先ず、3月11日に起きた東日本大震災の犠牲者の皆様方に、心より哀悼の意を表します。私の地元・宮城県だけでも犠牲者は軽く1万人を超えるのは確実らしく、昭和53(1978)年6月の宮城県沖地震などとても及ばない大震災となりました。県内各地の海岸で、夥しい死体が発見されたというニュースを聞く度、まさに目の前が真っ暗になる想いにさせられます。遺体の一刻も早い身元確認が望まれますが、沖に流され、死体も見つからない犠牲者も少なくないだろうし、それを想像するだけで言葉もありません。
そして数十万にも達する被災者の方々にも、心からお見舞い申し上げます。家も家族も津波で流され、「残ったのは命だけ」となった人々も凄まじい数に上る。彼らには言うべき言葉もありません。今なお夜は冷え切る東北各地の避難所で過ごされている被災者の方々、特に乳飲み子を抱えたお母様方や年配者の苦難には、身を切られる思いです。被災者の皆様方が早く震災前の暮らしに戻られることを、心より願っております。
また大震災に加え、福島原発事故のニュースもとても気がかりです。ただでさえ大津波で甚大な被害を被ったうえ、被爆という放射能の脅威まで襲い掛かるとは、まるで天災と人災という鉄槌を同時に下されたよう。宮城県にも女川(おながわ)原子力発電所があり、とても他人事ではありません。
ちなみに私自身ですが、非常に果報者で家族共々無事、怪我1つ負いませんでした。質素な家でも倒壊せず、窓ガラス1枚割れず、玄関に置いていた安物の陶器がひっくり返り、割れただけで済みました。さらに幸運なことに地震が起きた日の午後、私は代休で家にいたのです!この日出勤していたら、帰宅するのも大変な苦労だったろうし、地震後の家の後片付けと対応が可能でした。
自宅の被害がないといえ、本棚の本は何冊も落ちたし、ハイドロカルチャーの軽い鉢植えは床に落ちる、化粧台の品は殆ど倒れる、棚の上に置いた箱はひっくり返る…地震直後は足の踏み場もない有様でした。
そんな中で、台所が被害の最もない場所でした。アルミの鍋は棚から落ちましたが、食器棚の瀬戸物は全て無事でした。別に棚から食器が飛び出さぬよう固定していなかったにも関わらず、皿1つ棚からこぼれなかったのは奇跡的というもの。割れたガラスや瀬戸物を片付けるのは大義だし、特に震災後は尚更のこと。思わず天に感謝したくなるほどでした。
茶の間の液晶ТVも無事でした。購入した際、説明書に書かれていた通り、後ろを転倒防止ワイヤーで固定していたため大丈夫だった!取り付けの際、こんなワイヤーで本当に効果があるのか疑問でしたが、M9.0の超巨大地震でも転倒しなかった。ТV台に置いていたベコニアの鉢(プラスチック)は落っこちましたが。
避難所で不自由な暮らしを強いられている皆様には大変申し訳ないのですが、我が家周辺では地震翌日の12日から水道が出たし、昨日夜から電気も復旧しました。とりあえず飲み水が確保されただけで有難いことだし、カセットコンロでお湯を沸かし、買い置きしていたインスタントやレトルト食品を食べました。カセットコンロがあれば、ちょっとした料理も可能です。停電で炊飯器が使えず温かいご飯が食べられない者にとって、小麦粉と冷蔵庫の適当な具材で作ったお好み焼きは、とても美味しく感じられました。
ただ、ガスボンベは震災直後早々に完売となり、何とか開いている店を方々探しても、入手できない状態になっています。店員さんの話では再入荷のめども全く立っていないとか。乾電池、カップラーメン、七輪、石油ストーブ、マッチ、ろうそくなども同じ有様。
