東京の自粛ムードは冷やかに見ていました。(被害を受けていない地域では、消費して経済回して援助するのが正しいんちゃうん。)
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Re:地震 その2 (mugi)
2021-03-14 22:49:21
>スポンジ頭さん、

 震災日には東京で帰宅困難者が続出しましたね。特に女性は街灯のない夜に帰宅するのは危険です。あれだけ交通網の発達した東京でも、大震災ではなすすべもなかったことに驚きました。

 被災地では暫く信号機も使えず、そのため昼間でも車の運転は緊張しました。電気なしの現代社会は考えられないのに、あの駄言。音楽家は最低限の常識もないのか、と言いたくなります。
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地震 その2 (スポンジ頭)
2021-03-13 21:57:58
 いとこは東京から神奈川まで歩いて帰宅しました。到着したのは真夜中で、街灯や治安の問題を考えると、かなり危険ですね。

 電気といえば、病院など生死に関わるのですが、それを考えるとこんな駄言はありえません。社会インフラなんてあって当然だと思っているのでしょうね。
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Re:地震 (mugi)
2021-03-13 21:39:20
>こんばんは、スポンジ頭さん。

 地震でろうそくの光が苦手になったのはあくまで個人体験ですが、もしかすると他にもいたかもしれません。うかつに倒して火事になる危険があるため、ろうそくを持って家の中を歩き回ることはしませんでした。代わりに使ったのが懐中電灯。幸い電池は買い置きしていましたが、電池も早々に店から無くなりました。

 キャンプ用のランプも使いましたが、こちらも意外に光は広がらず暗かったですね。これで昔の人が生活していたのだから感心しました。

 関東もかなり被災しています。津波もあり、茨木や千葉でも20人以上が犠牲になりました。携帯は完全に不通状態で安否堪忍もままなりません。にも関らず、たかが電気と戯言を吐く音楽家もいたのです。
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鳳山さんへ (mugi)
2021-03-13 21:37:27
 早いもので熊本地震から来月で5年目となりますね。確かに原発事故は深刻な問題ですが、現代の科学では自然エネルギーばかりには頼れません。今更行燈暮らしや川で洗濯はできないのです。

 自分はニューヨークの様な安全圏にいて、「たかが電気」とほざくミュージシャンを環境保護派と持ち上げるのがマスゴミですから。
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牛蒡剣さんへ (mugi)
2021-03-13 21:36:16
 仙台は東北の物流の拠点なので、他よりもインフラ回復が優先されたと思います。ただ、仙台も一律ではなく、場所によっては復旧は遅れたし、同じ町内でも丁目が違うと水が出なかったりしました。

 都市ガスは本当に震災に弱い。昭和53(1978)年の宮城県沖地震でも復旧に一週間もかかりました。プロパンの便利さが分かりましたが、今更変えられない、、、

 茨木も津波の被害がありましたね。それでも犠牲者数で断トツなのが宮城県。岩手県の倍以上だったし、地形が影響したのでしょう。
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地震 (スポンジ頭)
2021-03-13 09:42:31
 おはようございます。

>ロウソクの暗い光の中、余震はさらに暗い気分にさせられる。
> そのためロウソクと震災の記憶が結びついてしまい、何年もロウソクの光が苦手になった。

 地震でろうそくの光が苦手になるとは想像していませんでした。やはり、大地震を体験された方の話は思いも寄らない事がありますね。ろうそくでは殆ど光は広がらないでしょうし、夜、家の中を歩き回る事も非常に難しいでしょう。

 あの日は普段使っている駅で、通常は駅情報を映しているディスプレイにコンビナート火災のニュースが流されていたのを覚えています。関東の友人へ携帯からメールをしても返事がなく、返事があったのは明け方でした。
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Unknown (鳳山)
2021-03-13 09:03:55
もう10年経つんですね。私も熊本地震を経験しましたから感慨深いです。マスゴミは原発事故を利用しエネルギー安全保障を破壊しようとしていますね。これが一番許せません。

我々国民も災害に備えるとともに、情報リテラシーを身につけマスゴミの嘘に騙されないようにしなければいけません。
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のらくろ さんへ (mugi)
2021-03-12 22:12:17
 今日の河北新報の番組欄にも「Fukushima50」が紹介されていました。震災便乗作品か、と思っていたら、原作は門田隆将氏だったのですね。映画ゆえに脚色はされていても、原作が門田氏ならば期待できます。

 昨日の河北新報は震災特集を組んでいましたが、それでも呆れる中共忖度がありました。その二にも書きましたが、台湾の旗を“白旗”にしていたのです。2012年でも同じだったし、改めてサイテーの地方紙だと不快になりました。
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Unknown (牛蒡剣)
2021-03-12 22:10:24
茨城の片田舎はこうやって見ると仙台よりインフラ回復がおくれていたんだなあと。電気は1週間以上かかりましたし、(水戸市は2日でしたが)水道は
2週間以上(ウチは幸い川の淵なので、飲み水はともかく洗濯 掃除の水は平気)でしたねえ。
ガスはプロパンで問題なし。薪の竈もありましたし
火は困りませんでしたが。物流の回復は大体1が月。道路も鉄道も傷んでましたし、茨城県の鹿島市の石油コンビナートが機能停止していたので、こちらも1月近くはガソリン不足で5から6時間かけて
給油待ちという光景が続き車両が機能してませんでした。

茨城はインフラは傷ついて生活が大変でしたが、死者はすくなく、我が家も震度6弱でも食器一枚
割れずに済みました。

 
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Unknown (のらくろ)
2021-03-11 23:37:02
明日3月12日 21:00~
日本テレビ系列局(仙台ならミヤギテレビ(ミヤテレ))にて
「Fukushima50」(原作 門田隆将 「死の淵を見た男」)
ノーカットで放映、だそうです。
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