今の仙台のあちこちでは、老若男女の市民たちによる行列が朝早くからできており、何とか食糧や生活必需品を手に入れようとしています。私も行列組の1人ですが、並んだ群衆を見て気付いたのは、化粧をした女性をまず見かけないこと。私もすっぴん顔で並んだし、お湯も満足に使えないため化粧をしないのであり、こんなところにも震災の影響が表れているのです。
近所にある私行きつけのスーパーやホームセンターでは軒並み天井が落下、ガラスが散乱して危険なので店内にも迂闊に入れない状態だし、建物の一部が倒壊、外壁が落ちた焼肉店も見かけました。
未だに救助隊に発見されず、東北各地で孤立している被災者も数多くいることでしょう。春のような気温の一昨日や昨日とは打って変わり、今晩からは冬に逆戻りしたような天気となるそうで、彼らの一刻も早い救援を願うばかりです。
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本当にご無事で良かったです。小生も、千葉県の半被災地というか、液状化で断水、トイレ使用禁止、風呂にはもちろん入れない、ガスも停止、と原始生活、そして、隣人らは電話が通じているのに、小生宅は、電話、ネットとも不通で、ocnはすぐに対応しないので、激怒しています。
今は、同じ県内の別荘で、娘のMacでのろのろ打っています。
という訳で、小生のブログ更新はいつ再開できるか、見通しが着きません。自宅のネット環境を戻す前に、断水、その他の条件が改善しないと、自宅に帰れず、原稿もなく、ブログ更新をできる環境が実現しないから。
ともかく、今は、ガソリン残量を気にしつつ、何とか別荘に来て、風呂に入り、洗濯してほっとしているところ。
まあ、自分は、何とか風呂に入れたし、野外の簡易トイレでなく、ちゃんとしたトイレに入れて、ほっとしています。
ともかく、むぎさんが無事で本当に良かった。小生は少し、当分不便を経験しますが、別荘が有ってよかった。
娘たちは、無線系のcp、携帯端末などを上手に使いこなすけど、小生は苦手ですから、ブログ復活まで時間がかかりそうです。
犠牲になられた方々に心から哀悼の意を表します。まだ救助されていない方々の一刻も早い救出を唯々願っています。
mugi様の記事で、被災地の困難さが伝わってきました。しかし、仙台が、宮城県が、東北が、必ず立ち直り、震災以前より大きく発展することを私は確信しています。
20年ほど前、山形にいた友人を訪ね、山形県と宮城県を旅行しました。仙台では中央の通りで新しいアーケードが建設されていました。1月の寒い時期でしたが、街全体が明るい感じがしました。そして新鮮で力強く発展していく印象を受けました。
これからが大変であると思いますが、あの力強さがあれば、必ず復興できます。私は確信しております。
今はとにかく心を強く持ってください。
>本棚の本は何冊も落ちたし、ハイドロカルチャーの軽い鉢植えは床に落ちる、化粧台の品は殆ど倒れる、棚の上に置いた箱はひっくり返る
私の家でも同じ様な被害でした。本やCDが落ちて足の踏み場がない、植木がひっくり返って水浸し。でも、まだこの程度なら・・と思う様にしましたが。
今回の原発事故で世界中から安全面に関する疑惑が募り、かつ自国での原発開発に対して不安を感じているそうですね。下手をすれば日本にもチェルノブイリの様な大惨事になりかねないとのことです。
静岡で震度6の地震!
もう勘弁してほしいです・・。
エントリーではなく、コメントすらない状態がずっと続いていたので、今はとりあえず笑い話ですみますが、日付変わって昨日のエントリ、コメ返しがあるまで、最後のエントリよろしく「○○と共に去りぬ」だったのではないかと気を揉んでおりました(さすがにお知り合いに本当にそうなった方もいらっしゃるでしょうからまだ伏字です)。
ただ、mugiさんはご無事だったわけですが、どこかの町長のように、本当に4波にわたる津波の襲来を受け、かなりの程度まで一晩水(しかもまだ「ぬるんでいない」)に浸かりながらしのいで、翌日昼になってまず地元町民の安否を確認、町の被災状況を調べていたら、いつの間にか2昼夜過ぎてしまったという、文字通り修羅場をくぐりぬけての生還だった方や、おそらくmugiさんのお知り合いの中には不幸にしてお亡くなりになったかたもおられるかと存じます。
mugiさんはご存じだと思いますが、当日17時30分ごろの私のコメは、PCからではなく携帯からです。そういうこともあって、「電気が来てないだけではなく、津波で携帯はもちろん、財布その他までを持って行かれ、文字通り着の身着のままだったんではなかろうか」と心配していました。ですが、3月14日まで完全停電だったのでは、「これで携帯のバッテリーあがりになったら」と余分な「電力消費」には慎重なうえにも慎重にならざるを得ないのは当然かと思います。
さて、とりあえずご無事だったmugiさんには、これまでのスタイルを当分崩していただいて、被災地からのmugi視点でのレポートをお願いします。大マスゴミは(これももちろん大事だが)福島原発の話でほとんどの時間、記事を埋め尽くしていまして、実際生き残った被災者が何を求めていてどう困っているのかがなかなか伝わってきません。そういうところを実際の被災者であり、いまも被災地にとどまっておられるブロガーからも発信していただければ、ネットユーザーにはいろんな意味で有益だと思います。mugiさん、ご無事おめでとう! これからもよろしくお願いします。
mugi様がご無事と聞いて本当に安心しました。
横浜ですが、我が家も自分の部屋が物置となっており、直後はひどい有様でしたが、家族にも傷一つなく無事でしたので、災害時には命あっての物種だな、と感じております。
暫く冷え込むとの情報もありますので、お体にお気をつけてお過ごしください。
これからもよろしくお願いいたします。
募金、節電などできることからしていますが、無力です。主人が明朝、給水車を被災地に持っていくことになっており、しばらく現地にいます。阪神大震災の時も救援に行っており、救援活動は慣れている方ですが、やはりちょっと心配です。でも、少しでもお役に立てればと思います。(今荷造りしています。とにかく「自分達のことは自分で」が救援活動の基本ですから)
被災地の皆様が日常生活に戻られる日を、心からお祈りしています。今までも何度も困難を乗り越えてきた日本人の底力を信じて…。
コメントUPが嬉しかったです!!
震災地の甚大な状況に心痛みます…。
私も阪神大地震の時を経験しております。関西もその時は、助けてもらいました。
一日も早い、今後の救援・復旧を応援したいです。
今、個人で出来る事は『義援金』ぐらいしかないですが、応援します。
mugi様。しばらく、不自由な生活と思います。体調崩されませんように…。
私も募金しました。一刻も早く通常の生活に戻れますように。
薄情な小生は、mugiさんの事が非常に気になっていたのですが、コメントもせずに状況を注視していただけでしたが。
正直なところ、少しはダメかもしれないと思っておりましたが、ご家族も含め、何よりで、本当によかったです。
千葉県も沿岸部はかなり被害が出たことをラジオ(NHK第一放送)で知りましたが、貴方の住む地域さえ半被災地となったとは驚きました!幸い私の住む付近では水道はすぐに復旧しましたが、ガスはかなり時間がかかるそうです。そのため風呂にも入れず、公衆浴場も時間制限を
設け(お湯を沸かす燃料不足のため)、整理券発行している有様。そのため地震以来入浴しないという、中世欧州風スタイルの暮らしになっています(笑)。幸い寒いので、体臭はまだ我慢できるでしょう。
電話も昨日になってようやく復旧しました。私の隣近所も電話不通でしたが、地域によっては回復が早かったところもあるようです。大崎地方に住む私の親戚など、20回以上も私の家に電話して、やっと繋がったと話していました。その間、我が家の電話は沈黙したままでした。まだ連絡の取れない親戚や知人もいるので、安否が気がかりです。
こちらでもガソリン不足が深刻化し、スタンドには車の長蛇の列ができています。2日後には彼岸入りだというのに、これでは墓参りさえ考えもの。
ともかく、室長さんもご無事で何よりでした。命や健康あってのブログ復活ですから、別荘でどうぞごゆっくり静養されて下さい。